オーバー・ザ・ムーン
俺は下宿に戻り、窮屈なスーツをサッサと脱ぎ捨て、シャワーを浴びてからパソコンに向かう。
メールをチェックし、いつものように就職ナビサイトを巡る。コレといった良いニュースはないようだ。台所に行き冷蔵庫からビールを取り出し再びパソコンの前に戻る。
一口ビールを飲むと口の中に気持ちのよい冷たさと苦さが広がる。暑さと苛立ちがやや紛れた。ふと頭に『ある言葉』が浮かび、検索欄にその言葉を入れクリックする。
「コレだ!」
目的のサイトはすぐ見つかった。
三日月にチョコンと兎がこしかけた可愛いイラストの『月夜の映画館』という映画ブログ。片方の長い耳を垂らしてキョトンとした惚けた感じの兎のイラストは何処となしに彼女に似ていた。
記事をさっと、見てみると、彼女は単なる映画好きというよりかなりのマニアな事が伺える。一般の人があまり知らないような単館系の映画を中心に楽しんでいるようだ。
そして記事の最後には、ニッコリした兎や、顔を真っ赤にして怒りくるっている兎、泣いている兎のイラストとともに、その上には新月から満月の月が表示されている。どうやら映画への満足度がその月の満ち欠けで、率直な映画への感情がその兎の様子で表現しているようだ。
「『隠された記憶』コレまで見てるんだ!」
これは日本でも渋谷の一劇場でしか上映されなかった、知る人ぞ知るという感じの名作である。といっても万人が楽しめるものではなく、その内容はなんとも不可解、観る人が映画を観ながらその態と欠けて表現されているものを補っていく必要のある作品だ。また謎を多く残すラストシーンは映画ファンの間でも、物議を醸し出しているそんな作品。その映画の感想の下には、満月とビックリ顔の兎が表示されている。
俺は『加害者と被害者がどこまでも交わらず互いを傷つけていく、虚しい連鎖の悲劇。そしてラストは新しい悲劇の連鎖の始まり』と解釈した映画を、彼女は『どうすれば加害者が救われるのか? について語り、そしてラストを被害者が加害者に癒しを与えるために行動を起こした』と面白い解釈をし、評論をしていた。
「へぇ〜!」
面白くて思わず、コメントいれようかとも思ったが、知り合いというわけでもないけど、まったく知らない人の振りしてコメントするもの何か変な気もするし、また『今日会った者です』と言ってコメントするのも怪しい。
お気に入りにそのサイトを登録し、読者としてだけ楽しむ事にした。
映画好きの両親に育てられた事もあり、俺自身もかなりの映画好きになっていた。小学校の時から、子供向けではないような映画まで観させられてきた事もあり、俺自身はかなりの映画マニアに育っていた。
そんな俺の目からみて、そのサイトはかなり面白く感じた。
『月』の名前で、ブログを管理する彼女。映画だけをブログで語る彼女だが、映画の評論から、暢気な感じに見えて意外に冷静に厳しく物事を見る人だというのがよく分かった。
そしてもう一つ気がついたことがある。このブログの常連の一人でよくコメントを残している『星』という人物と彼女の恋人らしいということ。
『月』というハンドル名の彼女に対して、『星』というハンドル名をつけてくるそのセンス、かなり恥ずかしいヤツだ。
でも彼女はそんな事、まったく思ってないようで、『星』という人物に対して、明らかに他の来訪者とは違った嬉しそうな親しみを込めたコメントを返している。時々、思い出まで交えて語られるそのやり取りは読んでいるコチラが恥ずかしくなってくる。
二人は遠距離恋愛なのか? 一緒に映画を観ている感じではない。何故メールではなくこんな所で対話を続けているんだ! と突っ込みながら、そのやり取りコッソリ見続ける俺も俺だが……。このブログは就職活動で戦う俺の、良い息抜きにはなった。
後日モリシマから連絡がきて内定をもらえた。その事で精神的に楽になった事もあったのか、その後の活動も順調に進むことになる。
秋になり、俺はモリシマを含む四つの会社の内定をとることを成功し、もうそれ以上の就職活動をするのを止めた。背伸びするのを止めて、ベストでなくベターの結果を求めたことの勝利ともいえるだろう。
一つは大手消費者金融の会社で、もう一つは建築会社、一つは食品関係、結局俺はモリシマへの就職を決めた。
※ ※ ※
そして春、真新しい背広に身を包みあのモリシマの小さな自社ビルに足を踏み入れる。一週間の研修を過ごすことになる会議室へと案内される。
部屋に入ると四人の女の子が一斉にコチラを向き、チョットビビる。
どうやら、今年の新入社員で男は俺一人だったようだ。この四人の女性が俺の同期となった。
スラリとして和風美人でお嬢様っぽい女性が『河瀬夏美』、日に焼けた黒い肌で元気なスレンダーな女性が『松梨友子』、吊り目で見るからに勝ち気で、よく見るとなかなかグラマーな女性が『井口成実』。そして小柄でショートヘアーのニコニコした女性が……『月見里百合子』、彼女だった。
月見里百合子は、俺の顔を見て、懐かしそうな親しみを込めた笑顔を向けてくる。
「久しぶり……。また会えたね、月見里さんだよね?」
俺は、あの綺麗な長い髪が、見事になくなっていることに軽いショックを覚えながら彼女に声をかける。
彼女はそんな戸惑いなんて気付かないようで、以前と同じあの和む笑顔を向けてくる。既に仲良くなっていた他の女の子らに振り返って、『面接が一緒だった人』と俺を皆に紹介する。
お陰で、女の園である同期の仲間として、すんなり俺も溶け込むことが出来た。そして俺の社会人生活は順調にスタートする。
『隠された記憶』はミヒャエル・ハネケ監督が作成した映画です。
【物語の中にある映画館】にて
『隠された記憶』
http://ncode.syosetu.com/n5267p/3/
解説があります