最後の恋のはじめ方
一月末、また彼女が居ないということで、俺は性懲りもなく月ちゃんを映画に誘う。
しかし、日曜日にも先約があったようだ。彼女はチョット悩んだ顔をして、西河実和に声をかける。
「実和ちゃん、映画さ、黒くんも一緒でも良い?」
西河は戸惑う顔をしたが、すぐにニコリと笑う。だんだん月ちゃんっぽい笑顔が自然になってきている。
「はい!」
西河に、チョット悪かったかな? と思う。せっかくの休みなのに、よりにもよって同じ課の人と出かけたくはなかっただろう。
「じゃ、そういうことで!」
月ちゃんは妙に嬉しそうに、俺達に手を振って去っていく。
「ごめん、なんか俺、邪魔だった?」
西河に謝っておくが、彼女はビックリした顔をして首をブルンブルンとふる。
「どうしてですか? 三人で映画楽しそうじゃないですか、あの映画楽しみに待ってたので、今からワクワクしてるんですよ! 黒沢さんと映画ずっと行きたいと思ってたし」
ニコニコお愛想でなく。本当に嬉しそうな西河の様子にチョット、ホッとする。
この時から、映画は何故かこの三人で観るのが当たり前になった。
正直言うと、行く前までは西河を邪魔に感じていた。でも落ち着いて考えると彼女の存在はかなり助かる。
月ちゃんに対して、かなり複雑な感情を持っている俺が、二人っきりでいるのは嬉しい反面、苦しいというのも確か。ついうっかり気持ちをぶちまけて、この関係すら壊してしまう危険も高い。
西河の穏やかさが、三人の空間をよりまったりと平和なものにしてくれた。
そんな穏やかな三人の関係が、四ヶ月程続くが唐突に終焉を迎えることになる。
いつものように、三人で映画を観てから喫茶店で映画談義を楽しんでいた、そして今度、何を観るべきかと話していると、月ちゃんはチョット困った顔をする。
「私は暫く忙しくなるから、映画一緒に観に行けなくなりそうなの。だから二人が行きたいもの決めて」
「え?」
ショックを受けたような顔の西河。そんな西河に、月ちゃんはふわりと微笑む。
「実は、私……結婚することになったの。……で、その準備で色々バタバタしそうで」
西河は驚きつつも、月ちゃんの手を握って瞳を嬉しそうに輝かせる。
「そうだったんですか。おめでとうございます! いつのまに、そんなに!」
照れたように笑う月ちゃん。そしてそんな月ちゃんに、彼女らしくなくテンション高く色々質問をしている西河。二人がこの時に俺の方を見ていなくて良かった。凄い顔になっていたと思うから。あまりの衝撃に息をするのを忘れる。動揺を悟られないようにテーブルの上の水を飲む、手は震えている。俺は二人に気付かれないように小さく深呼吸する。
「おめでと! 俺の知らない所で、そんな話進めているなんて、隅に置けないな〜俺にも教えてよ! その相手の事」
俺は努めて明るく、その会話に加わることにする。完璧な失恋に、もう笑うしかない。営業としてのスキルがこんな事にも役に立つなんて。俺は、必死で笑顔を作り、いつもの陽気な俺を演じる。
「小学校の同級生なんだけど、去年の同窓会で友達になって」
『ほうほう』、と俺は頷き先を促す。
「で、映画の共通の趣味で仲良くなって、今年の三月に付き合うことにして、まあ、今に至るという感じかな〜」
思った以上に最近である三月という数字に引っかかりを覚える。だが月ちゃんがその前から、ソイツに恋してたのは確実だから、どのみち俺の出る幕なんて何処にもなかった。
「で、ソイツの何処にそんなに惚れたの?」
自分が傷つくのが分かっていても、ここは聞きたかった。何故ソイツに惚れて、俺の方はまったく見てくれなかったのか。単なる結婚する友達への質問にしては詰問口調になったのを、内心不味かったかなとも思う。
月ちゃんは、うーんと考える。
「その人に会って、面白いと思えるものが増えて、世界が楽しくなったの。それにその人とだったら、背伸びしないで自由なありのままの自分でいれるという感じなのかな」
月ちゃんは、照れたように笑う。
俺はその言葉にズキンと心が痛くなる。俺は月ちゃんからどう見えるか? どうやったら振り向いて貰えるのかだけを気にして接してきた。彼女の存在に助けられてこの会社に入社して、そして社会人として成長も出来たというのに、俺は彼女に与えられてばかりで何を返したのだろうか? 何もない。
「うわ〜、月ちゃんがそんな惚気るとは、ビックリ! こっちが照れ臭くなる。そう思わない?」
俺はあえて明るく茶化した言い方をして、西河に話をふる。西河は照れるなんて事ないらしく、目をキラキラさせている。西河も月ちゃん以上に幸せそうな笑顔だ。尊敬する先輩の幸福が嬉しくて堪らないという感じなのだろう。そりゃそうだろう、俺もコレが月ちゃん相手じゃなければ、素直に祝福して喜んだ。
「言わせたのは、黒くんでしょ!」
月ちゃんはむくれたような顔をする。顔が赤い。
「ソイツは、月ちゃんにとって、スッゴイ大事な人という感じが、いいね……なんか。じゃ……俺は月ちゃんにとってどんな存在?」
我ながら、自虐的だと思うけど、今しか聞けない。月ちゃんは、別に不快そうな顔も、馬鹿にしたような顔もしないで、真面目に俺の質問を考えているようだ。
『良い友達!』なんて言われると、正直痛い。
「うーん、一番近い言葉で言うなら、戦友? って感じかな」
思いもしない言葉で物事を表現してくるのが、月ちゃんという人物。俺は意外な言葉に思わず聞き返してしまった。
「へ? 戦友?」
月ちゃんはアッケラカンと笑い頷く。
「ほら! 一緒に就職戦線乗り越えた仲だし、その後社会人になって大変な時期も一緒に励ましあって戦ったという感じでしょ?」
なんだろう、単なる『友達』という言葉より嬉しかった。可笑しいけど、俺を激しく落ち込ませているのも月ちゃんだけど、その月ちゃんの言葉に救われている。俺はつい、頬が緩む。なんか嬉しかった。
「相変わらず、月ちゃんって、上手い事いうよね!」
俺は頷くと、月ちゃんは『でしょ?』とニコっと笑う。
「なんか、いいですね、そう言いあえる関係って」
西河が俺達二人をみて、ボソっとつぶやく。そういえば、西河の代は、俺達の代と違って最初からバラバラな所があった。
「実和ちゃんも、そうだよ! 一緒に社会で戦っている友でしょ?」
月ちゃんはニコっと、寂しそうにしている西河に語ってから、俺を見て『ね?』と聞いてくる。俺は、素直にその言葉に頷いて、そして西河にも笑いかける。すると彼女はパっと顔を輝かせて微笑んだ。
「ま、戦友として、俺達二人で月ちゃんの結婚、祝って、精一杯応援するから、何でも言って! 出来る事ならなんでもするから」
西河は俺の言葉にウンウンと頷く。
月ちゃんは、今までで最高に嬉しそうで素敵な笑顔を俺に返してくれた。
失恋の痛手から流石に、新しい恋をする元気も有るはずもない。横目で、結婚へ笑顔で向かっていく月ちゃんの様子を窺いながら……。
出会った時から、真っ直ぐ彼女だけを見てアタックしていたら、彼女は俺のモノになっていた?
今、何を言っても始まらない。全ては終わってしまった事だから。
俺は大きくため息をつく。
二次会の幹事を率先して引き受けたのは、俺から月ちゃんへの想いを込めたエールを送りたかったからと、自分の手で結末を飾りたかったから。
月ちゃんが抜けることで、映画観に行くメンバーは俺と西河と二人だけとなる。月ちゃんの結婚による大失恋は、俺としてもかなりキツイ状態だった。それだけに、穏やかに隣でいてくれる西河という存在に救われた。
周りをシッカリ把握した上で気遣いをみせて穏やかな空気を作る月ちゃんとは異なり、西河は基本暢気な性格。物事何でもスローなテンポにしていく所がある。仕事においては、苛つく所もあるが、その鈍感な所が、今の俺には心地良いものがあった。こんなボロボロになった俺を、ホヨっとした空気で受け止めてくれる。俺は、その西河のやさしさにしばらく甘えてしまった。