昔みたい
俺は蜷川と別れて一ヶ月、我ながら聖職者のような禁欲的というか色恋事に見向きもしない勤勉な生活をしていたと思う。
というか、蜷川との付き合いによって気付かされた自分の狡さ弱さに対して自己嫌悪に陥っており、精神的にも、恋とか愛とかいった事を考える気力もなくなっていた。ズルイ自分の思い出のありすぎる部屋も、なんか心地悪く、引越しもした。でも心の切り替えがなんか出来ない。
「あのさ、そんだけ落ち込むなら、今度こそ自分にも、月ちゃんともキチンと向き合えばいいじゃない」
松ちゃんは呆れたように、俺にそんな言葉を投げかけてくる。
気がつけば、姉貴とダメ弟のような関係になっている俺達。サバサバしていて何でも話しやすい事もあり、月ちゃんの事、蜷川の事などについて、俺は彼女に何でも相談出来る関係になっていた。
彼女には、既に将来結婚を約束しているような恋人がいる事もあり、男女でありながら純粋に友情で話せる。彼女との時間はいろんな意味で楽だし楽しかった。逆にコチラに恋心がある分、月ちゃんとの会話のほうが悩む部分が多い所があった。しかも蜷川との件で、若干距離が出来てしまったから尚更である。最近は映画友達という立場も、後輩である西河に奪われているようだ。二人が楽しそうに観てきた映画について話しているのに割り込んで会話を参加している状況。
「とりあえず、単なる同僚から、友人に戻れるように努力はしていますよ」
俺はむくれたような口調で言いながら、ビールを煽る。
「今週末、彼やその友達と、荒川でバーベキューやるから、くる? 月ちゃんも誘うよ!」
「え! この寒い中、バーベキュー?!」
三月といったら、春とは名ばかりでまだまだ寒い、物好きな……。
「チョット寒いからいいんじゃん!」
ニカっと笑う松ちゃん。アウトドアな人間は、季節なんて関係なく楽しめるらしい。
「ま、月ちゃん来たら、考えればいいよ!」
決定事項とばかりに、彼女は言い切る。正直あまり気乗りしなかったが、確かに一緒にバーベキューの準備とかすると、彼女との距離が少しは縮まるかもしれない。包丁を持って野菜とか切る彼女が、ちょっかい出す俺を笑いながら叱るといったシチュエーションが頭に浮かぶ。アルコールも入っていた事もあり、俺は馬鹿な妄想をしてヘラリと笑ってしまった。
※ ※ ※
次の日、二日酔いでぼんやりした頭をシャッキリさせるために、濃いインスタントコーヒーを飲むため給湯室に行く。そこは、まさに松ちゃんが月ちゃんを熱烈勧誘している現場だった。
「中島さんや、信子さんも来るんだ!」
「楽しそうだね〜」
松ちゃんは、俺の姿を見てニッカリ笑いながら、月ちゃんを必死で勧誘している。月ちゃんも俺の姿を認めニコっと笑いかけてくれる。ようやく元の友情状態まで復活できたかな? と俺はその笑顔を見て思う。
「月ちゃんも、バーベキューくるんだ!」
俺も態とらしく、会話に参加する。月ちゃんは「そうね〜」と言いながら、携帯を弄る。そしてスケジュールを確認しハッとした顔になる。
何気なく見えた液晶画面に俺は、土曜日に何やらマークがついているのを気付く。嫌な予感。
「あっ。ゴメンその日ダメだ! 同窓会があるのを忘れていた」
「そっか、残念! でも次の機会誘うから! じゃね!」
松ちゃんはこっちに『ゴメン』口の形だけで謝り、給湯室から出て行った。
「是非是非! 今度また誘ってね〜」
月ちゃんは松ちゃんに手を振り、ふと俺の視線に気づいてか不思議そうにコチラをみる。
「黒くん、なんか痩せた?」
確かに色々あった事とで、適当な食事をするようになって痩せたかもしれない。というより窶れただけ? でもそんな俺の変化に気付いてもらえた事が嬉しい。
「まあ、色々忙しかったからね〜」
「ダメだよ! 一人暮らしなんだから、自分でチャンと管理しなければ! 情けないな〜」
自分のマグカップと俺のマグカップを棚から出しながら、説教じみた事を言ってくる。多分、こういう言葉の言い回しは、彼女が慕う荻上さんの影響。あえて説教臭い言葉遣いとか行動を真似ているところがある。しかし荻上信子のようなキツさ激しさがない。他の女の子に言われたら五月蠅く感じる言葉も、月ちゃんの口から出ると、優しさと愛情を感じる。彼女の言葉が聞いている俺の心を温かくする。
「黒くんは、何飲むの?」
もしかして、煎れてくれるんだ! 何ヶ月ぶり? こういうの。
「何でもいいよ、月ちゃんがいれてくれるものなら」
調子良い俺の言葉に、目を細め呆れたように見つめてくる。でも、「まあいいか」といって笑う
「草臥 れきったジャパニーズサラリーマンに。とっておきなモノ出してあげよう!」
そして、しゃがまないと取れない床に近い棚の下段から青いココアの箱を取り出す。給湯室のその下段の一部が月ちゃんコーナーとなっている(正確には、営業部製作課の飲み物コーナーなのだが)。そこには珍しい茶パックとか、ミニコーヒードリップとかが置かれていて、このフロアの人間に密かに注目されているスポットである。皆コッソリそこから飲み物を取り出し、そしてコッソリ替わりに何かを置いていくことで、品揃えは日に日に豊富になっている。
月ちゃんは、青い袋をシャカシャカ俺の前でふり、自慢げにニヤリと笑う。
「コレ、単なるSWISS MISSのココアと思わないでね!」
しかし、袋にはSWISS MISSという文字デカデカとついていて、パッケージにはココアの袋であることを記してある。何故か二つの袋を俺の前で振る。
「え、何が違うの?」
「SWISS MISS - Marshmallow Lovers! マシュマロの分量が生半可じゃないの!」
ドヤ顔だけど何とも言えず可愛い。こういう顔をしても憎たらしい感じにならないのが不思議だ。しかも俺は、マシュマロはともかく『Lovers』という単語に思わずニヤニヤしてしまう。
「なら、その月ちゃんの愛を頂くことにしようかな」
思わず、下らない事を言う俺に月ちゃんは、チョット冷たい目をする。
「この『Lovers』は恋人ではないよ、『愛好家』とか『狂い』の事、マシュマロ愛好家、まさに私の為にあるようなココアなの」
そう言いながら、一袋目で普通にココア作り、その上にもう一袋を開け白い小さなマシュマロをザラザラと載せる。コンモリとミニマシュマロ浮いたココアを俺の為に入れてくれた。席に戻り、マグカップの上に邪魔なほどマシュマロが浮いたココアを俺は馬鹿みたいにニヤけて飲んでいたと思う。
ポケットの携帯が震える。松ちゃんからの、メールだった。
『バーベキューは残念だったね、でも月ちゃんに「最近黒くんが元気ないから、みんなで元気つけてあげないとね」と振っておいたの! 私のナイスアシストに感謝せいよ! ただ、あまり月ちゃんの前でヘラヘラしていたら、その言葉が嘘っぽくなるからニヤケ顔も程ほどに!』
なるほど、このココアは彼女なりの俺へのエールなのか。でも最高のエールだ。とてつもなく甘ったるいココアが俺にパワーを与え、元気にしてくれた。そして久しぶりに俺は幸福感に浸っていた。チョット先に、脅威が迫っている事なんてまったく知らずに……。