偶然の旅行者
青森県出身の俺だが、岩手県って同じ北国にありながら、山や空気がなんか自分の故郷とは違う、何かがココにあるのを感じていた。
なんだろうか? 景色、空気すべてにドラマがあるような、そんな魅力が岩手県、花巻にはあった。森の繁り方、山の雰囲気が全体的になんともホッコリした感じで、陰から架空の何か隠れているようなそんな錯覚を起こさせる。
こういう土地だから、幾人もの文豪が生まれたというのだろうか? 蜷川も東京にいる時よりも表情も柔らかく、リラックスして旅行を楽しんでいるようだ。
二人でレンタカーに乗って花巻の観光を楽しむ。日常から離れた空間が、俺たちを穏やかに落ち着かせる。旅人としての時間をまったりと楽しんでいた。そんな感じで、時間もあっという間に過ぎ、旅館『東雲荘』についたのは六時ちょっと前だった。
出来る限り、行くのを遅くしたかったということもあり、旅館に対して失礼にならないギリギリの時間にチェックインしたからであるが。
笑顔で迎えてくれたのは、女将と女性従業員で、俺はホッとする。旅館も従業員もなんとも家庭的で良い雰囲気なのに、何だろうこの俺だけが感じる居心地の悪さ。ちょっと違うけど不倫旅行をしている男性ってこんな気持ちなのだろうか?
女将の花巻や旅館に対する説明を聞く蜷川の様子を、俺は見守るといったスタンスで二人の会話を聞いていた。
「お疲れでしょうに、どうされますか? お茶とお菓子を用意しますか? それともお夕飯の前に温泉を楽しまれてもいいですし」
「明彦さん どうします?」
俺は悩む、しかし、あまり旅館内をあまり出歩きたくないという気持ちが先立つ。
「うーん、ちょっと喉渇いたし、まずは部屋でゆっくりしようか?」
蜷川は嬉しそうに頷き、その様子に女将が微笑ましそうに頷く。
「なら、お茶をご用意いたしますね」
頭を下げて、部屋から出て行った。
「やっぱり、素敵な旅館ね! あったかい感じで」
蜷川は、嬉しそうに部屋に視線を巡らせ話しかけてくる。
「そうだね……」
床の間に飾られている秋らしい植物が活けられた花瓶をシゲシゲ見つめる。そして無邪気な顔で赤い実をツンと突いている。その子供っぽい可愛らしい様子につい笑ってしまう。
これが、この旅館でなかったら、俺ももっと心から楽しめたのだろうな、と俺は密かに思う。旅館自身は悪いわけではないのだが……。そうでなかったら、今頃温泉で最初の一風呂を満喫していたのかもしれない。
出来ることなら遭遇したくない、アイツに会わないですむようにと祈っていた。
※ ※ ※
旅館において若旦那は若旦那でなかなか忙しいものらしい。料理を部屋に運んできたのも、女性従業員で、俺の前に現れることはなかった。
別に会ったからどうなるというものではないが、俺は幾分安心し、二人で旅館らしい和の夕飯を楽しみ、温泉へと別れた。大きいわけではないけれど、風情のある岩風呂は気持ちよく、俺はそこで一気に緊張感を解く。すっかり機嫌よくなった俺は自分の部屋に戻る。すると小柄な男性が布団を敷いていたようだ。
何がそんなに楽しいのか、ニコニコとした顔で布団を敷くその男の姿に俺は固まる。
星野秀明だ……。
コチラの姿に気がつき、その男はニコリと人懐っこい笑みを浮かべる。
「お風呂入っている間にと、思ったのですがすいません、すぐ終わりますので」
「いえ、お気になさらずに、お風呂気持ちよかったです」
俺は動揺を出来る限り隠し、笑顔で答えると、男は嬉しそうに笑う。その顔に、一人の女性の顔がダブる。
なんで同じような顔で笑うのだ、コイツ。
「そうですか、何か飲み物もってこさせましょうか?」
「じゃあ、後でいいので、ビール飲みたいです」
無性にアルコールを摂取したい気分の俺……。
「かしこまりました、すぐ持ってこさせます」
チョット顔を傾け笑うその表情どころか、しぐさまでが月ちゃんに似ているって……。同調行動? なんか妙な気分になってくる。恋敵? と向き合っているというより、月ちゃんと向き合っているような錯覚をうける。顔は全然違うけど、笑い方や纏っている空気がなんか通じるものがある。
布団を敷き終わり、星野秀明が出て行って俺はようやく息をつく。気分を落ち着かせるように大きく深呼吸する。心臓がドキドキしている、なんで俺は、ここまで動揺している?
いきなり部屋のドアが開き、俺が「オワッ」と声だし驚く。
蜷川もそんな俺の驚き方に、ビクっと身体を震わせる。
「どうしたの? 明彦さん」
「いや、何でもない、チョット考え事していたから」
彼女の登場で、俺はさらに動揺する。なんで浮気現場を見られたような、疚しい気持ちになるのだろう? 俺は……。やはり、ここに来た事は間違えていたと後悔する。今悔いている最中だから中悔か、いや行く前から前悔していたか……。