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長く熱い夜

 昨晩は、蜷川からのメールに対して、結局俺は当たり障りのないいつものノリのメールを返した。自分が何をすべきか、どう動くのが最良なのかが判断できなかったからだ。

 俺は今日、色々客先周りが忙しく、結局会社に戻れたのはすっかり日が暮れてからだった。俺は部屋に入るとデスクで仕事していた蜷川がコチラに可愛い笑顔をむけてくる。ここまではいつも俺が知っていた世界のまま。

 俺も彼女に笑顔を返し、まず自分の席にいき、余計な荷物を置いて、東和薬品さんからもらった原稿をもって月ちゃんの席へと向かう。俺が近づいてくるのを察知して、月ちゃんは前よりも若干硬い笑顔で俺を迎える。

 表面上はいつもの通り仕事の話をしてはいるが、俺の心には昨日松ちゃんから聞いた言葉がひっかっていた。申し訳なさから月ちゃんの顔もまともに見られない。俺は資料を真剣に確認している彼女の前髪を留めているピンをジッと眺めていた。そのピンには先に月と星がついた細い短いチェーンがついている。彼女が頭を動かすたびにチェーンの先の星と月がゆれる。何度もぶつかり触れ合う月と星。

 俺は目を反らす。そして窓の方に視線を巡らせたときに気付いてしまった。蜷川がどんな表情で月ちゃんを見つめ続けていたのかを。外が暗くなったことで鏡のように室内を写すガラス窓に映っていたのは、俺が今まで見た事のないほど狂気に満ちた女の顔だった。

 その表情を見て胸を締め付けられるような痛みを覚えた。あんなに真っ直ぐで純粋な彼女を追い詰めて、そのような表情をさせてしまっているのは俺の所為なのだ。俺は、自分が許せなくなった。


 週末、蜷川を部屋に招く。人のいない所で二人っきりで、ちゃんと向き合わないとダメだと思ったから。 

 俺と二人だけでいるときの、蜷川はとても幸せそうだ。『そんな事まで、しなくても良いのに』と言っても俺の綺麗とはいえない部屋を掃除し、嬉しそうに洗濯物を干している。 

 でも、悩みながら彼女を見つめている俺に対して、時々怯えたような目をするが、その事には何も触れず他愛ない会話を楽しもうとしている。

「美香、珈琲いれたけど飲む? 疲れただろ?」

 彼女の作業が一段落ついたのを見計らって、俺は珈琲を煎れてテーブルにおき彼女を誘う。

 軽いウェーブの掛かった髪を揺らして、嬉しそうに頷く。

「嬉しい、有難う!」

 俺の隣に座り、マグカップを両手で持ちその暖かさを楽しんでいるようだ。

「あのさ、美香……」

 彼女の肩がビクっと震える。

「俺って、美香からみて、そんなに信用ない?」

 我ながら狡い話の持っていき方に、自己嫌悪する。

「え? どういうこと?」

 蜷川の大きい目が、不安げに揺れている。それでも健気に笑顔を作ろうとしている。

「俺は、恋人がいながら、他の人に手を出すなんて事はしないよ、好きなのは美香だけだ」

 蜷川は俺の顔をジッと穴が開くほど見つめてくる。その瞳は月ちゃんへ向けていたものとは、また違ったギラギラとした激しさを帯びている。蜷川は何も言わずにうつむいてしまう。

「……だったら、…………ないで」

 その言葉はつぶやくような声だったので、よく聞こえなかったが、言いたい事は伝わってきた。

「見ているのは、美香だけだよ」 

 彼女はその言葉に、顔を上げキッと睨むように俺を見てきたが何も言わなかった。言っている俺が嘘だと認識している、探り探り言っている言葉に真実味があるわけもない。

 蜷川は何も言わず俺に抱きついてきた。そして痛い程俺を抱きしめる。俺も彼女を同じように、抱きしめる。しばらく無言で抱きしめあった俺たちはキスをする。この時のキスがなんとも苦かったのは、珈琲を飲んだ後だからというわけではないだろう。


 俺たちは、空しい言葉を重ねるのを避ける為だけに、ひたすら抱き合った。

 これまでに、これ程濃密な時間を過ごした女性って他にはいないだろう。ただ互いの存在を刻み付けあう事だけが目的の、激しいものの芯が冷え切った熱さのない奇妙な時間。

 気が付けば、日も暮れて真っ暗になった部屋の中、腕の中の彼女がもぞもぞっと動くのを感じた。

「……晩御飯つくるね、まってね」

 蜷川美香は乱れた衣類を直しながら、俺から離れていった。

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