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光芒の向こう側を見る

作者:
掲載日:2026/03/25

本好きの小学生が、おとなになってから心の傷を昇華する話。

 かつての私には知りたい言葉があった。

 教室の窓から見えた景色だ。雲の隙間から差す太陽光。降り注ぐ光。

 まだ痛みを痛みだと分からなかった頃の私は、その美しい景色に「光のカーテン」と名前をつけた。

(硬そう。風で持ち上がっているから裾が斜めなんだ。透けている部分は柔らかそう。白っぽい、だけどいろんな色がうっすら見える。

 触れないのは分かるけど、触ってみたい。

 カーテンの向こう側は、何があるのかな)


 借りた本を片手に、私が空を眺めている間、周囲ではいろんな遊びが流行って廃れてを繰り返していたようだ。

 一切、興味がなかった。

 私の家庭は世の中によくあるようになんやかんやあったので、例え興味をもったとて流行りの物など手に入らないわけだが、幸運なことに私は本さえあれば良い子どもだったので、そこに関しては特に何も問題を感じていなかった。


 ある時、とあるクラスメイトからこう言われた。

「どうして持ってこないの? 持ってきたら、皆ちゃんと交換してあげるのに。

 ひとりだけ良い子したって、先生に好かれたりしないよ」

 その年の担任は人気がある先生だった。「とても優しい」と評判だった。私はよく知らなかった。話す機会がなく、こちらから話しかける用事もないまま生活が送れていたからだ。

 私は正直に、興味がないことを告げた。流行り物も、先生も。

「それより本を読んでいたい。これ、面白いよ。知ってる?」

 クラスメイトは信じなかった。こどもらしい頑固さと盲目さで、私の正体を空想しはじめてしまった。

「違うよ。一人ぼっちだから読むんでしょ。なんで普通にしないの? 頑張らないからひとりなんだよ。こっちはいじめてないのに、そう見られるじゃん。やめて欲しい。そういうの良くないと思う。かわいそうだけど、わたしもやっぱりムリ。すごく嫌」

 唐突だったので、私はその場で何も言葉を返せなかった。意味が分からなかったのもある。

 その無言は、曲解された。


 担任の先生に呼び出され、「優しさに応える重要性」と「孤立しない努力」を説かれた。

 おとなになった今になれば、こちらへの聞き取りを一切せず「そんなんじゃ、あなたの未来が心配」を繰り返していた彼女に対し、「いや、こちらこそ」と説きたい思いがなくもないのだが、あいにくとっくに顔も名前も忘れている。

 こどもの頃は、不快な存在を素早く忘れることが出来ていた。不快なものより好ましいものの方が重要だったからかもしれない。

 彼女にも、それが伝わっていたのかもしれない。


 曇り空は美しい。光のカーテンがあれば、なお。

 国語の授業で詩を書くことになった。テーマは何でもいいらしい。

 私は迷わず光のカーテンを選んだ。


 その時の私は比喩表現に魅了されていた。キレイと感じる物を他のキレイに例えることを楽しんでいた。

 光のカーテンの魅力を表現できる絶好の機会は、私にとって最高に楽しいひとときだった。

 そして、思った。

(空も雲も昔からある。光のカーテンも昔からあるはず。なら、とっくに誰かが名付けているんじゃないかな。あのキレイには言葉があるはず。知りたい)


 授業が終わり、書いた詩を提出した後も、ずっと考え続けていた。日をまたいでも、空をふと見るつど考えていた。辞書を頭から順に読み、あの美しさを表す単語を探してもみた。

 辞書は読んでみると面白く、他の本と同じように借りようとしたが断られてしまった。

「授業で使うかも知れないから」と言われたら「それはそうか」と納得できた。

 もしも、休み時間のたびにコツコツ探していれば、その単語に自力で辿り着けたかも知れない。

 司書役の先生は「おうちの辞書を使いなさい」と助言をくれた。私は困り、「そうなんですね」と答えた。お礼を告げ、そそくさと離れた。辞書を棚に返しながら、裏表紙を眺めた。こどもの私の手に届く価格ではなかった。

 家には物が溢れていたが、文字に価値を見出していたのは私だけだった。


 私は文字が好きだった。文字が紡ぐ世界が大好きだった。文字とは、言葉とは、全てが魅力的で美しいのだと無邪気に信じていた。

 物語は私を夢中にさせ、辞書は私に導きをくれる。絵本は内容がもの足りなかったが、暗唱したときの心地よさで、その巧みさに気付いた。

(絵本は音楽。辞書は冒険。物語は私の全て。いつか、書いてみようかな。光のカーテンの向こう側を)


 私はあまりにも無防備だった。害意にも正義にも無関心に生きていた。

 周囲をそっちのけで、マイペースに生きていた私は追突事故に遭った。野生動物がそうなるように。

 おとなになり、あの時のことを痛みと知ったとき、私は防げない事故だったと結論付けた。

 教師の事情、学校という組織の事情、私にも事情はあったが、一介の児童をいちいち慮ることは彼らの仕事ではない。少なくとも当時の価値観では。

 私は交通ルールを守っていたつもりで、暗黙知に疎かった。分からないルールは守れない。彼らにとって私は、まさしく警戒が必要な野生の人間だった。

 校則違反の中には破るほうが正しいことがあると、先生に嫌われないことが重要なのだと、クラスメイトは私に教えてくれていたのに。その時の私は分からなかった。分かっても上手くやれた自信はない。

 同じ集団が繰り上がるシステムの中で印象が定まったなら、あがいたくらいではどうにもならないと周囲を薄目で眺めていた私は悟っていたからだ。


 提出した詩が返却された。私ひとりだけ、採点がされていた。たくさんの波線が引かれてたくさんの「?」と、「真面目にやりましょう」から続くコメントが添えられていた。

 こどもの私は、点数がつくのはテストだけだと思っていた。詩にリアクションがあるとすれば、おざなりなハナマルだろうと甘く考えていた。

 コメントを読んだ私は…その時、確かに吐き気を催した。文字を読んで、体調不良を感じたのはあの時が初めてだった。

 字体だけは美しく、だが文字で表現されていたのは、嫌悪感が込められた拒絶だった。まるで呪いのように悍ましい毒気を感じた。

 私が親に何も言わず、親もまた学校に何か言うことはないと察した上での警告だったなと、おとなになった今なら分かる。

 行き場のない軽蔑はくすぶったまま、今も残る。先生個人については顔も名も忘れているというのに。

 悍ましい、という単語を体感した私は、「先生」への不信感を手に入れていた。


 不信感という眼鏡をかけて改めて見た景色に、人間はいなかった。親も含めて。誰も味方はいない。このままでは気まぐれになぶり殺されるな、そう感じさせる景色だった。


 ここに、光のカーテンが見えるおとなはいない、こどもの私はそう判断した。

(本を作れるのはおとなだけ。つまり光のカーテンに名前はないってこと。童話にある「こどもにしか見えない」ものだったりして。

 いや。クラスメイトにも見えていない子いたな。「何を見てるの?」に「空、キレイだよ」と返したら、何も言わず離れていったし。

 見えない人が大多数なら、あちら側が人間を名乗るなら、私、人間でいたくないなぁ)


 あちら側に染まったら終わる、と直感した。

 おとなになって感じるのは、あの直感は正しかったということだ。

 少なくとも私にとっては。

 無理して染まろうと努力していたら、私の心は身ごと早々に灰になっていただろう。間違いなく今の幸せには至れなかった。


 世の中に出ると、私の他にも野生の人間が「普通に」いた。まともな人間も「普通に」いて、不器用なりに優しい人間も「普通に」いて、もちろん害意や歪な正義は日常だったけれど、「普通に」距離をとれば存在することが許される環境だった。

 集団の色が移り変わるから「普通に」居心地も変わる。

 染まる必要のない色がある、「普通」に違う色のまま、互いに距離を探れる、それがおとなの世界だった。


 あの独特な閉鎖空間の正義がいかに歪かを知る頃には、文字通り、あの場所に用はなくなる。だからこそ、あの場所はあのままずっと変われないんだろうなと感じている。


 野生の人間にとって学校は刑務所だ。存在することが罪だと思い知らされる場だったと今でも思う。


 時が過ぎて、おとなになった私は恋をした。彼も私を見てくれた。恋人として、婚約者として、夫婦として、変わる関係性のなか変わらず共に歩む私たちは、ある時、空に光のカーテンを見つけた。

「きれい。光のカーテン」

 ついボロっと独り言ちると、彼はにこやかにこう答えた。

「確かに。下向きだからカーテンっぽいな、あの光芒」

私はびっくりして隣にいる夫を見つめた。

「光芒? あれも?」

「ん? …違ったかな。待って」

 彼はその場で調べて、ホッとした顔で笑った。

「良かった、合ってた。うん。他にも呼び名あるみたいだよ。薄明光線だって。ほら」

 見せてくれた画面を覗き込む。私は密かに息を呑んだ。


 たくさんの画像があった。誰にでも見える形で。私の知る光芒に混ざって、光のカーテンがあった。

(光芒。知っている言葉だったのに、同じと分からなかった)


 彼は画像をゆっくりスライドさせながら語った。

「こういう現象、面白いよな。身近にある神秘だ。好きなんだよ、昔から。光芒。光条も。ピカッてやつ。

 絵を描くとき、光の筋を手前にするか後ろかとか、どう配置するか悩むのは今も楽しいんだ。

 こどもの頃ってさ、気軽に描こうとしたらエンピツだったろ? デジタルなんて良いのなかったし、そうすると白黒世界でいかに光の筋やピカッを表現するかが…、いやまぁ小学生のやることだし、自力で模索してたから、ツレからはさんざん変だの入れ墨だのと茶化されたけどさ、そう見えるんだからそりゃ描くだろって話で、」

 楽しげに語る彼は気付いていない。そんなつもりもなかっただろうと思う。

 だけど、私は確かにその時、かつての痛みが癒されたのを感じた。


 おとなになった今、物語は私の全てではなくなった。文字を追う時間は減り、それでも私の中枢であることは変わらない。

 私は野生の人間でいることに幸せを感じている。

 生ぬるい軽蔑も警戒も抱いたまま、顔も名も忘れたあちら側がふいに頭をよぎるたび「ああはなるまい」とそれだけを強く思うことで痛みを受け流す術を覚えた。

 そして、好ましい存在で己を癒すことが出来るようになっていた。


 知りたかった言葉を得た今、私の中に、光芒の向こう側が見え始めていた。

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