第1節 祈りの輪
◆ 第二章「牛に経文」
第1節 “祈りの輪”
1-1
冬が来た。
吐いた息が白い、そんな当たり前のことに少しだけ驚く。
ついこの前まで、白炎と血と悲鳴ばかり見ていた気がするからだ。
北稲荷山の夜から、もう半年以上経った。
“幻視の仮面奪還作戦”は、今も別動の専門部隊が編成され、続行している。
だが、仮面を奪った仮面の男たちが何者なのか。
どこに潜伏しているのか。
拘束した✕目の男に「呪いの万年筆」をもたせてみたり、いくらかの呪術で話を聞いてみたりしてみたが
「婚約者を親友に奪われてしまい絶望し、項垂れていたところに声をかけられ、力を目覚めさせてもらい復讐した。
復讐の後、そのまま謎の組織に幹部候補生としてスカウトされた」といった経緯らしく、有用な手がかりは無かったそうだ。
局内でも今回の情報は厳重に区分された「上層部案件」のままだ。
その間――
戌亥たち丙班は、ひたすら“日常の怪異”を処理していた。
◇
1-2
午前2時15分。市内・雑居ビルの屋上。
戌亥「……で、その“首だけの女”っていうのは?」
サラリーマン「そ、それがですね……エレベーターの鏡に映るんですよ……!
首から上だけの女の人が、じっと……!」
戌亥はエレベーターの鏡に自分の顔を映しながら、短く息を吐いた。
戌亥「あー……はいはい。
兎さん」
兎「はーい、祈りますねー」
兎はエレベーターの前で手を合わせ、小声で祈りを紡ぐ。
兎「『感覚強化・第六感、共有モード』……っと」
戌亥の視界が、ぐにゃりと歪む。
鏡の中の反射が、一瞬だけ“何か”を孕んだ。
鏡の中――自分の右肩のあたりに、女の顔だけが張り付くように浮かんでいた。
目の下は真っ黒で、口は裂け、歯は欠け、しかしどこか寂しそうに笑っている。
戌亥「……」
段象「どうだ、見えるか」
階段前で腕を組んだ段象が、眠そうな顔のまま尋ねる。
戌亥「“首だけの女”っていうより、
残業地獄の成れの果てみたいな顔してますね……」
兎「あ〜、サービス残業の怨みパターンですね。定番です」
女の首が、ぐるりとこちらを向き、ひび割れた唇が開いた。
『帰りたい……かえりたい……カエリタイ……』
戌亥は一歩近づき、そっと鏡へ右手を伸ばし特異対策局特製の祓い札を貼った。
指先が触れる。
ドクン。
女の顔から、黒いもやと、うっすらとしたオフィスの光景と、
「終電」「上司」「期末」「ボーナス」などの断片的な言葉が溢れた。
女の首は、ふっと薄く微笑み――霧散した。
戌亥「……成仏、ってほど立派なもんじゃないけど。
まぁ、“帰った”んじゃないですかね」
サラリーマン「き、消えた……!? 本当に……」
段象「これでエレベーターは安全だ。
あとは会社の就業規則を見直せって総務に伝えとけ」
サラリーマン「は、はい……?」
仕事は、いつもこんな調子だった。
・古いアパートの“足音だけの子供”の回収
・川辺に現れる“逆さまの影”の封じ込め
・呪われた中古スマホの処分
どれも仮面の男たちに比べれば、小さな、小さな、
けれど確かにどこかの誰かを蝕む“呪い”だ。
世間では既に、こうした怪異事件がニュースやネットの片隅を賑わせ始めていた。
「呪い」「怪異」「祈り」「対策」――
そんな単語が、ごく普通のワイドショーで飛び交うようになってきている。
それと合わせて、特異対策局の名前も一般社会に広まりつつあり、今回のように個人からの依頼も殺到している。
段象「まぁ⋯これでいいのかねえ…。」
段象はけだるそうに、夕焼けの帰り道で呟いた。
◇
1-3
夕方。特異対策局・丙班待機室。
ストーブの前で、段象がホット缶コーヒーを額に押し当てながら、
テレビの音量を上げた。
段象「ほら見ろ。また“祈りの輪”だ」
画面には、金ピカの背景に巨大なロゴ。
【祈りの輪】
その下にテロップが踊る。
《呪い対策の新たな担い手!?》
《“祈り”で街を守るボランティア組織》
《被害者の会からも感謝の声続々》
司会「本日も“祈りの輪”の代表の方にお越しいただいております〜」
スーツ姿で穏やかな笑みを浮かべた中年男性が、お辞儀をする。
代表「呪いは、否定するのではなく“認め”“対応する”時代に入りました。
そのためには、“祈り”と“互いを想う心”が不可欠なのです――」
戌亥は、ソファに座ったまま黙って画面を見つめていた。
(……上手い言い方するな)
呪いを認める。
対策には祈りが必要。
被害者を救っている。
言っていることだけ見れば、特異対策局と何が違うのか、一般人には分からない。
兎はテレビの前に正座して、手帳を片手にメモを取り始めた。
兎「“互いを想う心”……言い回し、上手いなぁ。
こういう表現、広報はぜひ見習うべき……」
段象「お前、敵側の言葉に感心してどうすんだよ」
兎「えっ、祈りの輪が敵だなんて、どこにも書いてないよ?
むしろ、現場の祈り子たちには知り合いもいるし……」
段象「“表向きは”な」
そう言って、段象は缶を一口飲み干す。
段象「"裏側"の資料を見る限り、“祈りの輪”の中には
呪詛師と繋がっていると疑われている連中がいる。
上層部もそれを疑っている。
…確証はまだないがな」
戌亥「……仮面の男たちも、“祈り”を使っていたのか?」
段象「さぁな。お前に効果が無かったから、呪いなんじゃないのか?
…だが“祈り”も“呪い”も、同じ根から出ていることだけは確かだ」
そのとき、テレビの画面が切り替わった。
【特集:子どもたちに大人気!ヒーロー戦隊“イノルンジャー”とは?】
ボクラノ〜ヒーロ〜♪
またまた派手なロゴ。
明るい主題歌。
5色のスーツを纏ったヒーローたちが、街中を駆け抜ける映像。
ナレーション「呪いに立ち向かう、新しいヒーローたち。その名も――」
《イノルンジャー!!!》
子どもたちが公園でポーズを真似している映像が流れる。
子どもA「イノルレッドがかっこいい!」
子どもB「イノルブルーの技がすごいんだよ!」
子どもC「呪いから守ってくれるんだよ!」
兎「……あ、これ知ってる。
最近、祈りの輪が監修してる子ども向けショーだよ。
“祈りはみんなの力だ!”ってキャッチコピーのやつ」
段象「イノルンジャー……」
兎「ショーだけじゃなくて!実際に現場に出て呪霊を退治したりしてるらしいの!」
戌亥「……」
画面の中で、真っ赤なスーツのイノルレッドが叫ぶ。
【イノルレッド「呪いに負けるなッ!祈りは、誰かを想う心だッッ!!」】
戌亥の背筋に、微かな寒気が走った。
(……言い回しが、妙に耳に残るな)
子どもたちは笑っている。
呪いも怪異も、テレビの中では派手なエフェクトと主題歌の一部だ。
段象「……笑ってる場合かね」
兎「でも、実際に“祈りの輪”が呪い事件を解決してるケースもあるしね!
ニュースにもなってたし……。
特異対策局は未だに基本は“非公開”のままだからさぁ。
世間的には、今一番“人々を呪いから守ってる組織”っていうと……」
戌亥「“祈りの輪”ってことになる、か」
兎「うん」
戌亥は、右手の黒紋を見下ろした。
戌亥(フードの男を…探さないといけないのに…。)
どこか、胸の奥がざらつく。
そのざらつきを誤魔化すように、戌亥はソファから立ち上がった。
戌亥「……次の依頼は?」
段象「そう焦るな。今日はまだ――」
ちょうどそのタイミングで、部屋の端末がブーッと騒がしく鳴った。
【新規依頼 / 発生場所:踊女トンネル】
兎「……トンネル怪異、ですって」
段象はスクリーンを読み、口の端を歪めた。
段象「“トンネルを通る車のボンネットに女が張り付き、事故が続発”……
随分、分かりやすい怪異じゃねぇか」
兎「現場は、もう完全に“心霊スポット”化してるみたいだね。
肝試しの若者グループも多いって……」
段象「面倒なパターンだな。
祈りも異能も、あんまり見せびらかすわけにはいかねぇ」
戌亥は、さっきまでテレビに映っていたイノルレッドの決めポーズを思い浮かべる。
(ヒーローは、テレビの中。
現実の方は――)
右手の奥で、黒紋が静かに脈打つ。
戌亥「……行こう。踊女トンネルへ」
兎は慌ててタブレットと祈りの札を掴み、
段象はコートを羽織りながら大きく伸びをした。
段象「丙班、出動だ。
“日常”の怪異を片付けるぞ」
その“日常”が、
やがてイノルンジャーとの最悪の邂逅へと繋がるとはまだ知らずに――。
――第2節へ続く
---




