第4節 有示有終
1-1 オワリハジマリ
最近、やけに「視線」を感じる。
振り返っても誰もいない。
人混みの中でも、人気のない路地でも、ふとした瞬間に背筋を撫でるような感覚だけが残る。
(……気のせい、、、か?)
そう自分に言い聞かせながらも、胸のざわめきは完全には消えなかった。
呪いの動画事件が終わってから、しばらく経つ。
しおんは少しずつ元気を取り戻しているらしい。
真守は手芸部に入り、部室の窓際でちまちまと何かを縫っていると誰かが話していた。
そんな犬童はバイト先のBARが相当忙しいらしく、いっとき遊んでやれなくてすまんと言われたので、余計なお世話だと笑って言い返しておいた。
そんな軽口を言っておきながらなんだが、やはり犬童がいないとどこか日常は静かに感じる。
大学はいつも通りに見える。
——なのに、どこか、世界の色が一枚だけ薄くなったような気もしていた。
放課後。
廊下を歩いていると、後ろから小走りに駆けてくる足音がした。
「い、戌亥せ……先輩っ!」
振り返ると、真守が息を切らしながら立っていた。
両手で大事そうに、小さな紙袋を抱えている。
「真守ちゃん? どうしたんだ、そんなに走って…」
「だ、だいじょうぶです……っ。あの、いや、その……これ!」
紙袋を差し出される。
中を覗くと、手のひらサイズの ちょっといびつな犬のぬいぐるみ……というか、羊毛フェルトのマスコットが入っていた。
丸い体に短い足、つぶれたような耳。
刺さったビーズのような目は左右非対称で、なぜか妙に愛嬌がある。
「……これ」
「て、手芸部で、初めて作ったやつで……。その、すごく出来が悪くて、みんなには見せられないんですけど……」
真守は顔を真っ赤にして、視線を泳がせる。
「犬童さんが“ワンちゃんのストラップ作ってあげたら喜ぶで〜"て言ってて……。
い、犬童さんも作るの、手伝ってくれたんです!!
い……戌亥 先輩のカバンに、もし、付けてもらえたら……う、嬉しい、かも……です」
(あいつ、余計なことを……)
心の中で犬童の顔を思い浮かべて苦笑しながらも、胸の奥がじんわりと温かくなる。
「すごく、嬉しい。……ありがとう。大事にするよ」
そう言って、戌亥はその場でリュックを下ろし、チャックの金具にストラップを付けて見せた。
丸い犬のマスコットが、ちょこんとぶら下がって揺れる。
真守「……っ」
真守の耳まで真っ赤になる。
「に、似合ってます! すごく……!
あ、でも、変だったらぜんぜん外しても……」
「外さないよ。お守りにさせてもらうね」
自然にそう言っていた。
真守はしばらく口をぱくぱくさせた後、
「は、はいっ」とだけ返事をして、ぺこりと頭を下げて走り去っていった。
ストラップが小さく揺れる。
(……こういうのも、いいな)
呪いとか、怪異とか、そういうものから少しだけ距離を取れたような気がして、戌亥はリュックを背負い直した。
校門を出る時だった。
また、視線を感じた。
通りの向こう側。
コンビニの前。
電柱の陰。
黒いフードを深くかぶった人物が、こちらをじっと見ている。
顔までは見えない。
ただ、視線だけが刺さる。
……が。
次の瞬間には、学生たちがぞろぞろと前を横切り、 フードの人影は視界から消えていた。
(……やっぱり、気のせいじゃないよな)
背中に冷たいものが流れる。
マスターの顔と言葉が脳裏に蘇る。
『最近、君のことを調べて回ってる人がいる。念のため、気をつけてほしい』
呪いの動画の収束と同じタイミングで現れ始めた“視線”。
(もし本当に、呪いの動画の大元みたいなやつがいるなら……
そいつが、俺を探してる?)
考えたところで、答えは出ない。
それでも、胸騒ぎだけは、確かにそこにあった。
その夜。
犬童からメッセージが来た。
《犬童:ワンちゃん〜〜
最近どやねん?
ワイと会えんくて寂しがっとるやろ思てな。
明後日には落ち着くからな。
明後日いつものBARでも来てくれや。》
戌亥は眉を寄せる。
《戌亥:なんの用だ。お前が学校来いよ。それともまたギャンブルの相談なら断るぞ》
《犬童:ちゃうわボケ!笑
とりあえず、明後日な!大学にもぼちぼち行くわ〜
まもりちゃんから人形もらってニヤニヤしとんちゃうぞ☺》
《戌亥:黙れ》
ふざけたやりとりなのに、その向こう側にある空気はどこかいつもの犬童らしくなかった。
犬童が日にちを指定して約束をしてくるなんて⋯
(……また、呪いの話かもしれない)
リュックのストラップに手を伸ばす。
小さな犬のマスコットは、案外しっかりとした感触で指の中に収まった。
(真守ちゃんのこれ、汚したくないな)
なんとなく、そんなことを考えた。
翌日。
夕方前に戌亥は家を出た。
モヤモヤしてても変わらない。
犬童も心配してくれてるだろうし、さっさとハッキリさせよう。
西日で晴れた空の下。
いつもと変わらない街並み。
通学路。
人々のざわめき。
それでも。
戌亥のありふれた日常が、今日で終わるかもしれないことを
まだ、誰も知らなかった。
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1-2 現実の花
(……また視線だ)
足を止め、さりげなく後ろを確認する。
だが、決定的な姿は捉えられない。
逃げているのでも、隠れているのでもない。
意図的に“見えない距離”を保っている。
(……つけられてる、か?)
路地を曲がり、その奥の小路に隠れた。
少しして、背後から聞こえてきた足音がピタリと止まる。
そこにいたのは、
黒のスーツに茶色のジャケット、不健康そうな細身で目のクマが深い無表情の男。
「初めまして。さすがに気づいてたよねえ。戌亥くん。」
戌亥「……あなたは、、誰ですか」
男は懐から身分証を取り出し、開いて見せた。
《特異対策局 調査課 乙班 根津 安彦》
「そう怖い顔をしないでくれ。
まず安心してほしいが、別に君の敵ではない。
我々は君の大学で流行っていた “呪いの動画” について調査中でね。」
戌亥の呼吸が一度止まった。
戌亥「特異、、、対策局……?」
根津「そうだ。心霊、穢れ、呪い、、果ては魔女やら何やらまで、俗に会う怪異的な事件を調査し、可能であれば解決する。それが特異対策局だ。」
根津「私が今回担当したのは大学都市での呪いの動画事件。
私も何名か動画視聴により呪われた者"被呪者"のケアや調査を行ったが、今回は遊びやおまじない、個人の私怨によるちょっとした呪いなんて範疇を超えていると判断していた。
君も、動画の被呪者をみたことがあるだろう?」
戌亥「しおんちゃん⋯」
戌亥の脳裏に浮かんだのは
執拗に真守ちゃんの部屋のドアを叩くしおんの姿。
他にも、戌亥に動画を観てほしいと言ってきた人の中には、もはや自殺寸前というところまで追い詰められた者もいた。
根津「呪いの動画はB級⋯呪いの蓄積次第ではA級特異となる程の案件だった。
特異対策局内でも、今回の呪いに対して"封魔班による強硬手段"に出るべきだという意見が上がったほどだ。
しかし、封魔処置が出る前に “事態が沈静化した”。」
根津は淡々と続ける。
「それを成し得た人物がいると知り、追った。
もちろん——君だ、戌亥くん。」
戌亥の喉が鳴る。
「……俺は、ただ……放っておけなくて……」
「だろうね。
詳しく聞かせてほしいんだ。
——どうやって呪いに耐えたのか?そしてどうやって呪いを"備えた"のか。」
戌亥「備えた⋯?」
重く、核心に差し込む問い。
その瞬間、根津の端末が震えた。
根津「……悪い、少々失礼」
通話の向こうから聞こえる声は落ち着いた、しかしどこか幼い調子の声。
小鳥《根津さん、尾行中の“もう1人”——動きました。
商店街の奥です。戌亥くんの友人と接触しています》
根津の瞳が鋭くなる。
戌亥「友人…………?」
答えを待つまでもない。
根津「犬童竜。……君の一番近くにいた人物だ。」
一瞬で血の気が引く。
小鳥《例の男は呪詛師の可能性もあったはずです。急いで。》
根津は通話を終えると、振り返った。
「時間がない。君と着いてきてくれ。」
言われずとも戌亥の脚は勝手に動き出していた。
息が荒くなる。
胸がざわめく。
悪い予感なんて言葉じゃ足りない。
——犬童に、何かが起きている。
◆
同時刻。
BARの裏の狭い路地。
店の裏口から犬童が出てきた。
いつもの軽い笑みのまま、壁にもたれかかる“フードの男”を見下ろす。
犬童「ほぉ〜。ワイの名前、よう知っとるやないの。
で? ワンちゃんの何を知りたいんや?」
フードの男は顔を上げる。
瞳は人間のそれとは思えない淡金色。
フードの男「禍者。呪いに愛された者。」
犬童「まが⋯?それと戌亥がなんか関係あるんか?」
フードの男「お前は、、知っているはずだ。
彼が呪いをその身に宿す姿を。」
犬童の空気が変わった。
笑みはそのままで、温度だけが氷のように冷える。
犬童「どこまで知っとるんや」
男「"鬼の籠手"はもう馴染んでいるのかね。犬童竜くん。」
刹那
犬童が大気を掴む拳でフードの男に飛びかかる
しかしフードの男は余裕の笑みを浮かべながら避ける。
一瞬の静寂。
男「禍者とは⋯呪いに選ばれた者。
戌亥くんは、我々と共に来るべき存在だ。」
犬童の指の骨が、パキンと乾いた音を立てて握り込まれる。
そして、犬童の右手が赤黒く、赫黑く、染まり路地の闇に溶けていく。
犬童「ワンちゃんに、、戌亥に手出すやつぁ、
殺すって決めてんねん。」
いつもの調子とはかけ離れた低く重い声で犬童は続ける。
「一応な。確認するで。
戌亥を“狙っとる”っちゅう認識でええんやな?」
フードの男が言葉を返すより早く、
犬童は一歩踏み込み、男の胸ぐらを掴み壁に叩きつけた。
男の足が宙に浮く。
犬童「戌亥に手ぇ出す可能性がある。もうええワ殺ス。」
黒い靄のようなものが犬童の両腕にまとわりつく。
真っ赤に染まる血管が浮き上がる。
フードの男「“鬼の籠手”——呪いの残穢。」
男はわずかに目を細め、笑う。
「…君のように呪いを使うだけの呪詛師は必要ない。」
次の瞬間、路地裏の空気が一変した。
フードの男の瞳が光る。
身体の輪郭が僅かに歪む。
「呪いの理を理解することも出来ないのならば、せめて祈っておけ。お前の想う神にな。」
犬童が拳を引き絞る。
壁が軋んだ。
音のない一撃。
拳が振り下ろされ——
犬童は自らの腹部を殴りつけた。
犬童「ガァ、ハッ⋯」
口から溢れるどす黒い血と共に
路地裏に衝撃波のような風が走る。
男「素晴らしい力だ。まさに鬼の力。
呪いも知らぬただの人だった君でさえ、ここまで呪いを使いこなすようになる。
それもまた、禍者としての彼の祝福か。」
男は薄く笑いながら妖しく目を光らせる。
目が合わせると犬童の目もまた同じ色に光りだした。
闇に溶け込む犬童の黒く太い腕は
蛇のように這う赤黒い血管を浮かせながら
自分自身の顔を覆った。
その瞬間、路地の入口から猛る声がする。
「犬童!!!!」
声の主は戌亥。
肩で息をしながら、滝のような汗を流している。
そして隣に根津。
犬童の眼球は妖しく光りながらも、戌亥を見て一筋の涙が落ちる。
そのままーーー
犬童の手は、自分自身の頭を握り潰した。
——北稲荷山の幻覚でも見た。
闇の中で血は花火のように舞い、静かに地へ伏した。
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◆1-3 黒の余燼
犬童の頭は砕け、
血と骨と肉片が花のように散った。
脳が理解するより先に、足が動いた。
犬童"だった"塊に駆け寄る。
戌亥「……犬童……?犬童!!?」
動かない。
返事がない。
震える手で犬童だった塊を抱き寄せる。
もちろん鼓動は……もうない。
戌亥「なんで……なんでだよ……
お前、いつも……軽口叩いて……
俺より長生きするって……言ってたじゃないか……」
腕の中の犬童の両腕——
“黒く染まった両腕”が、まるで墨が水に溶けるようにじわりと広がり始めた。
皮膚の色が黒に侵食され、
肩から胸へ、
背中から脚へ、
身体の全体へ——
黒が飲み込む。
骨、肉、血、皮膚、輪郭。
あらゆる“犬童”を黒が奪っていく。
戌亥「やめろ……やめろ……!!消えるな……!!」
叫んでも、腕の中の身体は止まらない。
黒が全身を覆った瞬間——
犬童の“肉体”は炭のように崩れ霧散した。
戌亥「…オイ!…っ……やめろ……帰ってこいよ……っっ犬⋯童⋯!」
その時だった。
距離を取っていた黒いフードの男が猛スピードで戌亥へ近づきーー
根津が同じ程度の速さで男と戌亥の間へ入り、フードの男を制止する。
根津に制止されたまま男は問う
フードの男「禍者様よ。
今の感情は何だ?
私に親友を殺された怒りか?それとも親友が自らの手で自死した悲しみか?
それらが混ぜ合った絶望だと良いのだが⋯」
戌亥の何かが、音をたて
ーーーーキレた。
戌亥「ウアアァアアアアアアァァ゙ァ゙ァ゙ぁ゙ァァァァァァァァァァァ!!!!!!!!!!!!!」
絶叫と共に、
白い光と、黒い影が男の体を切り裂いていく。
男はフードが取れないように、顔を両の手で隠しながら後退る。
男の右手が切れ落ちる
たまらず男は飛び立ちその場から離れた。
フードの男「フ⋯フ。素晴らしい。だがまだまだだ。
私に対する呪いにしろ、友に向ける祈りにしろ⋯
禍者様はまだまだ足りない。
もっと呪い、祈り、祝い、願うことだ⋯そうすれば」
根津「黙れ!
お前は何者だ。呪いの動画をつくり広めたのもお前だな?」
フードの男「⋯あぁ⋯裏拍手か。
あれは良いな。想い次第で、いくらでも寄ってくる。
"負の死霊がな"」
更に根津と戌亥から離れ、男は手の甲と甲を勢いよく合わせる。
カァン!
音とともに、おびただしい数の黒い影が現れる。
屋上から、窓から、排水溝から、看板の裏から、隙間からーー。
その影を盾にして、男は去っていく
根津「くっ⋯待て!」
絶叫し、放心状態の戌亥をおびただしい数の影から庇い、身動きのとれない根津
根津「チッ⋯戌亥!!正気に戻れ!!」
戌亥「ぁ…ぁァ⋯。」
犬童だった塊を抱え放心する戌亥だったが
最後に霧散する黒の霧の一部が、戌亥のリュックへと吸い込まれた。
——犬の羊毛フェルトのストラップ。
真守が作ってくれた、、
そして犬童が「作れ」とあおってくれた、
たったひとつの犬の人形。
そのストラップが、ぐらりと揺れ——
口が動いた。
「………………泣くなや。」
聞き馴染みのある、関西弁。
「ワイや、ワンちゃん。
そない泣かれたら、照れるっちゅうねん。」
声にならない声が喉で潰れた。
涙だけが止まらず落ちる。
戌亥「犬⋯どう…………?」
「そやで。
せやけど……ワイ、もう死んどる。
この声は“魂”ちゃうで。ある種の“呪い”や。」
犬のマスコットは、ゆっくりと揺れた。
「スマンな⋯守るとか言っておきながら。下手こいてもうた。」
ストラップの目が、涙のように光った。
戌亥は震える手でストラップを握った。
戌亥「……なんで……お前が死ななきゃ……
なんで俺じゃなくて……」
痛いほど、あの声だ。
「後悔で、死にきれないのはもうゴメンやで。」
戌亥の目から、頬を伝って涙が落ちた。
「言うたやろ。この声もまた"呪い"や。
せやから呪いの言葉を言っておく。
ーー"死んだらアカンで"
ま、呪いでもお前は受け止めてくれるやろな。あのときみたいにな。」
「お前とおる時間、めっちゃたのしかったで。ありがとうな。
ほな、また。」
戌亥「い、犬童!」
ぬいぐるみは、もう言葉を発することは無かった。
枯れてもまだ涙が止まらない。
絞り出す掠れた声で戌亥は告げる
戌亥「俺は……
絶対にあいつを許さない。」
根津「戌亥くん……」
振り返らなくても、その目が何を見ているのか分かった。
犬童の血はもう地面にはない。
そこには跡形も、痕跡もない。
ただ——戌亥の胸の震えだけが事実だった。
根津は言う。
「特異対策局へ来い。君が狙われていることも分かった。
それに、ヤツのことを我々も調べなければならない。」
理由なんて必要なかった。
戌亥「……必ず殺す。あの男を。
……必ず見つけ出して、、、報いを受けさせる。」
こうして、
戌亥 隼人は呪いの世界へ足を踏み入れた。
見つけるために、殺すために。
それこそが犬童の最後に残した呪いだったのかもしれない。
——“戦うため”に。
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長くなってしまったのか、テンポよくいっちゃったのか
分かりませんが、ようやくこれで本編の前日譚「第0章」終わりました。
本当はプロローグとして書くかと思ってましたが
プロローグにしては長すぎる気もするし
かといって本編始まったあとちょこちょこ過去回みたいにするのは上手くやれる自信が無かったので。
とりあえず第0章として、前置きとして
書かせてもらいました。
これからやっと本編に入ります。
なんとか続けていきますので
良ければ第0章に対して一旦でもコメント、応援貰えると嬉しいです。




