第3節 たぬき合戦ぽんぽこ
◆1-1 久々の登山
呪いの動画事件が落ち着いてから数日。
大学の講義も、街の騒動も、ようやく静かになった。
どうやら犬童も今週末にバレー部の助っ人に呼ばれているらしく、今週はバイトと練習に忙しいらしい。
久しぶりに、心の休まる日常が戻ってきている——
そう戌亥は思っていた。
そんな矢先、スマホが震えた。
《丑島:先輩!今度の土日、登山行きませんか? 新入部員の歓迎も兼ねて、久々に先輩にも来てほしいです!》
登山部の現部長で3年生の丑島 薫からのメッセージだった。
《登山部引退されたとは言っても、最近ぜんぜん顔を出さないので、猫武も寂しがってます。山小屋を予約できました!ぜひ!》
戌亥はひとつ息をつき、返信ボタンを押した。
《了解、行くよ。楽しみにしてる。》
——最近は不幸なことも減ってきたような気がするな。
その数日後。
晴天の土曜、登山部は予定どおり集合した。
丑島のワンボックスカーに乗りこむのは、5人。
部長 丑島 薫(3年)
筋骨隆々で見た目は山賊のような男だが、礼儀正しく、根は気弱であがり症。
最近は部長になったこともあり、少しずつ人前に出ることに慣れてきたとメッセージで連絡してくるところが可愛らしい後輩だ。
山が大好きで、花や鳥の知識も豊富なところは本当に尊敬できる。
副部長 猫武 音子(ねこたけ ねこ・3年)
名前に負けず劣らず、猫のような後輩。
丑島くんとは真逆で、誰に対してもツンツンしておりはっきりと物を言う。
責任感が強く、言い方がキツイこともあるが、俺が4年生になり登山部を引退すると言ったときには一番泣いてくれた優しい後輩だ。
そして今年入学してきた新入部員の二人
山マ本 弦斎(やまもと げんさい・1年)
キリッとした顔立ちに眼鏡がよく似合う、真面目そうな男の子だ。
孔条 津美紀(くじょう つみき・1年)
見た目はとても派手でまさにギャルといった女の子。
登山に興味を持ってくれてるのは嬉しいが、そのネイルとキラキラのヘアアクセサリーはどうなんだろうか⋯。
個性的なメンバーで、
今回向かうのは、某県にある
北稲荷山
標高2,280m。
狐を神の使いとして祀る神社が点在しており、それらを巡る 稲荷参拝ルート が人気の山だという。
丑島がスケジュールを説明する。
丑島「昼から登り始めて、山小屋で一泊。明日の早朝にご来光を見てから下山、という予定です!
天気も最高ですし、新入生の歓迎にはぴったりですよ!」
緊張か表情が硬い山マ本くん、対照的に猫武は笑顔で言う。
猫武「先輩、久しぶりですね!
最近ぜんっぜん部室に来てくれなくてどっかで野垂れてるかと思ってました。
⋯別に寂しかったわけではありませんからね?」
丑島「なんか戌亥先輩来れるって決まってから、新しい登山ウェア買いに行くって買い物に付き合わされたんですよ。」
猫武が丑島の肩を強めに殴る
猫武「ウシのウェアが破れてたから、みっともないから買いなさいって私が付き合ってあげたの!」
なんだかんだ言いながらも、笑顔で話す猫武
戌亥は曖昧に笑う。
車は道中のサービスエリアに立ち寄り、全員で名物 いなりソフトを食べた。
甘じょっぱい風味に歓声が上がる。
猫武「先輩、鼻にクリームついてます!汚いですよ。」
戌亥「えっ、どこ?」
猫武「はい、じっとしてください……」
戌亥「お、たすかる」
和やかな時間が流れる。
数時間車に揺られた後、無事に一行は北稲荷山に到着した。
山は快晴で、鳥の鳴き声が響く。
さらに登山口の手前では、運よく野生の狐 を見かけた。
ふわふわの尻尾を揺らし、遠目からまっすぐこちらを見つめてくる。
戌亥「かわいいな……」
猫武「触っちゃダメですよ?野生動物は——」
話の途中で、狐はすっと森の奥へ消えていった。
その後も会話は途切れず、笑い声が山中に満ちていく。
戌亥は新緑を眺めながら、ふと胸が軽くなるのを感じた。
(……こういう時間、久しぶりだ)
誰かを助けようとして、呪いを引き受けて、
怖がられて、、
日常から遠ざかっていた。
それでも——
この景色の中に戻ってきたことが嬉しい。
先頭を歩く丑島がこちらを振り返り笑う。
「戌亥先輩、今日は楽しんでくださいね!」
「……あぁ。楽しみにしてるよ」
何の疑いもなく。
この登山が「ただの楽しみ」で終わると信じていた。
────────────────────────
1-2 北稲荷山への入口
北稲荷山・登山口。
鳥居の朱色が緑の中にくっきり浮かび、
絵に描いたような登山日和だった。
丑島「さ、ここから登山本番です!安全第一でいきましょう!」
猫武「新入生ふたりは経験浅いんだから、変に無理しないように!少しでもキツくなったら言うんだよ」
山マ本「心得ています。登山前に基礎知識は全部予習してきましたので!」
孔条「うち最近運動不足やしマジ死んだらどうしよ思ってたけど、ウェアかわいいから行けるわ〜」
戌亥(動機はそれでいいのか……?)
小さな笑いと緊張が入り混じった空気を背に、山道を歩きはじめた。
最初の道のりは緩やかで、野花や新芽が陽の光にきらめく。
山マ本は野鳥を見つけるたびに名前を当て、丑島が少し嬉しそうに訂正する。
孔条は小石につまづきながらも、写真映えスポットを探してきょろきょろしていた。
そして途中のチェックポイント
——北稲荷神社の社へ到着。
小ぢんまりとした社だが、鳥居は新しく塗られており、白狐の石像が両端から参拝客を見守っている。
戌亥は二礼二拍手一礼……と、参拝を終えたところで気づいた。
「あれ……?」
社の裏手、ガサガサと小さく揺れる藪にうずくまる影。
白い毛に血が滲んでいた。
戌亥「怪我……してるのか」
狐だった。
狼狽する新入生たち。
猫武が慌てて止めようとする。
猫武「触っちゃ――」
戌亥「わかってる。極力刺激しない。応急だけ。」
登山用救急セットから布ガーゼと消毒薬を取り出し、
傷を塞ぐように巻く。
狐は逃げるでも噛むでもなく、
じっと戌亥の手元を見ていた。
まるで理解しているように。
戌亥「……これで様子を見るしかないな。ごめんな、これくらいしかできない」
そっと手を離すと、狐はゆっくりと立ち上がり
一度だけ尾をふわりと揺らし、森の奥へ消えていった。
猫武「……相変わらず優しいんですね、先輩」
戌亥「いや、ただ気になっただけだよ。放っておいたら後悔しそうで」
丑島「戌亥先輩って……ほんと、そういう人ですよね」
山マ本「先輩のこと、尊敬します」
孔条「うちの彼氏とかバチくそ浮気するけど、一回くらいこういう優しさ見せてくれんかなァ〜〜」
場がまた緩み、笑いが広がった。
そこからの道のりは順調そのものだった。
誰も転ばず、天気も崩れず、休憩ポイントも予定通り。 いつもより幸運といっていいくらいだった。
それだけに、戌亥はふと思う。
(今日は不幸なことが何も起きないな…今の俺の不運で、こんな事あるのか…)
嫌な予感ではなく、不自然な静けさ。
だけど周りのみんなの楽しそうな笑顔を見て、飲み込んだ。
——今日は楽しむ日だ。
そうして夕暮れごろ、
5人は予定通り山小屋へ到着した。
丑島「今日はここで一泊!夕飯はレトルトカレーですが、お湯湧かして食べましょう!」
孔条「おおーカレー!山で食うとなんでもうまいんやって!」
テーブルを囲みながらの食事、
他愛もない会話、
新入部員の志望理由や恋バナまで飛び出し、盛り上がる。
新入部員の二人も、既に緊張とかは無くなったようだ。
山マ本「明日は4時起きで山頂ですね!ご来光、絶対キレイですよ!」
丑「おし、早めに寝ますか!布団と寝袋、好きな方取ってくださーい!」
戌亥も布団に潜り込み、
深い疲労と心地よさに身を委ねた。
——不運が無く終わる1日
明日も笑って迎えられると思っていた。
────────────────────────
◆1-3 血の花
真夜中、身体が勝手に跳ね起きた。
夢を見ていたわけでも、物音がしたわけでもないのに、心臓だけが異常に早く脈打っていた。
寝袋を押しのけた瞬間、鼻に刺さった。
鉄の匂い——
生き物が切り裂かれたときだけ漂う、生温い血の匂い。
匂いだけのはずなのに、濃厚な鉄の味まで感じる
脳が理解するより先に、震えが走る。
薄暗いランタンの光が、床に広がる“赤”を照らす。
反射して濡れ光る紅。粘度のある血溜まり。
視線の先に、倒れている影。
最初に見えたのは 山マ本くん だった。
眼鏡は細かくヒビ割れ、顔に血が乾きつき、胸部が真っ直ぐと縦に裂かれていた。
肋骨の隙間から臓器が零れ、胃か腸かわからない肉片が床に散っている。
手は突き出したまま硬直し、誰かを守ろうとした姿勢のまま死んでいた。
その横を見れば 孔条さん。
山マ本くんのところまで、這って逃げようとした跡がくっきり残っている。
キラキラとしていた爪が折れ、一本は完全に剥がれ落ちていた。
首は真後ろに向くほど捻じ切られており、真っ白な瞳がこちらを見つめていた。
表情は、涙と恐怖で固まっている。
そして、僕の隣で寝袋に入った猫武。
寝袋から半ば出た状態で喉を裂かれ、僕に向かって声を出そうとしたまま息絶えていた。
寝袋が血を吸い、黒く重く湿っていた。
頬の涙の跡だけが乾いていて、生前最後まで状況を飲み込めなかったことを物語っていた。
昨夜寝る直前のことを思い出す。
猫武「じゃ、じゃあ私はここに寝袋を置いて寝ます。他にスペース無いですし!!」
丑島「え?こっちもっと広く空いてるけどーーー」
バシィン
猫武が簡易枕を丑島の頭へ投げる。
猫武「他にお客さんいないし、枕投げでもする?」
早く寝ろよと笑いながら、僕は眠りについて⋯
3人の死体を見ても、まだ意識は現実を受け入れられず、
理解が追いつかない。
そのときーーー
——パンッ…パンッ…パンッ…
乾いた音。
動画で、、何度も、何度も聞いた音。
だんだん速く、骨が砕ける鈍い音が混じり、
生々しい皮膚の裂ける音と血の滴る音が重なっていく。
恐る恐る、音の方向を見た。
月明かりに照らされた山小屋の奥。
丑島が立っていた。
シルエットで見ると、より鮮明に分かる。
筋骨隆々の大男。
登山部きってのフィジカルを持つ、誰より温厚だったあの後輩が。
今は俯き、
腕がちぎれんばかりの勢いで
裏拍手 を繰り返していた。
分厚い掌の骨がぶつかるたびに、白い破片が飛び散る。
皮膚は裂け、肉は潰れ、筋が見え、
それでも止まらない。
激しく振る腕の勢いで
血しぶきが重力に逆らって腕を伝い肩に広がり、胸元まで真っ赤に染める。
それでも笑う。
俯きながら、かろうじて見える頬
頬が歪んで、口を開いているのが分かる。歯を剥き出しにして。
ゆっくりと、目線がこちらを向く。
普通ではありえない速度で。
丑島「……戌亥先輩のせいですよ」
その瞬間、声だけはいつもと同じだった。
だからこそ異常だった。
丑島「裏拍手の呪い……呼び込んだのは、あなたでしょう……?
先輩が……助ケタケタ助けたせいで……お、オレ俺たちはコココワ怖壊コワれたんですスススウマウウウウウ!!!!!」
腕が千切れる音とともに丑島が突進してくる。
重量、筋肉、体格すべてが “人間の凶器” と化した暴力。
登山部時代、熊に近い体格と言われていた身体がそのまま押し潰してくる。
丑島の手が喉に食い込む。
指は太く硬く、血でぬめりながらも首を完全に固定する。
喉の軟骨が軋む。視界が白む。
殺されると理解した瞬間、涙と嗚咽が勝手に溢れた。
(俺のせい……?
皆を助けたと思ってたのに……
呪いから守ったと思ってたのに……
結果は……これなのか……?)
胸が締め付けられ、罪悪感で肺が潰れる。
その時——
「おーーーーい!!! ワンちゃーーーーん!!!」
外から犬童の声。
一瞬丑島の動きが緩む。
その隙を狙って戌亥は全身の力で押し返し、床を蹴って逃げる。
扉を開いて外に飛び出すと、登山道の向こうから犬童が全力で駆けてくる。
犬童は戌亥の血だらけの姿を見て怒りの表情を浮かべる。
犬童「何があったんやワンちゃん⋯。
ワイの⋯“ワンちゃん”に手出したやつは⋯全員殺す」
こんな怒りを曝け出す犬童は
過去にも一度だけ見たことがある。
普段の軽薄な態度とは真逆
肌が恐怖で逆立つような感覚
パンッパンッ
パンッパンッ!ガサガサガサッ!!!
そこへまた裏拍手——
丑島が木々の間から飛び込んでくる。
犬童は振り返って一歩踏み込む。
その一歩だけで空気が変わった。
戌亥(あっ…この光景、、覚えている)
刹那で犬童が丑島の頭を鷲掴みにする。
戌亥「や!やめろ!お前は腕力と握力が異常にーー」
バギッ
握力だけで、分厚い頭蓋骨が砕けた。
皮膚が裂け、血が噴き出し、破片と脳漿が夜気に散る。
丑島の巨大な体躯が茎となり、
紅い大輪の花が空中に咲き誇った。
そして——
犬童が口を開く
「お兄様!! お父様!! おやめなさいってば!!!」
鋭い少女の声で。
────────────────────────
1-4 最も恐ろしい者
少女の声で、
血も、悲鳴も、骨の砕ける音も、丑島の咆哮も
一瞬にして「遠く」なる。
視界の端から淡い光が滲み、
闇の上にもう一枚、別の風景が重なる。
まるで透明のフィルムをゆっくり重ねていくように。
さっきまで耳を劈いていた音が薄れていく。 代わりに風の音、木の揺れる優しいざわめきが入り込んできた。
そして、、一声。
「……お兄様。……お父様。
もうよいのです。やめなさい。」
それは救済でも命令でもなく、
家族を諭すような、柔らかな響きだった。
すると丑島が頭の潰れた状態で話し始める
丑島?「しかし、この者は呪いを…」
犬童?「よいと言っております。この者は私を助けてくださいました。
それにこの者が抱える呪いはこの聖域に仇なすような類ではありません。」
ゆっくりと光の層がさらに濃くなる。
“血の花”が霧散し、犬童の姿が透けてゆく。
丑島の影も、裏拍手の音も、
裂けた喉も、折れた爪も、乾いた涙痕も——
ひとつひとつ、現実に侵食されて薄れていく。
最後に残ったのは、声。
少女の声「この方を苦しめるのは、違います。
この方は悪しき者ではありません。」
視界が完全に切り替わった。
山小屋の外。
薄っすらと夜の空が薄くなっている
藪から2匹の黒いキツネが出てくる。
黒いキツネ「この者は呪いを抱えておるのだぞ。この山から追い出さねば。」
黒いキツネ「そうだ。仇なす類かどうかなど関係ない。我らが"祈り"が、呪いへと反転するやもしれん」
犬童が透けた先に1人の少女が立っていた。
雪のような白髪に、三角の耳を揺らす少女。
胸元まで届く銀髪。
金色の瞳。
柔らかな着物に、尻尾が一本ふわりと揺れている。
少女「この者の呪いは、私の祈りによって封じております。抱えてはいるものの、漏れ出す心配はありません。」
少女「私の怪我を、この方が治療してくださりました。そのときに生まれた感謝の想いが、祈りとなっております」
黒いキツネ「うぅむ…。しかしだなーーー」
少女「それ以上何か文句があるようでしたら、それこそ私の祈りが呪いへと反転するやもしれませんよ?」
静かな声なのに、どこか怒気を感じる
その怒気にあてられたのか、
黒いキツネ2匹はサッと藪に消えていく。
「ま、まぁ今日のところはギン子ちゃんに免じてやるとするかのーー!」
情けない言葉を残して消えていく声。
静寂。
山小屋入口のランタンの光が柔らかく揺れる。
山小屋の中を確認すると、
寝袋の並ぶ位置も昨夜のまま。
山マ本も孔条も猫武も、皆ぐっすり寝ている。
誰ひとり傷ついていない。
血の跡も匂いもない。
(今のは…なんだったんだ…)
息が詰まったまま拳を握りしめる。
涙が勝手に溢れて顎を濡らす。
嗚咽を噛み殺しても声になる。
(…それでも…生きてる……
良かった……良かった……)
少女「…ご挨拶が遅くなりすみません…昨夜、手当てしていただいたキツネです。
ギン子と申します。」
ギン子は深々と頭を下げる。
「先ほどの惨劇はすべて幻。
お父様とお兄様の“祈り”によるものです。
呪いを抱えるあなたを追い返すために。」
戌亥は何も言えない。
ギン子は続けた。
「あなたが持つ“呪いの残穢”。
それが北稲荷山に災いを呼ぶと
父と兄は恐れたのです。」
罪悪感で胸が締め付けられる。
(やっぱり俺のせいなんだ)
顔を伏せた戌亥の表情を見て、ギン子は慌てて手を振る。
「違います! あなたは何も悪くありません!
呪いはあなたが望んで得たものではない。
祈ったときに分かりました。
その呪いはあなたが誰かを憎んで生まれたものではない。
それを、私は感じました。」
ギン子の金色の瞳が揺れた。
「だから私は、止めたのです。
あなたを傷つけるのは……父と兄でも、許せません。」
その声音は震えていた。
「ごめんなさい……怖かったでしょう。
本当に、怖かったでしょう……」
涙を堪えているのはギン子のほうだった。
戌亥はゆっくり手を伸ばし、
ギン子の頭にそっと触れた。
「……ありがとう。助けてくれて。
でも、なんで犬童の姿に?」
ギン子「父と兄の幻覚に対抗するために、あなたの記憶から最も恐ろしく、強き者の記憶をお借りしたのです。」
戌亥「強く、恐ろしい者…」
ギン子「お詫びというより、怪我を治していただいたお礼として、あなたの表層に巣食っていた呪いは私の祈りで封じました。
きっと、小さな不幸は起きなくなるかと。」
戌亥「そ、そうなのか!本当にありがとう!!」
ギン子の手をしっかりと握りお礼を伝える戌亥
手を握られたギン子の耳がふにゃりと寝て、
尻尾がブンブンと揺れる。
ギン子「そ、そんな…当たり前のことでございます…」
頬を赤らめつつ、着物の袖でソッと顔を隠す
その姿が可愛くて、思わず笑ってしまう。
その瞬間、
山小屋の窓の外で霧が晴れ、月が澄みきった光を落とした。
ギン子は一度振り返り、小さく頷いた。
戌亥「……もうじき朝が来ます。
この子たちを起こして、山頂へ。
ご来光は見逃してしまうかもしれませんが……」
戌亥「ギン子ちゃんは——?」
問いかけると、
少女の輪郭が淡く光に溶けていく。
ギン子「祈っておりますよ。あなたの呪いが全て晴れることを」
そう言い残し、ギン子は狐の姿へ戻り、森の中へ軽やかに駆けていった。
────────────────────────
◆1-5 狐の嫁入り
外に出ると、東の空がゆっくりと白み始めていた。
急いで山小屋に戻り全員を起こすと、
状況が飲み込めないまま慌てて準備しはじめる。
猫武「寝坊したじゃないですか先輩! 急ぎますよ!!」
丑島「す、すみません!寝過ごしました!」
皆で山道を駆け上がったが、
朝日は間に合わなかった——
だが、、
空は透き通るほど晴れ渡り
雲一つない青空の下、ほんの少しだけ小雨が降っていた。
雨粒のドロップのひとつひとつが
光を受けて宝石のようにきらめく。
孔条「きれっっっっっぇ……!
なんやこれ……天気バグってるじゃん……!」
山マ本「先輩、虹です!虹が出てます!」
丑島「これは……俗に言う狐の嫁入り、ですね!」
風が吹き抜けた時、
木々の間から一瞬だけ
銀の尾 と 金の瞳 が
ひら、とこちらを見ている気がした。
戌亥は誰にも聞こえない声でそっと呟き、手を振った。
「……ありがとう。またね。」
空の雨粒がひときわ光を増した。
――第3節 完
────────────────────────




