第4節 信頼の残滓1-2
黒い札が、空中で燃え尽きた。
灰になった欠片が、風に乗って雪の上へ落ちる。
——その瞬間だった。
戌亥の頭の奥で、
何かが「外れた」感じがする。
風の音が、急にうるさくなる。
周囲の寒さに"気づく"。
雪を踏み砕く音。
自分の心臓の鼓動。
戌亥「……っ」
視界が、目のピントが、くっきりと明瞭になる。
むしろ今までぼやけていたということに今更気づく。
今まで“自然”だと思っていた景色が、
一斉に不自然さを主張し始める。
戌亥(……?)
胸の奥に、
遅れていたはずの感情が流れ込んでくる。
——寒気。
——違和感。
——殺意。
戌亥は、はっきりと理解した。
戌亥(……今まで……俺たち……何かを信じさせられてた)
去も、同時に眉をひそめた。
去「……チッ」
こめかみを押さえ、低く唸る。
去「……クソっ、さっきまで……なんで俺、こんなに……」
言葉が続かない。
“寅は味方だ”
“警戒する必要はない”
“信頼できる男だ”
——その前提が、
今になって、急速に腐り落ちていく。
戌亥(そもそも、あんなに人の話を聞かない去が、
妙に寅の話は素直に聞いていたことからおかしかった。)
去「……あぁ、そうかよ」
去は、歯を食いしばる。
去「……俺たち、"かかってた"な」
モモも、遅れて目を見開いた。
モモは、自分の頬を両手で押さえ、戌亥たちに声をかける。
モモ「……恐らく、催眠さね」
モモ「寅の言葉…言動…
変に、すっと入ってきて……
疑う気にならなかったさ……!」
色々な状況が、都合よく整えられすぎていたことに、今さら気づく。
戌亥は、ゆっくりと視線を上げた。
雪丘に叩き込まれた寅の方を見る。
——今なら、分かる。
さっきまで感じなかったはずのものが、
はっきりと、肌を刺してくる。
濃密な殺気。
それも、
長年研ぎ澄まされた殺気。
戌亥「…ペッ…」
戌亥は、血を吐きながら、低く言った。
戌亥「……寅さん」
戌亥「……あなたの言葉……」
戌亥「信じたくなるように、作られてたんですね」
雪丘が、崩れる。
中から、ゆっくりと寅が立ち上がった。
寅は、左手を見下ろす。
——そこにあったはずの、黒い札はもうない。
寅「……ふぅ」
寅は、肩をすくめた。
寅「……やっぱり、勘のいい若者はやだねぇ」
寅は、次に右手を見る。
そこには、白い札。
雪の文様のような印が刻まれている。
寅「催眠札が焼けたか」
寅「……。」
寅は、静かに三人を見渡す。
その目は、
もはや一切の“朗らかさ”を帯びていなかった。
寅「催眠は、弱まったろう」
寅「……だが、まだだ。」
寅は、白い札をひらりと指先で弾く。
瞬間——
雪の風景が、ぐにゃりと歪んだ。
去「……ッ!」
モモ「まだ……続いてるさ!」
寅は無表情のまま。
寅「教えてあげよう」
寅「私は長年、呪詛組織への潜入及び壊滅作戦に従事してきていた。」
寅「あらゆる手段を用いて、懐柔し打ち解けるんだ」
白い雪原に、
再び、異様な気配が満ちていく。
寅「だが呪詛組織への潜入は簡単な仕事ではない。」
また白い札をかざすと、雪の馬にまたがる将軍姿の雪像。
寅「呪術とは千差万別。
どんな力があるのか、どんな使い方をしているのか」
数十の雪の槍兵が去とモモを囲む。
寅「呪詛師なんてそもそも心に闇を持つ者たち。
一筋縄じゃない。
そんな奴らを何年も何年もすぐ近くで探り、騙し、機会を探り息の根を絶つ」
槍兵に襲われるモモを庇いながら、なんとか食い止める去。
それでも寅は戌亥を真っ直ぐと見つめて語り続ける。
寅「局も一枚岩じゃない。
私は表向き怪我の療養ということになっていたが、、
実はとある呪詛組織へ潜入していた。」
寅の話を聞いてはいけない。
そう思えば思うほど、より足が動かなくなる。寅の言葉に耳を傾けてしまう戌亥。
寅「そこで知ってしまった。
真の呪詛師。
私が今まで相手にしていたのは、ただ覚えたばかりの負の感情で児戯に熱中する赤子の群れだと気づかされた。」
寅はまたも札をかかげ、白い侍が何体も地面から生えてくる。
寅「"真の絶望から生まれる呪い"の恐怖。」
寅の声が脳内で響く。
ゆっくりとまた視界が歪む。
ピントが徐々に合わなくなる。
戌亥(マズイ⋯、催眠が⋯)
寅「それだけじゃない。
敵はいたるところにいる。
その最たる例が特異対策局の壊滅事件。」
寅「奴らはその気になればいつだって、局を潰せる。
いわば俺達は飼われていただけの鶏に過ぎない」
去とモモが必死に戦っているが、あまりにも数が多すぎる。
倒しても潰しても、新たに生え続ける雪の兵。
戌亥(また、、守れないのか⋯!
また、、失うのか⋯!?)
寅「誰が敵か、いつ命を狙われるか⋯。
信じられるものは己の腕一つ」
戌亥「ちがう⋯。」
寅は静かに、しかしハッキリと聞き取れる声でつぶやく
寅「四面楚歌、、赤土ノ殿」
雪が風と共に強く降りしきる。
吹雪となり雪の嵐となる。
そして雪が集まりそびえ立つ巨大な骸骨
更に骸骨の周りに雪が貼り付き鎧を成す
寅「深淵を見ればわかる。
世はまだ下層ですらない。」
巨大な骸骨武者は刀を抜き、
上段に大きく構える
その高さは雲に届くかのよう
戌亥「違う⋯!」
寅「いつ、誰が背中を刺すか分からぬこの時世だ。
お前もまた独り。ただの式神風情が⋯
お前のことは知っているぞ。
友も、受け入れてくれた場所も失った。
紙で出来た式神1枚だろう」
戌亥「ちが⋯う⋯」
僕はーー戌亥隼人だ。
そう叫ぼうにも、声が出ない。
吹雪が視界を遮り、
ついには去もモモも見えなくなる。
骸骨武者が手を振り下ろし一撃
戌亥の脳天は巨大な氷塊に貫かれた。




