第2節 毒を食らわば皿まで
1-1幻のパン
大学の昼休み。
キャンパスの中央広場では、学生たちが思い思いに過ごしている。
戌亥は午前で今日の講義が終わり、ベンチに座る。
購買で買ったパンの袋を開ける——
戌亥「今日は運が良いぞ…。最後の1個を買えるとは。」
この大学の購買部には、
とあるパンが売ってある。
通称「幻のパン」
見た目は普通のベーグルなのだが
国産米粉を使って焼き上げるこのパンはもちもちとした食感で、ひと口食べるとほのかな甘みと豊かな風味がふわ~っと広がる。
すっきりとした旨味に、グルテンフリーなのにしっとりと粘り気もあり、食べ応えのある生地。
腹持ちも良く、低カロリーなうえ便秘改善にもーーー。」
犬童「いや長い長い。一人でなに言うてんねん。」
戌亥「おふっ!犬童!いつからそこに!」
犬童「そんなことはどうでもええんや!それ、幻のパンやんけ〜めっちゃ美味そやなぁ」
戌亥「…あげないぞ。」
犬童「そんな殺生な!ええやんか一口くらい〜」
戌亥「お前の一口は一口って量じゃないだろ。やらん。」
犬童「あ〜んお代官様ぁ〜!」
戌亥「変な声を出すな!」
犬童に気を取られていると、突然烈火のごとくカラスが急降下して、戌亥の手からパンをさらっていった。
戌亥「……え。」
犬童「ほな、さいなら。」
戌亥「お、オイ待て!なにかかける声は無いのか!」
犬童「あぁ〜堪忍しておくんなましお代官様ぁ〜!!」
戌亥「変な声を出すな〜!」
今日も戌亥は不幸であった。
1-2 マスター
犬童「よっしゃ!ほな飯食いに行こう!ちょーどワンちゃんを連れていきたいとこがあってやな!
そこでワイが飯奢ったる!な!今日実は店の給料日やねん!」
戌亥「奢るって…ありがたい申し出だが、お前が奢ってくれるときって大概ロクなことにならないんだよな…。」
犬童「信用ないな〜!ワイの愛の形やで??」
戌亥「その愛の形で俺は何度辛酸を舐めたと思ってんだ」
犬童「細かいこと気にすんなって!ほら行くで!」
犬童は戌亥の腕を掴んで立ち上がらせる。
結局、犬童の猛烈な勢いに流されるまま街に向かう2人。
着いたのは大学近くの商店街。
そこの一角にあるBAR
犬童がバイトをしているところだ。
犬童「オッス〜、マスターやってる〜?」
マスター「やってるわけないだろ。まだ昼過ぎだぞ。
おっ、戌亥くんいらっしゃい。」
戌亥「あ、どうも!お久しぶりです。」
犬童「まぁまぁ。今日給料日やんか!なんか飯でん食わせてくれや〜。」
マスター「お前な⋯。まぁ戌亥くんに用事があったのも事実だし、オムライスくらいなら作ってやるさ。ちょっと待ってな」
マスターは奥のキッチンに入っていった。
犬童「ところで、そのカバンについてるストラップ。えらいかわええなあ?」
戌亥「あー、これか。手芸部に入った後輩が練習で作ったやつだよ。なんか捨てるって言うからもらった。」
犬童「手芸部?
……ああ例の後輩ちゃんか。顔白い子」
戌亥「真守ちゃん。最近ちょっと元気出てきたよ。顔も前ほど白くないし。」
犬童「おーええやん。ええやん。良かったやん。
なんや戌亥ハーレムの新メンバーか?」
戌亥「そんなハーレムなんて無い。」
犬童「ふーん……?」
犬童はストローのついたカフェオレを咥えながら、 じーっと戌亥の横顔を見る。
犬童「ワイは戌亥ハーレムのメンバーやで!」
戌亥「⋯気持ち悪い言うなよ」
犬童「カハハハ!」
戌亥もつられて笑ってしまう。
犬童と話していると、不思議と心が落ち着いてくる気もする。
なんだかんだ、良いやつだ。
犬童「そういや、お前の自転車、壊してしもた。すまんの」
⋯は?
犬童「鍵さしっぱやったから、返したろ思てなぁ。ついでに軽く街乗りしててな。ブレーキ壊れてたで。危ないとこやったなぁ。」
戌亥「……よし殺すぞ」
犬童「いやいやいや!ワイ悪くない!!」
戌亥「100%お前が悪いだろ!!!」
犬童「お代官様ぁ〜」
店のカウンターで言い争う犬童と戌亥。
マスターが笑いを堪えながら眺めている。
マスター「ふっ、オムライス。出来たぞ。」
そんな最悪で最高な悪友。
こういう日常が——
いつまでも続くと、どこかで信じていた。
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1-3 忠告
オムライスを食べ終え、犬童が満足そうに腹をさする。
犬童「は〜しあわせや。うまかったなあ。」
戌亥「本当に美味しかったです。いつもありがとうございます」
マスター「気にしないでいいさ。店としては馴染み客が来てくれるのが一番ありがたいんだよ。
それに、戌亥くんに話があるから、都合がいいときにでも読んでくれと犬童くんにお願いしてたしね。」
柔らかい雰囲気の中、ふとマスターは言葉を区切った。
マスター「……戌亥くん」
戌亥「はい?」
マスターが視線を落とす。
軽口ではない声色だった。
マスター「最近、君のことを調べてまわっている人がいる。念の為、気をつけてほしい」
戌亥「……え?」
犬童「今度はストーカー事件かいな。退屈せんのうワンちゃん!」
戌亥「お前はちょっと黙れ」
犬童「ひどっ」
マスターは皿を拭きながら続ける。
マスター「最近“呪いの動画”について、動いていただろう?噂はこっち界隈にも届いてるさ。
戌亥くんのおかげで、最近は落ち着いてきたようだが⋯。」
戌亥「……はい、まあ……。」
マスター「私はね——その呪いの動画について、心配なことがある。
呪いの動画の特性上、流し始めた大元がいるはずなんだ。」
犬童の表情がスッと変わった。
普段の明るさを消し、冷静な目になる。
犬童「ま、、、それはそうやな。」
マスター「断言はできない。
もしかしたら偶発的に生まれたものかもしれない。
ただ、今週に入ってから店にも来たんだよ。
“戌亥 隼人って客が来るか”って、何度も」
戌亥「俺を……?」
マスター「顔は笑っているのに、目が笑ってなかった。あれは……普通の興味じゃない」
マスター「タイミングもね⋯。戌亥くんが呪いの動画を沈静化させた今になって、調べ回っている。何か関係があるのかもしれない。」
空気が一気に静まる。
犬童「つまり、呪いの動画を沈静化させたワンちゃんについて
調べて回ってるやつ⋯。ソイツが動画を広めた張本人かもしれないってことか。
ワンちゃんに手出す言うなら、ワイがとっちめてやらんとアカンなぁ。」
戌亥「暴力はやめろよ。」
犬童「カハハ。
ワイはいつも言ってるやろ。“ワンちゃんの味方や”って」
堂々と言い切る犬童と、ふっと笑うマスター。
マスター「心配しすぎなら笑ってくれ。でも戌亥くん、気を張っておいたほうがいい。
そうでなくても今の君は、"不幸を呼ぶ"んだろう。」
戌亥は一瞬言葉を失う。
マスター「君はなぜか耐性があるようだけど、あの呪いの動画は見た者の脳裏に『裏拍手』を伝播する内容だった。
君も寝てるときや無意識なときに、やってしまってるんだろう。」
裏拍手ーー。
マスター「裏拍手は、悪霊や災いを呼ぶ。
本来なら、あまりにも危険な行為であり、即刻やめさせたいところだよ。」
ただ、今はこの呪いを消し去る方法は見つかっていない。
他の誰かに移すこともできない以上、俺が背負うしかない。
犬童「ま、心配すんな。ホンマに危ない匂いしたら、ワイがついとる」
戌亥「……お前が危ない匂いの塊みたいなもんだけどな」
犬童「あぁん!? ワイの全身からはミントみたいなええ匂いしてるやろ!?」
戌亥「それは多分お前の柔軟剤の匂い」
犬童「ダウニーだに〜つってな」
また笑いが戻る。
けれど微かな違和感だけが残った。
楽しい日常は続いている。
ただ、その背後で——誰かが戌亥の名前を追っている。
それが興味か、悪意か、別の何かかはまだ知らない。
この時点ではまだ、戌亥も犬童も理解していなかった。
その“誰か”が、
このあと深く関わる存在になることを——。
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