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Partners 〜戌亥隼人の奇怪譚〜  作者: 土ノ子ウナム
第二章 牛に経文
12/31

第4節 本当のジブン

第4節 本当のジブン

1-1


戌亥「……真守…ちゃん…?」


名前を口にした瞬間、自分の声がひどく掠れていることに気づいた。


扉の向こうに立っていたのは、

見慣れたはずなのに、どこか知らない横顔をした少女だった。


髪は以前より少し伸びて、落ち着いた色に染められている。

前よりずっと、姿勢が良い。

震えるみたいにしていた目線も、今はまっすぐこちらを射抜いてくる。


真守「はい…!

ご無沙汰してます、戌亥先輩っ。」


少しだけ、大人びた笑い方だった。


戌亥「……なんで、真守ちゃんが、ここに……」


真守「あ、えっと、その……」


急に言葉を詰まらせ、後ろを振り返る。


廊下の向こうから、こそこそと覗き込む影がひとつ。


兎「……あ、あの、ね? 戌亥くん。

 “先輩の彼女さんです”って言われたから、つい通しちゃって……」


戌亥「彼女…?」


真守「ち、ちちちがいます!! ちょっと誤解が!!」


兎「あっ、違うの!? すごい勢いで“会わせてください”って言うから……。

い、いずれにしても私は悪くないと思う! 多分!」


兎「一応、戌亥くんの身内ってことで管理室は通してるから!

ほんじゃさいならっ!」

兎は慌ただしく敬礼して、そのまま退散していった。


戸口の前に、ふたりだけが残る。


気まずい沈黙。

先に口を開いたのは、真守の方だった。


 

真守「……入って、いいですか?」


戌亥「……あ、ああ。

散らかってるけど」


ほんとは、ニュースの紙と特異対策局に寄せられた「市民の声」だらけで“散らかっている”どころではないが、拾い集める気力もなかった。


小さな部屋。安い机。ベッド。

壁には局支給のカレンダーだけがかかっている。


真守は靴を揃えて上がり、机の上の紙を一枚そっと手に取った。


《特異対策局いらなくね?》

《イノルンジャーの邪魔すんな》

《レッドに噛みついてた男なんなの? し ね よ 》


真守の眉が、かすかに寄る。


真守「……ニュースと、コメント……全部見ちゃってるんですね」


戌亥「…暇だからな。謹慎中ってのは」


皮肉のつもりだったが、自分でも笑えなかった。


戌亥「それに、、なにか有用な情報があるかもしれない。」


真守は椅子を引いて、遠慮がちに腰掛けた。

その仕草ひとつで分かる。


(……こいつ、変わったな)


前なら、もっと身体を小さくして、周りを窺って、何度も言い直して。

今は――緊張しているのは同じだろうに、それでも“話すために”ここにいる。

 


戌亥「……で。

 なんでここが分かった?」


真守「ニュースです」


即答だった。


真守「戌亥先輩のこと、ずっと探してたんですよ。

大学の先生にも聞いたし、先輩の実家も……さすがに直接行くのは迷惑かなと思ってやめましたけど」


戌亥「……」


真守「戌亥先輩が大学辞めてから、連絡も取れなくなって。

登山部の人たちも凄く凄く心配してました。

 “いなくなっちゃった人”みたいになってて。

 でも――」


真守は、紙を一枚だけ持ち上げる。


そこには、白炎を纏った右手でイノルレッドに掴みかかる戌亥の写真がプリントアウトされていた。


真守「やっと見つけました。

特異対策局ってところも初めて知りましたけど…

 “ここ”にいるんだって、分かったから」


戌亥「……あんまり見るなよ。局的には微妙な写真なんだよ、それ」


苦笑めいたことを言う。

本当は喉が冷えるように痛かった。


 


真守「……戌亥先輩」


呼び方は、昔と変わらない。


でも声の色が違う。

あの頃はどこか、自分の存在を確認するみたいにおずおずと呼んでいた。


今は――“掴もうとして”呼んでいる。


戌亥「……悪かったな。

 わざわざ来させて」


真守「別に、謝ってほしくて来たわけじゃないです」


間髪入れず、真守は首を振る。


真守「むしろ、怒ってます」


戌亥「……え?」


真守「大学辞めたことも、何も相談してくれなかったことも。

勝手にいなくなったことも。

 あげく、テレビやネットで炎上してるの見せられて、こっちの心臓に悪いです」


淡々と、だが一つ一つを噛み殺すような言い方だった。


 


戌亥「……お前に関係ないだろ。

 これはこっちの世界の話だ」


真守「そうですね。

“呪いの世界”の話なんだと思います」


真守は自分の膝の上で、そっと手を握りしめる。


真守「でも私、先輩に助けてもらって、恩返しもさせてもらえなくて!一年ちかく探してたんです。

だから、“関係ない”って言われるのは……ちょっと…嫌ですっ」


戌亥「……っ」


(言い返せないな、それは)


 


真守「大学、ちゃんと行ってますよ。

 友達もできました。ゼミもそれなりに楽しいです。

 “人と話すこと"っていうのも……前よりは、マシになりました」


戌亥「……そう…みたいだな。」


真守「はい。

それは、先輩に“手を引っ張ってもらった”からです」


真守はまっすぐこちらを見る。


あの講義室で、スマホを見つめて震えていた少女の面影は、もう薄い。


真守「私、しおんちゃんのことで絶望してたとき、先輩に救ってもらいました。

友達もいなくて独りぼっちだったときに“真守ちゃん”って、

 ちゃんと顔を見て呼んでくれたのは、先輩が初めてでした」


戌亥「…………」


思い出す。

あの頃の自分はまだ呪いの世界も、異能も知らなかった。

ただ目の前で泣いていた後輩に、安っぽい励ましをかけただけだ。


それでも――


真守「だから今度は、私の番です」


はっきりと言った。


 

戌亥「……何を、しようっていうんだよ」


真守「私が先輩を、助ける番です」


即答だった。


 


戌亥は、反射的に笑ってしまいそうになる。

あまりに無茶な言葉だったからだ。


戌亥「俺は今、呪いに関わる組織にいる。

犬道を殺したフードの男を追ってる最中で、別の奴にも目をつけられて殺されかけてる。

 イノルンジャーに喧嘩売って炎上中で、上層部にも嫌われて、所属していたチームも解散された。

 ……お前にできることなんか、何もないよ」


真守「あるかどうかは、私が決めます」


戌亥「そういう問題じゃ――」


真守「あります」


きっぱりと遮られた。


 


真守「だって、今の先輩……“おかしい”から」


戌亥「……は?」


真守「昔の先輩は、

 もっとくだらないことで笑って、

 ちょっと疲れてるときでも、“まぁしょうがないね”って肩すくめてたじゃないですか。」


戌亥「そんなこと言ってたか俺」


真守「言ってましたっ!

誰かに助けてって言われたら、飛んで駆けつける人でした!鳥のフンを頭に落とされながらっ」


真守は即答し、少しだけ口元を緩める。

戌亥は最後に余計なことを付け足されたことに恥ずかしさを覚えた


真守「今の先輩は、なんか違います。写真の顔も、戌亥先輩の顔なのに、まるで別人みたいで…戌亥先輩なのに、戌亥先輩じゃない。


なんだか"別の人が戌亥先輩の身体に同居してるような"…

話し方も!"俺"なんて言ってましたか?」


戌亥「……」


図星だった。


胸の内側を、鈍器で殴られたみたいに痛い。


 


真守「フードの男を探したいのも分かります。

その人のせいで、犬道さんが死んじゃったんですね…

怒るのも、恨むのも、当たり前だと思います」


戌亥の喉が、かすかに鳴る。


犬童の頭が、あの黒い霧の中で砕けた映像がフラッシュバックする。


右手の黒紋が、じわりと熱を帯びた。


 


真守「でも……」


真守は言葉を区切り、椅子から立ち上がった。


一歩近づく。

戌亥の目の前まで。


真守「“それは自分を殺す理由にはならない"です!」


戌亥「…………っ」


黒紋が、心臓の鼓動とズレたリズムで脈動する。


――断罪だ

――燃やせ

――もっと、もっと


島の声が、濁ったノイズと一緒に脳裏に滲む。


(そもそも…これは島の声なのか…?島の声ってこんなだったか?)


それでも、真守を巻き込みたくない気持ちが口から強がりとなり溢れる

戌亥「……俺は、別に変わってな――」


真守「変わってます」


即答。


真守「ニュースで見て。

その後も、SNSで何回も何回も切り抜きが流れてきて。

今も目の前で直接話してるから……分かります」


真守は、そっと視線を机の上へと動かして柔らかい笑みを浮かべた


真守「私が初めて作ったぬいぐるみ、、まだ持っててくれてるんですね」


戌亥「……あれは」


真守「初めてだったから、不格好で、、恥ずかしいけれど

それでも凄く想いを込めてつくったんですよ」


真守は笑顔のまま、真っ直ぐな目で戌亥を見つめる


真守「写真に写っていた手は…炎は呪いなんですか?」


直球だった


戌亥「……そうだよ。

 島って男の呪いを吸って、右手がこんなになった」


戌亥は、ゆっくりと袖をまくった。


黒い紋様が、手の甲から肘にかけて絡みついている。 脈動しているようにも、眠っているようにも見える奇妙な纹。


真守の喉が、小さくひゅっと鳴った。 それでも、逃げるように視線を逸らしたりはしなかった。


真守「……痛いですか?」


戌亥「……疼く。

 時々、誰かの声がする。

 “燃やせ”“断罪だ”って、うるさい」


真守「やっぱり」


真守は、そっと右手を覗き込みながら言った。


真守「先輩、自分で思ってるより、ずっと“危ない”と思います」


戌亥「…………」


反論できる材料がなかった。


夜は満足に眠れない。

食事の味を楽しんだのはいつだろうか。 

怒りと憎しみだけで身体を動かしていた。

 


真守「だから……

 “巻き込みたくない”とか言っても、無駄です」


戌亥「いや、巻き込みたくないだろ普通。

目の前で誰かが死ぬのはゴメンなんだよ」


真守「じゃあ、死なないように、私も一緒に考えます」


戌亥「簡単に言うなよ……」


真守「なんて言われても、戌亥先輩を助けます!」


真守は、まっすぐにそう言った。


 


真守「先輩。

 この一年、ずっと考えてました」


戌亥「何を」


真守「“先輩のいないところで、私だけ普通に生きてていいのか”って」


戌亥「……」


真守「楽しい部活も、新しくできた友達も、先輩が勇気をくれたからこそ、その時間があるんです。


でも、その考え方やめました。

 先輩がどうであれ、私は私の生活をちゃんとやる。

 その上で――

 “それでも助けたい人がいるなら、助けに行くべきだ”って」


少し照れくさそうに笑う。


真守「そう教えてくれたの、先輩でしたよ」


戌亥は、視線を落とした。


右手の黒紋が、さっきまでより少し、静かに感じる。


 


真守「……お願いがあります」


戌亥「なんだよ」


真守「先輩。

いまは“自分自身を助ける”ってことを、考えてください」


戌亥「……難しいこと言うな」


胸の奥が、ざらりと削られたみたいに痛い。


(俺は、おかしい。

 呪いに侵されてる。

 犬童の死から、ずっとあそこから俺自身は動けていないのか)


分かってはいた。

誰にも言葉にされたことがなかっただけで。


 


戌亥「……ああ。

 そうだな。

 俺は今、たぶん――まともじゃない」


それを口にした瞬間、

黒紋の脈が一瞬だけ大きく跳ねた。


だが、さっきまでの“煽るような疼き”ではなかった。


“了解した”とでも言いたげな、静かな鼓動だった。


真守は、ほっとしたように微笑む。


真守「よかった。

 じゃあ、ここからです」


戌亥「どこからだよ」


真守「“どうするか”を、考えるところからです」


そう言って、真守は真剣な眼差しでウンウンと考えはじめた。


戌亥「……実は心当たりはある。

呪いを"診てもらった"こともある。今の俺の身体が呪いに侵されているのだとすれば…」


『またお話しましょう…』

そう言われていたことも思い出す


戌亥「…なんで行ってなかったんだろうな…」


会いに行くことは、

自分でもどこかで考えたことがあった。


だが、どこか無意識に避けていたようにも思う。


真守「先輩と一緒に行きます。また目を離すと、どこかへ行ってしまうかもしれませんから」


戌亥「真守ちゃん……」


真守「それに、私も“関係者”ですから」


真守は、机の上に落ちた白い犬のストラップを拾い上げた。


あの日、彼女から渡されたもの。


真守「これ、綺麗なままですね。

大事に持っててくれたんですよね。

でもせっかくなら、この子も一緒に連れていきましょう!」


戌亥は、しばらく黙っていたが――


やがて、観念したようにため息をついた。


 


戌亥「……分かったよ。

 上に外出の許可を取ってくる。

 どうせ謹慎中で依頼も無いし、“帰省"とでも言えばいいさ。」


真守「お土産持って帰ってくれば大丈夫ですよ!」

真守の笑顔で

少しだけ、部屋の空気が緩む。


たぶん初めてだ。 犬童が死んでから、

“復讐と呪殺”以外の理由で足を運ぼうとしている場所があるのは。


真守「……よかった。

 ちゃんと、話してくれて」


戌亥「まあ、勝手に乗り込んできたやつにな」


真守「はい。勝手に来ました」


胸を張るその仕草が、妙におかしくて――

ほんの少し、ふきだしてしまった。


黒紋の疼きが、さっきよりまた静かになっている。


こうして――

戌亥は真守と共に宿舎を後にした。


自分が何者なのかを、

ようやく直視するために。


北稲荷山へ


――


1-2


夜が深くなるにつれ、空気は乾き、山の匂いが濃くなった。

戌亥と真守は、街灯もない山道を並んで歩いていた。


さっきまで宿舎で激しく揺れていた黒紋は、真守が隣にいることで不思議と静かだった。


歩幅を合わせながらも、会話は少なめだ。


戌亥「……大学、楽しいか?」


真守「楽しいですよ。課題は多いですけど……。

 あ、それで最近、手芸サークルの展示会があって……」


真守の声は穏やかで、必要以上に弾んでもいない。

ただ、戌亥が黙って歩いているだけで話題を少しずつ出してくれる。


戌亥(……気を遣わせてるな)


けれど、そのやわらかさが、胸の奥の締めつけを一枚ずつ剥がしてくるようだった。


山道を登り切り、鳥居の前に立つ。


風が一段と冷たくなる。


真守「……着きましたね」


戌亥「懐かしい感じは……もう、しないな」


数ヶ月前、ここは血と炎と殺意の渦巻く戦場だった。


鳥居をくぐる瞬間──

空気がふっと波立った。


幻覚はない。

揺らぎもない。


それだけで、少し胸が軽くなる。


境内には黒い狐たちが数匹、こちらに頭を下げて迎えた。

その奥に、白い毛皮の巫女装束──ギン子が静かに立っていた。


ギン子「……お久しぶりです。戌亥さん。

 そして、そちらは……?」


真守は慌てて軽く会釈した。


真守「ま、真守といいますっ……!」


ギン子は優しく微笑んだ。


ギン子「緊張なさらずともよいのですよ。ようこそ、北稲荷山へ」


その声音は柔らかいのに、どこか“底の深さ”があった。


戌亥「あの……前は助けてくれて、その……」


ギン子「お礼を言うのは私どもの方です。戌亥さん。

ですが──今宵は感謝より“確認”が先です。」


少し表情が引き締まる。


ギン子「実は……先ほどあなた方を特異対策局の者が尾行していました。

いま彼らはわたしの“幻留げんる”の中を彷徨わせております。」


真守「えっ……?」


戌亥「……局が、俺を?」


ギン子「北稲荷山は特異対策局の“保護領域”です。

狐の一族も、長らく局の加護を受けておりました。

ですから……実はあなたが一番最初にこの山へ来られた時も、

狐の一族は特異対策局に相談いたしました」


真守が息を呑む。


戌亥「あの時……?」


ギン子「はい。あなたの“体質”について、です。

誤解しないでいただきたいのは、特異対策局へお伝えしたのは悪意でなく、純粋に呪いの影響を受けていたあなたへの気遣いのつもりでした。」


否定できない。

あの頃、戌亥はすでに“普通の人間”ではなかった。


ギン子は続けた。


ギン子「ですが──仮面襲撃の際、はっきりと気づきました。

あなたは、前に来られた時とは違う雰囲気を纏っていると。


まるで、1つの器に、、複数の意志が込められているかのよう…」


戌亥(……複数の意志)


真守がそっと袖を掴む。


真守「ギン子さん。どうすれば……?」


ギン子は社の奥を指した。


ギン子「まずは視せていただきます。

今回はわたしだけでなく、一族総出で“儀式祈祷きとう”を行います。」


狐たちが一斉に頭を垂れた。

あの日、犠牲になって倒れていた黒い狐たちも混ざっている。


ギン子「これは恩返しです。

仮面の襲撃から、狐の一族を守ってくださったあなたへ」


戌亥「……ありがとう」


真守も深く頭を下げた。


ギン子「では、参りましょう」



---


◆ 社の奥 ── 集団祈祷


火の灯っていない蝋燭が、ずらりと並ぶ広間。

天井の梁には古い護符と織物。

その中央に、白い円が描かれている。


ギン子「儀式祈祷じゅつしきは、単独の祈りよりも強力な異能を発揮します。

 “術式の根”に触れることも可能となります」


狐たちが円を囲むように並ぶ。


ギン子「戌亥殿──こちらへ」


戌亥は円の中心へ。

戌亥が案内された位置の目の前には、大きな姿見が置かれている。

真守は部屋を出ようとするが……


戌亥「……ここにいてくれ。」


真守「……はいっ」


ギン子が微笑む。


「では──始めます」


ぱち、と。

火を灯していない蝋燭が、一斉に白い光を灯した。


狐たちが低く、しかし澄んだ声で祈りを紡ぐ。

空気が歪む。

戌亥の黒紋が、熱くも冷たくもない奇妙な震えを始める。


真守「先輩……!」


戌亥「大丈夫……だと思……う……」


視界が揺れる。

身体が軽くなり、逆に心臓は重くなる。


そして──ギン子の声が落ちた。


「視えます」


蝋燭の炎は灯りながら、まるで時間が止まったかのように静止した。


ギン子「戌亥さん……ご自身の姿が見えますか?

あなたの身体に灯された三つの“術式”が…。

術式とは、呪印や聖痕とも言われることがありますが…。

それぞれがあなたの意志を引っぱっていた。」


姿見にうつる戌亥の身体には

黒と、白と、金色の紋様が浮かんでいる。


戌亥「……三つの術式……」


ギン子「まず一つ目──

あなたが生まれつき持っているであろう、“祈りでも呪いでもない核”。


【天命】とされる根源術式。

これは他者への“救い”と自身の“保護”へ向かう、術式。

あなた本来の優しい意志はここにあります」


真守の目が大きくなる。


ギン子「二つ目──

…タイミングとしては恐らく…特異対策局が刻んだのであろう【使命】とされる後天術式。

“復讐"と、"冷血”の術式。

更に"従属"も少しながら込められている。

犬道さんの死をきっかけとして、あなたを組織の駒に変えたものです。

…恐らく特異対策局にとって、都合の良い存在へと書き換えるために。」


戌亥の顔が強張る。

信じていた…居場所だと思っていた特異対策局


…だが確かに、何の思い入れもなく、自分の目的にも沿わない依頼や仕事を、、なんの躊躇いも疑念もなく実行していたのは今思えば不自然であると戌亥は気づく。

更に、、いつの間にか呪詛師というだけで、、、

俺は簡単に人を焼き殺し、、特に何の罪悪感も抱いていなかった。


◯目の男を焼き貫いたあの記憶が、鮮明に思い出される。


ギン子「三つ目──

 島という男から…いや恐らく、、島もまた誰かの手により上書きされていたのであろう【運命】の術式

“憤怒"と"絶望”を呼び起こす。

憤怒の白炎の源であり、、。あなたの破壊衝動の正体です」


ギン子「そして…それぞれの術式により、無意識的にあなたの意思や判断、、果ては人格もまたブレるようになっていた。」


戌亥「……俺は……俺の意志は……」


ギン子は静かに告げた。


ギン子「濁していても仕方がありません。はっきりお伝えしますが…

"本来術式とは、生きた人間に刻めるようなものではない"のです。

ましてや複数など…。」


ギン子「人には本来生まれながらの魂があります。

それこそが天命を持ち、運命に引き寄せられ、使命を全うする。


島のように、何らかの絶望に墜ち自らを失ったものへ1つ刻めるようなことは稀にありますが…

──戌亥さん。あなたは“人間ではありません”。」


戌亥「はっ?」

真守「…え?」


ギン子の顔は真っ直ぐと

しかしどこか物悲しそうに、

戌亥を見つめる


ギン子「式神の類…。

古い時代では陰と陽の力を用いて、人形や紙に“命令を刻み動かす存在”。」


空気が止まった。


真守「……っ!」


戌亥の呼吸が乱れる。


鼓動が早いのに、指先は冷える。


戌亥「……俺は……人形ってことか……?」


ギン子「人形ではありません。

実際に体は人の肉体と同じもの。

しかし、、、」


ギン子が初めて言葉を濁す


戌亥「ここまで…きたら、教えてくれよ。キッパリと」


ギン子「……。恐らく、亡くなった赤子や子どもの体を…

式神として…人形や護符の代用として…使用したのだと。


 “命を持つ式神”。

 ただ──命令が多すぎた。

 だから心が…"術式が"擦り切れている


そこまでギン子は、、歯切れの悪そうに

ついには涙を流しながら話した


戌亥「…………」


戌亥は目の前が暗く、重く

見えているのに、何も見えていない。


(俺は……何だったんだ……)


黒紋が震える。

島の声とも違う、もうひとつの“命令”が奥底でざわつく。


ーーーーーー


闇に包まれた部屋


泣き叫ぶ赤子の声


笑うたくさんの顔


【祝詞】と、【呪詛】


______________


真っ暗な部屋に

僕と、君と、アイツがいる。


アイツは意気揚々と、しかしどこか怒りを滲ませながら話す

「絶望するよな。

組織の駒にさせられて、騙されて、その上でちょっとミスすれば…即クビさ」


君は静かに、冷淡に呟く

「そんなことはどうでもいい…。フードの男を殺す。

フードの男だけじゃない…。俺は、アイツに関係するやつは全て許さない」


僕が支えないと⋯。

絶望し憤怒して、

冷淡に冷血に復讐して、

"敵"を全て殺して、

殺し尽くして、

彼らを助ける。


僕は⋯


僕は救ってあげないと。

僕はコワレテモイイノダカラ


冷たい黒が身体の内側を突き破ろうと漏れ出して

熱い白が僕の肌を焦がす

2色に押されて引っ張られて

潰されていくーーーー


僕の意識が潰れて消えるその瞬間


目の前に白いぬいぐるみが現れて

突然話し出す


ぬいぐるみ「なんっっでやねん!お前が壊れていいわけあるかアホ!

ワイが守るゆーたんは、戌亥隼人!お前だけや!」


僕「え…?」


ぬいぐるみ「アイツもソイツもあるかいな!

お前はお前や!戌亥隼人!

ワイとのコンビ解散する気かいな!」


僕「い、犬童…?」


ぬいぐるみ「ワイはお前に救われたんや。

そしてお前は真守ちゃんも、

怪我してたギン子ちゃんも救うたんや。


それがお前やったやんか!」


僕「救う…?」


犬童「式神だのなんだの知らんけどな。

ワイの呪い、真守ちゃんの想い、ギン子ちゃんの祈りが向かっとるんが戌亥隼人や。」


ぬいぐるみ「シャキッと受け止めんかい!」


そのとき暖かい手の感触がした。


______________


真守「戌亥先輩っ!!!」


気がつくと、おでことおでこがぶつかりそうな距離で

大粒の涙を流しながら僕の手を握る真守ちゃんが叫んでいた。


戌亥「ま、真守ちゃん⋯?」


真守「戌亥先輩⋯!気づきましたか!?突然白目剥いて倒れて⋯。」


ギン子「わたしも心配しましたよ…。大丈夫ですか、、?


…すみません、突然こんな話を聞いて、落ち着いていられるわけもないのに…。」


戌亥(…。いや、、逆だ。どこか妙に納得して、、落ち着いている)


"僕"は"俺"じゃなかった。

戌亥「むしろ、なぜかスッキリしています。

それに僕は、、戌亥 隼人です。

それだけで、十分みたいですから。」


真守「い、戌亥…先輩⋯!」


戌亥「ありがとう…真守ちゃん、ギン子さん、、、そして犬童。」


真守「あ、あの…。」


戌亥「え?どしたの真守ちゃん?」


真守「戌亥先輩の…左手…焦げてますけど」


戌亥「え?」


戌亥の左手には鬼の籠手が宿っていた。


_______________


1-3 “白炎と籠手と、俺”


「戌亥先輩の……左手……焦げてますけど」


真守の声で、ようやく“今”に引き戻された。


戌亥「え?」


視線を落とす。


左手の甲から肘にかけて、黒鉄と紅の文様が絡みつくように浮かんでいた。 炎で焼けただれたみたいな質感なのに、熱はない。 むしろ内側から、心臓の鼓動と同じテンポで“何か”が脈打っている。


ギン子が、目を細める。


ギン子「……あなたの記憶の中で見たお友達さんの…」


戌亥「鬼の…籠手…」


真守は半泣きのまま、じっとそれを見つめていた。


真守「さっき……ぬいぐるみが光って……  その後、先輩の左手が、こんなふうに……」


彼女の足元には、白い犬のぬいぐるみが転がっている。 綿が飛び出したりはしていないけれど、どこか“役目を終えた”みたいに力が抜けていた。


ギン子は静かに頷く。


ギン子「犬童さんの“呪い”と“祈り”、

真守さんの想い、そして島から取り込んだ炎の術式……。

それらがこの山の神気と混ざり合い、“籠手”として形を取ったのでしょうか…。」


戌亥「……犬童の、祈り……」


左手をゆっくり握る。 「断罪しろ」「燃やせ」という、あの耳障りな声はしない。


代わりに、あのやかましい関西弁が聞こえてくるような気がする。


『なんっっでやねん! お前が壊れていいわけあるかアホ!』


思わず口元が歪む。


戌亥「……まったく。相変わらずうるさいやつだな」


真守「えっ、先輩、今ちょっと笑いました?」


戌亥「…笑ってないよ!」


ギン子は、そんな二人を見て少しだけ安堵したように微笑んだ。


ギン子「術式の全貌も、おおよそ見えました。  “天命”“使命”“運命”の三つが、あなたをそれぞれ別の方向へ引っ張っていた。 ですが──」


ギン子は、戌亥の胸元を指す。


ギン子「あなたの中心にあるのは、“根源術式”です。

2つも異質な術式が書き込まれたせいで不安定にはなっていますが…」


戌亥はしばらく黙っていた。


(俺は式神で、生きた死体の延長みたいな存在で、

復讐と従属と憤怒の術式に振り回されていた)


(それでも──)


戌亥「……仮に誰かに刻まれた術式だとしても、、救える人を救いたいです。」


ギン子と真守が、同時にこちらを見る。


戌亥「犬童を殺したフードの男が何者なのか。

仮面の男たちが何をしようとしてるのか。


特異対策局や祈りの輪が、何を目指してるのか…。


特異対策局に入って、たくさんの苦しむ人たちをみてきました。」


戌亥「今までは全部、“誰かの術式"で動いていたかもしれない……。

それでも、少しでも僕の手で救えた人たちのことは、後悔してません。」


右手の黒紋が、静かに脈打つ。 左手の鬼の籠手が、それに呼応するように微かに光った。


戌亥「復讐だけじゃなくて、  “ちゃんと自分の目で、理由を知りたい”。

これからは自分の意思で、人を救いたいんです…… 」


真守は、堪えきれずに目元をぐしぐしこすった。


真守「…戌亥…さん…!」


ギン子はゆっくりと頷く。


ギン子「……では、ひとつ提案があります」


戌亥「?」


ギン子「今のままでは、あなたの力は大きすぎて不安定です。  “怒り”が少し傾けば白炎が暴走し、 局に刻まれた“使命”が揺れれば、また誰かの駒になってしまうかもしれない。


そもそも、今のままでは自分の意思というものも危うい」


狐たちが、すっと姿勢を正す。


ギン子「意思を得て、自由を得るために___

術式を組み替え直しましょう。」


戌亥は一瞬、言葉を失った。


術式を…組み替え直す?


真守が期待と不安が混ざった顔でこちらを見上げる。


真守「……それは…どういう?」


ギン子「今、あなたは天命となる顕現術式に対して、使命、運命の術式が影響を及ぼしながらギリギリのバランスを保っています。


少しでも怒りに飲まれたり、

絶望すればいとも容易くバランスは崩れてしまう。


…であれば、1つ。

改めて本当の根源術式を記し直すのです。」


ギン子「そしてその術式に"自由"というあなた自身の意思を組み込むのです。」


真守「自由…意思…!やりましょう!先輩!」


戌亥「…真守ちゃん。」


戌亥「……お願いします。

俺は人間じゃないかもしれない…だけど、自分は自分であるって周りが肯定してくれることに恥じないくらい、

僕自身が肯定したい。」


ギン子「わかりました」


ギン子は尾を揺らし、狐たちへと合図した。


ギン子「とはいえ、私達狐の一族は術式冥冥は専門外です。

一旦、暴走をしないよう、あなたの使命と運命の術式を小さく抑え、天命の術式の支配下に置かせます。」


真守「支配下…?」


ギン子「簡単に言えば、優先度を少し調整するといった具合でしょうか。」


ギン子「その上で、術式冥冥の…

式神を専門に扱っている方々をご紹介します。

そこで本当の、、術式組み替え

いや、戌亥 隼人という術式結合を行いましょう。」



---


◆ 幻覚の狭間 ─ 白炎と籠手


視界がゆっくりと、墨を垂らした水のように滲んでいく。


社の柱も、天井も、蝋燭も溶け、

代わりに現れたのは、境界のない灰色の空間だった。


地面も空も曖昧で、“上”も“下”も分からない。


戌亥「……また、変なところだな」


ギン子の声だけが、遠くから響いてくる。


ギン子《ここは狐の幻覚が織りなす“狭間”。

万が一ここで大怪我を負っても、現実の身体は無事です。  ですが、心が折れれば……術式は、再び歪むかもしれません》


真守の声も聞こえる。


真守《せ、先輩……がんばってください……!

私も、別室で祈りの修行を受けてきます……っ》


戌亥「……別室?」


ギン子《真守さんにも、“祈りの素質”があります。

犬童さんの力が宿ったぬいぐるみを作れたのは、偶然ではありません。


あなたを“繋ぎ止めてくれる存在”として、彼女自身も鍛えたい…と。あなたを支えられるように》


(真守ちゃん……)


心のどこかで、ほっとする。


(俺ひとりだけじゃないのは……正直、ありがたい)


そのとき、


「──よぉ」


灰色の空間に、ひとりの“戌亥”が現れた。


自分と同じ顔、同じ背丈。 だが、その目は冷たく濁っている。


「フードの男を殺す。

 徹底的に…追い詰める。」


“使命”の声だ。


続いて、別の“戌亥”が現れる。


白炎を全身にまとい、目の奥が真っ赤に爛れたような男。


「全部燃やせばいい。

 呪いも、祈りも、人間も、関係ない」


“運命”の声だ。


最後に、すこし情けない顔をした“自分”が現れた。


「俺は……人を助けたい。

 でも、怖い。失敗したくない。 誰かに言われた通りにしてれば楽だし……」


逃げ腰の“天命”だ。


戌亥「……何人出てくるんだよ、俺」


ギン子の声が静かに重なる。


ギン子《それぞれが、あなたの術式に刻まれた声です。

あなたはあなたとして、彼らを支配し、屈服させるしかない》


“使命”の戌亥が、冷笑した。


「フードの男を殺さないのか?

 犬童が死んだ意味は?」


戌亥「……殺すかどうかは、会ってから決める。

まずは、あいつのことも、世界のことも知りたいんだ。」


自分でも驚くくらい、すっと口から出た。


戌亥「何も知らないまま殺したって、また誰かに利用されるだけだ。

“誰の意思”で殺すのかも分からないまま、かもしれないしな」


“運命”の戌亥が鼻で笑う。


「世界なんて知ってどうする。

 裏切りと不条理と、不平等しかない。

それよりも壊せば良い!

壊せば、苦しみも、絶望も無い世界だ!」


戌亥「……それでも、誰かを助けたいって思う自分が、どうしても消えなかった。」


戌亥は右手を握る。


黒紋がじわりと光り、白い炎が爪の先に灯る。


戌亥「怒りも、復讐も、全部“俺のもの”として使う。  誰かの術式の、命令のままじゃなくて。

"僕が"使う」


“逃げ腰”の天命が、震えながら口を開いた。


「……怖いよ」


戌亥「知ってるさ。」


小さく笑う。


戌亥「でもさ、もう俺は、あちこちに手を突っ込んじまったからな」


天命「こわいよ。こわい…誰かを救おうとして、あといっぽのところで助けられなかったらどうするの。

ぼくは、、犬童くんのこと、たすけられなかったんだ。


自分の天命を、実行できないくらいなら…」


右手の白炎が、少しだけ大きくなる──


運命「そうだ。現にお前が救いたいって言う奴らを見ろ!!

今まで陰ながら救ってきたお前に対して、奴らはどうした?

世間から非難され、中傷されたのはだれだ?」


使命「そんな奴らのことはどうでもいい…。

フードの男を殺す、そして呪いも片っ端から根絶する。


救いたいのなら、それが一番手っ取り早い。」


戌亥「そうだな。それが一番早いかもな。

でも…」


「お前はお前や! 戌亥隼人!」


犬童の声が、どこからともなく響く。


左手の鬼の籠手が、ずしりと重みを増した。


犬童「ワイらはワンワンコンビや!

せやけど、狂犬でも忠犬でも…ましてや負け犬でもない。


誇り高き狼の血をもっとるんや。」


戌亥(狼の…血。)


犬童「戌亥 隼人!お前に救われた人が、今度はお前を救おうとしとるんや。

そんな人たちに対して、どう思う?」


戌亥「俺は…ぼくは…

僕は、自分の目で見て、自分で聞いて、感じて、、


そして自分の手で、一人でも多くの人を救いたいんだ!」



---


1-4


次の瞬間、景色が変わった。


無数の“呪霊もどき”が、灰色の空間を埋め尽くしている。 戌亥が今まで見てきた怪異たちの、劣化コピーのような存在だ。


運命「ならば救ってみせろ。」


怪異たちが一人の少年に襲いかかっている。


戌亥「…わかった。だから、お前たちも、俺を支えてくれ。」


まだどこか納得はいってないような表情をしながら

ゆっくりと3人の戌亥は消えていく


そして身体中を白炎が纏い

手には鬼の籠手が装着される。


白炎は絶望と憤怒の炎。

鬼の籠手は救いと守護の怪力。


今までは復讐の使命で"使わされて"きた力。


「燃やせ」「もっと」と脳裏で囁く声を、 一つずつ“自分の声に翻訳し直す”。


(ここで燃やす。ここでは燃やさない。

 ここは殴る。ここは受け止める)

呪霊もどきを蹴散らしながら

それでも中心の少年は傷つけないように調整する。


戌亥「君、大丈夫か!」


少年「あ、ありがとうっす…!お兄さんは…?」


戌亥「僕は⋯僕は戌亥隼人。君を助ける。」


目の前に、仮面の男たちの姿をした幻が現れた。


赫。 叢咲。 蒼。


胸の奥がぐらりと揺れる。


戌亥「……ッ」


反射的に白炎が膨れ上がりかけ──


そのとき、左手の籠手が重く引いた。


犬童『おいおい、ここで暴走したら台無しやで。

 “今”勝てんでもええ。勝てるようになるために、今頑張るんや。』


戌亥「……分かってるよ。」


深く息を吐く。


戌亥は鬼の手を地面に着けて

クラウチングスタートの要領で構える。

片方の手で少年を抱き上げ

ジェット噴射の白炎で

全身に白い炎の毛並みを纏いながら


全速力で走りだす。


戌亥(今はまだ、仮面の男たちには勝てない。それなら、、、!


今は逃げる!!!)


赫の爆発

叢咲の雷電


そして蒼の声すらも置いていくスピードで駆ける


ギン子《素晴らしいです。まるで、白銀の狼のようーーー。》


爆発が掠め足を焼く

紫電が頬を焦がす

蒼の声が⋯遠くから聞こえてくる気がする。


それでも、少年だけは守る。

しっかりと抱えながら、駆け抜け、少しずつ分かってくる。


白炎はただの憎悪や憤怒ではない。 “想いに反応する火”だ。


鬼の籠手は、ただの暴力ではない。 “受けた想いを拳に変える器”だ。


(俺の中に刻まれた術式は、誰かの都合で書かれたとしても──

 今、ここでどう使うかだけは、俺が決められる)


そう思えた瞬間、狭間の空が少しだけ明るくなった気がした。



---


◆ 真守の祈り


どれくらい時間が経ったのか分からない頃。


遠くから、柔らかい声が聞こえてきた。


真守《……痛いの、少しだけ軽くなれ。

 怖いの、少しだけ和らげ》


祈りの文句としては、決して洗練されていない。 それでも、その一言一言に、変に技巧のない“本気”がこもっている。


微かな光の粒が、狭間に差し込んだ。


ギン子《真守さんの祈りが、少しずつ形になっています。

素晴らしい想いの総量です。》


実際、膝に走っていた痛みが少し和らぐ。 心臓の鼓動も、乱れではなく“リズム”に近づいていく。


戌亥「……助かるよ。」


真守《さっきからずっと思ってましたけど!

先輩、ちゃんと痛いときやキツイときは“助けてください”って言ってくださいね!》


戌亥「……助けてください」


言ってみると、案外、悪くなかった。



---


◆ 狭間の終わり


走り続けて、少しずつ呪霊や仮面の男たちを引き離し

気づけば最後の幻が霧散し、灰色の世界がゆっくりとほどけていく。


社の天井、蝋燭、木の香りが戻ってきた。


戌亥は、仰向けに倒れていた。 全身が鉛みたいに重い。


真守「戌亥先輩!!」


真守が飛び込んできて、顔を覗き込む。


真守「大丈夫ですか!? なんか、“痛いの半分こ”みたいにしたつもりなんですけど……私も全身バキバキで……」


戌亥「……じゃあ、成功してるんじゃないか、それ」


少し笑うと、 真守もほっとしたように笑った。


ギン子は二人を見下ろし、満足げに頷く。


ギン子「術式のバランスは、さきほどより幾分ましになりました。  まだ危うさはありますが……もう、使命と運命に翻弄される“ただの駒”ではない」


戌亥「駒、ね」


ゆっくりと身を起こす。


右手の黒紋は、静かに、穏やかに脈打っている。 左手の鬼の籠手は、さっきより軽く感じる。


戌亥「……俺は戌亥隼人で、

祈りでも呪いでも、式神でもあるけど……」


少しだけ言葉を選ぶ。


戌亥「“俺のまま”世界を見に行くよ」


真守「はいっ。私も一緒に行きます」


ギン子は小さく笑った。


ギン子「ならば、あとは外の世界で確かめるだけですね。  特異対策局も、祈りの輪も、仮面も、フードの男も──」


ふと、耳がぴくりと動いた。


ギン子「……幻留げんるの“縁”が、揺れていますね」


戌亥「縁?」


ギン子「外の尾行者たちを彷徨わせていた幻覚です。

ひとり、境目まで辿り着いた者がいる」


真守がごくりと唾を飲む。


真守「それって……」


ギン子「恐らく、戌亥さんを尾行していた特異対策局の者が来ます。

──あなたが、“戻る場所”を選ぶ刻です。」


狐たちが、静かに戌亥を見つめていた。


戌亥は、右手と左手を握りしめる。


白炎も、鬼の籠手も、もう以前ほど怖くない。


戌亥(特異対策局。祈りの輪。仮面の男。フードの男。

 僕が何者なのか、この世界が何になろうとしてるのか──)


戌亥「……全部、自分の目で確かめに行きます。」


そう呟いたとき、 黒紋も、籠手も、ただ静かに応えるように脈打った。


――第4節 終

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