パン勇者の噂
森を抜け、俺たちはゆっくりと街道を歩いた。
陽は傾き始め、赤く染まった光が影を長く伸ばす。
背中には汗と血の臭いが残り、全員の息も荒い。だが、その歩みは確かに誇らしかった。
リオが担いでいる袋には、討伐の証となる狼の牙や毛皮がぎっしり詰まっている。
その重みは、俺たちが「生きて帰った」という証でもあった。
「これだけ証拠があれば、ギルドも文句ねぇな」
リオがにやりと笑い、俺の肩をどんと叩いた。
「……正直、あなたがいなければ危なかったわ」
アイリスが無表情のまま、ちらりと俺を見た。
「パンを食べてからの、あの魔力の暴走。あれは常識では説明できない」
「いや、暴走って言うなよ」
俺は思わず苦笑する。
「ただ……なんか、パンを食うと力が出るんだよ」
「それ、アンパンマンですか?」
横でシルフィエルが首を傾げ、きょとんとした顔で言った。
「やめろ! その例えはやめろ!!」
俺は全力で否定する。
リオとアイリスが同時に吹き出すのが聞こえ、妙に恥ずかしくなった。
⸻
街の門が見えてきたころには、俺の心臓は別の意味で高鳴っていた。
「もし失敗して戻ってきたら……」
そんな不安がずっとあった。だからこそ、達成できた今でも信じられなかった。
「大丈夫だ。俺たちはやり遂げた」
リオが小さく呟く。
その背中がやけに頼もしく見えて、俺は少し笑った。
ギルドに戻ると、広間は冒険者たちで溢れていた。
酒の匂い、笑い声、武具がぶつかり合う金属音。
そのざわめきの中で、俺たちが受付に進むと自然と視線が集まった。
「……帰ってきたぞ」
「依頼、成功したのか?」
「いや、まさか。あの新米パーティが?」
訝しむ声があちこちから飛ぶ。
受付嬢が証拠を一つひとつ確認していき、やがて大きく目を見開いた。
「間違いありません! 赤印依頼、街道の魔獣群れ――討伐成功です!」
広間がざわめきに包まれる。
「おい、本当にやったぞ!」
「赤印を新米が……だと!?」
「いやいや待て、どうやって勝ったんだ?」
冒険者たちの視線が一斉に俺たちへ注がれる。
心臓が跳ねた瞬間、誰かが呟いた。
「……聞いたぜ。戦闘中にパン食って、全回復したらしい」
「は?」
一瞬、広間が静まる。
次の瞬間、爆発したような笑いが響いた。
「パン食って戦うのかよ!」
「なんだそりゃ、新しいスタイルだな!」
「おい、そいつはもう勇者じゃなくて……パン勇者だろ!」
どっと笑いと囃し立てる声が広間を埋め尽くす。
俺は顔を覆った。
「なんでそうなるんだよ……」
リオが腹を抱えて笑いながら俺の背中を叩いた。
「ははっ! いいじゃねぇか、“パン勇者”! インパクト抜群だぜ!」
「勇者っていうか、パン職人の二つ名に聞こえるんだけど!?」
アイリスは肩を震わせ、今にも吹き出しそうなのを必死でこらえていた。
「……パン勇者。くだらないけど、広まるのは早そうね」
「パン勇者……素敵です!」
シルフィエルは本気で感動している顔をしていた。
「ユウトさんらしい、優しくて力強い二つ名です!」
「いや、褒めるなよ!」
俺は思わず叫んだ。
⸻
夜、宿の部屋。
ベッドに倒れ込んだ俺は、天井を見つめながら大きく息を吐いた。
街全体が「パン勇者」の話題で盛り上がり、耳が痛いほどだった。
「……勇者か。パン勇者ねぇ」
バカみたいな呼ばれ方だ。
けれど、それでも。俺たちは確かに街を救った。
人々が笑って噂できるのは、街道の危機が去った証拠だ。
「……悪くないかもな」
そう呟いた俺に、シルフィエルの声がそっと届いた。
「ええ、とても素敵です。だって、あなたはパンで世界を救える人なんですから」
その言葉に思わず笑ってしまった。
本当に救えるかどうかなんてわからない。
けれど、少なくとも“仲間と共に戦った初めての成果”はここにある。
胸の奥に、小さな誇りが確かに芽生えていた。
――こうして俺は、街の人々から「パン勇者」と呼ばれるようになった。
奇妙で間抜けな、だが忘れられない二つ名と共に。
次なる冒険は、まだ始まったばかりだ。