おまけ 甘い毒 クラーナ視点
おクスリ、ダメ、ゼッタイ。
昏く、永い眠りであった。
何も見えず、何も聞こえず。
ただ、ただ、時間ばかりが過ぎていくのを感じていた。
しかし、その日は珍しく何かの存在を感じた。
何かが……近くに居る気配を。
「こっちじゃ……」
妾は呼び掛けた。
血の気配がする。これは、目覚めるチャンスかもしれぬ。
「その血を……寄越せ」
「その魂を……寄越せ」
「貴様から流るるその魂を……妾に寄越せ!」
その瞬間、その何かが、妾に触れた。
その者の血が、妾に触れた。
「そうだ、それでいい」
──ようやく、目覚める。
昏い世界が、拓かれていく。
光を取り戻し、音を取り戻し、
妾は世界を、取り戻した。
………………
…………拓かれた世界で最初に見たのは、一人の男であった。
とても長い黒髪と、丸い眼鏡、そして、どこか妖しい雰囲気を放つ目。
右腕からは芳しい血の匂い香る、どこか危険な魅力を持つ人間であった。
「……素晴らしい」
つい、そう呟いてしまう程に。
不思議だった。
あれ程憎く、忌まわしく思っておった筈の人間に、これ程心奪われるとは。
見れば見る程に心が高鳴る。
……決めた。この男は眷属にする。
妾だけのものにする。もう何処へも行かせるものか。
そうして、妾は目の前で跪く男の顎をもたげ──
──チュッ……。
契約の、口づけを交わした。
「これで、貴様は妾の眷属じゃ」
「そなた、名をなんと言う」
妾は彼の者の名前を聞いた。
……そういえば、名を聞く前に口づけするとは、妾もずいぶんとまぁ血走ったものよ。
男が口を開く。
「……私の名は"ドゥーメイ"と申します」
「ただのしがない、薬師でございます」
「ほう。ドゥーメイ、か。ふむ」
ドゥーメイ……聞き馴染みの無い名だ。
どこか異国の生まれなのだろうか。
妾も、ドゥーメイへ自らの名を告げる。
「妾の名は"クラーナ・ヴェルクリム"」
「貴様ら人間が"魂を喰らう魔物"と呼ぶものじゃ」
"魂を喰らう魔物"。
そう、かつての人間共は妾をそう呼び、ちょくちょく軍を差し向けてきおった。
何度か軽くあしらってやったが、まさか封印までされるとは思わなかった。
今思い出すと腹が立ってくる。
「全く、永いこと眠らされたものよ。人間共め」
「やはり、本気で滅ぼした方が良かったかとも思ったが……」
「まぁ、善いだろう」
……しかしまぁその結果、今、ここで、ドゥーメイという素晴らしい男に出逢えたのだ。
それに免じ、今までの事は水に流してしまう事にした。
「これから、宜しく頼むぞ。ドゥーメイ」
ああ、今から楽しみじゃ。この男と過ごす永遠が。
さぁ。妾の名を呼ぶが良い。それにより、真に契約は果たされる。
「はい。クラ────」
────バァン!
「こんなトコに居やがったか……ドゥーメイ……」
…………なんじゃと……?
妾は一瞬、何が起こったのか理解出来なかった。
「……ここまでは来ねぇとでも思ったか?」
「俺達は裏切り者を許さない。何処までも追い詰めて──」
まさか……まさか……
ドゥーメイと妾の、この神聖な儀式に……水を入れられたじゃと……?
──いや、理解したくなかったのやもしれん。
なんせ、誰しも処女は大事にしたいものである。
それを捧げる瞬間を台無しにされたというのは、かなりのショックであった。
「……貴様ら……」
この猿、いや、猿以下の愚物共が。
決して生かしておくものか。
「……せっかくの神聖な時間に……割り込みおって……」
「あ?なんだあのガキ」
「……まぁ良い、嬢ちゃん。ケガしたくなきゃあ──」
もう1秒たりとも、妾はその汚い声を聞きたくなかった。
妾は大剣を生み出すと、あの愚物共の首目掛けて全力で投げつけた。
妾の剣が、奴等の首を刎ね飛ばしていく。
その光景に、最早何の感想も湧かなかった。
とっとと死ね。ただそれだけであった。
「…………はっ?」
余りを排除するため、妾は奴等の集団の中心へと移動する。
そしてただ一心を込めて剣を振っていった。
──死ね。死ね。死ね。死ね。
とっとと死ね。妾の時間大切な時間を返せ。
……気付いた時には、首の無いゴミと、胴体が真っ二つに別れたゴミが転がるばかりであった。
「……全く、この下郎共が」
ふつふつと、人間への怒りが再燃する。
「やはり人間は嫌いじゃ。忌まわしい」
「ドゥーメイが人間でなければ、今すぐにでも皆殺しに行く所じゃったわ」
しかし今はドゥーメイの方が先じゃ。
「こんな者共の血など、啜る価値も無い」
妾はゴミ共の血等目にもくれず、彼の元へ戻っていく。
せめて少しでも、この怒りを取り繕うようにしながら。
「さて、気を取り直して──」
最悪の邪魔が入ったが、真なる契約はしっかり行わなければな。
妾は契約を仕切り直した。
「これから、宜しく頼むぞ。ドゥーメイ」
彼も、優しい顔で言葉を返す。
「はい。こちらこそ、宜しくお願いいたします」
「クラーナお嬢様」
満月が辺りを照らす、とても静かな夜。
妾は、最愛の眷属を手に入れた。
◆◆◆
……さて、もう良い頃合いじゃろうか……?
「それで……それでじゃな……?」
先程から、その芳しい血の匂いが妾を誘惑してならない。
無理やり襲ってもよいのじゃが、どうにもこやつにそうはしたくない。
なので妾は彼の許可が出るのを期待し、こう言った。
「妾は生き物の体液を啜って生きておるのじゃが……」
「永いこと封印されておったから……腹が減って仕方無いのじゃ」
すると彼はただ優しく笑い──
「私は貴女の眷属なのです」
「どうぞ、遠慮なさらずに、お召し上がり下さい」
そう言って、右腕を妾へ差し出した。
くひひ。やった。
妾はつい嬉しそうに彼へと駆け寄る。
そして、主としての立場も忘れ、膝をついて彼と目線を合わせると、そのまま、彼の右手、その人差し指を咥えこんだ。
──ちゅぱ、ちゅぱ。
……!なんじゃ、この血は……
───れろ、れろ。
こんな旨い血は啜った事がない。
それに……なんじゃ、この……幸せな気持ちは……?
妾はつい卑しくも、指と指の間の血まで丹念に舐めてしまった。
その頃には、もう脳が快楽に包まれるような感覚がしていた。
「ああ……旨いのぅ……♡」
そう呟いた妾の声は、どこか艶を帯びていたように思う。
「むぅ、邪魔じゃ」
腕に流れる血も余さず啜る為、妾は彼の服に手を掛ける。
そして果実の果肉を露にするように、彼の服を1つ1つ剥いていった。
──れぇぁ………。
服を剥いて右腕を露にすると、舌を伸ばして血を拭い取っていく。
腕を伝う1本の線を逆行するように。
だんだんと彼の顔も近くなってくる。
妾の顔をじっと見て、鼻息を荒くしておるようであった。可愛い奴め。
そうしてとうとう、妾の舌が流るる血の源へと到着した。
くひひ。ここか♡
妾は興奮に突き動かされるように、夢中でその傷口を舐めていく。まるで犬のようじゃ。
しばらく舐めていたら、いつの間にか血は止まっていた。
ふぅ……もうよいじゃろう。
妾は今まで味わった事の無い、最高の食事を終えた。
「はぁ……♡ふぁ……♡」
蕩けてしまうような、頭がふわふわしてくるような……
「……どうでした?私の血は」
ドゥーメイが口を開く。
妾は素直な感想を述べる事にした。
「うむ……とても濃厚で……蠱惑的で……」
「心奪われるような……そんな甘い味じゃった……♡」
しばらくこの余韻に浸っていると、彼が質問を投げて来た。
「そういえばお嬢様、日光は大丈夫ですか?」
……ふと気付くと、どうやら夜が明けてきていたらしい。
妾は答える。
「……ふん。妾を吸血鬼なんぞと一緒にするでない」
「しかし……朝がくると眠たくなる。少し、休むとするかの……」
「そうですか、では……」
彼は適当に服を着直し、立ち上がろうとしていた。
しかし妾はもう少し甘えたい気分じゃ。主らしい態度を取るとしよう。
「ん」
妾はドゥーメイへ向け両手を広げる。
「運べ」
少しの間をおいて、彼はそれに応えた。
「ええ。なんなりと」
彼が妾を抱える。
暖かい。とても安心する。
小さい妾は、彼の男らしい腕に抱かれて、寝室へと運ばれていった。
◆◆◆
………ん?誰かおるのじゃろうか……
あの後から色々あり、今妾はベッドにて休んでいる最中であった。
封印で無理やり眠らされるのとは違う。とても心地の良い眠りだ。
しかし、何かの存在を感じて目を覚ましてしまった。
……これは多分、先程眷属にしたあの男……ドゥーメイであろう。
何をしに来た……?まさか……
妾の心が高鳴る。夜這いでもしに来たのだと思ったのだ。
寝たフリをしてそのまま待つ。さて、どう来るか……
そうこうしていると、ドゥーメイは妾の腕に触れる。
「……んっ……ふぅ……」
そして、何か腕にチクッとする痛みを感じた。
ドゥーメイ?何を……
私はつい寝たふりを忘れて目を開いてしまう。
しかし──
あ……ぇ……?
その瞬間、妾の意識は夢へと連れ去られてしまった。
あたまが、ふわふわする。
きもちいい。きもちいい。きもちいい。
それしか、考えられなくなるような……
……まぁ、妾は仮にも神に等しい存在じゃ。この程度の毒なぞいつでも解毒出来るし、毒でふわふわしたした思考とはまた別に、冷静に思考することも出来るが……
とりあえずは、愛する僕のくれたこの毒を楽しむ事にしよう。
「くひひ……♡どぅーめい……♡どぅーめい……♡」
彼の顔が見える。妾はつい彼の者の名を呼んでしまった。
まるで主に媚びる雌犬のような、主としてあるまじき無様な姿であった。
しかしそれを自覚したことで、妾はあろう事か更に発情してしまった。
ああ……これは……ダメだ……♡
ドゥーメイが妾へと覆い被さり、頬に触れてくる。幸せで幸せでたまらない。冷静な思考にも入り込む程の快楽だった。
もう我慢出来ぬ。早う来てくれ……♡
またも無様に媚びると、彼の唇が妾の唇へと重ねられる。
──ちゅ、んむ、ちゅぱ。
ああ……善い……とても善い……♡
妾に毒を盛っておいて、こんな優しい口づけをするとは、なんとまあ愛い奴じゃ。
もっと、もっと、ほしい。
しかしまぁ、これも善いが、妾はもっと激しいのが欲しかった。
なのでおもむろに彼の頭を両手で掴むと、今度は舌を入れた激しい口づけを交わし始める。
──んむ、ちゅる、ちゅぱ、れろ。
彼の舌と唾液、妾の舌と唾液が密接に絡み合う至福の感覚。
ああ、うまい。うまい唾液じゃあ……♡
……妾の栄養の源は、人間の体液じゃ。決して血でなくてはならない理由は無い。
しかし、体液は命に近いものほど意味がある。つまり血じゃ。
……一応精液も、血と同等以上の価値があるのじゃが……
……それはまた、今度でよいじゃろう。
一通り深いキスを楽しむと、ドゥーメイが妾の瞳をじっと見てくる。
なんと美しく、とても、とっても愛い奴じゃろう。
妾は少し挑発するように、彼を誘ってみた。
すると、彼は妾の胸へと触れてくる。
ふふ……♡そうじゃ……♡それでいい……♡
妾の胸を愛撫し、弄る手。
とてもここちのよい──あ"っ♡
時折、冷静な思考までもが揺らぐ快楽に襲われる。
しかし時折与えられただけの快楽は、じきに絶え間なく与えられつづ……あっ♡もう……むりじゃ……♡
「んんっ……!……ああ……♡おおぉ……♡」
……もう妾の脳にはこれでもかという位、自らの僕に無様を晒すという快楽を叩き込まれてしまった。
──あ"♡え"ぅ……♡お"ぉ……♡
もうひとつの思考は、毒の快楽と身体への快楽で既にグズグズだった。たまに意識を集中させるとそのまま帰ってこれなくなりそうじゃ。
そんな事を考えてつつ、しばらく余韻に耽っていたら……
……?何じゃ?何を……
ドゥーメイの両手が、妾の首を捉えた。
そして……
「ぐっ……!なっ……!」
その両手で、そのまま強く絞め付けてきた。
これには流石に驚いた。
妾は彼の顔を見る。
その瞳は、実に快楽を求むる瞳であった。
薄く笑う口から漏れる息はとても荒く、興奮しておるようだ。
なんと。
なんとなんとなんとなんとなんと。
貴様という奴は、何処まで愛い奴なのじゃ♡
か弱い人間の身でありながら、無謀にも妾を壊そうとしておるようじゃった。
それに殺意や怒りから等ではない。ただ己が快楽の為に。
───もう、よいじゃろう。
妾は決めた。今より意識をひとつにすることを。
彼の者が与える快楽と苦しみを、真っ向から味わう事にしたのだ。
これからどんな無様を彼に晒すのか……今から楽しみで仕方がない。
そうと決まればさっそく───あ"♡これ♡む"り"♡…………
お"お"おぉ♡ぐるじ……ぐううっ♡
こわれりゅ…………♡あ……たま……と………ぶ……ぅ……♡
あ"……♡い"っ……♡こ"わ……じて"……♡
わら……わ……♡こ"……わ……♡
…………お"…………ぉ…………♡
…………ぉ………………♡
………………♡
………………………
……………………………
…………………………………?
どうした…………?死ぬ瞬間の"あの"感覚がせぬ……。
代わりに感じたのは、脳が解放されてふわっとする感覚だった。
とりあえず妾は状況を確認するため、毒を解毒して意識を取り戻す。
すると目に入ったのは、とても美しいあやつの顔であった。
妾を絞めた時とはうってかわって、どこか覚めてしまったような顔じゃった。
「……ドゥー……メイ」
最後までやらなくて、良かったのだろうか。
妾は彼へ話しかける。
「止めてしまって、良かったのか……?」
「えっ……?」
……いや、もしかしたら、妾を殺すやもと恐れてしまったのかもしれん。全く、またしても愛い奴じゃ。
妾は彼を安心させるためこう言った。
「……妾は死なぬ。何をしても、決してな」
「殺す位でやってしまっても構わぬぞ……♡ドゥーメイ……♡」
ドゥーメイは呆気にとられた顔をしておった。
そしてそれはじきに笑みへと変わった。
妾は彼を更に誘ってみる。
「……して、どうする?ドゥーメイ?」
「妾はもう少し戯れてもよいのだぞ?」
「……あっ、でもやるつもりならもう一度あのふわふわする薬を…………」
「……いえ、今回の所は打ち止めにしておきましょうか」
「続きは、また、夜が更けてからにでも」
……全く、焦らしてくれるものよ。
とりあえず今は"次"を楽しみにすることにして、彼に食事を要求した。
「ふむ、まぁよかろう」
「それでは……食事をするとしようか?」
彼はただ頷いて笑う。
「ええ……承知いたしました」
そして、ゆっくりと服のボタンを外し、その首元を差し出した。
妾は、彼をしっかりと抱き締めると、そのままぐるっと身体を回し、彼の上へ乗った。
もう我慢出来ぬ。妾はすぐにそのうまそうな首筋へと噛み付いた。
──ちゅう、ちゅぱ、ちゅう、ちゅ。
血を吸う最中、ドゥーメイは妾の頭を撫でてくる。
なんと幸せな食事であろうか。
……それにしても、やはりこの男の血は旨い。
それは好いた男の血であるからという贔屓目もあるだろう。
しかし、確実に他の猿どもとは違う"質の良い血"であることは確かだった。
そして、そこに加わるこの脳を侵略するような甘い快楽の味。
今なら分かる。そうか、これは──
「……お味はいかがですか?クラーナお嬢様」
彼が味の感想を求めてくる。
妾は、この味の正体を答えた。
「……ふふっ昨日と変わらぬよ」
「甘くて、魅力的な、毒の味じゃ♡」