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#04 沈む邸宅

 翌日。

 相も変わらず、人気(ひとけ)のない郵便局には愉快な鏑木の声が響いていた。


「今日は、響ちゃんのとこだけだ。楷くん頼んだ」


 鏑木は楷の肩に手を乗せ、手紙の宛名を見せた。


「本当に、僕に出来ることは何も無いですよ」


 そう言って楷は、力無く鏑木から手紙を受け取った。

 ゆったりと自分のデスクに戻っていく鏑木は、わざと大きな声で「今日も暇だな。ジジイ一人で十分だ」と、案にゆっくりして来いと言っていた。


「……もう、分かりましたよ。少し話すだけですからね」


 鏑木は目尻に皺を寄せ「行ってこ〜い」と、楷を見送った。


 楷は鞄に手紙を仕舞い、赤いバイクに(またが)った。


「青谷さん……」


 俯き加減でバイクのエンジンを掛け、静かな邸宅へ向かった。


    *


 昨日と何も変わらない、静寂に包まれたその別荘のベルを鳴らす。

 楷は帽子を目深に被り、習慣で声を張り上げた。


「郵便です」


 そのすぐ後に、昨日鏑木から聞いた話を思い出したのだった。

 開いたドアから現れた響にいつもと同じ言葉を、いつもより少しだけゆっくりと伝えた。


「こんにちは。お手紙のお届けです。青谷さん宛でお間違い無いですか」


 そして響もまた、いつもの様に楷の口元をまじまじと見つめた。楷が話終えると響は、ほんの僅かに目を細め、軽く会釈をした。つられて楷も頭を下げる。


 いつもなら配達を終え、これで業務終了となるはずだった。何を話すでもなく、静かに立ち去るだけ。

 だが、今日の楷には鏑木からの『頼んだ』という重い言葉が伸し掛かっている。その為、どうもこの場から足が動かないでいた。


「……えっと」


 不自然な沈黙に、苦し紛れにそう呟くがその後に言葉が続かない。

 このままでは確実に不審な男になってしまう。楷はそう思いながら、帽子を阿弥陀(あみだ)に被り直した。


 そもそも最近の若い子は、急に郵便配達員に話しかけられて怖くないのだろうか。丈さんならまだしも、こんなどこの誰とも知らない男になんて、恐怖以外の何者でもないんじゃないだろうか。なんて思考を、楷はぐるぐると巡らせていた。


 考え出したら適切な解を導き出せるまで、発言出来なくなってしまうのが楷という男の融通の効かないところで、でも沈黙が続けば続くほど不信感が増すということだけは分かっているという、どうしようもない状況であった。


 楷が分かりやすく頭を抱えた。その時、響が楷の目線の位置で手を左右に揺らした。その手で楷は、視線を響に移す。

 響は片手を前に突き出し、五本の指を楷に見せた。ご飯を焦らされるペットへの()()の様だった。楷はよくは分からなかったが、静かに頷きその場で静止した。

 すると響は部屋に戻り、少ししてからまた何かを持って現れた。


 その手には、一枚の手紙。響はその手紙をしきりに指差し、楷の顔を見つめた。

 どうやら、響の母親からの手紙の様だ。指で差された箇所には、『遠慮(えんりょ)』という文字が(つづ)られていた。


「遠慮、がどうかしましたか?」


 響は楷の口を見つめ、スマホに何か打ち込んだかと思えば眉間に皺を寄せて首を傾げた。


「あ、えっと……」


 楷はポケットから紙とペンを取り出し、紙に記した。『えんりょ』と読み仮名をつけて。

 その文字を見た響は、目尻に皺を寄せスマホに文字を打ち込んだ。


『遠慮って、どういう?』


 そのスマホ画面を見て、楷はもう一度手紙に視線を移した。


「……意味ということですか? 意味ならいくつかありますが、この手紙の文面だと遠慮の後に『しないで』と付いているので言葉や行動、何かお母さんに対する要求を控えなくても良い。甘えてください。とかそんなところでしょうね」


 そう言い終えてから、楷はハッとしてまた紙に文字を(つづ)ろうとした。


 そんな楷の肩に優しく触れ、響はスマホ画面を見せた。そこには『音声読み取り』という文字と、楷がたった今話した内容が一言一句(たが)える事なく記されていた。


「あ、それで分かるんですね」


 楷のその言葉を画面で確認した響は、僅かに目尻を下げスマホに視線を落とした。響の指は凄まじい音を(かな)で、それと同時にほとんど話すのと変わらぬ速さで文字が打ち込まれていく。

 まさに、若者の()()だ。


『仕事、大丈夫?』

「あ、お気になさらず。ゆっくり行ってこいと、上司からの命ですので」

『いのち?』

「あ、命です。め・い。命令とか、指示みたいな意味です」

『何か、教師みたい』


 その言葉に、楷の胸は僅かに(うず)いた。


「……僕は、もう……」


 そんな楷の言葉は、部屋の中に入って行く響のスマホに読み取られることはなかった。

 響は振り返り、手招きをした。楷は躊躇いながらも、屋敷に足を踏み入れた。



 高価そうなソファに腰掛け、テーブルには似つかわしく無いペットボトルに入ったままのオレンジジュースが二つ、並べられている。


『これ、姉が好きなんだけどお母さんは、私も好きだと思ってていっぱい送ってくるんだよね。美味しいけど』


 そうスマホに打ち込んで、響はペットボトルを指で軽く弾いた。


「えっと……」


 響は楷の困惑には目もくれず、何やら軽快にスマホに文字を打ち込んでいる。


『人と話すの久しぶりで、ぐおーってなるね。ちょっと待ってね』


 そう記された画面を見せた響は嬉しそうで、こちらの頬までつい緩んでしまう様だった。


『いつもは人が来ても、もっと静かだから』

「それは何というか……気まずさ、みたいなものかと」

『気まずいよね』


 響は俯き加減で、テーブルに今まで貰った手紙を広げた。


「気まずさというのは、互いの気持ちがしっくりと合わず、不快なさまをいうんですよ。不快というのは少し違うかも知れないですが、それって、お互いの気持ちを知らないってだけだと思うんです。知っていけば良いと思います。きっと、これから変わることです」

『そうなんだ。本当に何でも知ってるんだね』


 そう打ち込んだ後、他にも分からない言葉が沢山あると、響は何通かの手紙を開き楷にに見せた。


 どうやら響はいつも、家族から沢山の手紙を貰うらしい。しかしピアノばかりで、ろくに勉強をしてこなかったせいか、言葉の意味を正しく理解出来ないそうだ。調べようにもその言葉の読み方、音が分からなければ入力が出来ず分からない言葉を、文字に出来ないのだ。

 だから返事を書こうにも、何を書けば良いのか分からない。響は楷に、そう告げた。

 初めの頃は、家庭教師をつけてもらっていたらしい。しかし耳が聞こえないことへの正しい配慮が、思いがけず響を少しずつ傷つけ、学びの羽をもいでしまったのだ。


 そんな彼女の話を聞いて、楷は思ってしまう。


 力になりたいと。もしかしたらこれが、正しく生きられる最後のチャンスなんじゃないだろうかと。

 共に歩み、寄り添う『先生』に、今度こそなれるんじゃないかと。そうなりたいと。


 そんな希望に似た身勝手な欲望が、過去に照らされている様だった。



 ——僕はもう、教師は辞めたはずなのに。

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