好きな女の子の家にお見舞いに行ったら彼女ができました
「もぉ!いいから早くカフェラテ買って来なさいよ!
今日からアンタは下僕なんでしょ?!」
「うるせぇ!分かったよ!買ってくるから、おとなしくソファに座って待ってろ!!」
叩きつけるようにして部屋のドアを閉める。
「ドアが壊れるでしょ!バカ塔耶!」
ドア越しでも充分に聞き取れる罵声を浴びせてくる光希に舌打ちをしながら、玄関でスニーカーをはき、俺はコンビニに向かって走り出した。
自転車は使えない。
昨日、光希にぶつかって怪我をさせてしまったから、怖くて乗ることができないから。
***
顔を合わせればすぐにケンカをしてしまうクラスメイトの光希は、いつも元気で一緒にフットサルもする女子っぽさのカケラもない奴だ。
かろうじて背中まで伸びたまっすぐな黒髪に女の子っぽさがあるくらい。
そんな奴だから、いつも気を使うことなく俺は光希と話すことができた。
時々、自分たちのやりとりがツボにハマって、爆笑してしまうから、なんとなく他の女子とは違う存在なんだなと思い始めていた。
そして、昨日もなんとなく2人で帰った後。
俺の自転車のカゴに光希のカバンを入れっぱなしだったことに気がついて慌てて道を戻ったら。
曲がり角で急に飛び出してきた猫を避けようとして、カバンを取りに俺を追いかけて来ていた光希にぶつかってしまった。
「光希!」
制服のスカートを広げて歩道に倒れ込んだ光希に、俺はずっと謝り続けた。
それは病院で治療を終えて、迎えに来た親と一緒に光希がタクシーに乗ってからも続いて。
「もういいから。腕とお腹の打撲で済んだし。入院しなくてもいいくらいなんだし」
「でも、ごめん。俺が、カバン忘れたせいだ。もっと注意していれば」
「あぁ〜!もお〜!いいから!」
「治るまで俺、なんでもする!」
「じゃあ!!治るまでわたしの下僕ね!言うこと聞きなさいよ!」
「わかった!言うこと聞くから、言ってくれ!」
「もう謝らなくていいから、もう帰って!はい!命令だから、聞いてね!
バイバイ!」
顔を真っ赤にしながら、俺にそう言うと、後部座席のドアウィンドウを閉めた。
そして、怪我をしていない方の手を大きく振って、光希はそのまま帰っていった。
もう謝らなくていいと言われても、俺の気が済まない。
それは翌日、光希が学校を休んだことで、さらに俺の罪悪感は膨らんだ。
授業が終わると同時に、俺は教室を飛び出して光希の家に向かった。
***
「だから、気にしなくていいってば。
塔耶の親からも連絡あったみたいだし」
「でも学校休むくらいなんだろ?
一応、今日の配布物とか色々持って来たけど……」
ヨロヨロとした足取りで俺を出迎えた光希は、「ひとりで大丈夫だから親も仕事に行ってるんだし」と、平気な顔をしようとしている。
体の向きを変えるだけで、眉間に皺がよっている。
やっぱり痛いんじゃないか。
玄関先で出迎えてくれた光希が初めて見るワンピース姿だったことに、密かに動揺しながらも俺は食い下がった。
「何か食べたいものとか、ないか?俺、買ってくるよ。
その体じゃ買い物にもいけないだろ?」
「いいよ。家にあるもので足りてるし。
明日明後日は土日で家族もいるから」
これだけを話す間に、光希は何度も顔をしかめた。
俺は心配になって、スニーカーを脱いで家にあがると、壁に手をあてながら立っている光希の怪我をしていない方の肩に手を当てた。
あれ?柔らかい。
一瞬違うところに意識を持っていかれそうになったのを強制的に修正して、光希を支えながらリビングのソファへと向かう。
「もう、気にしなくていいのに」
「嫌だ。俺が気にする」
「……そうだよね。塔耶ってそういう奴だもんね。
わかった。わたし、コンビニのカフェラテ飲みたい。下僕なんでしょ?買ってきて」
俺に根負けした光希が、仕方なさそうに言った。
俺はソファに光希を座らせながら、「分かった」と答えると、急に光希が勢いよく体を離した。
顔が赤い。
「どうした?光希。顔、赤いけど、まさか、熱ある?」
「……なっ、あ、アンタが急に真顔で耳元に囁くから……!!」
「え?」
言われた意味が分からない。けど、顔を真っ赤にして俺を見つめる光希を見たら。
伝染った。
「……なんっで、塔耶まで顔赤いのよ…!!」
「し、知らねぇよ!お前こそ何だよ!」
「もぉ!いいから早くカフェラテ買って来なさいよ!
今日からアンタは下僕なんでしょ?!」
「うるせぇ!分かったよ!買ってくるから、おとなしくソファに座って待ってろ!!」
なんだよなんだよ!
なんか可愛いなんて思ったじゃねぇかよ!
俺はドア越しに響く光希の罵声を背中に受けて、勢いよく玄関を飛び出した。
**
「……お待たせ、しました」
「何よ。急に丁寧に」
「走って持って帰れなかったから、少し冷めたかも」
「ん。ちょうどいいから、いいよ。これで」
ソファに両足を揃えて座っている光希を眺める。
「立っていないで座れば?」
「う、うん…」
なんとなく隣に座れなくて、斜め向かいになるように、ラグの上に腰を落とす。
カフェラテをゆっくりと口に運ぶ光希から、目が離せない。つい、見てしまう。
沈黙が怖くて、つい聞いてしまった。
「ワンピース、初めて見た」
「え?……あぁ、うん。あんまり着ないんだけど、前屈みになるのが痛くて」
「……ごめん」
「もういいから」
「ごめん」
なんとなく正座に座り直して、光希の方を見る。目の前に、ワンピースの裾から出た光希の膝があった。
制服姿で見慣れているはずなのに、浅黒い痣のできた膝は、やけに白く見えた。
「……その痣、昨日転んだ時の?」
「あ、ちょっと見ないで!……痛っ」
慌てて裾を引っ張って膝を隠そうとした光希が、前屈みになろうとして痛みを訴えた。
ごめんと言いながら、光希の上体を起こそうとして近付いたら、「近い!離れて!」と暴れ出した。
「ちょっと、待て!動くなよ!分かったよ!」
膝立ちの体勢で後ずさると、暴れていた光希が「痛っ!」と言って、左足を伸ばしたまま固まった。
「痛い…何かつま先が痛い…」
「ちょっと待てよ……あ、光希、爪が割れてラグが引っかかってる」
少しだけ伸びた親指の爪が横に割れて、その割れ目にラグの糸が挟まっていた。
「フットサルのシューズ、サイズ合ってなかったのかなぁ……」
「あ、こら!動かすなよ、余計に爪が割れるぞ」
つま先を動かして糸を外そうとする光希を止めて、ためらいなく目の前の素足に手を伸ばす。
「えっ、ちょっと!塔耶、いいから、自分で取る……いったぁい!」
「いいからそのまま背もたれに寄りかかってろ!前屈みになると体、痛いだろ?」
俺はできるだけ丁寧に光希の足を左手に乗せると、慎重に右手で爪に挟まった糸を外した。
当たり前だけど、俺の足と違って小さいし、肌が白い。
血が出ていないか確認するために、跪いた姿勢で光希の左足の親指を撫でる。
ピクッと光希が揺れる。
出血はしていないけれど、このままだと変な方向に爪が割れて痛みが出そうだ。
「これ、ちゃんと爪切りで切った方がいいと思うぞ」
俺は光希の足を手のひらに乗せたまま、上目遣いで光希を見た。
すると、片手をワンピースの裾に当てて、もう片方の手を口元に当てて真っ赤な顔で俺を睨んでいる光希と目が合った。
「……分かったから!爪、切るから、足、離して!」
「ご、ごめん!いや、その、スカートの中のぞくとかそういうつもりはなくて!!」
「分かってるから、足離して!」
俺は慌てながらも、光希の爪がラグに引っかからないように、そっと置いた。
「はい!そこの下僕!
そっちの木の引き出しに爪切り入っているから、取ってきて!」
顔を真っ赤にしたまま、光希が俺の後ろの方に指をさした。言われた通りに指の先にある引き出しを開けて、爪切りを取って光希の前に出すと、ひったくるようにしてそれを取った。
「爪、切るから、そっち向いてて!
スカートの中、見る気?!」
「見ない!見ないから!」
だから、お前が顔を赤くすると俺は伝染るんだよ!
つられて赤くなった顔を俺は光希からそらして、窓の外に視線を向ける。
秋の空に浮かぶ雲は少し薄くて、ふわふわに見える。
耳は光希の方に集中させたまま、窓の外を見て立っていると、「ふぐぅっ……」と、痛そうな声が聞こえた。
横目で光希の方を窺うと、片手で腕と脇腹を抑えて固まっている姿が見えた。
「光希!痛いなら無理するなよ!」
「ちょっと、大丈夫だから……!」
「痛いならやめろよ!」
「出来るから、大丈夫だから、気にしないで」
「あぁー!もお、なんだよ!大丈夫じゃないだろ!」
近寄った俺にあからさまな強がりを続ける光希に、俺はキレた。
手に持っている爪切りを奪うと、俺は有無を言わさず光希の左足を取った。
「きゃっ!ちょっ、いいから、塔耶!自分で出来る」
「出来ても痛いならやらなくていい!
俺はお前の下僕なんだから、爪くらい切れる!」
片膝をついて、立てた方の膝の上に光希の左足を乗せる。細心の注意を払って、光希の左足の親指に手を添える。
俺よりも小さくて、華奢な足。
そのつま先は、もっと小さくて。
優しく親指を左手の指先でつかみ、確認のために爪と指先の境を撫でる。
ピクッとした反応があったけれど、ここで足を引っ込められても困るので、少しだけ指先に力を込めて、光希の親指を握る。
「……切るぞ」
震えそうになる右手に持った爪切りをゆっくりと、光希の爪にあてる。
傷つけないように。
慎重に。
慎重に。
適当と雑をミックスさせて、その辺のバケツにぶち込んだような性格の俺だけど、この時だけはテレビで見た日本の伝統職人並みの集中力で、右手の爪切りに力を込めた。
ぱちん。
軽やかな音を立てて、光希の爪が切れた。
続けてぱちんぱちんと、形を整えるために、切る。
ふう……。
無事に傷つけることなく爪を切ることができて、安堵の息が漏れた。
念の為にと、指先で光希の親指の爪を撫でると、少しだけひっかかりを感じた。
爪の割れがまだ残っているみたいだ。
でも、これ以上は深爪になって、光希が痛がりそうだし。
そうだ。爪やすりをかけよう。
俺は光希の足を持ったまま、右手だけで爪切りを握り直すと、今、切ったばかりの爪の切り口に、爪やすりの部分をあてた。
力は入れないで、軽く何度もこする。
削れているのかどうか分からない強さで、何度も。
光希がもう痛くならないように。
1分くらいだろうか。
小さな動きで光希の爪の切り口を磨く。
もう一度、指先で光希の親指の爪を撫でる。
うん、もう大丈夫だ。引っかかる感触も消えた。
ほっと安心して、何度も光希の親指を指先で撫でる。
うん、これで大丈夫。
「光希、もうこれでだいじょう…」
ぶ
その一音だけ飲み込んだ。
片膝をついた姿勢で見上げると、両手でワンピースの裾を押さえて、今までに見たことのない真っ赤な顔で俺を睨む光希と目が合った。
「……わ、かった、から、もう、離して」
潤んだ目で、赤い顔のまま、光希がそう言った瞬間。
あ、俺、光希のこと、女の子として好きだ。
急に恋を自覚した。
自覚して、さらに赤面が伝染った。
「………!!」
顔も耳も、首まで真っ赤になった感じがする。
心臓がドクドクと打ち付ける音が聞こえる。
「あ、あの、その」
好きな女の子の足を持ったまま、俺はパニックに陥って、馬鹿なことを言った。
「俺、足フェチじゃないけど、光希の足はいいと思う!!」
言った瞬間、血の気が引いた。
何、言ったんだ、俺。
光希にドン引きされて、足蹴にされると思った。
それなのに。
「あ、ありがとう…‥ございます…?」
俺に左足を持たれた体勢で、両手を伸ばしてスカートの裾を押さえながら、赤い顔のまま、目を逸らしながら恥じらう光希を見て、深いところに落とされた感覚を覚えた。
あ、だめだ。
我慢してるの無理だ。
赤い顔の光希の左足を持ったまま、告白をして、見事付き合うことになるのは、ほんの5分先の未来。
その未来に向けて俺は、再び光希に伝染された真っ赤な顔で、たどだとしく言葉を紡ぎ始めた。