胡蝶蘭の砂時計
買い出しを終えたサナエとアカリも順次風呂を済ませ、保湿やドライヤーを順繰り回してから恒例の鑑賞会へ移行した。時刻は既に二十三時を超えているが気にする者はいない。
オカルト同好会が発足する前から度々サナエ宅で行われてきた鑑賞会は、主にサナエの我儘によって開催されてきた。その時々のサナエのブームによって映画のジャンルが偏るため、最初の数週間は他の三人もこの時間を密かな楽しみにしているが、回を重ねるごとに退屈を募らせている。
今は倦怠期だ。
胡蝶蘭の砂時計。一九九七年に全国で上映されたホラー映画。
とある若夫婦の元に送られた胡蝶蘭。鉢植えには一枚のカードが、“この花が咲くころ、あなた方の幸せも芽吹くでしょう。” と添えられていた。
玄関先にこれをこっそり置いていった主に一切検討はつかなかったが、ここのところ良い事の少なかった若夫婦は胡蝶蘭の世話をするようになる。
世話を始めて一週間ほどで開花し、若夫婦には徐々に幸せが訪れる。最初は自販機の釣銭に混じった新品同然の硬貨。かつて好きだった商品の復刻。懸賞の当選。徐々に幸せの規模は大きくなっていき、会社での昇進や、念願の子を授かるなど、次々と幸せが訪れる。
きっかけとなった胡蝶蘭を大事に育てていた若夫婦であったが、三か月ほどで花は枯れてしまった。花弁が落ち始めてから全ての花が落ちるまであっという間だったことに多少のざわつきを胸に抱くが、花に詳しくない二人はそんなものかとあまり気に留めなかった。
そして少しずつ、不幸の影が若夫婦を蝕んでいく。
最初は大して気にも留めない程度のものから、次第に不幸は膨れ上がっていった。
まるで砂時計をひっくり返したかのように因果が逆転し、花が咲いて与えられたもの全てを失うのでは飽き足らず、これまでの人生で積み上げてきた一切が崩れていく恐怖。
やがて二人は離れ離れになり、破滅した。行方の知れぬかつての若夫婦の代わりに、ひとつの苗が誰かの家の玄関先に置かれている。やがて花を咲かせ、落ち切った砂時計を返すように誰かに幸せを届けるのだろう。
「アイテムが花ってのがなんか嫌だわ。実は意志を持ってて人間の不幸を笑ってるとかありそう」
「話が通じないって点では幽霊と変わらないよね」
「つかぁ、なんかこの夫婦そもそもヤバくない?花のせいにしてっけどトラブルとかテメェのせいみたいなトコなかった?」
「まー欲に負けちゃった感じはあるけど、それもまたホラーじゃない?本性が現れたのか、狂わされたのか」
「あーれは本性だね。ウチが言うんだから間違いない」
観る前は乗り気でなかった三人も、観終わってしまえば語りだす。定着したルーチンは、彼女たちを無自覚に一回り大人にさせていた。
「どうだった?ボクはそれなりに楽しめたけど」
「私はあんまり面白くなかったかな。登場人物が一般人すぎた、のかな。だからこそ成り立つホラーなのかなって言うのも何となく理解はできるんだけどね」
「ウチも嫌い。ラッキーに甘えてばっかでフツーにムカつく。ありえんくね?」
「でもラッキーってコツコツ続けてるからこそ舞い降りてくるものじゃん?そういう意味では努力が報われた話ではあるんじゃない?それを受け止めきる器は無かったけど」
「ナイナイ。ラッキーは努力カンケー無いでしょ」
「いや関係あるでしょ!」
いつになくキラリがヒートアップしそうな予兆を感じたサナエは早々に話題を映画に戻す。
「まあまあ、そーいう事もあるでしょ。で、それはやっぱり花が原因でしょ?ボクは花が人の幸運を吸ったり撒いたりしてるんじゃないかなって思ったんだ。花が咲くと周りに幸運を撒いて、散ると幸運を吸い取る。それで花自体は色んな事情の先に、次の誰かの下に移って、また幸運を撒くみたいな」
「そういう呪いのアイテムって事だよね。花が咲くって事は種があるだろうからどんどん数も増やしていくのかな。あれ、胡蝶蘭ってもしかして球根?わかんないや、適当言った」
「増えてくって説ならあれだね、チェーンメッセージみたい」
「で、出~。あれダルすぎ。即ブロ」
「ミヤコちゃん過激派なのよ。吸った幸運を撒くんなら、あの夫婦に起きた幸運は前の持ち主から吸った幸運って事かな」
「あ!そういう事なら前の持ち主は旦那さんが昇進する前のあの係長だったんじゃない?急に退職したし部署違うのに旦那さんが後釜に入ったし」
「えー……。それ嫌だなぁ。モヤモヤするなぁって感想だったけど、嫌になったわ。イヤってかキラいっていうか、同じか」
「まぁ後味悪い系っていう事で、これ食べてリセットしよ」
終始不服そうなキラリはサナエから口にプチシュークリームを押し付けられ、もそもそと口に取り込んでいく。
「シュークリームうま……」
夜も更け、既に深夜二時を回っている。
各々が寝る支度を整え、照明が落とされた暗闇の室内。アカリとミヤコは早々にすやすやと寝息を立てる。キラリは目を閉じてはいるものの、なかなか寝付けないでいるようだ。そんな中、サナエは一人ぱっちりと目を開け、虚空を見つめていた。
どこに焦点を合わせるでもなく放られる視線の向く先。一人の幼女の姿――。
いや、やめておこう。いけない、いけない。でも、抑えきれない、から、これくらいは許容されてもいいでしょう?