前編
「聖女様。次のお仕事で、貴方は退任となります」
「そう、ですか」
「予定されていた行事も、今回で最後となります。どうか、ご理解下さい」
聖女を奉る教会で神官達にそう告げられたセリアは、静かに答える。
元から分かっていた事だ。
大きな衝撃もなければ、悲しみもない。
ただ、彼女達の言葉に頷くだけだった。
セリアは当代聖女である。
平民という身分から聖女の力を覚醒したことで、唐突に持ち上げられた異例の才人。
彼女は不慣れな境遇に置かれながらも、その役に徹した。
自らの力で人を癒し、脅威を退ける。
しかし、それにも限界はあった。
彼女が力を使う度、その残量は減退の一途を辿った。
器に注がれた水が無くなるように。
歴代の聖女達と同じく、人の身で使うには限度があるという事だ。
お蔭で今では、聖女としての任を解かれるまでに至ってしまった。
扱える力も、残り一回という状況である。
「まぁ、元々期待していた訳じゃないけど……次で最後かぁ。これで私も、めでたく平民に逆戻りね~」
この一回を使えば、セリアは元の平民に戻る。
やっと、と言った所か。
これで堅苦しい教会に縛られる必要もない。
だからこそ彼女は最後の使命を果たすべく、複数の神官達と共に教会から旅立った。
最後の相手は、辺境の伯爵貴族。
呪いを抱えているとのことで、聖女の力を貸してほしいらしい。
「それで、その伯爵様はどんな症状なのですか? 体調が優れない、とか?」
「それが……お会いすれば、すぐに分かるらしく……」
しかし、どうにも明確な情報が伝わってこない。
直接会わなければ分からないような呪いなのだろうか。
セリアは今まで複数の呪いを解いてきた実績はあるが、こういった言い回しをされるのは初めてだった。
面倒な話でなければ良いのだが。
そうして何日もの時間を掛け、辺境であるシュトラール家の屋敷に辿り着く。
辺境と言っても、屋敷自体に古めかしさはない。
整備の行き届いた庭園を通り、屋敷の扉を潜ると、アイボリーの髪色と金眼が特徴の美麗な青年が迎えてくれた。
「ようこそ、聖女様。お待ちしておりました」
「……貴方が依頼主のシュトラール様、ですか?」
「はい。シュトラール家次男、クリス・シュトラールと申します。どうぞ、よろしくお願いいたします」
人当たりの良さそうな、優し気な風貌の青年は、セリア達を応接間まで案内する。
貴族服も相まって、見た目はとても爽やかだ。
聖女であるセリアは、他の貴族とも何度か顔を合わせたことはあるが、このクリスという青年はとても若い。
自分よりも少し年上、くらいだろうか。
呪いに苦しんでいるような、そんな様子には見えない。
辿り着いた応接間のソファーに向かい合う形で座ると、彼は座ることなく、傍に近寄る形で立ったまま話し始める。
「本日は遠路はるばるお越しいただきありがとうございます。セリア様のご名声は、かねてより耳にしておりました。貴方のお力で救われる事、私は何よりも望んでおりました」
「いえ、その……私は聖女としての役目を果たすだけです。私に出来る事があれば、何でも仰って下さい」
「ありがとうございます。それでは早速……」
するとクリスは何を思ったのか。
その場に跪く形で膝を折った。
まるでセリアに向けて裁かれることを望んでいるように。
不意を突かれた彼女が疑問符ばかりを浮かべていると、彼はこう言った。
「その穢れなきお力で、私の魂を浄化なさって下さい。一片も残さず」
「ええっ!?」
聞き間違えではない。
神官達も驚いて顔を見合わせる中、咄嗟にセリアは立ち上がった。
「ちょ……ちょっと待って下さい! 何が何だか……!」
「気に病む必要はありません。これは必然。私はあるべき場所に還る。それだけのことなのです」
「いや……ですから……!」
「私の消滅によって、ようやく兄も救われます」
「ちょっと、待って下さいってば!」
クリスの様子は真剣そのものだったので、どうにかセリアが制止させる。
彼は死ぬことすら望んでいるようだったが、全く以て事情が見えない。
一体、何が起きているのか。
どうにか保っていた聖女らしい振る舞いが、僅かに崩れる。
「まず、事情を聞かせて下さい! そうでなければ、手の下しようがありません!」
「……説明が必要なのですか?」
「当然でしょう!? 何の説明もなしにそんな……死に急ぎすぎです!」
「そう、ですか……残念です……」
爽やかながら、クリスは悲しそうな表情を浮かべる。
何故、残念なのか。
早速、自分の浄化を望む伯爵貴族。
今まで色んな人々に施しを与えてきたが、こんな人は初めてだった。
(よく分からないけど、急に不安になって来た……)
これは思ったよりも厄介かもしれない。
セリアは心の中で嵐の予感を抱く。
落ち着きを取り戻したクリスは、向かい合う形で座席につき、ようやく事情を語り始めた。
「私達の身体は、生まれつき呪いを受けています。一つの身体に二つの魂が、兄の魂が、この身体には宿っているのです」
「二重人格……ということですか?」
「似て非なるもの、でしょうか。二重人格は、一つの魂が二つに分かれる事でそう呼ばれます。しかし私達の場合は、元から二つ、存在していたのです」
「生まれる時に二つの魂が……? もしかして貴方達は双子のご兄弟、なのですか……?」
「お察しの通りです。私達は元々、双子として生まれる筈でした。しかし何の因果か、母体の中で私達の身体が合わさり、同化してしまったのです」
一つの身体に二つの魂。
それは後天的なモノではなく、生まれる前に偶発的に起きた同化によって生まれた、先天性の症状だった。
見た目には美麗な一人の青年がいるだけだが、そこにはもう一人の魂が宿っている。
彼が言った呪いとは、そういう事なのだろう。
「私達は身体を共有していますが、記憶は共有していません。当然、人格も異なります。なので、傍から見れば別人に変化する……ようにさえ見え、時には私にも理解の及ばない不思議な力を扱えるのです」
そして同化した身体は、双方どちらもが生きている。
片方の人格が現れる時、また肉体もその影響を受けるという事だ。
確かに類を見ない現象だ、とセリアは思う。
恐らく歴代聖女の記述書を見ても、同じような事例はないだろう。
「つまり貴方か、お兄様……どちらかの魂と身体を浄化してほしい……。それが依頼なのですね……?」
「正確には、私を浄化して頂きたいのですが」
「どうしてそこまで……」
「呪いを持つ者など、誰も相手にはしません。民だけでなく貴族の間でも、私という存在はひたすらに恐れられるだけ」
「……」
「それでは亡き父や母に示しがつかないのです。シュトラール家を存続させるためにも、あるべき魂を、あるべき場所に還さなくてはなりません」
「それが……クリス様の消滅だと?」
「仰る通りです」
ようやく事情が掴めてきた。
何故、彼が自らの命を投げ打とうとしているのか。
それは貴族としての立場故。
得体の知れない呪いを持つ者を、国の重鎮たちが危険視しているのだろう。
認められる力を持てば持ち上げられ、認められない力は蔑まれる。
聖女であるセリアは、それを十分過ぎる程に理解している。
だからこそ、それを聞いて二つ返事する気にはなれなかった。
「少し、時間を下さい」
「セリア様……?」
「貴方のお兄様と話をさせて下さい。お互いが何を思っているのか、何を望んでいるのか。それを見届けてからでも、遅くはありません」
「……セリア様は、私を恐れないのですね」
クリスは僅かに安堵したようだった。
今までの行動も、余計な感情を抱かせないためのものだったのかもしれない。
恐れはない。
最初は慌ててしまったが、恐怖を抱く理由はセリアにはなかった。
何故なら彼の表情には、微かな憂いが見え隠れしていたからだ。
「私には、貴方は悲しそうに見えました。それは、理由にはなりませんか……?」
とても、浄化を望む顔ではない。
人々を救ってきたセリアには、その裏に隠された思いが見通せた。
するとクリスは意外だったのか目を丸くする。
それから陰のある表情で目を伏せた。
「そんなお言葉を頂いたのは初めてです」
「……!」
「貴方は本当に、お優しい方なのですね」
「そんな……私は元々、ただの村娘で……」
「貴方がどんな身分であっても、構いません。貴方の心は確かに、聖女様に相応しい清純さをお持ちです」
クリスは感謝するような口調で語った。
今まで彼は、誰からも認められなかったのかもしれない。
麗かでありながらも、そこには正反対な思いを抱えている。
そう思うと、少しだけセリアの胸が締め付けられる。
何故だろう。
これは所謂、共感なのだろうか。
「私はセリア様を信じます。貴方の心で、真実を見極めて下さい。そしてどうか……」
「クリス様……?」
「どうか、私を浄化して下さい」
応接間での会談は終わった。
セリアは個室を用意され、それ以外に必要な事は全て準備すると言われた。
有難い話ではある。
彼女は高級な室内、その椅子に腰かけながら、持参した歴代の聖女達が綴った手記を机に広げる。
そして呪いについて考えた。
クリスが持つ呪いは複雑だ。
病などとは違い、身体だけでなく魂にまで力を及ぼさなくてはならない。
だがそれを浄化できるのが聖女の力である。
異質な力を正しいものへ。
それが出来なければ、ただの村娘が祭り上げられたりはしない。
恐らく片方、クリスを浄化することも可能だろう。
しかし――。
「そんな事を言われたって……望んでもいない人を浄化なんて、私には出来ない……」
言葉では浄化を望んでいたが、その表情は違った。
セリアは平民相手のケースが多かったが、貴族とはこういうモノなのか。
それ程まで頑なでなければならないのか。
シュトラール家の事情は、来たばかりの彼女には分からない。
「彼のお兄様……グレン様と話をすれば、何か分かるかな?」
未だに会った事のない長男、グレン・シュトラールの事を考える。
二人の活動時間は明確に分けられており、朝方はクリスが、夕方になると兄のグレンの人格が現れるという。
活動時間外で移り変わる事も出来るらしいが、それは互いにエネルギーを使うようで、長時間の入れ替わりは昏倒してしまうとのこと。
無理をさせる必要もないので、セリアは夜を待つ。
今回の状況を手記に纏めるだけでも、時間は経っていく。
そして気付かぬうちに、日が暮れ始めた頃だった。
ガシャン。
と、遠くから硝子が砕け落ちるような音が響き渡った。
「っ!? な、何っ!?」
思わず驚いたセリアは部屋を出て、事情を確かめようとする。
すると既に人は集まっていたらしく、階下の廊下で屋敷の従者達が誰かを止めようとしていた。
「グレン様! お止めください!」
「聖女様がいらっしゃるというのに、そんな無体は……!」
階段のホールから覗き込むと、そこには見覚えのある姿があった。
貴族服を着こなした、アイボリー色の短髪を靡かせる青年。
しかしその様子は何処か違っていた。
目つきが鋭く、瞳は藍色の光を放っている。
そしてその手には、鞘に収まった剣が握られていた。
クリス、ではない。
セリアが近づけずに立ち止まっていると、彼は彼女を見つけ、階段を上ってくる。
「お前が聖女か」
「!?」
「良いか。俺の言う事を、よく聞いておけ」
敵意の込められた、冷たい声だった。
優しさの欠片もない。
彼はそのままセリアの元にまで辿り着き、視線を向ける。
「俺はお前を認めない」
「な……!」
「クリスに手を出してみろ。タダじゃ置かないからな」
そう言うだけだった。
彼はセリアの横を素通りし、屋敷の奥へと進んでいく。
続いて従者達がそれを追う中、彼女は立ち尽くすばかりだった。
敵意を向けられて驚いたというのもある。
(な、何なの、あの人……! まさか彼が、クリス様のお兄様……!?)
しかしそれ以前に、彼があのクリスの兄だという事が俄かには信じられなかった。
どう見ても、正反対だ。
あの爽やかで陰のあるクリスとは、似ても似つかない。
とは言え兄と話すと決めた以上、話し合いをしない訳にもいかない。
セリアは改めて応接間でグレンを相対する事になった。
暫く経って呼び戻された彼は、態度の悪いまま臨んでいた。
「グレン・シュトラールだ。お前の話は聞いている。聖女としての最後の役目に、俺達を選んだそうだな」
「……はい」
「随分と物好きな奴だ。そんな事のために、わざわざこんな僻地まで足を運ぶのか」
椅子に座って足を組んだまま、グレンはセリアを見据える。
聖女という人物そのものに嫌悪感を抱いているのか。
それとも別の理由があるのか。
分からないが、とにかく歓迎はされてない。
神官達も警戒する中、セリアは問い掛けた。
「どうして、窓ガラスを割ったのですか?」
「ここは俺の屋敷だ。俺が何をしようと勝手だろう?」
「……いいえ、貴方だけの物ではない筈です」
「クリスの事を言っているのか……?」
怪訝そうに聞き返してくる。
どうやら本当に、自分で自分の屋敷の窓ガラスを割ったらしい。
そんな事をする貴族など聞いたことがない。
不良、の単語がセリアの頭の中に浮かんでくる。
するとグレンは試すような視線を投げてきた。
「まさか聖女様ともあろうお方が、アイツに感化されたのか?」
「なっ!? 何を訳の分からない事を……!」
「アイツは俺のモノだし、俺のモノは俺だけのモノだ。人にどうこう言われる筋合いはない」
なんという利己主義か。
そんな事をすれば、回り回ってクリスにも責任を問われるだろう。
しかし彼はそれすらも気にしていないようだった。
流石のセリアも、不審な表情を隠せなくなる。
「……貴方、本当にクリス様のお兄様なのですか?」
「だったら、どうなんだ?」
「今回の一件、グレン様はどう思われているのですか?」
「さぁな」
「さぁな、って……」
呆気なく適当な返答をされる。
どうにも、はぐらかされている気がしてならない。
セリアの存在は知っていたので、今回の件も当然承知している筈だ。
それなのに、取り付く島もない。
彼女は憂いを帯びていたクリスを思い出し、更に追及する。
「クリス様は仰っていました。これで貴方が救われる、と」
「……」
「私は聖女として、為すべき事を成すだけです。ですがせめて、お二人の真意を知りたいのです。本当に呪いを……貴方達の体質を解くことを望んでいるのかどうか」
浄化という体の良い言葉を使っているが、結局それは一方を殺す事にも等しい。
呪いという言葉も同じ。
どちらかを消すために心残りがないよう、悪しきモノだと言い包めているようにしか感じられない。
これは体質であり、呪いではない。
セリアはそう力説した。
するとグレンは小さく息を吐いた。
「それが『救い』か。流石は聖女、お手本通りの導き方じゃないか」
「!?」
「悪いがそう言った事は、クリスに聞かせてやりな。俺は決められた台本に、興味なんてないんだ」
「台本って……貴方……!」
「事実だろ? 王族だって、式典の時は決められた台本通りに話を進める。そうじゃないと、『示し』がつかないからな」
「……!」
「全く下らない話だ。示した所で、何も変わりはしないんだ」
それまでの発言を、グレンは台本のようだと揶揄し一蹴した。
こちらの厚意も知った事ではない。
結局、設けた話し合いも直ぐに打ち切られ、彼はその場を去っていく。
セリアは応接間に取り残されるだけだった。
(あんな態度の人、初めて……! 全く似てないじゃない……!)
どうにか彼女は、そんな言葉が飛び出るのを堪えた。
あれがクリスの庇っていた、グレン・シュトラールの姿なのか。
聖女相手にもあの態度だ。
とてもじゃないが品行方正とは思えず、貴族としても配慮を欠いている。
彼の様子を思い返していると、傍にいた神官が顔色を窺ってくる。
「セリア様、呪いを解く決心はつきましたか?」
「え……? そ、それは……」
「失礼を承知で申し上げますが、グレン様の態度はとても当主に相応しいとは思えません。貴族として相応しい者を選ぶのであれば、やはり……」
既に神官達は、どちらを浄化すべきか分かっているようだった。
客観的に考えるなら、そうだろう。
礼節を弁えた人を選ぶか、粗暴な人を選ぶか。
子供でも分かる簡単な問題だ。
しかしセリアは曖昧な態度を取るだけで、頷けなかった。
(確かに乱暴な人、だけど……。でもあの人も、寂しそうな目をしていた……)
それはきっと、グレンがクリスと同じ目をしていたからだ。
瞳の色の問題ではない。
その裏に隠された哀愁のようなもの。
投げやりな態度から、彼の本心が見え隠れしているような気がしたのだ。
だからこそ彼女はその日、浄化に踏み切ることは出来なかった。