黄龍の爪
全部で7匹いる守護神龍のうちの一角、「黄龍」。
これは「黄龍」が魔剣に至るまでの「途中」の話。
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英雄の伝説、それよりもずっとずっと昔。
7つの大陸が地図上に存在していた。
…と言ってもこの時に世界地図と呼べるような代物は存在していない。
人々は、その日その日を狩りや畑弄りで過ごし、藁や木で組み立てた巣に身の安寧をゆだねていた。
人々は共通の生きる知恵としてその巣の集まる場所を作り、それらを「村」と呼び、お互い支え合いながら共同生活を続けていたのだった。
ーー当然だが、村に人が集まっている以上は様々な問題を抱えている事が多い。
そうなった時、大体人は存在もしない神に神頼みをするものだが…
「黄龍様!」
「ん、なんだ人間」
「連日続く雨で食べ物が腐ってしまいました!このままでは村の食料の備蓄が尽きてしまいます!どうかお助けください…!」
偶然か必然か。この世界には神様を名乗る龍がちょうど大陸と同じ数だけ存在する。
「困った時には守護神龍様にお願いすれば何でも解決してくれる」というのがこの世界の常識だ。
神を名乗る龍。守護神龍。
この世界を邪悪なもの全てから守り、全ての生き物の進化と発展を見守る母のようなもの。
人からしてみれば、これほど都合のいい舞台装置は存在しない。
「楽」を求める人間たちは常に「楽」に飢えている。
故に誰かに責任を押し付けたがる。
故に誰かにやらなければならない事をやらせたがる。
村という1つの社会的な組織ーーとまでは行かずとも、人が集まることによって、
自分がやらなくても誰かがやってくれるという意識が自然と芽生える。
この時代の人間たちも変わらない。
「分かった。畑の農作物を蘇らせよう。」
「ありがとうございます!!ありがとうございます!!守護神龍様、万歳!!」
特にこの黄龍の治める大地では、
黄龍の「願いを叶える力」によって、その形容しがたい甘美に人々はすっかり堕落し切っていた。
黄龍は常に神殿の中にいる。
だから外の様子など知り得ないと人々は判断して、嘘の理由で『楽』になれるようなお願いをしているのだ。
ーー黄龍はそれを知った上で応じている。知らないフリをしながら。
「また何かあったらいつでも来い。」
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「黄龍様…」
「ん…!?なんだその姿は!?傷を治して服を与えてやるからじっとしていろ」
「はい…ありがとうございます…」
畑を整えてから数日後。
か細い声で四つん這いになっている女が神殿を訪れていた。
あちこちに擦り傷が目立ち、まるでどこかから必死に逃げてきたかのような出で立ちだ。
黄龍は宣言通り傷を治して服を与えると、女の話に耳を傾けた。
「…魔物に村が?」
「はい…村の男が守ってくれていましたが、ついに村を荒らされてしまい、何人かは魔物の牙や爪で死にました。
巣も破壊されて、私は家族を…うっうっ」
「…そうか、つらい、思いをしたな」
黄龍は女を憂う目で見つめ、低い優しい声で女を慰めた。龍の立派なヒゲも尾も、どこか悲しげに垂れ下がっている。
「怖かったろう。もしお前がいいなら、落ち着くまでこの神殿で過ごすといい」
「え…!?でもここは」
「人1人くらいなら寝床にできる空間がある。俺はずっとこの神台から離れないから夜は心配しなくてよい。外敵が来ても俺が守る。」
「し、しかし」
「お前が必要な物はなんだ。胸に手を添えて冷静に考えろ。」
「…」
女は黄龍に言われた通り胸に手を添え、目を閉じてぶつぶつ独り言を言った。
黄龍から与えられた白い装束越しに手に熱が伝わる。生きている証をじっくり感じつつ、女は目を開けた。
「食べ物と安心出来る住処…です」
「上等だ。あまり時間はかけさせないから待っているといい。
人間の望みの為に、俺はいるのだからな」
「はい、黄龍様…」
黄龍の寛大な心と優しさに、その龍としての姿以上に女は圧倒されていた。
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「お、黄龍様っ!!!」
はたまた数日後。黄龍の神殿の元に少年が慌てて飛び込んできた。
だが、前と違うところと言えば。
「口を慎みなさい。黄龍様の御前ですよ。」
冷ややかな目線で少年を頭上から見下す、女がいる。
美しい白の装束に身を包み、黄龍の忠臣を名乗る、黒の長髪をたなびかせる美しい女が。
「も、ももも、申し訳ありません!」
「まあまあ、慌てて礼儀を欠いたくらいで罰を下したりはしないよ。それで?どうしたの?」
「それが…魔物の住処を見つけたんです」
「ついに来たか」
黄龍は忠女にボソボソと耳打ちをすると、もう一度少年に向き直る。
「…今の話はどこまで知れ渡っている?」
「えっと、知れ渡っているという訳ではないのですが…この間僕と僕の友人の2人で村の外を散歩してたら、偶然見つけてしまい…」
「ふむふむ」
「友人と相談して、友人はこのことを村の人に伝えに行きました。それで、僕は黄龍様に報告しに来たんです。
僕は、村の皆が安全に過ごせるようにしたいんです。」
「そうか…では聞くが、
お前はそれに対して何を望む?」
「僕は…」
一度言えば引き返せない。
もし魔物と戦う事になれば孤独になる。
村の人に伝えに行くとは言ったが、黄龍の力で働かなくなった村の人達がこの勇敢で正義感に溢れる少年の手伝いをするとは到底考えにくい。
だからこそ。だからこそ少年は。
「僕は、前から魔物たちが色んな村に襲撃をしている話を村の人達から聞いていました。
おかしいとは思っていたんです。
黄龍様の領地は、元々は魔物なんて1匹も見ないくらい平和な土地だった。」
「…」
「…」
黄龍も忠女も、真剣に語る少年を見て口をつぐむ。いくら守護神龍であれど、いや、守護神龍だからこそこの話は聞かなければならない。
「どれだけ村の人が信じてくれるかは分かりません。僕自身も確信してませんが…
多分、この土地には魔物が僕らの知らないところで住み着いている。」
「ほう…」
「だからお願いします、守護神龍様。
僕に戦う力をください。僕に、『闇』と戦う力をください。」
「…!!!無礼者!!貴様、まさか黄龍様に聖剣になれと言うのか!!」
聖剣。守護神龍のもう1つの機能の事だ。
龍としての姿と意識が永遠に失われる代わりに、人間の武器として最上級の武器となる。
扱う人間は聖剣が選び、ひとたび選定されればその者は世界を滅ぼす脅威に対する切り札になる。
守護神龍は7匹いる為、剣は7つ存在する事になる。それぞれ性能が違うが、人智を超える力を得ることに変わりはない。
ーーなんと言うことだろう。
あれほど人間の本能としての欲に溺れた村の中から、これほどまでに他者の事を考えて自己犠牲を払おうとする少年が現れるとは。
黄龍は感動していた。
将来襲い来るであろう災厄に対し、悩み、悩み、頭を捻らせて、自分のしたいことが「その災厄を討ち滅ぼしたい」だなんて。
きっと赤龍であれば喜んですぐに聖剣に変身していただろう。
そう、赤龍であれば。
「ーーえ?」
ーーそれに答えたのは、背後から少年の心臓を貫いたナイフだった。
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「…まだ俺は何も言ってないぞ、ピエロ伯爵。」
「ケヒヒ♪いやぁ『闇』って言葉がね?聞こえましてね?ワガハイの耳、割と地獄耳なンで神殿の外でも聞こえちゃったンですよォ♪
あ、神殿には扉がないンでした♪」
「…ごぼっ」
思い切りナイフを抜かれ、神殿の床に思い切り倒れ込む少年。
胸元を見れば、鮮血の絵の具が床と少年を汚している事がよく分かる。
ケタケタと笑いながら少年の周りを2、3周する男のようなものは、そのナイフを片手に黒いフードを振り回し、左右アンバランスな高さの靴を踏み鳴らし、どこから取り出したのかホイッスルを鳴らしながら8分の7拍子で踊っている。
ぴーぴぴーぴぴぴ、ぴーぴぴーぴぴぴ
「…黄龍様、あの奇行をやめさせなくてほんとにいいんですか」
「…やめさせられるならやめさせている。あれはそういう狂人だ。」
「お、りゅう、さ、ま…ごぶっ」
少年が黄龍を呼ぼうと顔をあげて声を出すものの、その顔を傍にいる狂人に強く踏みつけられる。
何かが割れる音が神殿に響き渡る。
「おンやァ。自分たちのおしめをして貰ってる神様をちゃンとした名前で呼ばなくっていいンですか?
失礼に値しますねぇ〜〜。
はい!ほらほら顔あげてもう1回呼びましょ?」
少年は踏みつけられた頭の髪の毛をぐしゃぐしゃに掴まれて、無理やり黄龍に顔を向けさせられる。
歯が何本か先程の踏みつけで折られてしまい、赤く腫れたところや破れた皮膚から血が出てしまっている。
元の勇者のような正義感に満ちた顔は、今や恐怖で塗りつぶされてしまっている。
「あ…う……おう、りゅう、さま」
「今度はちゃンと呼べましたねェ〜!目上の立場の人に誠意を示すのは社会のきほンですよ???じゃあ、ご褒美にこのまま顔は上げたままにしますから、冥土の土産話でもしちゃっててくださいね〜♪♪」
狂人がパチンと指を鳴らすと、狂人の手から開放された少年の顔は黄龍に向けられたまま固まっていた。
ピエロ伯爵と呼ばれた者がかけた魔法のせいだろう。
「それじゃ、私はしンでンの客じンの部屋で待ってますンで。終わったら来てくださいねェ♪」
「…ほんとに、悪趣味な。」
「え?なンですか?」
「…なんでもありません。ピエロ伯爵、部屋に案内するのでついてきてください。」
狂った嵐と忠女が向かった所で、神殿の御前には少年と黄龍だけが残された。
黄龍はその巨体を少年にゆっくり近づけながら語りかける。
「あの二人は行ったか。…さて、あとはお前の処分だな」
「なん、で……どう、して、で…すか」
血を吐きながら、絶望の顔を向けながら。
黄龍に少年は純粋な疑問をぶつけた。
それを聞かない限りは死ねないとばかりに。
「ふむ…どうして、と聞かれるとちょっと複雑で答えにくいんだが。
冥土に行くお前には俺の理解者になってもらおう。」
「ごぶっ…」
「願いを叶える力と言うのはな?最後の最後まで行ってしまえば『要らない力』になってしまうんだ。全ての欲望が叶うまで時間はかかるだろうが、いずれ最後には誰も何も願わなくなる。それが、俺は底抜けに恐ろしい」
口から赤を吐く少年のそばで、物語を語るように黄龍は続ける。
「誰も何も願わなくなったら、俺はどうなる?…そう、不用品だ。他の守護神龍と違って、俺は要らない神になる。ひとりぼっち、ひとりぼっちだ。人間ならこの寂しさを理解してくれると思う。
だからこそーー俺は闇の勢力に、『叶えた願いの破壊』を願った。
代わりに、向こうの願いを叶えてやる事にした。俺の土地に住む権利を与えてやったんだよ。」
「はあ、はあ、」
「それを、運悪くお前は見つけてしまった。
今のところ、闇の勢力はこちらの世界にあまり来ていない。お前が見つけた住処と言うのはその唯一の拠点だ。
…向こうにとってはやっとこの世界で見つけた拠点だ。荒らされてしまっては向こうに何を言われるか分からない。」
ーー今、俺はどんな顔を少年に向けているだろう。
少年は絶望の顔をずっと俺に向けている。
俺は?教えてくれ、俺はどんな顔を向けているんだ?
「これは口封じだ。そしてお前の村も俺が滅ぼすよ。残念と言うべきか、周りと意見が合わなかっただろうから良かったねと言うべきかは俺には分からないが。」
「…ごぶ。…い、いえ…」
「…ん?」
「ぼ、くは
しあ、わせ、で、した
り、かい、…されな、くっ、ても
ともだ、ち と い る と
た の し か 、 た
く、る し か、た け ど
」
「…」
「…は、はは。
ど う
し て
ぼ く
こ ろ
し た
の 」
「…!!!」
黄龍は少年の顔を見るのをやめた。
やめた途端、何かが滴り落ちたような音がした。
誰かの泣き叫ぶ声が聞こえたような気がした。
…もう後には戻れない。
この爪は、二度と攻撃には使わないようにしよう。
それにしても…
どうして、少年は闇の勢力の事を知っていたんだろうか?
「…」
※誤字脱字などありましたらコメント欄でご指摘して下さるととても助かります。
※黄龍さんは人間の感性に近い龍
※忠女さんは造語です。「(黄龍様に)忠(実な)女」です。
※ピエロ伯爵はとっととくたばれ