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第二章 〈其の弐〉


「まあ、よろしいではございませぬか」

「いやいや__」

一人は中背の男、もう一人は六尺はあろうかと言う大男だった。一応大小は帯びているものの、どちらも粗末な身なりで百姓か郷士、あるいはそれこそ浪人者と言った感じで歴とした正規雇用の主持ちには見えなかった。今の御時勢、世に浪人はあふれ返っている。大阪の陣が終わったのち西軍の落武者のみならず、福島正則を始めとした所謂豊臣恩顧の大名たちが徳川政権によって軒並み改易の憂き目に遭っており、先程綾音に絡んでいた浪人の如き禄にあぶれた野良侍がそこら中にウロウロしているのである。主家が倒産すれば当然社員たる家臣も失業し、路頭に迷う事となる。傭兵稼業のフリーターも引っ張りダコの戦国バブルに沸いた乱世もたけなわの元亀天正ならいざ知らず、六十余州遍く太平に満ちたこの御時世にわざわざ扶持にあぶれた貧乏侍を雇う勤め口など有ろう筈がない。関ヶ原を最後にバブルは崩壊し、今となっては武士など役立たずの無駄飯食いであるからして、有閑階級は一人でも少ない方が労働者も政府も有りがたいに決まっている。そうなったら時代劇でお馴染の、傘貼りや楊枝削りなどと言った内職で糊口を凌がなければならない。シノギを立てるのは、いつの時代も並大抵の苦労ではないのだ。

中背の方は頭に鉢鐘をかぶって竹刀を手にしていた。この竹刀という剣術の稽古具は江戸末期に至ってから、いわゆる千葉周作とか斎藤弥九郎などによって大いに普及し、主流を成すに至ったが道具の発明はそれよりずっと以前に遡り、安土桃山時代には既に登場していた。弥四郎の新陰流でも、ひきはだ等と呼ばれる袋竹刀が練習の主要な得物だったし、信憑性は兎も角、宮本武蔵と吉岡憲法の試合も実は竹刀を用いて行われた、などと言う記録も残っている。

「噂に聞こえたそのお腕前、是非にこの身で試しとうござれば__」

中背の男が手にした竹刀を大男に突き出し、何やら懇願、と言うより強要しているように見える。

「なんやなんや__」

弥四郎も野次馬に混じってこのやり取りを見物し始めた。綾音もそれに続いた。物見高いのはどちらも同じらしい。

「どうぞ、後学の為__」

どうやら鉢鐘の男が大男に竹刀で頭を打ってくれと頼んでいるらしい。何故、どう言ういきさつでそのような事になったのかは知らぬが、どうして中々の見物である。

「どうだい、旦那。一つやっちまったら?」

「そうだそうだ」

周りの見物人たちも無責任に声援、否、野次を飛ばす。大男が困ったように左右を見渡し、頭を掻いて照れくさそうな笑いを見せた。

「ねえ、あれ__」

綾音が傍らの弥四郎に声をかけた。

「どうするのかな、あの人」

「さあ、どうするんやろな」

弥四郎も綾音もすっかり野次馬に混じって興味本位で成り行きを見守っている。

「それでは__」

大男がとうとう根負けしたように竹刀を手に取った。竹刀と言っても、後世の割竹刀ではない。縦に割った竹を何本か束ねて先端に革の覆いを付けただけの雑な作りである。イメージとしては縛り上げた竹の束という代物だ。

「されば__」

「いざ__」

大男が竹刀を手に青眼に構え、相手も鉢鐘をかぶり直すように頭に安定させる。

大男が間合いを計ると、呼吸を整えて鉢鐘の男に歩を進めて行く。鉢鐘の男も息を詰める様に身構えた。

周りの見物人も、固唾をのんで成り行きを見守っている。当然、弥四郎と綾音もその中に混じって律儀に息を殺していた。否、弥四郎はむしろ大男が打ち易いように周囲の野次馬の呼吸を抑えて気を下に沈めている。別に大男の味方せねばならない事情とて無いのだが、竹刀で鉢鐘を被った相手を打つなどと言う、珍しい光景を目の当たりにする以上は矢張り成功して欲しいというのが弥四郎の想いであった。これも只の興味本位に過ぎないが。

バンブーブレードを構えた大男が更に間合いを詰める。只の余興のような事とは言え、失敗すれば物笑いになってしまう。その表情は真剣そのものだった。

丹田に呼吸を貯めると、大男は無造作に竹刀を振り上げた。大きく振りかぶって構えた訳ではなく、相手の頭上、一,二尺ほどの位置に切っ先を持ち上げたのだ。その一瞬、鉢鐘の男の重心が僅かに浮き上がったように、弥四郎には見えた。

大男が相手の脳天を竹刀で一撃した。

その擬音を文字にすれば、ぐあ、とでも表記すれば良いのか、どこかくぐもった音を響かせて竹刀が鉢鐘を叩いた。

動きはそれほど大きくないが、その一瞬、居並ぶ見物衆が息を呑んだほどの一打である。

辺りはシーンと静まり返っている。

がはっ、と鉢鐘の男が血を吐いた。男は足元もおぼつかずフラフラと揺らいでいたが、やがてその場にどう、と崩れ落ちた。

その光景に、今まで無責任にざわついていた野次馬たちも声を失っていた。

「ああ__」

大男が、なにやら妙に照れくさそうな表情で回りにお伺いを立てるような目線を配っていた。

「まあ、手加減はいたしやしたから、命に別条は無いでござんしょ。どなたかご親切な方がおられやしたら介抱、よろしくお頼みしやす」

それだけ言い捨てると、大男はそそくさとその場を後にした。

さて、この渡世人言葉の大男__一体誰でしょう?

矢張り、剣客譚に詳しい方ならお分かりになると思います。

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