第一章 〈其の弐〉
「あ、あの__」
若武者の後ろから声をかけた者があった。
振り向くとそこに立っていたのは、今しがた浪人達に取り囲まれて難儀していたあの娘であった。
「どうも、先程は__」
感に堪えぬといった様子で、精一杯の感謝の意を表すように娘は頭を下げた。
「誠に、何とお礼を申し上げて良いものやら……」
「帰れ」
「__」
健気に瞳を輝かせて甲斐甲斐しくも礼を述べる娘に対し、若武者は素気なく言うのみであった。
「若い娘がこないな所で一人ウロウロしてたらあないな目に遭うて当然やろが。さっさと帰らんかい。親御さんが心配してはるぞ」
「なによ!」
上方訛り丸出しで無情に言い放つ若武者に対し、娘は密やかな期待を裏切られたような気分で肩をいからせて言い返した。
「折角こうしてお礼言いに来てんのに、その言い草は一体どういうつもり?」
「あのな__」
娘の言葉に、呆れたように若武者は言い返した。
「それが危ない所を助けてくれた恩人に対する言い草か?」
「っるさい!」
娘が頭に来たというように声を荒げた。
「何が恩人よ!誰もアンタに助けてくれなんて頼んでないわよ!何さ、エラそうに、恩着せがましいったらありゃしない!」
「……」
若武者も、娘のあまりの逆ギレに言葉を失ったようである。
「人がわざわざお礼言いに来てやったのに、なによ、その態度は!」
指紋が見えるくらい人差し指をビシッと突きつけて、娘は言い放った。
「あの__」
「なにさ!」
若武者が何かを言おうとしても、娘は頭から受け付けず、弁明の機会すら与えようとはしない。
「なんか文句でもあるワケ?!」
「いや__」
いきり立つ娘に対し、若武者は最早何一つ抗弁することは不可能かと思われた。こうなったら仕方がない、斯様な事態に在っては男の為すべき事はただ一つしかない。
「どうも、エライ済んまへんでした」
若武者は素直に頭を下げた。
「分かりゃいいのよ、分かりゃ」
叩頭した若武者に対し、娘は踏ん反り返って頷いた。
「なによォ、分かってんじゃない、アンタだってえ。全くウ、素直じゃないんだからホントにもォ」
天下太平の笑顔で肩を叩いてくる娘に対し若武者は、はあー、と力無く溜息を吐いた。
「それで__」
若武者は言った。
「もう堪忍してくれるんかいな?」
「え?」
若武者の言葉に、娘はキョトンと視線を返すだけである。
「これで、そちらさんの御用は済みましたんかいな?」
「あ__」
若武者に言われて、娘は何かを思い出したかのように、ポンと手を打った。
「あの__」
またしても急激にしおらしく態度を変化させると、殆どしなを作るような仕草で、娘はモジモジと若武者を見上げた。
「先程は、危ない所を助けて頂いて__」
もう一回やり直しという趣で、娘は改めて若武者に礼を言い直した。
「はあ__」
若武者も今度は丁重な物腰で、と言うよりまた切れられては堪らぬというような風情で用心深く娘に応じた。
「申し遅れました、わたくし、綾音と申します」
「綾音さん、でっか」
どことなく叩頭するような、腰の低い態度で若武者は綾音と自らの名を告げた娘に相槌を打った。
「失礼とは存じ上げますが、そちらの御姓名をお教え頂けましょうか?」
「わしの名前でっか」
相手の御機嫌を損ねぬように、若武者も壊れ物を扱うような調子で答えた。
「自分は__自分の名前は」
若武者の次なる言葉を聞き逃すまいと瞳を輝かせた綾音が、固唾を呑むように耳を澄ませて待ちうけていた。
「氏井弥四郎__よろしかったらあんじょう、よろしう」