懐柔戦略2_大失敗例
俺と高島さんは、四方の席に着いた。プログラミングに熱中しているのか。俺たちに気がついていないようだ。黒い画面に白い文字をどんどん打ち込むその姿は、まさに根っからのプログラマーなんだと感じさせる。
東堂「四方!よう。」
四方「あ、東堂さん。と、高島さんですか、おはようございます。」
高島「ああ、おはよう。朝送ったメールは見たか?」
四方「はい、見ました。」
高島「山下と違って、話が早いな。じゃあもう言いたいことはわかってるな?」
四方「廃炉の話ですか...」
高島「そうだ。もう名刺もグループ名を変更した奴を作ってくれて構わないぞ。来週から...」
四方「せっかくですけど、お断りします。」
高島「何!?」
これは誤算だった。四方が頼まれごとを断ったのを俺は初めて見た。学生時代からプログラミングが得意な四方は、先輩だけでなく後輩からも沢山の課題の依頼を受けて、その全てを恐るべきスピードで処理する仕事人だった。その中で身につけたラピッド・タイピング(プログラミングのスピードが極めて早いこと)の技術は目を見張るものがあった。
もしかして、と思って俺はこう言った。
東堂「もしかして、他の会社に行くのか?」
高島「なんだと!?」
四方「東堂さんには敵わないですね...そうです。転職するんです。」
この一言に、高島さんの心の内が爆発した。
高島「なるほどな。何が不満なんだ?原発が動かなくなって、自分の仕事が何の役に立ってるかわからなくなったのか?それとも給料に不満があるのか?そうだろうな。今はボーナスだってどんどん減って、殆どあってないようなもんだからな。福利厚生だって今は大企業のレベルとは言えないな。でもな、これだけは行っておく。お前たちがずっと働けていたのは、俺たちの世代が毎日会社に泊まり込んで上司やクライアントの無茶に応えてきたからなんだよ。その財産を若い奴らが食い散らかして、会社が少し傾いたら、若さを理由にして、この会社を捨てるんだ。何が『俺たちには未来がある』だ。ふざけんな。俺たち中年だって、転職もできないで、それでも噛り付いて、少しでもこの会社を復活させようとしてるんだよ!俺にも、食わしていかなきゃならないツレやガキがいるんだよ!!」
東堂「高島さん、落ち着いてください!!」
四方「高島さん、違うんです。そういうことじゃないんです。」
高島「なんだ!!じゃあお前の考えを言ってみろ!」
四方「俺が転職するのは、給料とか、そういうんじゃないんです。俺は、プログラミングがやりたいからここをやめるんです。」
東堂「どういうことだ?四方。今、俺と高島さんはそのプログラミングをやってもらおうと思ってお前に頼んでるんだぞ。」
四方は、こう言った。
四方「東堂さん、高島さん。プログラマー35歳定年説って知ってますか?」
高島「なんだ、そりゃ。」
東堂「昔、聞いたことはある。それがどうかしたのか?」
プログラマー35歳説とは、要するにコード(プログラミングのこと)を書くのは35歳までしかできないということだ。35歳を過ぎると、頭の回転が変化著しいIT技術に追いていけなくなり、若いプログラマーに勝てなくなる。そういう考え方だ。実際、この会社でも30歳前後を迎えたプログラマーは、若手プログラマーをどう動かすか、どう配置するかという人材マネジメントの能力が求められる役職に位置付けられる。もちろん、これは『出世』であるから、給料も上がるし、その後のキャリアパス(社員が、年齢とともにどういう会社内地位になっていくのかというルート)もしっかりしたものが用意されている。
四方「俺、今29歳なんです。うちの会社だと、もう少しで俺はプロジェクト・マネージャ(PM)になるんです。そうなったら、もう仕事でコードを書くことは基本的にできなくなります。」
高島「PMって言ったら、プログラマーの出世ルートで絶対に通る道じゃねえか。何が嫌なんだ?」
四方「高島さん、俺、コードを書き続けたいんです。それも、最新の、日本のビジネスを変えるような。」
東堂「この廃炉プロジェクトが終わった後、転職って訳にはいかないのか?」
四方「頭がクリアな今の時期が最後のチャンスなんです。実際、今声をかけてもらってる知り合いのベンチャー企業は、大学生のインターン生たちがとんでもない活躍をしてるらしいんです。ことSIer(エスアイヤー:プログラマーのこと)において、若さは武器です。今その廃炉プロジェクトに5〜6年従事すると、その分そいつらに置いていかれます。そうなったら、俺はこの会社で出世できたとしても、もうソフトウェア・エンジニアとしては死んだも同然です。」
東堂「...」
俺は聞きながら、どうすれば四方がこのプロジェクトに入ってくれるのか、思考を巡らせていた。給料や待遇を仕事に求めないタイプの人間は、説得が難しい。方法としては二つ。『四方の考えを徹底的に否定する』か、『四方の責任感や気の弱さに徹底的につけこむ』かしかない。今回は前者はあまり効果はなさそうだ。あまり気は進まないが、後者の四方の弱みににかこつけた同調圧力的戦法を取るとしよう。
東堂「なあ、四方、お前そういうけどさ、うちの会社で大丈夫だよ。ベンチャーなんていつ潰れるかわからねえぜ?俺だって清水だってこの会社にはずっといる。高島さんだってお前の力になってくれる。だいたい、ベンチャーなんて行ったら、一緒に住んでるお前の妹の奈々ちゃんはどうするんだよ。そろそろ結婚するって言ってたよな?その相手だって、きっとお前が『いい会社』に勤めてる方が安心だし、奈々ちゃんのことも可愛がってくれるよ。お義兄さんが頼りになるんだぜ。」
四方「う...。」
よし、後少しだ...。と俺は思い、スパートをかけた。
東堂「お前がこの会社に就職が決まった時、奈々ちゃん泣いて喜んでたよな?お前ら親が早くに亡くなって、大変だったって言ってたじゃねえか。いい会社に入って、面倒見てくれたおじさんおばさんに恩返ししたいって言ってたじゃねえか。この会社やめるってことは、その親戚さんも裏切ることにならねえか?なあ、四方。やめることないって、今転職しようとしてる奴らもきっと後悔するんだって。な?だからさ、四方、一緒に」
高島「やめねえか!!!」
高島さんが大声を出した。その後俺のシャツの襟を、年齢の割にやけにがっしりとした両手で、ぐっと掴み俺の首を締め上げる。もともと力の弱い俺は「ぐ...。」と声を漏らした。オフィスがざわつき、みんなが俺たちの方に目線を向ける。
東堂「高島さん、なんで...。」
高島「東堂。お前が四方と大学の先輩後輩で仲が良いのも知ってる。お前が四方を会社で可愛がってきたのもな。だがな、なんでも言っていいって訳じゃねえ。お前がやってるのは気の弱い四方につけこんでるだけのただの脅迫じゃねえか。四方は両親がいないなか、妹とたった二人でここまで生きてきたんだ。その四方がここまで自分の意思を伝えようとしてるんだ。それに文句を言う権利は、ねえ。」
東堂「...う。」
四方「高島さん!止めてください!東堂さん死んじゃいます!」
高島さんは、俺の首から手を離した。俺はゲホゲホと咳き込みながら、床に座り込んだ。高島さんは四方にこう言った。
高島「四方、この会社を辞めろ。心配すんな。退職金は俺から上に言って少しでも多く弾んでもらう。お前にはいろいろ我慢させてしまってたみたいだな。そのベンチャーとやらの会社に行っても達者でやれよ。大丈夫だ。俺の部下で一番優秀なお前なら、どこでだってやっていける。またどうしても仕事に困ったらここに戻ってこい。それまで俺がこのグループをなんとか持たせてやる。楽しみにしてるぜ、お前が言ってた、日本のビジネスを変えるような、仕事をな。」
四方は、その日に退職願を書き上げて、この会社を去っていった。
オフィスの窓から外を覗き込むと会社の門から出ようとする四方が見えた。俺は、先程の四方への暴言を謝りたくて、椅子から立ち上がり、追いかけようとした。その時、ブーと音を立て、俺のケータイが鳴った。
【四方:東堂さん、お疲れ様です。もしよかったら今日、俺と二人で飲んでくれませんか?会社の前で待ってます。】