第六話「甘いメロン」
鎖で縛られて俺はベッドの上で正座をさせられていた。腕を組んで仁王立ちするナズナがなんとなく怖くて目を合わさないように俯く。
年上のお姉さんである京に仲裁してほしかったが、剣呑な雰囲気にオロオロとするばかりで期待できそうになかった。
「被告人、何か言いたいことはありますか?」
大仰な口調でナズナが弁明を求める。機会を与えられるだけ慈悲はあった。
「はい、裁判長。俺はそこの看護師に鎖つきの手錠でベッドに繋がれました。これではトイレにも行けません。彼女が手錠の鍵を持っていたので、自分の尊厳を守るために俺はそれを奪取しようとしました」
「結果、看護師さんをベッドに押し倒すことになったと?」
「そうです。偶然あのような状態になってしまいました。けど俺はこの手錠を外そうとしただけで他意はありません」
「わかりました」
ナズナは黙考し、スッと俺を指差した。
「判決――有罪」
「なんでだよっ! どう考えても俺が被害者だろ!」
残酷な判決結果に俺は思わず叫んだ。そこに慈悲はないのか。
「うるさいなぁっ。有罪に決まってるでしょ有罪に! 大体あなた重症のくせに二回も病院抜け出していろんな人に迷惑かけてるんだからね!? 抜け出さないように繋がれたって文句言えないわよ! 挙句に看護師さんを縛って押し倒すなんて! 変態! 不潔! 女の敵!」
「ちょおおっ、おまっ、前半部分はそうかもしれねぇけど最後のただの悪口じゃねぇか!? そこまで言うってことはいいのか!? 用足すとき尿瓶使えって言われてんだけどいいのか!? 俺、朝から一度も行ってないからスッキリしたいんだけどいいんだな!? ここで尿瓶使うことになるぞ! いいんだな!?」
「え? 不潔……」
「ガチトーンやめてくれよ……」
顔を引きつらせて本気で引かれた。そっちの方が傷つく。
「ま、まあまあ二人とも落ち着いて。ね? キキョウくんもぉ、あまり興奮すると身体に悪いから落ち着いて落ち着いてぇ。キキョウくんの彼女さんもぉ、私は気にしてないし、キキョウくんも悪気があったわけじゃないから許してあげてぇ?」
京がおっかなびっくり間に入って俺の肩を持ってくれる。白衣の天使に見えた。
「確かに、キキョウは心臓も悪いんでしたもんね……って私は彼女じゃありません!」
「え? 違うのぉ?」
「友達です! 友人です! それ以上でもそれ以下でもありません!」
ナズナは顔を真っ赤にして全力で否定した。何もそんなにムキにならなくても。
京は目をキラキラと輝かせてナズナの手をガシッと掴んだ。
「そぉなんだぁ。よかったぁ、キキョウくんにもちゃんとお友達がいたんだねぇ。キキョウくん退屈してること多いからぁ、ときどき遊びに来てあげてねぇ」
「えっと……は、はい……」
顔を寄せてお願いされたナズナはたじたじになりながらも頷いた。
「ではではぁ、あとは若いお二人でぇ、ごゆっくりぃ」
うふふふ〜、と口元に手を当てながら京はワゴン車と共に去っていった。
取り残された俺たちは無言のままだった。どうしたものかと俺が彼女をみれば、彼女も俺を見る。
目が合ってなんとなく気まずくて互いに目を逸らす。
「そ、そうだ。お見舞いの品持って来たの! 食べるでしょ!?」
そんな時間が耐えられなかったのか、ナズナはわざとらしく大きな声を出して先ほど俺に投げつけた紙袋の中身を取り出した。
「お前、そんなもの病人に向けて投げつけたのか」
メロンだった。投げた衝撃でヘコんだ部分から果汁が滴っている。
「ご、ごめん。でもいきなりあんな場面に遭遇したらとっさにやっちゃうわよ!」
「別にいいけど。食っていいのそれ?」
病院食ばかりの俺にとっては肉ほどじゃないにせよ、その果物も十分に魅力的だった。
物欲しそうにしている俺がおかしかったのか、ナズナはくすりと笑って――
「もちろん。そのために持って来たんだから。ちょっと待ってて。切ってあげるから」
カバンから果物ナイフを取り出して食べやすいように切ってくれる。
鎖を解かれ、病院食の横にデザートとして置かれたそれを俺は真っ先に口に運んだ。甘い果汁が口いっぱいに広がって何とも言えない幸福感に満たされる。
「ちゃんとそっちの食事も食べなさいよ?」
「わかってるわかってる」
そう言いながら俺が口に運ぶのはメロンばかり。美味い。今まで食べたメロンで一番美味いのではないだろうか。
ナズナはベッドの横にある丸椅子に腰を下ろして、わんぱくな子供を見るような微笑ましさで目を細めた。
「でも案外元気そうね。なんだか安心した」
「運動さえしなきゃ見た目も体調も普通の人とそんな変わらないからな」
逆に言えばそのせいで病気の発見が遅れたわけだが、いまさら言っても栓ないこと。
それから、ナズナに見守られながら黙々と並べられた食事を平らげた。
「すごい、丸々一個食べちゃった」
「一応、育ち盛りなもので」
ナズナのメロンのおかげで味気ない病院食でもかなりの満足感を得ることができた。食事というのは生きる上で大事なんだなぁとしみじみ思う。
「ご馳走さまでした」
本当にご馳走でした。
「お粗末様……でいいのかな? 切っただけだけど」
「うまかった。ありがとう」
素直に礼を告げるとナズナは頬を掻く。照れを誤魔化していることには言及せず、俺はいまさらながらに気になったことを尋ねた。
「ところでどうしてナズナがここに?」
「ん? 昨日、お医者さんにお見舞いにきてくれって言われたからよ。どうしているのかも気にはなってたし」
神崎に言われたことを律儀にも果たしに来たという。普通そう言われたとしても社交辞令くらいにしか捉えないだろうに。
「なによ目を丸くして。友達のお見舞いに来ることがそんなに変?」
「友達?」
「私はそのつもりだけど?」
友達。懐かしい響き。中学を卒業してから、そう呼べる相手はいなかった。
心の奥がじんわりと温かくなる。
「そっか、俺とナズナは友達なのか」
しみじみと俺が呟くと、みるみるうちにナズナが紅潮していく。
「も、もしかしてさっきの看護師さんが言ったこと真に受けてるわけじゃないわよね?」
「な、なんでそうなるんだよっ」
俺も顔が熱くなった。なぜそうなったのか自分の身体のことなのにわからない。
「京ちゃんの冗談だろ。むしろ間に受けているのはナズナの気がするけどな」
「へぇ? あの看護師さんのこと、ちゃん付けで呼んでるんだ? ずいぶんと仲がよろしいことで」
「そりゃまあ、入院してからずっとの付き合いだし。それにあんな感じだからなんかさん付けで呼ぶのもなぁって」
「あー、わかるかも。天然とはちょっと違うけど、なんかぽわわぁんってしてるから、京さんって感じじゃないよね、あの看護師さん」
「だろ?」
二人してうんうんと頷き合った。
もし京が聞いていたなら、頬を膨らませながら緩い感じで抗議してくるのだろう。
そんなことを想像すると笑いがこみ上げてくる。
「それじゃあ友達のナズナに言いたいことがあるんだ」
ナズナは首を傾げた。彼女には見当もつかないのだろう。
「心配させてごめん。それから気遣ってくれてありがとう」
初めて出逢ったときの夜。それから昨日の夜。ナズナにはかなりの迷惑をかけた。それはすべて俺の軽率な行動によるもので、死んだところで自業自得な俺を本気で心配してくれた。
まだ告げていなかった謝罪と感謝をナズナに伝える。
まん丸と目を開き、それからもにょもにょと口を動かしていた。
「いいよいいよ。友達だから、許してあげよう」
ナズナが笑い、俺も笑う。誰かとこうして笑い合ったのは果たしていつ以来だろうか。
「でも病院を抜け出すのは禁止ね。その手錠も因果応報ってやつよ」
俺が腕を動かす度にジャラジャラと音を立てる手錠と鎖を指して脱走を咎めた。
だから、と彼女は続ける。
「私がときどき遊びに来てあげる。そうすれば暇潰しに命を懸ける必要ないでしょ?」
そう言われて嬉しかった反面、俺は申し訳ない気持ちになった。いくら京にお願いをされたからと言って、そこまで気を遣ってもらう必要はない。
ナズナにだって生活がある。当然学校に通っており、そこに友達だっているはずだ。学び、遊び、青春を謳歌できる彼女が、こんな無為な自分に時間を割くなど浪費でしかない。
今日来てくれただけ十分だ。これからいなくなる人間に付き合う必要などないのだから。
「もしかして悪いなー、とかって思ってない?」
考えが顔に出ていただろうか。ナズナは半眼になった。
「私は覚えてるからね。初めて会ったときにあなたが言ったこと」
もう終わってんだ! 生まれたときから! 俺には何もない! 何も手に入れることができない! それを覆すための努力すらできない! 俺はただ――
感情のままに吐き出した言葉。子供のように喚き散らした己の醜態。悲劇のヒーローでも気取っているようで、思い返しただけで死にたくなる。
「気に入らなかった。すっごく気に入らない。心にもないこと言って諦めたフリしてるキキョウがすごく気に入らなかった」
「なっ!?」
カッとなって開きかけた口を、ナズナの人差し指が押さる。
「本当に諦めてたらこんなこと言われたって怒らない。ただ聞き流して終わり。だけどキキョウは違った。怒った。命懸けで怒った」
だから絶対に本音は違う。
ナズナはそう言うのだ。
綺麗事だ。そう言い返すのは簡単だ。
だけど俺は何も言えなかった。口を開こうとする度に何かが邪魔をして言葉が出てこない。声を発しようと何度息を吸っても、それは吐息に変わるだけだった。
ナズナは俺から目を離そうとしない。
縛られたように俺も目を離すことができなかった。
かつての友人は憐れむような目だった。両親は悔やむような申し訳ないような目だった。
彼女は違う。
どこまでも真剣な眼差し。逃げることなど許さない。まるで挑みかかってくるかのような目。
「断言してあげる。キキョウは生きたいと思ってる」
見覚えがあって、それがとある医者を連想させて――妙にイラついた。
最近の病院食は美味しいらしいのですよ!
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