第五話「不潔!」
良い子はマネしないでほしいのです!
「はあ……」
ベッドで横になりながら俺は今日何度目かもわからないため息をついた。
昨夜、病院に戻ってからは即座に精密検査を受けることになった。もともと病人であるため異常なしというわけではないが、一応、病人としては異常は見つからなかった。
そもそも昨日は発作を起こしたわけではない。ちょっと仮眠を取ったら全然目を覚まさない俺を心配してナズナが救急車を呼び、そして病院に連れ戻されただけだ。つまり体調はいつもと変わっていない。
異常なしということがわかると看護師さんたちにこっぴどく怒られた。怒られている俺を見て神崎先生はニヤニヤするだけ。嫌味の一つでも言われるのかと身構えていた俺にしてみれば肩透かしを食らった気分だった。
昼頃には両親が駆けつけてきて病院内で謝罪行脚。父に怒鳴られ、母には泣かれる。そして怒鳴りすぎた父が看護師に「うるさい」と怒られるよくわからない構図。
ようやく落ち着けたのは午後になってからだった。
「やっほぉキキョウくーん、ご飯の時間ですよぉ」
ノックもなしに誰かが病室に入ってきた。
「なんだ京ちゃんか」
「もぉ京さんでしょぉ? 私の方がお姉さんなんだからねぇ? まあ別に良いんだけどぉ」
腰に手を当ててぷりぷりと怒った仕草を見せるが、ゆるふわな雰囲気が強すぎて思いっきり迫力不足だった。
「どっちだよ」
「どっちだろ~? ふふふ~」
ぽわぽわと笑いながら昼食を並べてくれる。野菜や豆ばかりの料理に俺はまたため息をついてしまう。
「肉が食べたい……」
「ダメだよぉ~。キキョウくんはタンパク質を摂り過ぎちゃったら病気が進行しちゃうんだから。ちゃんと治るまで我慢我慢」
「俺、余命宣告されてるんだけど……」
それってもう一生肉料理を食べられないということでは?
「あ、ごめんねぇ」
京は自らの失言に気づいて申し訳なさそうに頭を下げた。いつもどこかズレている人ではあるが、こういうところは人並みの感性らしい。
けど正直、そういう気遣いをされる方が気分が悪い。
「別にいいよ。事実だし」
「ああーんっ。ごめん! ごめんってばぁ! そんなつもりはなかったのぉ。だから怒らないでぇ! 許してぇ!」
ぶっきらぼうに返したことで怒らせたと思ったらしく、京は泣きながら俺に飛びついてきた。
女性のほんのりとした甘い香りに心臓が脈を打とうとする。
「ちょっ! わかったから! 別に怒ってないから!」
「ぐすっ、ほんとぉ?」
「ホントホント」
なんとか宥めると京は離れてくれた。べそをかく様子は俺が思っている年上のお姉さんの振る舞いとはあまりにも遠い。身体だけ大人な子供を相手にしている気分だった。
心臓は――大丈夫。落ち着きを取り戻した。
「あ、でもぉ、お姉さんは怒ってます!」
京はビシッと俺の鼻先に指をさした。
「一人で病院抜け出すなんてぇ。キキョウくんはいつからそんな悪い子になっちゃったの?」
耳にタコだった。ようやっと落ち着いたと思ったらまたこの話か。何度も何度も同じ話をされたら、自分が悪いとわかっていても苛立ちを抑えることができない。
「まあもうみんなに散々怒られただろうからぁ、私からは何も言いませーん。代わりにこんなのをプレゼントーっ!」
配膳車にぶら下がっていた袋から何かを取り出す。やたらと長い鎖。その両端には金属製の輪っか。
「え、何それ?」
「キキョウくん知らないのぉ? あれだよ? おまわりさんが持ってるやつ。手錠っていうんだよぉ?」
「いや知ってるよ。なんでそんなものが出てくるんだよ!」
「それはねぇ……えいっ!」
ガチャン、と俺の手に手錠がはめられた。もう片方はベッドに取りつけられる。
「これでぇ脱走できないね!」
ふわふわぽわんとしながら一仕事終えたような顔をする京。
「おいぃぃっ!? ちょっと待って! 対策がちょっと過激すぎやしませんか!? トイレとかどうすんの!?」
「ダメだよぉ興奮しちゃ。リラックスリラックス~。トイレはぁ、はい」
ことん、と料理の横に置かれたのは尿瓶。あまりに衝撃的すぎて思わず俺は尿瓶と京の顔を交互に見た。
「え? うそだよね? ねえ?」
「ほんとだよぉ? ちなみに大っきい方の時はお姉さんを呼んでくれれば鍵外してあげるから安心してね~」
ポケットから鍵をチラつかせる京の顔に悪意は欠けらもない。からかっているわけでもなく、本気でそう言っているのだ。しかも俺のことを気遣って。
いや、そうだとしても行き過ぎではないだろうか。これでは軟禁されているのと大差ない。
――あの鍵さえ奪ってしまえば。
俺のその気配を察したのか、京は素早く鍵をポケットに隠してしまった。
「それじゃあ時間になったらお皿片付けに来るからねぇ。ちゃんと残さず食べるんだよぉ?」
ひらひらと手を振りながら出ていこうとする。
「逃すかあっ」
考えるよりも身体が先に動いていた。無駄に長い鎖を投げ縄の要領で京に引っかける。
「ふえ? ひゃあっ!?」
引っ掛けてしまえば後はこっちのものだ。鎖を手繰り寄せて彼女を引き寄せる。もちろん抵抗されるが、生憎と石化病によって筋力は常人より高いのだ。女性の力で抗えるものではない。
「ちょっとぉっダメだってばキキョウく……きゃっ」
手の届く距離までたぐり寄せると念のため鎖の余っている部分を巻きつけて両腕を封じる。その拍子にバランスを崩して京はベッドに倒れ込んだ。
ちょうどいい。これでポケットの中が探しやすくなる。
「あっ、ダメだってぇっ」
鍵の入ったポケットに手を入れようとすると京は身体をよじって妨害しようとする。
ほとんど動けないくせに小癪な。
「動くなって。大丈夫すぐに済むから。ちょっとじっとしてるだけでいいから。ちょっとだけだから」
「ううぅ……」
自分の尊厳を守るために俺は必死だった。なにが悲しくて尿瓶のお世話にならなければいけないのか。
そんな必死さが伝わったのか、京は観念したように大人しくなった。
ポケットに手を突っ込む。ペンだの何だの文具が色々入っていてどれが鍵がわからない。とりあえずポケットの中身を全部取り出そうと引っつかんだとき――
「失礼しまーす。天月桔梗くんのお部屋でよろしいでしょうか?」
聞き覚えのある声と共に誰かが病室に入ってくる。長い黒髪を揺らしながら入口に立っていたのはナズナだった。
神崎が見舞いに来てくれと言っていたが、まさか本当に来るとは。
ナズナと目が合うと彼女は石のように固まった。紙袋を片手に入口で突っ立ったまま微動だにしない。
そして見る見るうちに彼女の目が細くなっていく。その目はまるで汚物を見るような目つきだった。
ベッドの上には鎖で縛られた涙目の京。俺の右手は鎖を持っており、左手は京の服のポケットに手を突っ込んだ状態。
さて、このような光景を見たら、人は何を想像するだろうか。
「不潔!」
罵倒と共に、やたらと重い紙袋を投げつけられて俺はベッドから転げ落ちた。