第四話「迷惑かけてごめんなさい」
ふてくされるキキョウにナズナが喝を入れます。
がたがたと身体を揺すられる感覚で目が覚めた。
まだ目を開けていないのに周囲が慌ただしい状況にあるということがわかる。より明確な情報を得るためにゆっくりと目を開けると飛び込んできた光で目が眩む。
目が慣れてきた頃には俺は激しく後悔した。
「うっわぁ……」
救急車があった。救急隊員がいた。少数の野次馬に囲まれていた。ストレッチャーに寝かされていた。
「あっ!」
すぐ横でナズナの声が聞こえた。
見れば彼女は安堵に瞳を濡らしてこちらを覗き込んでいる。彼女の背には俺が命がけで登った山が静かに鎮座していた。
「目! 目を覚ました! 目を覚ましましたよ!」
ナズナが騒いだことで救急隊員たちも俺のことに気がついた。運ばれながら指の数を数えさせられたり自分の名前を言わされたりして、意識レベルを確認される。
救急隊員の人は俺の意識がはっきりしていることがわかると張り詰めていた空気が弛緩していった気がした。
「よかったぁ……」
へなへなと膝をついてしまうナズナ。
「大丈夫か?」
「それこっちのセリフだよね!?」
ごもっともです。しかも今にも泣きそうな顔をされるとこちらとしてもバツが悪い。
「その……ごめん……」
もごもごと口を動かして謝る。
するとナズナはキッと目つきを鋭くして――
「本当よ! 病人のくせに無茶なことして! 起こしても全然起きないからすっごく心配したのよ!? それにいろんな人に迷惑かけたんだからちゃんと謝らなきゃだめよ!」
物凄い剣幕で怒られた。
それによって俺は驚きのあまり黙り込んでしまう。怒られたことが理由じゃない。出逢ったばかりのナズナが俺のために怒ったことに驚いた。
「…………」
「返事は?」
「……わかったよ」
気が重いどころの話ではないが、それでも俺は頷かないわけにはいかなかった。
いったいどれだけの人に頭を下げなければならないのか。どれだけの人に気を遣わなければいけないのか。
自分のことだけで精一杯だというのに。
けどこれだけ気遣われて彼女の言葉を聞かないのは違うと思った。
「ならまず一言謝罪をいただこうか?」
頭の上から声がした。首を動かして仰いでみると救急車の中に見知った男性がいた。
「げっ、神崎先生」
「げっ、ってのはご挨拶だな。天月桔梗君」
こちらを見る緋色の目はいかにも不満そうな輝きを放っている。寝ているところを起こされたのか、黒髪は無造作に逆立っている。同じように柳眉も逆立てている。
この人は神崎優。二九歳の若き外科医であり、俺の担当医であり、死の宣告を下した白衣の死神。
俺がこの病院に入院した少し後に他の病院から転属してきて、俺の病気を知ると前の担当医から半ば強引に役割を奪った先生だ。噂によるとかなり凄腕の医者らしいが、その行動は常識では考えられないほど破天荒らしい。
ズバズバとモノを言うので、悪意なく患者を傷つけ、善意なく患者を慰める。
俺はあまりこの先生が好きじゃなかった。
そもそもなんで医者のくせに救急車に乗ってるんだ。
「自分がどれだけ危険な状態なのかわかってんのか? 病院を無断で、しかも一人で抜け出しやがって。挙句の果てにあの山を登っただと? 本当に死ぬぞ」
医師としての言葉か、一個人としての言葉か。俺には判別できない。良い印象を持っていないこともあり、俺は反発せずにはいられなかった。
「そんなの、今か半年後かの違いでしょう? ……俺には、どっちも同じですよ」
「…………」
神崎先生は苛立ったように眉をひそめたが、それ以上は何も言わなかった。代わりにナズナが近寄ってきて、ぺちん、と額をはたかれる。
「今と半年後は違うよ。それだけ時間があるなら、良い方に転ぶこともあるかもしれないんだから。だから簡単に諦めたらダメよ」
「……綺麗事はやめてくれよ」
「諦めてるからそう聞こえるだけよ。ううん、たぶんちょっと違う」
ナズナは首を横に振り、そして慈愛に満ちた瞳で俺を見下ろした。
「あなたは自分でそう思い込んでるだけ。本音は、絶対に生きたいって思ってると思う」
「なんで……?」
ずっと上手くいっていた。努力の分だけ結果が出た。今までの生活は決して不幸ではなかったし、充実していた。
これからも楽しい日々が待っている。疑いはなかった。希望に満ちていた。
しかしそれは絶望に変わった。石化病という不治の病一つで希望も未来も失った。
もはや天月桔梗にとって生きることは苦痛でしかない。
それでも生きたいなどと、どうして思うことができようか。
「内緒。私が教えてもあなたは受け入れないでしょ。だから自分で気づいてね」
「邪魔して悪いが、そろそろ行かしてくれるか。見た目よりもかなりの重症患者なんだ」
ナズナが言ったことを問い質す前に、神崎先生に遮られてしまう。
「あ、すみません。彼のこと、よろしくお願いします」
「医師として最善を尽くします。よければ、彼のお見舞いにも来てやってください」
「はい、是非そうさせてもらいます」
軽い挨拶が済むと神崎先生と共に俺は救急車に乗せられた。ドアが閉められるその向こうで、ナズナが深くお辞儀をしている姿が見えた。
救急車が静かに発進し、遠くなっていくナズナの姿を窓越しに見えなくなるまでぼんやり見ていた。
「なんだ、あの娘? 彼女……なわけねぇよな。お前、友達いないもんな」
「さりげなくグサリと刺さること言いますね」
ほんの少しだけ落ち込みながら、問われたことに答えた。
「命の恩人、ですね。一週間前に発作起こしたじゃないですか。そのとき救急車呼んでくれたんですよ」
「へぇ、あんな時間に年頃の娘が一人でねぇ……親御さんは注意しないのかね」
「家庭の事情でしょ。詳しいことまでは知りませんよ」
「そんじゃ、今度あの娘が見舞いに来たときに聞いといてくれよ」
「なんでですか」
「興味本位だ」
なんというデリカシーのなさ。
「いやですよ。自分で聞いてくださいよ。だいたいお見舞いなんて来るはずないでしょ。友達でもないんだから」
「いーや、来るね。絶対来るね。あの娘はお前に気があると見た。だから絶対に見舞いに来るぜ」
どういう思考回路しているんだ、この人は。
「結構可愛かったしな。お前と年も近いだろ? ならお似合いじゃねぇかよ。もし見舞いに来たら連絡先くらい聞いとけ。きっと春がやってくるぞ」
可愛いか可愛くなかったかで言われれば、可愛いと思った。
しなやかな手足。蒼月のように白い肌。月明かりに濡れた黒髪。小さい顔にぱっちりとした赤色の瞳。
そんな娘と仲良くなることが出来たなら。
「お、ちょっと赤くなったな」
「……体調のせいです」
こちとら病人とはいえ年頃の男なのだ。いつか可愛い彼女を作ってデートをするくらいの願望は人並みにある。
けれど見透かされたようで気に入らない。実際見透かされているのだろうけど、やっぱり気に入らない。
「そういえば、ちゃんと謝ってないな」
ナズナの姿はもう見えなかった。