第一話「余命宣告」
「残念ですが、キキョウ君はもってあと半年でしょう」
俺がそんなふざけた宣告をされたのは、人生で何度目かの峠を越えた次の日だった。
十歳の時に『筋繊維硬化症候群』と診断された。
通称――『石化病』
読んで字のごとく全身の筋肉が硬くなり、やがて心臓も停止して、石のように固くなってしまう恐ろしい病気だ。硬化した筋繊維を無理に動かそうとすることで、筋繊維が断裂と再生を繰り返し、筋肉量が増えるという特徴がある。だから病気が進行するとむしろ体格ががっしりとして力も人より強くなる。
何もせずとも男らしい肉体を手に入れられると羨む奴らもいるけど、俺からすれば馬鹿だとしか思えない。
いずれ死ぬことは避けられないんだぞ。
少し前までは不治の病と言われていたが、現在は早期に発見さえすれば治すことができる病気だと言われている。だが成長痛や筋肉痛と区別がつかないため、診断されたときにはもう手遅れになっているケースが後を絶たない。
俺が診断されたときがこのケースだった。
小さいときから運動が得意だった。走るのも誰にも負けたことはないし、自分より身体の大きい中学生や高校生と喧嘩しても力で負けたことはなかった。
中学の時には陸上部で全国大会にだって出場したくらいだ。
異変を感じたのは中学の引退試合。全国への第一歩である地区大会での出来事。
準備運動中、まるで鉛でも詰め込んだかのように異常に足が重いことに気づいた。
前日に走り込みをし過ぎたか?
疲れが溜まっているだけだろう。そのときは深く考えなかった。いつもよりタイムは下がっていたが、ちゃんと優勝して次の大会へと駒を進められた。
部活を引退してからは日を追うごとに身体が重くなっていった。それでも体格は維持できていたし、運動能力も同世代の奴らより高い自負があった。
だからこのときも受験勉強で運動をするのを止めたからだと軽く考えていた。
異常だと自覚したのは高校に入学したときの体力テストだった。受験勉強で鈍っていたとしても明らかに中学の時よりも低下していた。身体の重さも一年前よりもずっとずっと悪化していた。
そして自分が石化病だと知った。百万人に一人と言われる病。まさか自分がそれにかかったなんて夢にも思わなかった。
即入院。ここまで進行していると筋肉を使わないことが唯一病気の進行を遅らせることができる方法だった。
けれど進行が止まるわけではない。それからは悪化の一途だ。
心臓に負担がかかり、発作を起こして倒れることもたびたびあった。硬直した心筋を休むことなく無理やり動かし続けたことで、心臓は疲弊し、心機能も段々と低下。ついには命を脅かすほどの発作を引き起こすまでに重症化してしまった。
そして診断から二年が過ぎ去った本日、担当医から余命宣告をされる始末。
この医者は容赦というものを知らないのか、生死の境から生還し、まだ朦朧としているときにそんなことを言ったのだ。母親は泣き崩れ、泣き崩れた母を父は黙って支えていた。
容赦のないその医者も医者だが、文句を言ったところで現実は変わらない。
この世に神様がいるというのなら、とんでもないド外道だろう。絶対に好きにはなれない。例え絶世の美女だったとしても嫌いになるだろう。それはもう確信と言っていい。
才能に恵まれた人間もいれば恵まれない人間もいる。容姿が整っている人間もいれば、目も当てられないような人間もいる。
そういうのは別にいい。いろいろな人間がいないと、この世界は面白味にかける。多種多様の在り方があってこそ、人間の文化は発展し、成り立っているのだから。
でも命の時間くらいは平等であるべきだ。生きたくても生きられないなんて、そんな理不尽なことなどない。たった十七年の年月で成せることなど一体何があろうか。
そんな短い時限では夢なんて叶えられない。そもそも叶えたい夢を見つけることすらできなかった。
だから神様は嫌いだ。
夢を見つけ、叶えるための道を歩み、叶えた人間がいる。
反対に夢を見る間もなく、これから探す時間すら与えられない人間がいる。
そういうのってあんまりだと思わないか?
「昼メロばっか……つまらん」
ずっとベッドの上で寝ているだけの生活。昼間のテレビなど退屈でたまらない。
外でも走れたらきっと気晴らしになるのだろうが運動などできるはずもない。見た目は健康体でも、俺にとって身体を動かすことは自分の寿命を縮める行為でしかない。
死ぬまでベッドの上で安静にしている。最期までこんな毎日が続くのだと考えたら目の前が真っ暗になった気がした。
「こんなの、死んでるのと同じだよな」
心臓が動いていて、呼吸をしていれば生きている? そんな馬鹿な。
人は世界に意味を成してこそ、自らの命に価値を見出す。
それを得られない人間など死んでいるも同然だ。
故に天月桔梗は生者にあらず。ただ生と死の境で無様に足掻く生ける屍だ。
寝返りを打って、窓の外に視線を投げる。
雲一つない晴天。蒼い天海から陽光の恵みが降り注いでいる。
「つまらないな」
相変わらず眩しい世界に俺は静かに目を閉じた。
――☆☆☆――
目が覚めたら夜だった。病室は暗い。時計は置いていないので時刻はわからない。時間による制約を持てない俺にとってそれは必要ないものだからだ。
自分の周りを見回すと、テレビの横に音楽プレイヤーと漫画雑誌が置かれていた。いつか母親が見舞いに来た時に、暇つぶし用にと頼んでおいたものだ。どうやら寝ている間に来たらしい。
「声くらいかけてきゃいいのに」
どうせまた泣かれるのだろうが、それでも会話をなくす理由にはならない。
まあどうでもいいかと呟きながら置かれている音楽プレイヤーを手に取った。右手でイヤホンを詰めながら左手で操作する。
「流行りものばっかだ」
どれもこれも最近ニュースやバラエティーで取り上げられている歌手ばかりだった。音楽に疎い母は無難なものを選んできたのだろう。
流れている曲はバラード。ピアノを主体としたゆったりと落ち着いた旋律。歌声は高くメロディーに合っていた。歌詞も綺麗な詩だった。
どんなに辛くても諦めなければ道が開く。努力をすればきっといつかは報われる。前に進み続ければ、その夢は成就する。
そういう類の歌だった。
その曲を聞いて奥歯を噛みしめている自分がいることに気がついた。
即座に再生を止めてイヤホンを耳から外す。
「……綺麗事だ」
他にも音楽は登録されているが、こんな綺麗なモノばかりが入っていると思うと聞く気になれない。
「たまには外に行ってみようかな」
もちろん担当医師の許可がなければ外出などできない。いつ発作が起こるかわからないのに一人で外に出るなんて自殺行為もいいところだ。
イライラしていたことも要因の一つだったのだろう。余命を聞かされてから自暴自棄になっているのかもしれない。
ただこのまま真っ白な部屋で終わりを迎えることだけは嫌だった。
俺は携帯と財布をポケットに押し込んで病室を出た。早速の難所としてナースステーションが現れた。見つかれば病室に戻されることは目に見えている。
「エレベータ使って楽したいところだけど……」
エレベータはナースステーションの真正面。見つからずに使うことなんてできるわけがない。
「となると、結局今回も非常階段ってわけだ」
ナースステーションから非常階段は少しばかり見えにくい。死角になっているわけではないが、看護師が意識的に見ていない限りは気づかれることはない。
十三階から地上まで降りるのは身体的には容易いが心臓的には危険だ。歩行ですら運動扱いになる俺にとって階段の昇り降りは激しい運動にカテゴリーされる。純然たる自殺行為。
しかし亀のようにゆっくりと時間をかけて降りれば問題ないはず。要は脈拍を上げなければいい。
浅い考えで大丈夫だと結論付けて、俺は非常階段に繋がるドアを静かに開いて中に入った。一段一段、それこそ亀のように十分な時間を使ってゆっくりと下っていく。地上に辿り着くまで二十分もかかってしまった。
でも身体に問題はない。
消灯時間を過ぎてしまっているので外に出るには時間外出入口から出るしかない。そこには当然、警備員が配備されているのだが、これが案外出し抜くのは容易い。
「だって寝てんだもんな、このじいさん」
還暦は超えているはずの御老人。道楽か何かでここの警備員を務めているのだろうが眠っていたのでは警備の意味がない。音を立てなければ簡単に出ることができる。
そうして無事に脱走成功。
とりあえず深呼吸。夜の空気が肌に心地良い。肺を満たす夜気の香りに心が躍った。
「おっと、平常心平常心」
興奮するのも心臓に悪い。せっかく外に出たというのに満喫する前に倒れてしまってはあまりにも意味がない。
久しぶりの外気を肌で感じ取りながら、ゆっくりと夜空を見回す。
暗い闇の中に点々と輝く数多の星々。あるものは赤く、あるものは青く、あるものは白く、何色もの色鮮やかな光が目に飛び込んでくる。その星々の主であるかのように冴え冴えと降り注ぐ月光は神秘的とさえ思えた。
病院の隣には小さな山がある。小さい頃には虫捕りをしたものだ。登り切ったところにある高台から街を眺めるのが好きで、よく足を運びもした。
いつの日かのことを思い出した。俺は高台を目指して歩み出していた。
「それやったら死ぬかもしれないんだぞ?」
高台を目指すということは傾斜を登らなくてはならないことであり、それは身体にとんでもない負荷を与える。階段を降りることなど比べものにならないほどに危険だ。
だがどうせベッドで安静にしていたところで近い将来に天月桔梗は終わりを迎える。ならせめて月明かりに照らされる街並みを見てからにしたい。
この街にはこれといって特筆すべき思い出もない。それでもここは自分が生まれ育った街だ。
自分が生きてきた世界がどのようなものなのか、この目に焼きつけておきたい。
天月桔梗が確かに生きていたということを、自分自身に証明するために。
逸る気持ちを抑えつけながら、心臓にできるだけ負担をかけないように、ゆっくりと地面を踏みしめていった。