1-2 唯一無二の存在 Ⅱ
外は四月だというのにちっとも涼しくなかった。下手すれば薄手の長袖でもいいくらいの気温だ。
「年々温暖化が進行している証拠なのかな」
俺がそう呟くと、横で葉がクスリとほほ笑んだ。
「空はいつから環境のことを気にする人間になったんですか」
「そこまで気にしているわけではないけど、暑いの苦手だからついな」
「テレビでやっていましたが、沖縄の海開きは毎年四月一日前後みたいですよ。入学式は夏服でやるみたいです」
「うげ、そう聞くと沖縄に行く気なくなるわ」
旅番組を見てると地元ではお目にかかれない美しさの海と、日本っぽさがいい意味で感じない空気に心惹かれるけど、気候の話を聞くとそれも薄れるもんだな。
「しかし真夏の最高気温は三度ほど里美ヶ丘のほうが高いんですって。亜熱帯のため暖かい日は続きますが、三十五度を超える日は珍しいそうですよ」
「……葉はいつから沖縄観光大使に任命されたのですか」
先ほどの仕返しと題し同じような言葉を投げる。まあ本当に葉が観光大使に選ばれても俺は驚かないと思う。理由は簡単、衣装が似合いそうだから!!
「ふふ、すべて雫から教わったことなんです。あの子頭いいですし、色々なことを知ってるんです」
「知らなくてもいい知識もたくさん知ってるけどな」
たまに真面目にエロゲの話をする時、俺でも軽く引くレベルの言葉を知ってるものだから対応に困る。
「そんな言い方はいけませんよ」葉は言う。
「空は少し雫に冷たいですよ。本人もそのことで、この前私に愚痴を言いにきたんですから」
「マジで?おのれ雫、葉に迷惑かけるとか許さねえ」
指をポキポキ鳴らす。すると葉は大きくため息をついた。
「そういうところです。全く、可愛い子をついつい虐めてしまう小学生ですか」
「待て、それには俺も異議がある。大体あいつを可愛いと感じたことないぞ」
「え、空の視神経どこかで切れてるんじゃないですか?」
おう、これはなかなか辛辣なお言葉頂きました。真顔で罵倒されるとか俺がマゾだったら興奮して鼻血出してるレベル。
「言っておきますが、雫だけではなく奈乃もアエルも十分――いや、十二分に綺麗です。そうみれば東雲荘は美人が勢ぞろいなんです。宝庫なんです」
「……そんなこと考えたことなかったわ」
朝倉奈乃、暴力女。
家中雫、お喋りクソエロベ作家。
アエル、ポンコツ皇女。
これが俺から見た三人なんですが。
「確かに三人とも個性的な性格をしていますが、それでもあの三人と同じ屋根の下でも普通でいられる空はおかしいです。空だけでなく海斗もです」
「海斗はただ女慣れしてるだけだろ。俺は何も感じないだけ」
「……あ、もしかして空は海斗のことが」
「どんな紆余曲折があったらそんな考えに辿り着くんだよ。そんな一部しか喜ばない脳内描写は今すぐやめろ」
以前はそんな知識は微塵にもなかった葉だが、雫との交流が増えたことにより無駄な事にだいぶ詳しくなってしまった。こんな純粋無垢で天使のような子に悪魔の囁きを行ったあのアホは迅速に処分すべき。
よし、そうと決まれば帰ってからでもパソコン壊すか。
「では単刀直入にお聞きします。空はどんな女性がタイプなんですか?」
「ん、今ここで俺のタイプを聞いてどうするんだ?」
そう返すと、葉は俺とは反対方向に顔を向けた。
「……き、気になっただけです」
「……お、ああ、そ……そうですか」
照れた様子の葉を見るとこっちまで恥ずかしくなり、ついつい敬語になってしまう。
「うーん……着飾らない人かな」考えた挙句、出たのはしょうもない言葉だった。
我ながらときめきもへったくれもない。
「……ときめきもへったくれもありませんね」
加えて声に出して言われた。ジト目なのが追い打ちかけてるからマジで泣ける。
とりあえず弁解を……。
「いや、俺はそういう素直、というかありのままがいいっていうか……」
「なるほど、無理して変わらない方がいい――ということですか」
「そういうことだ!」
物分かりがよくて非常に助かった。これが奈乃だったらもっと時間がかかってるぞ。
「……ずっとこのままなのに、どうして私に振り向いてくれないんですかね」
「ん?葉、今なんか言ったか?」
彼女は何かつぶやいたようだが、車の走行音にかき消されうまく聞き取れなかった。
「……コンビニだと少し高いので、近くのスーパーまで歩きましょう――と言いました」
「ああそうだな、その方が品ぞろえ豊富だし」
はい、と葉は微笑み俺の少し前を歩く。
ほんと、こいつにはいくら感謝しても足りないな。
――――――――――
「明日は空のリクエスト日でしたよね。なにが食べたいですか?」
葉はスーパーに着くとすぐにそう尋ねる。
東雲荘ではご飯のリクエスト日という神イベントがあり、そのリクエストに応じて葉がご飯を作ってくれる。以前奈乃が朝っぱらからチーズフォンデュをリクエストして以来いくつか制限はできたものの、それでも高確率でリクエストは通される。
「ああ、なんも考えてなかったな」
言い方が悪いように聞こえたら申し訳ないが、正直葉が作るのであれば何でもいい――これが本音だ。葉が作るのはどれも絶品であるがゆえに答えを一つに絞れない。天才だからこその悩み、というものか。そんなのがあるか知らねえけど。
「質問に質問で返すけど、葉は何か食べたいものはないのか?」
「私ですか?」キョトンとした顔で首をかしげる。なにそれ可愛い。
「ああ。葉は自分のリクエスト日は作ってないだろ。たまにはワガママ言えっての」
人(主に雫と奈乃)のワガママは嫌味一つ言わず受け入れるが、考えてみれば葉自身の要望、意見というのは聞いたことがない。
彼女自身に意識がないにしても、誰でもストレスというのは溜まっていくものだ。みな平等に発散する日を作っても罰は当たるまい。
「困りましたね……みんなが美味しく食べてくれればそれでいい。としか考えてこなかったので、いざ聞かれると出てきません」
葉は本気で考え悩んでいるのか、表情が助けを求める子猫の様になっている。
「その気持ちはすごくありがたいが、お前はお手伝いさんではなく立派な東雲荘の住人なんだ。いつも張りつめてないでさ、たまにはあのバカ二人を見習ってすこし肩の力抜けよ」
むしろあの二人にはこいつを見習ってもう少し考えて行動してほしいものだ。まったく、間を取るということができないのか東雲荘の住人は。
「さあ、家主の権限を持って命ずる――食べたい料理を言え、セイバー」
「どうしたのですか急に。セイバー……?まあいいですが」
軽く流された。あっれー、万国共通で伝わるネタだと思ったけど違ったか。
「決まりました」少し考えて葉は言う。
「私は、空が食べたいご飯が食べたいです」
「…………ふりだしに戻った」
畜生、その手があったか。
「私は答えました。次は空が答える番ですよ」
なんでもいいは許しませんから――といたずらに笑う。
「……麻婆豆腐」
悩んで挙句そう答えた。決め手は視界に豆腐が入ったからなのだが、それは黙っていた方が良さそうだ。
「はい、了解です。では私は順番に回っていくので、空は雫に頼まれたカップ麺を先に選んできてもらってもいいですか?」
「うい」そう答えては一人でにカップ麺コーナーへと足を運ぶ。
目的のコーナーはすぐ隣の棚で、そこにはかなりの種類のカップ麺が陳列されている。全国にチェーン店を構える有名店からご当地グルメである徳島ラーメンや愛知発祥の台湾ラーメン、沖縄そば、エトセトラ、etc……。相変わらずこのお店のインスタントにかける熱量が計り知れない。中には七〇〇円近いものがあるが、需要があるのかも怪しい。
「あれれ、空っち?」
真剣にカップ麺を凝視していると後ろから名前を呼ばれた。
振り返ると、見覚えのある黒髪ロングの女性がそこにいた。
「お、豊川じゃん――って、どうしたんだその恰好」
豊川茜。俺らのクラスメイトであり、同時に学級長を務める生徒。
そんな豊川だが、今は学生服ではなく白のシャツに黒のスキニーパンツ、それに加え茶色のエプロンを着用している。
「あー、うちって兄妹多いじゃん?だから親を少しでも助けるためにバイトしてるってわけ」
「へー、遊んでばかりだと思ってたけど、意外と真面目なんだな」
「なにそれひどーい」目を細め睨まれる。
豊川は一年の時も同じクラスで、その時からの仲だ。
最初は、学級委員長に自ら立候補するものだから真面目な生徒だと思っていたが、ふたを開けてみれば『楽して大学行きたいから媚び売りまくってるだけ』とにこやかにいうやつだった。いい意味でのチャラさが彼女持ち前の個性なのかもしれない。
「そんでえ兄さん。こんな時間に一人でスーパーに来るとは珍しいですねえ。あ、まさか茜ちゃんに会いに来てくれたんですか?」
豊川は遠慮なく近づき、すぐ顔の近くまで距離を詰め下からのぞくような態勢をとる。こういうところはいくらこいつでも無意識にドキッとするからほんとやめていただきたい。
「自意識過剰過ぎる考察ご苦労様。でも残念ながらハズレだばーか」
「んもー、ノリが悪いなあ。そんなんじゃモテないぞー」
やれやれ、と言わんばかりの表情を浮かべる豊川。お前に心配される筋合いないっちゅーの。
そして彼女は俺の顔を見ながら数歩後ろに下がり、距離を空ける。あざとすぎる。
「空っちの目は節穴だから信じられないと思うけど、うち目当てでここに来る生徒も少なからずいるんですーだ」
豊川は確かにノリがいい。だから老若男女問わず人気があり、校内ではファンクラブが発足されるほどのスター性を持っている。
また余談だが、うちの学校は生徒の間で《本多葉派》と《豊川茜派》というのが存在するらしい。……こう見ると偏差値高めの学校ってのも、案外馬鹿が多いんだと痛感させられる。
「その一部に俺を含むな。大体お前がここで働いてるって知ったの、ほんの数分前なんだが」
「はいはい、照れ隠しね。それはいつも教室で見てるからもういいって」
「人の話を聞け――まあいいや。ところで豊川、この中でおすすめってどれだ?」
俺は面倒なやり取りを避けるため、強制的に話題を変える。
目の前には無数のカップ麺。こういうのは店員に人気商品を聞いた方が悩まずに済む事に加えハズレを引くリスクが減る。
「うーん、好みとかある?」
「たぶんない」
「多分?」怪訝そうな表情を作る豊川。
「ああ、これは家の住人におつかいだからな。俺が食べるわけではない」
「――ふーん。あっそ」
突如、つまらないものを見るような視線が向けられる。
「…………どうした急に態度変えて。お前の逆鱗に触れるようなことしたか?」
「んにゃー、そういうわけじゃないけど」
一度、豊川は大きなため息をついた。
そして――。
「いや別にさ――空っちがもし食べるなら、《私がオススメだよ》って言えたのになー、なんて思ってないよ?これっぽっちも思ってない!」
「………………」
指での表現を加えてコミカルに演出されてもちっとも笑えない。
《《この話については返答に困る》》。
「……なあ豊川。一つ聞いていいか?」
「んに?にゃんだにゃんだ?」
いや可愛いけど、いきなりネコ語になるな。キャラが掴みづらい。
「あのさ」俺もここで一度大きく深呼吸。
「お前、振られた相手に物怖じとかしないのか?」
そう、《《俺は一度豊川の告白を断っている》》。
それなのにこいつは、告白する前と一切変わらない――否、むしろより詰めた距離感でコミュニケーションを取りに来る。
それが、とにかくやりづらい。
「なーんだ、そんなことね」
「そんなことって……」
「いやまあ意識はするよ?振られたんだよなーと」
相変わらずの軽さだった。
「でもね空っち、君は何か勘違いをしていないかい?」
言葉と同時に再び距離が近くなる。今度は限りなくゼロに近い、少しでも前に傾けば唇が触れ合う距離。
靡いた髪から感じるいい香りも相まって、豊川の顔をうまく見れない。
「ねえ空っち、《《振られたら試合終了》》って、いったい誰が決めたの?」
「――――っ!!」
耳元でいつもとは違う、少しだけ大人の雰囲気を醸し出した声音で、豊川は囁いた。
「はっはー、その表情を見る限りお主押しに弱いですな?もう少し好感度上げれば告白成功と見た!」
ニシシと笑う豊川。
そして全く笑えない俺。
……これ、なんか俺が告白して振られたやつっぽくないですか?
「人を恋愛ゲームのキャラみたいに言うんじゃねえ。あと心臓に悪いから半径三メートル以内に近づくな」
「ちぇー、意地悪だなー!」
コロッといつものように陽気に騒ぐ豊川。俺はお前のような鉄の心臓がうらやましいよ……。
「よし、そんな意地悪な空っちにはこのラーメンがオススメだ!」
俺が軽く人間不信をなりかけているにも関わらず、話題は再びラーメンの件に戻される。
差し出されたのは千葉発祥の有名なラーメン屋のカップ麺。
「この店、カップ麺出してたのか」
「うん!空っちそこが好きだって前言ってたよね」
「ああ、ここはほんと好――ってちょっと待て」
「んに?」わざとらしく微笑む豊川。
こいつってやつはほんとに……なんでこうもあざといんだ。
「わざとだろ、これ」
「てへ、さすがにこれはすぐばれるかー」
「……やっぱりか」
「私が告白した日、二人でそこ行ったもんね」
恥じらいもない表情で、彼女はそう呟いた。
「さーて、空っちいじりもここらで切り上げて帰ろっかなー」
時計を確認するとちょうど二十二時を回るところだった。
こいつ、最後俺をいじるばかりでぜんぜん仕事してなかったぞ……。
「…………すぐ帰るなら送るぞ」
「おや、優しいですな。攻略したということかな?」
「勘違いするな。女子を一人で帰すのは気が引けるからだ」
「相変わらずだなぁ……いいよ別に。本多さんにも確認とってないでしょ?」
「なんだ、葉がいるって知ってたのか。ちゅーか知っててもあんなことしてきたのか」
どこまで心臓強いんだよ。ハートの八割ダイヤモンドでできてるんじゃねえの?
「うーんまあ、《《彼女の存在があったから攻めた行動をした》》が正しいんだけど……おばかな空っちは気にしなくても無問題だよ」
「……お前は人をいじらなきゃ死んじゃう病気にでもかかってんのか」
「にゃっははは!」と豊川は笑う。
「まじめな話、いつも兄ぃが迎えに来てくれるから気にしなくてもいいよ」
「それじゃあまた明日ねー」豊川はくるりと俺に背中を向け歩き出す。
それを確認した俺は、彼女同様カップ麺コーナーを後にしレジに並ぶ葉の元へと向かった。
「やっと来た。遅かったですね」
「悪い。種類が多すぎて思った以上に悩んでた」
俺は買い物かごにカップ麺を置く。
「あれ、これって」それを見た葉がすぐさま反応する。
「たしか《《奈乃》》が好きなお店のラーメンですよね」
「……そうなのか、初めて知った」俺はそれだけ言うと、余計なことは話さずただレジを待った。
どうやら本当に豊川の好感度が俺の中で少し上がったらしく。
それが悔しくもあり、でも少し嬉しかったのは――。
誰にも言わないことにしよう。