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彼女たち  作者: 城ヶ崎
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ドッキリ・ノンフィクション

少し長いですが、良いお話です。


 楽屋に入ると、まず初めに壁一面の鏡が目に入った。広い楽屋、入ってすぐ正面の壁には、備え付けられたテーブルと鏡が貼られている。どこにいてもそこに自分の姿が写し出されて、どうにも居心地の悪さを覚えてしまう。

 入って右手側にあるわざとらしいほど真っ白な長机に荷物を置き、椅子に座る。机にはあらかじめ手配されていたケータリングお菓子が置かれていて、その中からひとつ、チョコレート菓子を手に取る。大好きだ、アルフォート。

 今日はバラエティ番組の収録、台本を読んだ限りではスタジオにてお笑い芸人さんを始めとした様々な芸能人がドッキリにかけれらている映像を観て、程よいタイミングでコメントをし、番組の終了間際に私たち『ラステール』の新楽曲の宣伝をさせてもらうという流れになっている。

  インターネットの発展とともにテレビ不要論が囁かれるようになって久しいけれども、やはりテレビの持つ広告力は侮れない。歌って踊るだけがアイドルのお仕事ではないのは私たち『ラステール』も例外ではない。

 最終打ち合わせまではまだ時間があり、他共演者さんへの楽屋挨拶は桜香おうかが来てから『ラステール』として揃って行く。というわけで手持ち無沙汰になってしまった私は、スマートフォンを取り出し、もう何千何万と繰り返しきた手つきでSNSを開く。

 雑多な情報が敷き詰められているタイムラインを程々に確認したあと、検索欄をタップする。『ラステール』『ラステール 桜香おうか』『ラステール 喜利奈きりな』など、夥しいエゴサーチの証拠が検索履歴として表示される。『桜香 かわいい』『喜利奈 かわいい』といった履歴は念のためその都度消去している。

 芸能活動を行っている者にとってSNSは宝箱にもパンドラの箱にもなり得る。賞賛の声は単純に心の栄養になるし、ファンの書きこみに反応を残すことで手軽なファンサービスを行うことができる。そのうえ自分たちのどういったところが好まれているのか、また、何が足りていないのかをダイレクトに知ることができる。しかしその一方で、手厳しい書きこみなんかにうっかり目を通してしまうとそれなりのダメージを負うこととなる。その時の精神状態によっては、つい涙が零れてしまう事も。

 しかし私たち『ラステール』はまだ駆け出しのアイドルで、そういったデメリットに臆している暇はない、それと普通に褒められてるの見て気持ち良くなりたい。


 「あ、喜利奈きりな・・・・・・おはよう」

 「お~桜香おうか、おはよ」


 肯定的な呟きを眺めて悦に浸っていると、桜香が入ってきた。外とテレビ局内の温度差か、彼女の頬が少し赤くなっている。ぐるぐる巻きにしていた淡い青色のマフラーを取ると、その白い首が露わになる。

 『ラステール』は私たち二人のユニットアイドルで、イメージカラーは私が赤で、桜香が青である。結成してしばらく経った頃、私は彼女にその青いマフラーをプレゼントし、以来、彼女は律儀にそのマフラーを使い続けている。送った側としては嬉しくもあり、こそばゆくもある。

 

 「お菓子、キットカットあるよ」

 「え、あ本当だ」


 あらかじめケータリング菓子の群れから取っておいたチョコレート菓子を桜香に示し、そのまま手渡すと、彼女はそのまま私の真横に座った。楽屋における私たちの定位置なんてものはないけれども、桜香がわざわざこうして近くに座ることは珍しい。だからこそ


 「おぉ?」


 とは声に出たものの、だからといってどうということはない、そういう日だってあるだろう。

 私の声が聞こえていなかったのか、あるいはさして気にするものでもないと判断したのか、桜香はいつものポーカーフェイスで菓子の封を切ると、それを一口かじった。アイドルにしては表情が乏しいと言わざるを得ない彼女だけれども、それはそれで需要があるらしく、おおよそ好評である。懐の深い世間様に感謝しつつ、私はそれを補うというわけではないけれども、やりすぎなんじゃないかってくらいには笑顔でいるようにしている。『ラステール』は二人で一つ、大事なのはバランスである。

 

 「そうだ桜香、これ見てみ」

 「ん?」

 「昨日投稿した桜香のおさげの写真、いつもより反応多いよ」

 「おぉ、ほんとだ」


 スマホの画面を桜香に近づけるより早く、彼女が顔を寄せて画面をのぞき込んできた。なんだか今日の桜香は近いな、とは思いつつ、やはりそういう日もあるか、と思い直し話を続けた。


 「やっぱ髪型変えるのアリだね、オフショット感が出て良い」

 「そういうものなの?」

 「そういうもんだよ、私エゴサばっかしてるからさ、もうファン心理を知り尽くしちゃったどころか、私自身が桜香のファンになってるレベルだから、こういう桜香が見たいなぁ~って浮かんだ姿がそのまんまファンの見たいものになってるのよ」

 「そ・・・・・・そう、なんだ」

 「そうそう。よしそうだなぁ、次はぁ・・・・・・」


 桜香の髪を眺めつつ、私は思案する。

 桜香の髪は長く黒い。その黒さはまるで墨汁に丸一日漬け込んだかのようだ、と私は思うけれども、きっとこの表現は適切でなく、彼女にとって喜ばしいものではないはずだから口には出さないでおく。


 「お団子、桜香のお団子ヘアーが見たい、私の中のファン魂がそう言っている」

 「お団子・・・・・・ああアレか、でも私やり方わからないよ」

 「まあこの喜利奈に任せなさいよ」

 「おぉ、さすが喜利奈・・・・・・今やる?」

 「いやごめん、私もやり方知らん」

 「えぇ?」

 「次までにやり方調べとくわ」


 談笑も切りよく終わったところで楽屋挨拶に行こうかしら、そう思い立ち上がろうとしたその寸前、桜香が口を開いた。


 「あ、あの、喜利奈」

 「おう、どした?」


 桜香に似つかわしくない、張り詰めたような声。彼女の顔を見ると、声同様その表情も緊張に満ちていた。

 大事な話だろうか、私は浮かしかけていた腰を再び落とす。

 桜香は視線を落とし、口を開けては閉じてを繰り返している。急かしてはならない促してはならない、私はあえて姿勢を崩し雰囲気を和ませようと試みつつ、彼女の言葉を待った。

 いや待てよ。

 はた、と私はある可能性に思い至る。

 桜香は前の一週間、様々な非日常を味わっている。

 というのも、今日収録のバラエティ番組の内容は芸能人がドッキリにかけれらている映像をスタジオで観るというもので、桜香もそのドッキリをかけられているうちの一人である。ただ他の人と違うのは、桜香の場合、一週間を通して体験したドッキリ、そのネタばらしが番組内で行われるという点である。

 スタジオ内にまで波及する二重構造のドッキリ、ポーカーフェイスで通っている桜香はドッキリ映えがするという判断だろうか、彼女へのそれはひときわ力が入っている。

 長い付き合いの私は桜香はそれなりに笑うし、それなりに驚いたりもすることは知っているけれども、そういった面はまだまだ世間に浸透していない。これを機にその一面が知られれば、あわよくばそれでひと跳ねしてくれれば、そんなことを私は思っていたけれども、当の桜香にしてみれば、この一週間で起こったドッキリはネタバラシがされるまで現実のことであり、その中の何かが彼女に不安感を与えているのかもしれない。

 心が痛む、けれども、歌って踊るだけがアイドルではない。こういった『バラエティの洗礼』だってより有名になるためのチャンスなのだ。

 ドッキリであることを桜香に悟られるわけにはいかない、彼女のリアクションの鮮度をネタバラシのその時まで保っておかなければならない。

 桜香がどんなことを口にしたとしても、私は隠し通してみせる。


 「あ、あの、四日前のこと、なんだけど」

 「うん」

 「お、遅くなっちゃってごめんね・・・・・・」

 「うん・・・・・・うん?」

 「わたしっ、私も、喜利奈のこと、好き」

 「うぇ?あぁ、うん、ありがとう・・・・・・?」

 

 直後、沈黙。

 桜香は幼く微笑むと、はにかんだ。ほっぺたがみるみる赤くなっていき、これが線香花火ならばプツンと落ちてしまうぞといった具合だった。

 そうした彼女の様子を眺めていると、徐々にゆっくりと、現状への理解と混乱が混然一体となって襲って来るのだった。

 何が起きた、というか、何が起きている。いや起こっていることはわかっている、しかし何故なにゆえこうなった?

 何か言わなければならない、そうしてこの沈黙を、このどこか甘苦しい静寂を打ち破らなければならない、けれども、迂闊うかつなことは口走る訳にもいかない。そうしたら最悪、私たちの間に決定的な溝が生じてしまいかねない。

 ゆえに手がかりが欲しい、この状況に至ってしまった原因、その手がかりが。

 『四日前のこと』

 桜香はそんなことを言っていた。ならばそこに事の発端があるに違いない。

 四日前、それはすなわち彼女へのドッキリが始まって五日目のことである。記憶の引き出しを慌ただしく開けていく。

 近頃は忙殺、とまではいかないまでも忙半殺し程度には目まぐるしい日々を送っていること、昨日の夜ごはんを思い出すのにすら若干の時間を要する危うい記憶力を持つ私、この二つのハンデを背負ってなお、その答えに早々にたどり着いたのだった。

 私の脳内に、四日前のことが映し出される。




 

 楽屋にて台本を眺めつつ、頬杖をついた手の中に隠すようにため息を吐く。

 今日も今日とてバラエティ番組の収録、しかしそれ自体はさしたる問題ではない。経験上バラエティ番組は細部を覚えていなくても、流れを頭に入れておけばどうにかなることが多い。共演者にお笑い芸人がいる場合はことさらである。

 悩みの種はそれとはまったく別で、桜香へのドッキリである。

 今日は彼女へのドッキリ五日目、そしてその仕掛け人は『ラステール』の片割れである私。他者よりは彼女との距離も近く親しい私に白羽の矢が立ったのは当然と言えば当然のことで、私としてもテレビでの『ラステール』の露出が増えるのは望むところだったので、鼻息荒く引き受けはしたものの、その肝心のドッキリの内容が思い浮かばないのである。

 隠しカメラを仕掛ける関係上、桜香へドッキリをかけるタイミングは定められており、そのタイミングというのが、まさに今この時なのである。

 長机、対面に座る桜香をそれとなく見ると、スマホの画面を無表情で眺めている。きっとまた動物の動画か、石鹸を切り刻む動画を観ているに違いない。

 せっかくドッキリを仕掛けるのなら優先すべきは何よりもまずインパクトだろう、かといって私一人ではできることのスケールに限度がある。ならばここは、私だから、『ラステール』の喜利奈だからこそできる事をした方が良いように思う。

 ・・・・・・よし。

 ある一つの案を思いつき、私は即座に実行に移すことにした。

 席を立つ。桜香が目だけで私を見やり、また画面に戻した。私はそのまま彼女の隣に座る。彼女はまるで意に介していないようで、一瞥もすることなく、やはり動画を観続けている。

 大げさにならないよう、努めて慎重に深呼吸をする。

 少々賭けの領域ではあるけれども、何もこの一回で終わるわけではない、手ごたえがなければまた別の手を考えよう。

 意を決して、私は口を開く。


 「桜香」

 「ん?」


 桜香が私を見たタイミングで顔を近づけ、キスをした。平熱の違いだろうか、彼女の唇は冷たく感じた。

 唇を離し、彼女の表情を見ると、『鳩が豆鉄砲を食ったよう』がそのままそこにあった。目が少し大きめに開き、口も中途半端に閉じられていない。

 自分の頬がほうっと暖かくなるのを感じる。


 「え・・・・・・えっ?えぇえっ!?」


 まるでそれまでの時間がまるごと無くなっていたみたいに、そしてその時間を取り戻すかの如く急激に桜香の顔が赤くなったかと思うと、私ですら中々聞いたことのない素っ頓狂な声を上げて、彼女は椅子から倒れ落ちた。

 想定をはるかに上回る好反応、この一撃で取れ高は十分だろう。


 「えっ、えあのっ、きり、きっ・・・・・・」

 「私ちょっと外の空気吸ってくるね」


 いま私がすべきことは、ネタバラシまでこの行為の意図がバレない事、混乱の渦に溺れて言葉を詰まらせている桜香を後目しりめに、私は楽屋を後にした。あまりにも照れくささから逃避したいという目的もあった。

 それなりにリスキーな仕掛けではあるが、そのぶん見返りも大きかった。不意打ちのキス、私たちの関係が悪くなってしまうのでは、という危惧もあったけれども、そこは長年相棒としてやってきた喜利奈からのものであればギリギリセーフ、だと思いたい。あれ、もしかしたらヤバいかも。すっごい怒ってたらどうしよ。うわすごい不安になってきた、もし怒っててもネタバラシの時に許してくれるよね?『ラステール』のためだって理解してくれるよね?

 廊下を進む足取りが少しずつ重くなっていくのを感じる。

 


 

 その後楽屋に戻ると、どこかぎこちなさはあるものの、桜香の振る舞いはおおよそ普段通りのもので、私はほっと胸を撫で下ろしたのだった。





 鮮明な映像として脳内に蘇った四日前の出来事、それが桜香からの告白の由来であることはまず間違いないと断言できる。しかしまさかあれが、こんな藪蛇な結果に繋がるとは。眠れる獅子を起こすとはまさにこのことではないだろうか。

 背中を伝う汗が妙に冷たく感じるのは、起こしてしまった事の重大さに対する罪悪感だろうか。

 思いもしない形で知ってしまった、桜香の想い。彼女のその気持ちにどのようにして応じるべきか、私はその答えを導き出せないままに口を開いた。


 「あの、あ、ありがとう桜香、すごく・・・・・・すごく嬉しいよ」

 「喜利奈」


 私の言葉に呼応するように桜香が顔を上げる。彼女の瞳は濡れていた。


 「喜利奈、わかってるよ、私たちはアイドルだから、公然と付き合うわけにはいかないって」

 「あぁうん、そう、というかなんというか、もっと別の」

 「でも私たち相思相愛ってことはわかって、二人っきりになれる時間もたくさんあるし、二人っきりでいても不自然なんかじゃ全然ないし、い、いろいろ、色々できることはあると思うの」

 「ちょっと、ちょっと落ち着こう桜香」


 ぐいぐいと迫ってきて、キスでもしそうな勢いの桜香を手で制する。

 膝同士がくっつきそうなくらいの距離で、私たちは向かい合う。

 火傷必至の、燃え盛るような情熱が彼女のうちに見えるような気がした。

 思わず頭を抱えそうになり、それをすんでのところで抑える。

 私はなけなしの気力を振り絞って笑顔を保ちつつ、今すべきことは何かについて思考を急加速させた。

 まず考えつくのが、桜香の傷がこれ以上深くならないよう可及的速やかに全てを白状し、謝ること。次に、このままネタバラシの瞬間まで演じ続けること。

 そんなことを考えていると、桜香がまた口を開いた。


 「私、喜利奈のこと本当に好き。いつも私を助けてくれて、私を支えてくれて・・・・・・さっき喜利奈は私のファンだって言ってくれたけど、私も喜利奈の・・・・・・ううん、ファンなんて言葉じゃ言い表せないくらい、喜利奈に夢中」

 「そ、そっすか、へへ」

 「あのときだって・・・・・・うん、だから、今この状況が幸せすぎて、おかしくなりそう。こうして喜利奈に触れてないと、もしかしてこれって夢なんじゃないかって怖くなるくらい」

 「う、うん」


 桜香の手が私の手を包んだ。まだ外の寒さを纏ってひんやりとしているけれども、くすぐったいようなぬくもりが感じられた。

 今から謝ったところで手遅れなんじゃないか、と思えるほど急激に彼女は思いの丈を声に出した。一つの道がじりじりと目の前で塞がれていくようで、得も言われぬ圧迫感を覚えた。

 やはりネタバラシの瞬間を待つしかないのか。しかしこれはあまりにもの悪い賭けで、ともすれば私たちの関係ひいては『ラステール』が終わる可能性すら秘めている。

 そして何より、桜香を傷つけてしまうことになる。

 桜香を見ると、目が合った。いつものどこか無機質な印象のある彼女の目には、いま確かに生気が宿っていて、光が灯っていて、そんな彼女もやはり美しいと思った。

 その刹那、ある一つの考えが私の脳裏を稲妻めいて駆け巡った。

 すなわち、本当に相思相愛ということにしてしまうのはどうだろうか、という考えが。

 まずこのまま番組の収録に臨み、予定通り桜香へのネタバラシが行われ、取れ高のあるリアクションを引き出す。そうして収録を終えたあと、きっとショックを受けているであろう桜香にし『今回のドッキリ企画にかこつけて想いを伝えてしまった、私から桜香への想いは本物』という旨を伝え、改めて告白をし、晴れて二人は相思相愛へ。

 こうすれば桜香のリアクションの鮮度を保ちつつ、『ラステール』解散の危機も回避できるように思える。土壇場のひらめきにしては、中々妙案なのではないだろうか。

 いや、と私はその思考に待ったをかける。

 そもそもの大前提として、その選択をした場合、私は桜香と隙を見てはお互いの好きを証明しあうことに、つまり恋人然とした振る舞いをすることになる。私は女の子で、桜香も女の子、私の恋愛対象は女の子ではないはずなのに、嘘をついてまで。


 「喜利奈、大丈夫? 顔色が」

 「え、あ、あぁ大丈夫だよ」


 いつの間にか伏し目になっていた私の顔を覗き込んが桜香が言い、焦りながらも返す。続けて何かを言おうとするも、今の状態だと迂闊なことを口走ってしまいそうで、思うように口が動かない。

 なぜキスだったんだろう?

 まるで混線でもしてしまったみたいに様々なことが入り乱れる頭の中、そんな疑問がぽつんと浮かんできた。

 桜香へのドッキリ、私はなぜキスを選んだのだろう?

 答えは単純で、インパクトがあるかつ、私にしかできないことだから。

 だからといってわざわざキスを選ぶだろうか、普通はもっと別の行為を模索してから最後の最後、どうしようもなくなった時に切るカードではないだろうか。

 別に桜香とキスすることに嫌悪感も、抵抗も覚えることはなかった。最初にキスをしたのはそれが理由でもあった。

 抵抗を覚えなかったのは何故か。

 唐突に始まった自問自答はやはり唐突に、そこで終わりを迎えた。

 桜香がなおも心配そうに眉をひそめて、言う。


 「本当に、大丈夫?」

 「大丈夫だよ桜香、私も、嬉しくて、なんかこう、ふわふわしちゃってた」

 「それなら、いいけど」

 「ねえ桜香」

 「ん?」


 またもや不意打ち気味に、彼女の唇に唇を寄せた。雪が降るみたいに静かに重ねて、雪解けのようにゆっくりと離した。

 耳まで熱い。きっと私たちの体温は、まるでキスを通じて均等に分け合ったみたいに同じになっていることだろう。


 「ごめん桜香、私を信じて」

 「・・・・・・うん、信じてるよ、ずうっと」


 多くを伝えるわけにはいかない都合上なにやら意味深になってしまった私の言葉に対して、なぜか桜香も意味深なそれで返してきた。

 私のこの感情が桜香への好意なのか、あるいはその種なのか、それとも全く別のものなのか、まだ判別はできないけれども、それでも自問への答えを信じてみることにした。

 番組収録の時間が刻一刻と迫ってきていた。






 

 「桜香どうしたー?元気なさそうじゃん」


 無意識のうちに出たため息を聞かれてしまったのか、前を歩いていた喜利奈さんが振り向き、そう訊いてきた。

 振付練習が終わった十九時の、帰り道でのことだった。


 「あ、ご、ごめんなさいため息なんて、仮にもアイドルなのに」

 「仮に、じゃなくてアイドルだから桜香も私も。それに、良いじゃんため息、むしろどんどんきなよ」

 「どんどん吐いて良いものなんでしょうか・・・・・・」

 「そりゃお客さんの前とかでは良くないかもしれないけど、私の前でだったら全然良いよ。それにほら、『助けてください』とか『困ってるんです』はちょっと言いにくいかもしれないけど、ため息ならそうでもないでしょ? 私、桜香が困ってたらすぐに気づきたいんだよね」

 「それは、ありがとうございます」


 いえいえ全然、と言う明るく軽い口調とは裏腹に、喜利奈さんの表情は真剣身を帯びていた。彼女はまた進行方向へと向き直り、歩を進め始めた。私もそれに続く。

 困っていることを人に伝えられない、そんな私の悪癖を、さも当然のように見抜かれていた。のほほんとしているかと思えば、ぞっとするほど計算高い一面が見え隠れしたりする、彼女の底が未だに見えてこない。

 お互い口を開かないまま、一分ほど歩き続け、川にかかった橋を渡り始めたところで、不意に喜利奈さんがある一点を指さした。


 「お、あそこ公園あるじゃん、ちょっと寄っていこうよ」

 「こ、公園ですか?」

 「うん、たまには童心に帰ろうよ、いまもまだ子どもだけど」


 いつも通っている道のはずなのに、その公園の存在に今のいままで気づけなかったのは、きっと俯きながら歩いていたからだろう。思い返すと、この帰り道の上にいるときは決まって気分が落ち込んでいた。

 公園内に入ると、なんとなく空気が変わったように感じた。公園の出入り口には自動車の侵入を防ぐ程度の仕切りしか置かれていないはずなのに、空間としては公園の中も外も明確な区別が無いはずなのに、公園内には特有の雰囲気があった。


 「広いわりには遊具が少ないねぇ」


 喜利奈さんは園内を二回ほど見渡すと、ブランコへと向かって歩いて行った。ブランコの席は四つあり、左右に二つずつ振り分けられている。喜利奈さんは右端へ座り、私はその一つ隣に座った。久しぶりに座るブランコは小さくて、私も大きくなったなぁ、と親戚のような感想を抱いた。


 「ではズバリ、桜香が悩んでいること、当てちゃおうかな私が」

 「は、はい」


 足が地面から離れない程度にブランコを揺らしながら、喜利奈さんが言った。私は息を飲み、彼女の次なる言葉を待った。


 「好きな人できたでしょ」

 「あ、違います・・・・・・」

 「あら、じゃあ、体重増えたでしょ」

 「特に変わりありません」

 「えマジ羨まし、じゃなくて、あーじゃあ勉強ついてけないとか」

 「それも大丈夫です」

 「なるほどなるほど・・・・・・」


 そう言うと喜利奈さんは顎に手をあて、いかにも推理をしていますというポーズをとった。場に妙な空気が漂い始める。これはふざけているのか、それとも本気なのだろうか、そう思った私は彼女の顔を見て、そして思わず声を出して笑った。

 彼女は闇夜に紛れて変顔を作っていた。


 「ふ、ふふふ! なんですか、それ」

 「あ、ばれた?」

 「ば、ばれるって、あはは!」


 思いもしないタイミングだったからだろうか、落ち込んでいたからだろうか、あるいはその両方だろうか、私は私の制御下から離れてしまったみたいに、自分でも驚いてしまうほど笑い声をあげた。笑いがおさまるころには目じりに涙が浮かんでいた。


 「す、すみません一人で笑っちゃって」

 「まあ私が自分の変顔で笑ってたらおかしいからね、一人で笑ってくれてて助かったよ」

 「それもそうですね」

 「じゃあ話を戻すけど、アイドル辞めたくなっちゃった?」

 「・・・・・・辞めた方が良いのかな、とは思っています」


 唐突に放り込まれた問い、私はブランコを吊り下げる鎖を握り、答える。

 やっぱりこの人は、見抜いている。


 「ということは、辞めたくないとも思ってるって解釈でいいのかな?」

 「・・・・・・はい、アイドル向いてないってわかってるんですけど、それでも辞めたくないって思ってます」

 「向いてないって思うのはなんで?」

 「私、どうしても笑顔が上手にできないんです」

 「さっきめちゃくちゃ笑ってたけど」

 「それとこれとは別です、というより、喜利奈さんもご存じでしょう、私がよく表情に関することで注意されてるのは」

 「確かに、桜香はポーカーフェイスだもんねぇ」

 「そんな上等なものではないですよ、ただ笑えないだけ、アイドル失格です」

 「やけに笑顔にこだわるね、大切だとは思うけど、そんな固執するほどのことかな」

 「・・・・・・私の憧れたアイドルが、笑顔の眩しい人だったので、笑顔で元気で、私はあの人のそんなところに救われたんです。だから私もそうなりたいって」


 知らず知らずのうちに鎖を握る手に力がもる。喜利奈さんは相槌を打つでもなく、ただ私の話を聞いていた。


 「あの人が私にとって特別だったように、私も誰かの助けになって、それで、誰かの特別になりたかったんです。でも、今の私は到底そうなれそうもなくて、身の程知らずだったんですよ。この前なんて運営さんに『笑顔もできないくせによくアイドルになろうなんて思ったね』って」


 ふふ、と自嘲の声が出た。


 「『ラステール』もいまや私と喜利奈さんの二人だけになってしまって、もう無くなっちゃったようなものじゃないですか、だから、もう、もう・・・・・・」


 誰にも話したことのない、声に出したことすらない本心。こみあげてくる感情が私の声を震わせた。

 アイドルになったって、あの人みたいにはすぐにはなれないこと、わかっていた、わかっているつもりだった。それでも現実は想像よりもずっと厳しくて、その厳しさを味わう程あの人がいかに特別かを思い知り、その特別に照らされて自分の不甲斐なさばかりが浮き彫りになっていく。

 鼻の奥がつんと痛み、涙が頬を滑った。


 「桜香、ありがとう、考えてること教えてくれて」


 それまで沈黙を保っていた喜利奈さんはそう言うと、立ち上がり、私の前までやって来ると、ポケットから取り出したハンカチで私の涙を拭った。柔らかくて、ほのかに甘い香りが鼻腔をくすぐった。


 「桜香、こう考えてみない? 『ラステール』は私たち二人で一つのアイドルだって」

 「え・・・・・・?」

 「つまりね、桜香の足りない部分を私が、私の足りない部分を桜香が補い合っていけば、桜香の憧れたアイドルにだってなれるかもしれないよってこと」


 お互いがお互いを補う、二人組という単純な形になってしまった今の『ラステール』だからこそ、その方法は明確でわかりやすいことのように思えた、けれども、そこに潜む問題点を私は指摘せずにはいられなかった。


 「補うだなんて、私なんかじゃ喜利奈さんには何も」

 「ねぇ桜香」


 私の言葉を、彼女は制するように口を開いた。その声音は優しくて妖しくて、どこか恐ろしい。

 

 「私は桜香の全部を肯定できるよ。引っ込み思案なところもネガティブのところも自己評価が低いところも、笑顔が苦手なところも、ぜーんぶ」

 

 私を見下ろす喜利奈さんの顔を見る。頭上の月明かりが彼女の顔に影を落としていて、しかしその中でも一対の瞳は輝きを放って私を射貫いている。魔性とでもいうのだろうか、妖艶なきらめき、吸い込まれてしまいそうな、飲み込まれてしまいそうな、危うい光。私は目をそらせずにいた。


 「桜香が笑顔になれないなら、そのぶん私が笑うよ、桜香の隣でずっと、ずーっと。だから桜香も私の隣で、私が笑顔なぶんカッコいい顔を見せて」


 振り返ってみると、公園に入ってからの会話がスムーズすぎたように思う。誰にも吐露できずにいた心のうちを、私はあっさりと喜利奈さんに伝えていた。まるで操られていたかのように、そうなるよう誘導されていたかのように。


 「私の特別になってよ、桜香」

 「・・・・・・はい」


 魅入られて、魅せられた。

 喜利奈さんはどこまで見抜いているのか、どこまでが計算なのか、どこからが虚飾でどこからが本心なのか。

 そんなことはどうでもいい、と私は思った。

 彼女の言動に嘘が紛れていようと、たとえ本当のことが含まれていなかったとしても、私は彼女の言葉を信じてみよう。嘘でも本当でも、私は彼女の隣に立ち続けよう。


 「よし、じゃあ早速なんだけど」

 「は、はい」

 「・・・・・・タメ口でいこう、そっちのが仲良し感出て良い感じだよ」

 「わ・・・・・・わかった」

 「よし、これからもよろしくね桜香」

 「よ、よろしく、喜利奈」


 差し出された手を握り、握手を交わす。そのまま喜利奈が私の手をひっぱり、ブランコから私を立ち上がらせた。放された手に僅かに残った彼女のぬくもりがどうにもとうとく思えたけれども、それは外気に晒され、あっけなく消えてしまった。

 もっと欲しい。

 あどけない子どものように、私は思った。


 「帰ろっか」


 喜利奈が歩き出す。私は小走りで、彼女の隣へと向かった。

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