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彼女たち  作者: 城ヶ崎
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賢い子


 私は今よりも小さい頃から勉強が大好きで、知識欲も大いに持ち合わせてます。日常の中に生じた些細な疑問などを片っ端から考え詰めて、調べてメモに取っています。私はそれを「知識ノート」と呼んでいて、現時点での冊数は十一になります。

 冊数が増えるにつれて、私の知識はより深くなり、思考能力の上昇がとどまることを知りません。我ながら大変誇らしいです。

 そういうわけで、私は控えめに言って頭が良いのです。

 しかしそんな私でも、いくら頭をひねってもわからないことがあります。最近の「知識ノート」には、もっぱらそのことについて書いています。なのに全然答えが出なくて、とても悔しいのです。

 それは一人の友達についてのことです。彼女の名前は優香ちゃんと言い、とても元気で活発的な子です。

 私が優香ちゃんと仲良くなったのは、小学一年生の時です。目が回ってしまうほど大きな体育館での入学式が終わり、これからの一年間を過ごす教室へ向かいました。そこで私は優香ちゃんと同じクラスになって、更に偶然にも席が隣同士でした。

 優香ちゃんは小学校という新しい環境に興奮を隠せない様子で、ふんふんと鼻息荒く私に話しかけてきました。それが彼女との付き合いの始まりでした。





 休み時間、クラスメイト達が喧々囂々と楽しそうに遊んでいる中、私は席に着いて一人黙々と「知識ノート」に書き込みを行っていました。皆の和気あいあいとはずむ声が、否応なしに耳に入ってきます。皆に交じって遊びたいという欲望に悶々としてしまいますが、考えたことはすぐに文字に起こしておかないとふとした拍子に忘れてしまうので、ちゃんと書き終わるまでは我慢です。理知的な私は我慢もできるのです。

 


 「りりちゃーん、遊ぼっ」


 丸めていた背中に、声がかけられました。声の主は振り返って確認するまでもありませんが、だからといって振り返らないわけにはいきません。無視なんてできるわけがないのです。

 走らせていた鉛筆を止めて、私はごく自然な、日本舞踊もかくやと思われる流麗な動きで「知識ノート」を閉じると、声の方向へ振り向きました。

 果たして、優香ちゃんがすぐ近くに立っていました。あまりにも近すぎて、彼女のお腹が視界の限りを埋め尽くしていています。

 近い、近いよ優香ちゃん。


 「何書いてたの?」

 「ひ、秘密」


 机の上の閉じられたノートを見ると、優香ちゃんは興味があるようなないような、どっちつかずな声音でそう訊きました。訊いてから、彼女は私の頭を包み込むような格好で抱き着いてきました。

 心が跳ね上がります。返答する私の声が、思わず震えました。

 これです、最近の「知識ノート」の一面を飾る疑問が、この謎の現象なのです。

 優香ちゃんとは今年でもう二年の付き合いになりますが、最近の私は優香ちゃんにこうやって触れられると、私はどうしようもなく動揺してしまいます。心が揺れます。思考が乱れます。ひどいときは、何も考えられなくなります。

 これはどう考えても異常事態です。三百六十度あらゆる角度から見ても常軌を逸しています。なにせ、鼓動が著しく早くなるのですから、不安にさえなります。

 この現象に初めて遭遇した時、私はこれが自分一人では到底対処できるものではないと悟り、お母さんに相談しました。賢い私は、己の分をわきまえているのです。

 しかし、お母さんはただ微笑むだけで、何も言ってはくれませんでした。いえ、正確には「あらあら」とは言っていたのですが、本当にそれだけでした。壊れてしまったように「あらあら」を繰り返すお母さんからは、いかなる有益な助言も得られませんでした。

 結局何もわからなかった私ですが、しかしこれだけは明言できるのです。

 この「知識ノート」の内容だけは、優香ちゃんに見られてはいけないと。


 「秘密かあ」

 「うん、秘密」

 「・・・・・・まあいいや、遊ぼう」

 「うん、いいよ」


 間一髪、優香ちゃんの注意を逸らすことに成功しました。

 優香ちゃんは私の手を取ると、軽い足取りで私を引きました。鼻歌まで歌って、とても楽しそうです。

 早鐘を打つ私の鼓動なんかに、気づきもしません。





 夜も深まった午後十時、上限の月が繁く夜空を照らしています。上限の月は月の中でも三番目に好きです。

 私はベッドの上に「知識ノート」を広げると、一項一項を仔細に読み進めていきます。考察において、情報の整理は何よりも大事です。突出した発想力がなくとも、知識の端々をつなぎ合わせることで、真実へと到達することができるのです。

 項をめくるにつれて内容は最新のものに、そして今日のものへと歩を進めていきます。その道すがら、私はあることに気づきました。

 最初の方こそ、つまりこの現象について書き始めた一月前のころの内容は、我ながら客観的な考察が記載されているけれども、最近の方に、特に今日のものになると、まるで役に立ちそうもないことしか書かれていなかったのです。

 この「記憶ノート」に書き込みを行う際、とにかく頭に思い浮かんだことを半ば機械的に書きなぐるので、当然どういったことを書いたかなんて覚えているはずもありません。つまり、家での確認作業で初めて内容を目にするのです。それゆえに、私は人知れず驚愕しました。


 ドキドキする。胸が痛い。優香ちゃんが可愛い。良いにおいがする。今日はいっぱい触れた。


 今日の分の項には、以上のようなことが延々書かれていました。これでは優香ちゃん日記です。こんなものでは、とても考察の助けにはなり得ません。

 それに、この文章はあまりにも知能が低すぎます。幼稚園児の頃の私の方がはるかに優れた文章を書けます。

 もしかすると、この文章力の垂直降下はこの研究によるものなのでしょうか。優香ちゃんに触れられると思考能力が低下してしまうように、優香ちゃんに関わることで、文章力もしくは言語能力が低下してしまっているのでしょうか。

 もしそうだとすれば、それはとっても恐ろしいことです。自らを理知的であると自負してきた私にとって、知能の衰弱は何よりも避けるべきことなのです。

 いっそ、優香ちゃんと接することをやめてしまおうかしら、いくら考えても何も答えが出ないし、それならば被害が甚大なものになってしまう前にこの研究を中止してしまうのが、賢い選択でしょうか。優香ちゃんと一定の距離をとってしまうのが、賢い選択でしょうか。

 そこまで考えて、私は力なくかぶりを振りました。

 確かに、いちいち優香ちゃんの前で平常を失うのは疲れるし、嫌です。でもそれ以上に、優香ちゃんと仲良くできないのはもっと嫌なのです。

 私は新しい項を開いてそこへ「研究続行」とだけ書き込むと、そのまま眠りに就きました。






 明くる日、この研究方法では考察材料が一切集まらないと考えた私は、授業の間、優香ちゃんを観察することにしました。都合の良いことに、優香ちゃんの席は私の斜め前の方にあるので観察も容易に行えます。授業に集中しないのはあまりよろしくありませんが、優香ちゃんをじっくりと見るためには仕方のないことなのです。私は決断力にも優れているので、こういった潔さも当然持ち合わせています。

 なぜ優香ちゃんを見つめているのかというと、私が優香ちゃんのどこに動揺してしまうのかを認識しておくためです。いわゆる共通点を発見するためです。いかなる現象にも法則性はつきものです。ミクロ的またはマクロ的に見てみると、そこには必ず一定の規則があるのです。

 受動的だったこれまでから一転して能動的に、いわば発想の転換です。コペルニクス的回転です。これはもう、真実にたどり着くのも時間の問題です。

 しかし、この楽観は大きな間違いでした。愚の骨頂と言わざるを得ません。

 どういうわけか、授業を受けている優香ちゃんのその一挙手一投足に心揺さぶられてしまいます。位置関係的に優香ちゃんの後ろ姿しか見えないにも関わらずです。

 もうこれは常軌を逸しています。昨日の今日で、凄まじい速度で悪化しています。これでは、どちらにせよ授業に集中できません。

 と、とにかく、メモを取らなければ・・・・・・。

 





 ・ドキッとした点

  授業をちゃんと聞いている。姿勢がまっすぐ。でもたまに崩す。咳払いをする。背筋を伸ばす。積極的に手を挙げている。ペン回しをする。問題を解こうとすると体が少し揺れる。時折窓の方を振り向く。その時ちらと見える横顔。


 授業が終わってみると、以上のことが、「知識ノート」に書き記されていました。

 ちょっと、これは本格的に病気かもしれません。

 もう法則性とか共通点とかそういう次元の話ではありません。本当に「一挙手一投足」に揺れています。一分の隙間もありません。

 呆気なく、法則を見つけるという試みは潰えました。強いて共通点をあげるならば、全て優香ちゃんの動作ということくらいでしょうか。でも、そんなことはもうとっくに気づいています。

 これは非常に困ったことになりました。会心の別アプローチがこうも効果なしとなると、私にはもう残された手はありません。

 まさか、開始一日目で不発に終わるとは・・・・・・。


 「隙ありっ」

 「ひゃっ」


 突然、そんな掛け声とともに背後から衝撃が加えられました。言うまでもなく、優香ちゃんでした。優香ちゃんが勢いよく抱きついてきたのです。

 我ながら情けない声をあげて、ぎょっと体が跳ね上がり、その拍子に「知識ノート」を半ば投げ飛ばすように落としてしまいました。


 「あ、ごめん。強すぎたかな」

 「あっ」


 優香ちゃんはそう言うと、床に落ちたノートを拾って机の上に置きました。

 机の上のそれは、落ちたときにそうなってしまったのか、最初の項が開いていました。私はそれを認めると、普段優香ちゃんに感じる心の動揺とは全く別の、背筋が凍るようなものをその時に感じました。

 なぜなら。


 「なにこれ?」


 なぜなら、「知識ノート」の最初の項には、「優香ちゃん研究」と大きな字でがっつり書かれていたからです。

 それは優香ちゃんの目にとまったようで、至極当然の疑問を呈してきました。


 「あー、えっとこれはそのですねあのですね何と言いますか」


 咄嗟の言い訳が思い浮かばず、しどろもどろになってしまいます。

 「知識ノート」の存在が、ましてやその内容が優香ちゃんに知られることは、何よりも忌避すべきことだったのに。

 なぜそうするべきなのか、それを論理的に理解することはできませんが、背中を伝う冷や汗が雄弁にそれを物語っていました。


 「私の名前?」

 「う、うん・・・・・・」

 「読んでもいい?」

 「え!?」

 「駄目?」

 「あ、いや、い、いいよ」


 断るべきでした。頭ではそうわかっていても、しかし口から発せられた言葉はまるきり逆のことでした。私は優香ちゃんにとことん弱いらしいことが発覚しました。

 優香ちゃんが項をめくっていきます。視線が内容を追って際限なく動いています。

 私はその間どうすることもできず、ただ優香ちゃんがそれを読み終えるのを待つばかりでした。針の筵です。それは正しく地獄でした。

 そういったたまらない時間がしばらく続いてから、優香ちゃんは途中でノートを閉じました。閉じてから、それを再び机の上に置きました。

 私は恐る恐る、優香ちゃんの顔を見ました。優香ちゃんが一体どんな表情を浮かべているのか、それを知るのがとても怖かったのです。

 しかし、私の予想に反して、優香ちゃんの表情は嬉々としたものでした。


 「・・・・・・私、嬉しいよ」

 「え?」

 

 優香ちゃんの言葉はまるで想像の範疇になく、それどころか私にとってひどく都合の良いものでした。

 もしかして、これは私の恐れが見せる逃避的白昼夢なのでしょうか。けれども、夢にはとても思えません。

 

 「りりちゃんがこんなに私のこと考えてくれて、すっごい嬉しいよ」


 恥ずかしそうに微笑んで、優香ちゃんはそう言いました。

 その表情の可愛さときたら、それはもう筆舌に尽くしがたいのです。普段の元気活発な優香ちゃんには見られない照れが、どうしようもなく私の心を捉えました。

 ああ、どうしましょう。もう、胸が痛いです。心臓が強く主張するのです。

 その時、これまでの一連の現象についての答えが、結論が、突如として舞い降りたのです。全ての経路をとばして、大胆なショートカットを経て、たどり着いてしまったのです。

 初めての経験であるそれは、しかし知識として名前を知っています。暖かく、尊いものです。




 

 結論は出たものの、それでも相変わらず優香ちゃんを前にした時の揺れは抑えきれません。でも、今ではそれも心地の良いものになりました。

 「知識ノート」の優香ちゃん項目は、もう完結しました。最後の項には、今回の現象の名前が書きこまれいて、私はそれを見返す度に何やら暖かい感情がこみ上げてきて、もうどうしようもないくらいだらしなく顔を弛ませてしまいます。けれども、それは仕方のないことなのです。

 私はそれら全てのことを、一切余すことなく、大切にしていきたいと思います。

 私は優香ちゃんが大好きなので、大切にしたいのです。

 

 

 

 

 

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