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彼女たち  作者: 城ヶ崎
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恋文と述懐

少し長くなってしまいましたが、良いお話です


 永遠に続くのではないか、とは流石に思えない程度には長い夏休みが終わって一か月と少し、あの連日のうだるような暑さが遠い昔のことのように思えるほど気温は低下し、カーディガンは必須、もしかするとブレザーでちょうど良い塩梅なんじゃないか、という具合の日だった。

 秋を一段飛ばしで超えて冬の到来すら感じさせる、しんとした冷たさが漂う廊下から教室に入ると、人の活気もあってか、幾分か暖かかった。

 秋よ、食欲の秋よ、なにゆえ姿をくらましたのか。

 自分の席に座り、傍らに置いた通学鞄から一時間目の授業科目の分を取り出し、机の中に入れていく。小学生の頃は、その日の分の授業教材を全てと、それに加えてお道具箱すら机の中に入れられたけれども、高校でその手は通用しない。いつの間にか、教科書も随分と厚くなった。

 一時間目は数学、一日の始まりにしてはかなりハードだ、数学者ですら朝一番で数学はきっと苦い顔をするに違いない、そんなことを思いつつ教科書を机に入れると、何かとぶつかった感触があった。

 この学校では『べん』は校則違反、なんて大げさに禁止にはされていないけれども、それでもバレればちょっとしたお小言を先生からいただくことになる。だから一部のマイルドアウトロー以外はみんな下校時には机の中を空にしておく、そしてその例に漏れず私もそうしている。だからこそ、机の中の先客に不意を突かれた。

 教科書の代わりに手を差し込み、それに触れる。触り心地からして紙のようで、少し厚みがある。

 手を引き抜き、現れたそれを見ると、小さな白い封筒であることがわかった。

 ハートのシールで封がされている。

 ラブレターだ。

 私はそう直感し、咄嗟に封筒を裏返してみると、そこには丸い文字で宛名が書かれていた。


 志波しば鈴奈すずなさんへ


 「へぇ?」


 私の名前は落合おちあい葉月はづきである。そして志波鈴奈とは、私の席の右隣の、私の友達である。

 人生で初のラブレター、漫画でしか見たことないようなあからさまな恋文、それはにわかに私の感情をかき乱し、そしてその感情に思考が追い付く前に、私が部外者であることがわかった。ジェットコースターさながらの乱高下、絶叫も無く。


 「葉月、なにそれ」

 

 一挙に押し寄せてきた情報の本流に戸惑い、封筒を片手に固まっていると、いつの間にか、トイレに寄っていた鈴奈が隣の席に座っていて、私の手元に視線を送っていた。

 志波鈴奈、この手紙の送り主の、意中の相手。


 「あ、ああ、鈴奈、これ、はい」

 「え、わたし?」

 

 ようやく感情と思考の整合がとれてきて、まるで金縛りにでもあったみたいに動かなかった手を動かし、封筒を鈴奈へと差し出した。鈴奈の視線はそれに追従し、数秒の間をあけて、恐る恐るといった風に受け取り、さっき私がしたみたいにハートマークの封、それから裏面の宛名を見た。


 「えぇ~マジっすか?」


 そうして鈴奈は目を細めて笑みを浮かべた。あらぬ誤解が生じていることを察知した私は、慌てて口を開く。


 「いや違うから、それ私の机に入ってたの。たぶん、というか絶対入れ間違いだから」

 「ホントかな~?」 

 「私が鈴奈に告白するとしたら、水族館とかアンタの好きなとこ誘ってそこでするわ。少なくともいまさら手紙って感じではないって、わかるでしょ」

 「そうですか~」

 「ダルっ」


 私の弁解を楽しむみたいに、鈴奈の真っ黒な瞳が私をいたずらっぽく見つめてくる。今さっきまで廊下を歩いていたせいか、頬がほんのりと赤い。

 ため息をつき、教科書を机の中に放り込む。鈴奈を見ると、彼女は体をこちらに向けて席に座り、封筒のハートマークをしげしげと眺めていた。長い黒髪の先端が脚まで届いている。実際のところがどうかは別として、そうしている彼女の姿は理知的な印象を抱かせる。


 「葉月、中見た?」

 「見るわけないでしょ」

 「そうだよね~・・・・・・これ、女の子からかな?」

 「・・・・・・第一印象は、そうっぽい」


 視線を封筒に注ぎながら、鈴奈が言った。

 彼女の疑問は、ハートの封、まるっとした書き文字から私もかすかに感じていた。男の子がそうであっても別におかしくはないけれども、やはりその二つの要素から導き出される性別は、どちらかというと女の子の方が自然であるように思う。


 「ていうか、それ早く仕舞いなよ。あんまり人目に触れたらその人も良い気しないでしょ」

 「そうだね」


 そう言って鈴奈は封筒を机の中にそうっと入れた。

 私たちの間に沈黙が訪れた。教室内では誰かと誰かの話し声が絶えず聞こえてきて、かえってそれが余計に私たちの静けさを強調していた。いつもなら他愛もない雑談に興じるところだけれども、いささかラブレターの存在が刺激的過ぎて、そういう気分にもなれない。でも、私が主導でラブレターの話を続けるのも何か違うような、碌に映画を観たことがないのに映画を語るくらいちぐはぐな、そんな感じがする。

 どっちつかずの曖昧な状態、しかし鈴奈とは、無言の時間が続いて気まずさを覚えるような、そんな間柄でもない。喋らないのなら喋らないで、それも良い。


 「・・・・・・ついに、私は女の子をも魅了してしまったのか」


 そんな私の思いを台無しにするみたいに、鈴奈があけすけに言った。


 「葉月、アンタも気を付けなね」

 「ハイハイ、ソウデスネソウデスネ」

 「あら上手、siriのモノマネでしょ?」

 「はい不勉強、どう聞いてもグーグルアシスタントだから、己の無学を恥じろ」

 「マウントの取り方キモすぎでしょ・・・・・・しかしまあ、女の子かぁ」


 鈴奈は頬杖をついて、視線を宙に漂わせた。思案にふけっているようで、普段なら影も形も無い知性がその表情に見え隠れしている。


 「おお、鈴奈、悩んでるね」

 「意外?」

 「そりゃまあ、鈴奈、最近は告白されても即フッてたし」

 「きりが無いからね、彼氏作っても最短で三日、最長で三か月しか続いてこなかったんだから、もうしばらくは結構ですってなるよ」

 「だって鈴奈、まったく彼氏優先しないじゃん、長続きしないのも仕方ないよ」

 「付き合ったばかりの恋人と葉月なら、葉月の方が断然重いんだから、そっちに傾くのも仕方なくない? 葉月も私と一緒に下校したいでしょ? 私と下校できない日は寂しいでしょ?」

 「いや鈴奈以外にも友達いるから・・・・・・」


 寂しいというのは否定しないけれども。

 なんだよ、とぼやく鈴奈を無視して、私は話を進める。


 「悩むってことは、その人と付き合う可能性もあるってこと?」

 「う~ん、葉月は、どう思う?」

 「私に訊かれても、鈴奈の好きなように、としか」

 「・・・・・・そうじゃなくて、女の子同士の恋愛とか、付き合うのって、葉月はどう思うって訊いたの」

 「ああそっち。どう思うって言われても、考えたこともなかったなぁ」


 女の子が女の子を、男の子が男の子を好きになる、そんな同性間の恋愛という概念は、昔よりもずっと世間に浸透してきていると耳にはするものの、しかしやはりそれは広い『世間』での話でしかなくて、家と学校、家族と友達で完結している私のささやかな世間ではまだまだもの珍しい。現に、それを見聞きしたのだって今この瞬間の、鈴奈に対するラブレターが初めてだ。

 きっかけが無ければ、考えてみることもしない、そして、こうしてきっかけが与えられた今、私なりに真剣に考えてみる。

 結論は、思ったよりもすぐに出た。


 「別に、どうとも思わないかな」

 「ふぅん?」

 「ありふれてる恋愛のひとつでしかないって感じかな、良いも悪いも無ければ、肯定も否定も別にしないでいいっていうか、そんな感じ」

 「えぇ~なんか無難、ズルじゃん」

 「ズルも何も、そう思ったんだからしょうがないでしょうよ」

 「じゃあさ、葉月が女の子に、こ、告白されたら、どうする?」


 そう言って、鈴奈は前のめりになった。握りしめた馬券なんかが似合いそうな、ある種の必死さすら感じられる前傾姿勢は、妙な迫力を醸し出していた。

 そんな彼女に気圧されつつも、私はやはり率直に答える。


 「そんなん相手によるでしょ」

 「おぉ~い、なんだこの毒にも薬にもならない無難ガールはぁ」

 「無難で結構ですわ」

 「ならこうしよう、身近な女の子、誰でもいいから一人思い浮かべて、その子からなら、どう?」

 

 言われてから、私は口をつぐみ、その仮定の人物を頭の中のスクリーンに映し出してみる。すると、そこに現れたのは鈴奈だった。


 「どう、誰思い浮かんだ?」

 「鈴奈だけど」

 「え、えっ!? まま、マジ・・・・・・?」


 若干の気恥ずかしさを覚えつつもそう答えると、鈴奈は意外にも狼狽えた。威嚇でもしているのかという程度には大きな声を出すものだから、私まで意表を突かれ、声が出そうになった。

 なんだコイツ、前に行ったお化け屋敷のときよりビックリしてるじゃないか。

 あえておもてに出すまいとしていた照れが、彼女の反応で増幅させられてしまったようで、顔が少し熱くなるのを感じた私は、それを排熱するみたいに、慌てて口を開いた。

 

 「いやだって、一番仲いいのアンタだし、今日まだアンタとしか喋ってないし、当然っちゃ当然でしょ」

 「あ、あぁそっか、確かにそうかも」

 「うん」


 そうしてまた、私たちの頭上に蓋をするみたいに、沈黙が訪れた。さっきと違うのは、今回のはいたたまれなさを覚えてしまう類の、居心地の悪い、できれば味わいたくない方の静けさであること。

 なんだこの話題は、いったい誰が得するというんだ。

 身じろぎし、それとなく時計を確認する。ホームルームまではまだ少し時間がある。


 「よ、よし」


 不意に鈴奈がそう呟いた。決意を固めるとき、暗示的に、自分に言い聞かせるために呟くような、そんな声音だった。


 「オッケー、じゃあ葉月さん、そのままどうぞ」

 「はい? どうぞって、何を?」

 「続きだよ、シミュレーションの」

 「へぇ?」

 「私を思い浮かべたんでしょ、だから、その、ねぇ、私から告白されたらどうすんの、的な」

 「どうすんのって言われても・・・・・・ねぇこのノリちょっとダルいんだけど」

 「じゃあわかった、葉月さん好きです付き合ってください、はい、葉月さんは大親友の鈴奈さんに告白されました、はいどうしますか」

 「アホか」


 私はそう言い捨てた。

 なんだか今日の鈴奈は、どうにも様子がおかしい、学校に来るまではそんなことなかったのに。

 野生の本能か何かで危険信号じみたものを受信した私は、鞄の中に手を入れ、授業の準備を装った緊急避難を試みる、けれども、視界の外から伸びてきた手が、私の手首を掴んでそれを阻止した。

 顔を上げる、鈴奈と目が合う、彼女の黒い瞳が私をまっすぐに射貫いぬいている。


 「お願い、真剣に」

 「・・・・・・これでラストね」

 「うん」


 鈴奈の手が私から離れていく。

 体を起こして頬杖をつき、鈴奈を見つめる。鈴奈もまた私を見ている。つい目を逸らしそうになるけれども、それをしたら負けたような気がして、あえて彼女に視線を固定し、また私は考える。

 鈴奈に告白されたとして、私はその時どうするか。

 良いよ付き合おう、と返事をしている自分の姿がどうにも想像できない、けれども、ごめん、と彼女をフる姿はもっと想像できそうにない。

 どちらの選択も私たちの関係に不可逆的な変化をもたらしてしまう事は確実で、その変化が良いものであろうと悪いものであろうと、そこには必ず躊躇が生まれてしまうけれども、こればかりは、選ばないという選択肢はない。なら優先すべきは、私が何を大切にしているか、だろうか。

 私にとって大切なのは、鈴奈との関係に他ならない。一緒に登下校して、一緒に遊んで、一緒に笑って、一緒にいる、これこそが肝要かんようなことで、これだけは失いたくない。ということは、フるという選択肢だけは取れるはずもなく、ほとんど消去法的に付き合う選択を取ることになる。

 しかし、消去法で付き合うというのも如何なものだろうか、と私の中の理性が首をもたげる。それは今の私にはあまりにも不誠実に思えた。

 いや違う、きっとこういうことじゃない、私は勘違いをしている。

 いま私がすべきことは、考えることではなく、想像することだ。鈴奈が相手なら、頭で考えるのではなく、心に従う方が良いように思える。

 単純に、ただ素朴に、二つの選択肢のその向こうにいる私について、想像してみる。

 一つは、今まで通り楽しそうにしている私。もう一つは、寂しそうにしている私。

 答えは明白だった。


 「・・・・・・付き合うんじゃない」


 それは独り言のような声量だった。目の前の鈴奈はそれを聞き取ることができず、しかし私の口がかすかに動いたことだけはわかったようで、彼女は二回三回と瞬きをしてから、口を開いた。


 「え、何て言った?」

 「・・・・・・教えない」

 「うそ、なんでっ?」

 「もう言ったから、聞き取れなかった鈴奈が悪いから、はい、もうこの話おしまい」

 「えぇ~ここまできてそれはないですよ葉月さまぁ」

 「うっさいわボケぇ!」


 私はそう言い放ち、顔を逸らした。

 私の答えは鈴奈にも、誰の耳にも届かなかったけれども、それでも声に出して言ったということだけは確かで、例え今この瞬間に超巨大隕石が落ちてきて地球がまるごと無くなったとしても覆りようのない事実で、その事実が私の頬を赤く染めていく。だからこそ私は顔を隠すように逸らす。この顔を鈴奈に見られるのは、なんとなく、まずい気がする。


 「ていうか、こんな話してる暇あったら、ラブレターの返事考えときなよ」


 むずがゆい空気を塗り替えるために、話を元あった場所に戻そうと試みる。

 

 「・・・・・・うん、そうだね、ごめん」


 そう答えた鈴奈の声はどこかしおらしかった。

 鈴奈の方を向きはしないものの、様子が気になったからか、耳だけが妙に冴えて、彼女が鞄を開けて、そこから何かを取り出している音が聞こえてきた。

 気になって、彼女を捉えようと横目で見てみると、いつのまにか私のすぐ横に立っていて、私は思わず後ろにのけぞった。


 「な、なに」

 「これ、どうぞ」

 「へぇ?」


 差し出された鈴奈の手には、一枚の封筒が、ついさっき私が手にしたラブレターがあった。

 私はただ困惑する。


 「え、は、どういう」

 「んっ!」


 少し怒気を含んだ声で、鈴奈はそのラブレターを私の眼前に突き付けた。その迫力たるや督促状を突き付ける借金取りさながらだった。

 私の目の前にはラブレターの裏面で、そこには丸い文字で宛名が書かれていた。


 落合葉月さんへ

 

 「へぇ?」


 我ながら素っ頓狂な声をあげてしまう。

 落合葉月とは私のことで、しかし、ここに書かれているのは志波鈴奈という名前だったはずで。

 まるで手品でも見せられているかのような、幻でも見せられているかのような、何が起きているのかまるで理解ができず、私はただただ呆気に取られていた。

 

 「ごめん、さっきのラブレター、私が用意したやつ。これも私が用意したやつ」

 「・・・・・・ぜんぜん理解が追い付かないんだけど」

 「りぃ、理解する前に受け取って!」


 半ば押し付けるようにしてそのラブレターを私の手に乗せると、鈴奈は席に座り、その勢いのまま机に突っ伏した。

 そんな彼女の一連の動きを見届けて数秒の後、一挙に押し寄せてきた情報の整理が追い付いてきた。そうして、この手に渡されたモノの意味を、おもむろに理解していく。


 「す、すずな・・・・・・」

 「騙してごめんなさい! 嫌いにならないで!」


 そう叫ぶ彼女の声はくぐもっていた。


 「いや、え、ちょ、鈴奈・・・・・・おい志波鈴奈! 顔あげろ! こっち見ろテメェ!」

 「ごめんなさい! 今はちょっと勘弁してください! あと、ごめんなさいって返事はしないでください!」


 依然として鈴奈は顔を伏せている、けれども、長い髪の隙間から、燃えるように赤い耳が見え隠れしていた。

 尚も追求しようと口を開いたところで、先生が教室に入ってきて、それと同時にチャイムが鳴った。ちょうど、逃げられた形になる。

 私はため息をつき、ラブレターをしげしげと眺める。気のせいか、封をしているハートのシールがさっきのものよりも一回り大きく見えて、思わず笑みがこぼれた。

 釈然としないけれども、それでも、選ばないという選択肢はない、私の心に従う他ない。


 「ズルいのはそっちでしょ」


 私はひとり呟き、そのラブレターを、クリアファイルに大切にしまった。

タイトルと登場人物の名前はこだわらないようにしようと心掛けているのに、どうしてもその二つに頭を悩ませてしまいます

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