彼女曰く偽装(上)
(下)は明日投稿します。よろしくお願いします
「空音、私の恋人になってほしいんだけど」
昼休みの昼食時間、いつものように机をひっつけてお弁当を箸で突いていると、出し抜けに瑠璃がそう言った。
からあげを摘まみ上げていた箸を止め、私は首を回して辺りの様子を見渡した。
夏休みが目前に迫るこの時期、教室内は平常時よりもずっと緩んだ雰囲気に満たされていて、その楽しい夏休みの前に待つ地獄のような期末テストの事をすっかり忘れてしまっているみたいに、みんな、友達と一緒にお昼ご飯を食べながら、これからの予定について、笑い声を交えながら話し合っているようだった。誰一人として、今の彼女の発言を聞いていた人はいないようだった。
私はほっと安堵し、瑠璃に言う。
「ちょっとちょっと瑠璃さんよ、告白するにしてもムード考えようよ、というかもっと葛藤しなよ、十年以上にわたって築かれてきた私たちの友情が崩壊しかねないんだから、その告白で」
私がそう苦言を呈すると、瑠璃は澄ました表情で手を振り、口を開いた。
「ああいや、そういうんじゃなくて、ううん、見せかけの恋人になってほしいの」
「見せかけ?」
恋人、という単語を修飾するのにおよそ相応しくない言葉の登場に、私は思わずオウム返しする。
彼女は頷き、続ける。
「もうすぐ夏休みじゃない?」
「その前に期末テストあるけど」
「そんなのあって無いようなものでしょ、空音はおバカだから一大イベントみたいに捉えてるけれども」
「ついでみたいに馬鹿にしないでよ」
「それで、まぁ、夏休み前ってみんな恋人作ろうと頑張りだすじゃない?」
いかにも呆れた表情を浮かべて、瑠璃は言う。
夏が舞台の恋愛ソングや恋愛漫画、恋愛映画に影響されやすい私たち高校生にとって、夏休みは恋の季節であり、そんな時期にみんなが恋人を欲しがり始めるのは仕方のないことだと思う。現に私もイケメン彼氏欲しいし。
そう口にしようとしたら最後、日常の片手間で読書を嗜む瑠璃の、その豊富なボキャブラリーから放たれる数々の罵倒文句によってハチの巣にされてしまうだろう、そう予感した私はあえて口を噤んだ。
「そうなると私に甚大な被害が及ぶのよね、私って容姿が良いから、みぃんな玉砕覚悟で告白してくるの」
「わぁ、言い切った」
「去年の夏、何回校舎の裏に呼び出されたか、覚えきれなかった」
彼女の言葉が呼び水となり、私の脳裏に去年の、高校一年の夏のことがありありと思い浮かんだ。昼休み、放課後どころか、授業と授業の合間の十分間にすら校舎裏に呼び出され、想いの丈を伝えられまくった瑠璃の姿、もはや羨ましいとすら思えなかった、その姿。
はぁ、とわざとらしくため息を吐き、彼女は頬杖をついた。
「お行儀悪い」
「いまご飯食べてないからいいんでーす」
「え、そういうものなの?」
「わかんないけど」
箸を動かし、空中で待ちぼうけを食らわせていたからあげを口に運び、飲み込む。
瑠璃の言う通り、彼女は端的に言って可愛い。性格面ではかなり引っ掛かりが多いけれども、魚の小骨のように飲み込み辛いけれども、受け入れることは容易ではないけれども、そんな内面を度外視すれば、彼女はとても魅力的だ。同じ女の子である私がそう思うのだから、男の子からすればもうとんでもないだろう。
「で、私もうそういうの嫌だから、これ以上悲しみに暮れたまま夏休みに突入する人を作りたくないから、正式に恋人つくろうと思ったの。まさか恋人いる人に告白する人はいないでしょう」
「どうだろう、略奪愛ってことで、より燃える人もいるかも」
「そういうのは例外、数に入れなくて結構。とにかく、少なくとも数は減るでしょ」
「それはそうだろうね」
「それで、改めて空音、私の恋人になってほしいの」
「うーん?」
最後の彼女の言葉に、私は腕を組み、疑問を示してみた。
「あ、今『うん』って言った?」瑠璃は目を輝かせた。「受け入れてくれるの?」
「ちゃんと語尾に疑問符つけてたよ、聞こえてたよね?」
「うん」
「わ、意外と素直、潔い」
中途半端に憎み切れないあたり、余計に質が悪い。
「五歳の頃からの付き合いだから知ってると思うけどさ、私達って女の子だよ?」
「それくらい知ってる、馬鹿にしないで」
「仮に私が瑠璃の恋人になったとして、ちょっと説得力足りなくないかな?」
「そう? 私の顔は同性の女の子すら魅了してしまう、という解釈にはならない?」
表情を変えることなく平然と言ってのける瑠璃に、私は困惑した。どんな作品に出てくるキャラクターよりもずっと傲慢な人間が、まさか現実にいて、しかもそれが幼馴染だったとは。
「そもそもさ、もし仮にその作戦に付き合ったら、私の今後の高校生活どうなっちゃうの? 彼氏とか作るのすっごい大変になると思うんだけど」
「作戦に付き合おうが付き合うまいが、いずれにしても彼氏はできないよ空音には。だって隣に私がいるから、男の子はみんな私ばっかり見て、空音のことなんて少しも見ようとしないから」
「なにを~」
とても長年の付き合いのある親友の、それどころか良心を持った人間のものとは思えない発言に、私はムッとする。
「瑠璃は私になら何を言ってもいいと思ってるの?」
「だって空音怒らないし」
「ほ~う、そこまで言うなら、いますぐ私の顔面をグーでパンチするか、私の大切な人を思い切り罵倒してみなさい、髪の毛逆立てて怒ってあげるから」
「そんなにしなきゃ怒んないの・・・・・・? 何だか空音の将来が心配になってきた」
後ろ髪を摘まみ上げて逆立たせてみせると、瑠璃は眉尻を下げて、悩まし気な視線を私に向けた。
「とにかく、ごめんなさい。私は瑠璃の恋人になりません」
向こう一年半の高校生活、その中に潜んでいるであろう恋の種を守るべく、その種が発芽し無事に花を咲かせられるように、私は控えめに頭を下げた。
数秒の沈黙の後、頭を上げて瑠璃を見てみると、彼女は具沢山のサンドイッチを一口齧っていた。
とても嫌な予感がした、彼女の異様に自信に満ち溢れている中の、悪い部分が顔を覗かせるような、そんな未来図が見えた気がした。
私は先手を打つ。
「あのさ、他の人に頼んでみたらどうかな? 勿論ちゃんと人は選ぶんだよ、後腐れが無さそうな人にするんだよ」
「嫌だ」
口早に放つ私の言葉を、彼女はその一言で一蹴した。
「何でぇ」
「嫌なものは嫌、空音じゃないとダメ」
「えぇ~、固い絆が悪い形で出ちゃった。こんなこと起こり得るんだ」
首を横に振る彼女の決心は硬そうだった。自分の意思を頑として貫こうとするその姿勢は、たぶん褒められるべき要素なんだろうけれども、今回に限っては迷惑極まりなかった。
私はため息をつき、そっと窓の外に視線を移した。
空は絵の具でべちゃべちゃに塗りたくったみたいに真っ青で、それを背景に綿あめのように白くて大きな雲が漂っている。
たちどころに汗が滲むような暑さにうだっている時よりも、人類の大発明のうちの一つであるクーラーがもたらす涼しさに感謝している時よりも、海で泳いでいる時よりも、甘いスイカを食べている時よりも、こうして青い空を眺めている時が、一番夏を感じる。
似たような空は一年の間、春夏秋冬いつでも見る機会があるけれども、やっぱり夏の空は他の季節とは違う、少なくとも私の目にはそう映っている。
なんで瑠璃は告白を断るんだろうな、と私はふと疑問に思った。
恐らく同学年のほとんどの男の子に告白された瑠璃なら、イケメンや心優しい人、あるいはその両方を兼ね備えた人、何だって選びたい放題だ。もし私が彼女の立場なら、一も二も無く付き合っているだろう。
もし告白された時点で好きでなくとも、付き合っているうちに好きになっていく可能性は大いにある、というか、世の中の多くのカップル達はそうして両想いになっていくんじゃないだろうか、私は恋人できたことないから分からないけれども。
この心躍る夏を、誰か素敵な人と一緒に過ごしてみたい、という願望は彼女には無いのだろうか。このままでは例年通り、私とダラダラ過ごす夏になってしまう、それは余りにも勿体ない。
そんな事をつらつらと考えているうちに、いつの間にか、吸い込まれるような空の青さに見惚れて、ぼうっとしてしまっていた。考え事は苦手だ。
「ねぇ」
不意に、怒気をはらんだ声が聞こえた。瑠璃を見てみると、彼女は不機嫌を隠そうともせず、私を睨みつけるように見ていた。親の仇でも見るような目だった、友達に向ける目では断じてなかったけれども、そんな表情すら可愛らしいんだから、もうズルいとしか言いようがない。
「空音がこのまま断り続けるなら、私もうテスト勉強に付き合ってあげないから」
「えっ、それは困るよとっても困る」
彼女の言葉で、瞬間的に脳裏に浮かんだのは母の姿だった。
中学生の時、定期テストで低い点数を得点するにつれて母の顔が恐ろしいものへと変貌していき、一時は、般若のお面と見分けがつかないほどになっていったこと、あわやお小遣い消失というところを必死に宥めて食い止めていた父の勇姿を思い出し、身震いする。
「どう、私の恋人になってくれる?」
冷徹な目で瑠璃は私を見つめた。
血も涙もない冷血女め、と罵倒したところで、彼女の心には少しのダメージも入らない。
「うん、以外の返事は要らないから」
「う・・・・・・うん、わかった」
私は目を閉じ、ゆっくりと頷いた。
「わかったって、何が? ちゃんと言って誤解の無いように」
「だから、そのぉ、瑠璃の恋人役するよ」
「役は・・・・・・まぁいっか、よし、じゃあ今日からよろしくね空音」
太陽が後ろに控えているんじゃないか、というほどに眩しい笑みを彼女は浮かべた。
よくもそんな笑顔を浮かべられたな、私は苦々しく思い、二つ目のからあげを口に運ぼうとすると、「待って」と瑠璃が手のひらを私に向けた。
「私が食べさせてあげる」
「へっ?」
虚を突かれ呆然とする私に構うことなく、彼女は私のからあげを指で摘まみ、私の口元へと寄せた。
「あ~ん」
「いやいや」
「別に、指にあたってもいいけど?」
「いや指、そっちがよくてもこっちはちょっと嫌かなぁいくら瑠璃といえども、人の指を口の中に含むのは」
歯医者さんくらいでしか経験したことがない。
そうして私が食べあぐねていると、瑠璃の目が冷たく光った。
「テスト勉強・・・・・・」
「わかったよ、食べるから、怖いこと言わないでよ」
意を決して、私は彼女の指に口を近づけた。
せめて周りに見られていませんように、と心の中で祈ってから、どうせすぐに恋人関係であることが明かされるんだ、と思い直し、げんなりした。
口を開けると、瑠璃の指ごとからあげが入ってきた。口を閉じると、彼女はおもむろに指を抜いた。
「どう、おいしい?」
「まぁ美味しいよ、お母さんが作ったんだし」
瑠璃はまるでピクニックにでも来ているかのように楽し気な笑みを浮かべて、サンドイッチをまた一口食べた。
未来の彼氏よ、どうかそこで消えずに待っていてください。
そう願い、私はからあげを飲み込んだ。




