ホワイトデイ・ビギナーの深読み
学校への登下校は、いつも校倉と一緒にしている。毎朝、私と彼女の家を結んだ線の中間あたりにあるコンビニで待ち合わせをして、ゆったりとした足取りで学校へと向かう。
小学生の頃からの、自然の成り行きでできた私と校倉のルールだ。
二月十四日の朝も、私は普段通りそのコンビニで校倉を待っていた。彼女はいつも私より一分や二分ほど後にやって来る。彼女が遅れているのではなく、私が待ち合わせ時間よりも若干早めに来ているからだ。
「にっしー」
少し離れたところから、私を呼ぶ声が聞こえてきた。私はその声を幾度となく聞いてきた。目を向けて確認するまでもなく、その声の主は校倉だ。
「おはよう」私が挨拶をすると、校倉もまた「おはよう」と返して、肩に掛けた鞄に手を入れて、何かを取り出そうとしていた。その作業に手こずって鞄が揺れ、指人形とぬいぐるみのちょうど真ん中くらいの大きさの、猫のストラップが元気に揺れていた。
「なに、何か忘れ物?」
「いや、違うー・・・・・・あ、あった」
そう言って彼女が鞄から取り出した物は、薄い赤色の包装紙でラッピングされ、その上から緑色のリボンでくくられた、一つの箱だった。つい二か月ほど前のクリスマスを彷彿とさせる色合いだった。
「これ、あげる」
校倉がその箱を差し出してきた。受け取って見てみると、包装紙に皺が寄っていたり、リボンの結びが緩かったりと、どこか抜けた印象を覚えた。
「これは?」
私が訊くと、校倉は目を大きく見開いて、言葉ではなく表情で「信じられない」と言った。小さい頃からの付き合いの私でなくともわかるような、あからさまな表情だった。
「にっしー、マジで言ってる?」
「え、なにその反応、怖いんだけど」
「今日が何日か知ってる?」
「今日? 今日は・・・・・・十四日」
「十四日と言えば?」
「・・・・・・バレンタインデー?」
「そう、正解」
校倉が力強く頷いて、わざとらしい拍手をした。朝から元気な彼女の様子は眩しかった。
「いやぁ、即バレンタイン出てこないって、にっしー、女子としてどうなのよ」
心底呆れました、という風に校倉が言った。その声音には嘲るような雰囲気が無く、ただ純粋な憂いを帯びていて、それが私の心のどこかナイーブな部分に触れた。
私は慌てて言い返す。
「だぁ、だって、これまでバレンタインとは無縁の人生だったし、そもそも校倉が私にチョコくれたこと今までになかったし、気づけないって普通」
「そうかな? ふつう縁が無くたって、全国の中学生はバレンタインデーを意識してると思うけど。十四日にラッピングされた物を渡されたら、チョコレートだって考えるんじゃないかな」
「そ、そんなことないし。というかそもそも、何で今になってチョコくれるの? どういう心境の変化?」
話の流れが厳しくなってきたため、私は話題の転換を図るべく、校倉の真意を問いただしてみることにした。すると彼女は目を細めて、首に巻かれたマフラーで少し隠れ気味になっている口角を上げて、何やら意味深な笑みを浮かべた。
「ホワイトデー、お願いね」
そう言って、彼女は私の肩を二回叩いた。
それがつい一か月前の出来事だった。
そして現在、ホワイトデーを翌日に控えた三月十三日、そういえば校倉からチョコレートを貰っていたな、と思い出した私は、ホワイトデーのお返しには何が適しているのかをインターネットで調べた末に、お返しのお菓子それぞれに固有の意味があるという、驚愕の事実を知った。
例えば、クッキーには『あなたは友達です』という意味があるらしい。そして中でも強烈なのが、マシュマロと飴の二つで、マシュマロには『あなたが嫌いです』、飴には『あなたが好きです』という意味がそれぞれあるらしい。
検索して一番上に出てきたサイトにそう記載されていたのだから、信憑性もそれなりにあると言っていいだろう。
危なかった、と私は背筋を走る冷たいものを感じた。明日、何も知らないままにこれら二つの内のどちらかをお返しとして校倉に渡していたら、一体どうなっていたことやら。
「・・・・・・いや、考えすぎか」
ふと冷静になって、私は独りごちた。
私と校倉は友達で、そもそもお互いが女の子で、そういったホワイトデーが持つ恋愛的な意味合いを意識する必要なんてどこにもないはずだ。
そう思うと、途端に今までの自分が恥ずかしく思えた。
何を意識しているんだ、私は。
勉強机の上にある時計を確認すると、時刻は既に夜の九時を回っていた。今から明日のためのお菓子を買いに行くのを面倒に思い、一階に降りて、居間でテレビを見ている両親のもとへと向かった。
「お菓子ある?」
そう訊ねると、「飴と、あと柿ピーくらいしかなかったんじゃないかしら、」とお母さんが答えて、「その柿ピーは今お父さんが食べてる」とお父さんが付け加えた。
「飴・・・・・・」
「あれ、あんた飴嫌いだっけ? でもそれで我慢しなさいよ、戸棚に入ってるから。もう遅いし、買い足しに行ったらダメだからね」
「ああ、うん、大丈夫」
キッチンに向かい、戸棚からソーダ味の飴が詰まった袋を取り出して、部屋に戻ってベッドに寝転がる。
よりにもよって飴しか残っていないとは、神様のいたずらか何かだろうか。
『あなたが好きです』
ほとんど反射的に、その文言が脳裏に浮かんだ。
いやいや、と私はかぶりを振って妙な考えを払った。今さっき意識しすぎだと自戒したばかりじゃないか。それなのにまたぶり返して、私は何がしたいんだ。
そもそも、校倉からのチョコはいわゆる友チョコで・・・・・・。
その時、妙なひっかかりを覚えた私の中の何かが待ったをかけた。
そのひっかかりの正体を解き明かすべく、私は部屋の天井にある照明を眺めながら、深く鋭く思考を研ぎ澄ましていく。
ひっかかりの正体は、思いの外あっさりと出た。
そういえば、校倉が私にチョコを渡した時、彼女は一度も『友チョコ』だとは口にしていなかった。
別に、わざわざ口にしなかっただけで、校倉としては『友チョコ』のつもりだったのかもしれない、というより、その可能性が高い。
しかしそれは同時に、『友チョコじゃない別のもの』として私に渡してきた可能性も、限りなく低いながらも存在することになる。
それに、不審な点はまだある。
校倉との付き合いはもう七年くらいになるけれども、その間、彼女がバレンタインデーにチョコをくれたことは、ただの一回だってなかった。それをどういう訳か、今年に限ってくれた。その上、あのラッピングの不格好さからを鑑みるに、まず間違いなく手作りのチョコレートだった。
気まぐれだったり、何かしらの心境の変化だったりと、校倉のその行動に当たり障りのない理由を付けることはできるけれども、たったそれだけのことで、チョコレートを手作りするだろうか。
長年連れ添ってきた友人に対して恋心を抱いてしまっていることに、ある日ふと気が付いた校倉は、その想いを暗に伝えるために一念発起して、手作りチョコレートをバレンタインデーにその想い人に渡した。
そういう筋書きの方が、説得力があるように思えてならなかった。
これがズバリ的を射た名推理なのか、はたまた妄想じみた深読みなのか、それを決めるには些か判断材料が足りないように思えた。
一か月前の十四日の朝のことを記憶の引き出しから取り出し、見返してみる。他に何か判断材料足り得るものがあるとすれば、ここ以外に無い。
うろ覚えながらも、彼女と交わした会話を最初から思い返していく。そして、ピタリと、ある一点で止まった。
「ホワイトデー、お願いね」
それはあの日の、朝の校倉の最後の言葉だった。
お願いね、という言葉を校倉が選んだことに、もやもやとした違和感を覚えた。「お返ししてよ」や「忘れないでよ」なら素直に腑に落ちるのに。
お願いね、という部分に、言葉以上の意味が含まれているように感じた。それはほとんど直感のようなものだったけれども、しかし女の勘は鋭いとたびたび耳にするし、尊重するべきだと思えた。
長年連れ添ってきた友人に対して恋心を抱いてしまっていることに、ある日ふと気が付いた校倉は、その想いを暗に伝えるために一念発起して、手作りチョコレートをバレンタインデーにその想い人に渡すことにした。それでもやっぱりその想い人から何かしらの返事が欲しい彼女は、自分の真意を気づかせるためのヒントをいくつか撒いておくことにした、「ホワイトデー、お願いね」という言葉と共に。
これまでの材料を考慮してみると、そのような筋書きが一番妥当であるという確信に至った。
これは、大変なことになったぞ。
まず間違いなく、校倉は私のことが好きだ。その上、彼女は明日のホワイトデーに私の返事を必要としている。
どうしよう、と頭を抱えたところで、即決で断るという選択肢を取らない自分自身を私は意外に思った。
もしかすると私は、校倉の恋人になることを満更でもないと、無意識に考えているのかもしれない。
自らの気持ちを明らかにするために、校倉と手を繋いで歩く自分の姿を想像してみる。昔はよくそうしていたからか、嫌悪感は全く無かった。
次に、校倉とデートする自分の姿を頭の中に描いてみる。これもやっぱり、嫌悪感は無かった。
最後に、校倉とキスをする自分を瞼の裏に映して見た。頬が熱くなって、今までに感じたことのない恥ずかしさで体がそわそわと落ち着かなくなったけれども、それでもやっぱり、嫌悪感は無かった。むしろそれを受け入れる自分の姿だけがあった。
なるほどな、と私はひとり納得した。
まず間違いなく、私は校倉のことが好きだ。
私と校倉は、無意識下で両想いだったんだ。
手に持っていた飴を持ち上げて、照明の光にかざす。
だったら、明日私が渡すものは、一つだけだ。
私は決意を固めた。
翌日の朝、私はいつも通りコンビニの前で校倉を待っていた。鞄の中の飴に手をかけて、いつでも取り出せるようにしていた。
心臓が早鐘を打っていた。胸が痛いほどだった。勢いで心臓が口から飛び出してくるんじゃないか、とすら思えた。
思い返せば、誰かを恋愛的な意味で好きになるのは初めてだった。校倉が私の初恋だった。初恋の相手と両想いだなんて、稀に見る恵まれ具合だな、と私は目に見えない何かに感謝した。
「にっしー」
校倉の声が聞こえた。彼女の声は普段のものと変わらないはずなのに、私の耳に彼女のためのフィルターでもかかっているのか、何だかとても愛おしいように感じられた。
「おはよう」校倉は言って、私の隣に立った。私はそれに言葉を返さず、鞄から取り出した飴を差し出した。緊張で力の加減ができず、危うく彼女の顔にぶつけそうになった。
校倉はそれを受け取ってしげしげと眺めてから、「これは?」と疑問符を浮かべた。
とぼけやがって、あくまで私に言わせる気か。
息を吸って、口を開く。
「きょ、今日はぁ、その、何日ぃ、でしょうか」
「え? ・・・・・・あー、ホワイトデーかぁ」
「そ、そう。それで、それは、あー、お返し」
「おー、にっしー、バレンタインデーは忘れるくせに、ちゃんと覚えててくれてたんだ。やるじゃん」
「それが、私の返事だから」
「え? あ、うん、ありがと」
校倉は溌溂とした笑みを浮かべると、袋を開けて中から飴を二つ取り出し、そのうちの一つを手の平に乗せて差し出してきた。それを受け取り、包み紙を剥がして、口に放り込む。ソーダの味がしゅわしゅわと口の中に広がった。
「それじゃあ、あの、これからもよろしく、お願いします・・・・・・」
「なにそれー、にっしー変」
からからと校倉が笑った。彼女の笑顔を見ていると、満たされた気分になった。
かくして、私と校倉の恋は無事に実ったのだった。




