ハッピーエンドから程遠い
マキが褒めてくれるから、勉強を頑張った。
マキがカッコいいと思ってくれるから、部活のバドミントンを頑張った。
マキが可愛いと言ってくれるから、髪を伸ばした。
それでも、私の恋は決して実らない。
「今回のテスト、クラストップは五条だ、素晴らしい!」
教卓に立つ先生がそう高らかに、教室の隅々まで響くような、もしかしたら隣の教室にまで聞こえていそうな声で言った。するとすぐに、拍手の音が教室内を満たした。
居心地の悪さを覚えながら、教卓に向かい、答案用紙を受け取って席に戻る。その戻る途中で、窓際の席に座るマキと目が合った。彼女はそれまでしていた拍手を止めて、私に対して満面の笑みを浮かべた。
自然と頬が緩む。席に着き、手に持っていた答案用紙を鞄にぐしゃりと押し込む。
マキの席は私の席よりも後ろにあるから、今の彼女がどんな表情を浮かべているのかはわからない。さっきまでと同じような笑みを浮かべているのかもしれないし、さっと切り替えて、授業に集中する時の、真剣な表情になっているかもしれない。
あるいは、廊下側の席に座る仁村くんを盗み見ては頬を赤らめているのかもしれない。
何でもいい、と私は思う。最後のものでなければ、何でもいい。
昼休憩に入った。私は自分の椅子を持って、マキと向かい合うような形になるように置き、座った。マキは既に弁当箱を広げていた。
「いつきちゃん、すっごいねえテスト、また満点だった?」
マキがハンバーグを口に含む。「まあね」と私が答えると、彼女は口元を手で隠しながら「びゅーてぃふぉーだね」と言った。
「へへ、凄いっしょ?」と、私はわざとおちゃらけてみせる。ハンバーグを飲み込んだマキが「すごい、天才、努力家!」と頷いている。
たったそれだけのことで、私はこの世の全ての幸福を独り占めしているような気分になる。クラスの皆に拍手で称賛されるよりも、こうしてマキに褒められる方が、よっぽど嬉しい。
しかし、その幸せにいつまでも浸っているわけにはいかない。褒められっぱなしでいるわけにはいかない。
弁当箱の包みを解きつつ、視界の端に捉えたマキの弁当の内容を確かめて、その中から一つあたりを付ける。
今日は、たぶん、さっきマキが食べていたハンバーグが有力だろう。
「そのハンバーグ美味しそう、よくできてんねえ」
四分の一が失われたハンバーグを指さして言うと、マキはあからさまに表情を綻ばせた。
「ありがとー、これ自信あったんだよー」
彼女の笑顔に見合うように、私も笑みを浮かべる。心の中の私も笑顔を浮かべているけれども、現実のものよりもずっといやらしいものに違いない。
やった、と内心ほくそ笑む。マキを喜ばせることができた。
毎朝、マキは自分の昼食を作っている。寝坊した日なんかは購買部やコンビニでパンを買ってきている。
料理は彼女の趣味の一つだ。だから、その日いちばん出来栄えに自信がありそうなものを見つけ出して、それについて言及すると、彼女はひどく喜んでくれる。その時みせる笑顔があまりにも魅力的で、私は毎回、彼女の弁当に目を光らせている。
「見た目はもちろん、味も良しだよ」マキが箸を巧みに操って、ケーキを切り分けるみたいにハンバーグを切り取って、それを私に向けた。「はい、あーんして」
心臓が胸を激しく叩いて痛いけれども、私はそれを顔を出すことなく、努めて平静を装って「あーん」と口を開いた。直後、ハンバーグが放り込まれる。
咀嚼する。正直なところ、感情の昂りが激しすぎて味がいまいち分からない。それでも私は「うんうん」とか味わっているふりをして、わざとらしく喉を動かして飲み込んでから「めっちゃ美味い!」なんて大袈裟に言ってみせる。
「そうでしょそうでしょう」
マキが誇らしげに胸を張った。いちいち可愛らしい女の子である。
「マキって本当に料理上手だよね、私が男だったら好きになってる」
女である私も好きになっている。
それは言いすぎだよ、とマキは言って、それから一瞬だけ、映像の一フレームを切り取ったように僅かな間、視線をちらりと巡らせた。その視線の先は、確認するまでもない。
「・・・・・・仁村くんも、これ食べたら好きになっちゃうよ、ねえ?」
私は言う。マキは弱点を突かれたみたいに、うっ、と息を詰まらせてから「そんなんじゃ、ないよ」と照れを滲ませながら言った。
可愛いねえ、と私は笑った。ちゃんとした笑みを浮かべられているのかは、分からなかった。
放課後になって、私とマキは早々に教室を出て、下足室にいた。私が所属しているバドミントン部は普段、校舎から離れた体育館で活動をしている。
靴を履き替えていると、隣に立つマキが「あっ」と小さな声を上げた。
見上げてみると、彼女の横顔が見えた。彼女の視線は遠くの方に向けられていて、私の視線と交わり合うことはない。
マキの視線の先にいたのは、やっぱり仁村くんだった。熱心なサッカー部員である彼は、もう既にユニフォームに着替え終えて、グラウンドに向かっている。
彼を遠くから見つめている時、マキは私の知らない顔を見せる。楽しげでも悲しげでもない、とても難しい、微妙な表情を浮かべている。わかりやすいのは、彼女の瞳にある光が強くなっていることと、耳が少し赤くなっていることだけだ。
何か鋭利なものが私の胸を刺した。その痛みは鋭くて、それでいて鈍い。相反するはずの二つの性質を、不思議なことにその痛みは持っていた。
マキは手に靴を持ったままの格好で、いつまでも仁村くんを眺め続けている。きっと、彼の背中が見えなくなった後でもしばらくそうしているだろう。
胸の痛みを無視して靴を履き替え、彼女の肩を軽く叩く。
「マキぃ~、また仁村くんかぁ?」
「うひゃあ」
驚いたマキが靴を落とした。コンクリートの地面にぶつかった靴は、偶然にも彼女の足元で綺麗に並んだ。照れ隠しでもするみたいに、彼女はせっせと靴を履き替え始める。
「そんなに好きになるんだったら、サッカー部のマネージャーにでもなってみれば?」
心にも無いことをあっさりと言ってのける自分に驚く。マキとの長い付き合いを経て、私は演技が上手になってしまったらしい。
「別に、それは、あれだよ」かかとを靴に押し入れながら、マキがもごもごと言う。「なんていうか、あれだよ、マネージャーなんて」
「まあね、仁村くん女子人気高いからねえ、今更マネージャーになってもねえ」
言い終えてから、マキの、あからさまに落ち込んだ表情に気づく。
「あいや、えっと」何か適切な言葉は無いかと、頭の中の目次を必死に指でなぞっていく。「ま、まあ、せっかく仁村くんと同じクラスなんだから、そっちで仲良くなった方がいいよね、まだ二年も始まったばっかだしさ」
「そ、そうだよね」
影が差していたマキの表情に一筋の光が差した。そんな彼女に私は安心し、その反面悲しくなる。
彼女の悲しい表情は見たくないけれども、仁村くんに関することで嬉しそうにしている彼女も見たくない。我ながら呆れてしまうような、整合の取れていない、矛盾だらけの心だった。
「それじゃあいつきちゃん、また明日ね」
校舎を出て、マキが手を振りながら校門へ向かう。それに手を振り返しながら、私は体育館に向かう。遠くなっていく彼女の背中は、何となく私を不安にさせる。
「痛々しいですね、先輩」
後ろから声をかけられる。抑揚に乏しい、それでいてよく通る声、不思議で聞き慣れた声。
振り返ると、一人の女の子がいた。私のことをじっと見つめていたらしい彼女の鋭い視線とぶつかる。
「神野ちゃん」
「こんにちは、先輩」
彼女、神野ちゃんが軽やかな足取りで私の隣に来て、そのまま歩き始めた。
「先輩は健気ですね、心にも無いことを言って村井先輩を励ましたりしてあげて。点数稼ぎですか? 諦めが悪いですね」
「・・・・・・別に、マキは私の大切な人だから、落ち込んでるのを放っておけないんだよ」
半分は本心からくる言葉だったけれども、もう半分は嘘だった。その一対一の割合を見透かしたように、神野ちゃんは「ふうん、そうですか」と冷ややかな目を向けてきた。そして、肩にかかっていた黒くて長い髪を後ろに流して、前を向き直した。
「そんなことしても無駄なのに」
「・・・・・・例え無駄でも、君には関係
「ありますよ」
ぴしゃりと、私の言葉は彼女の言葉によって打ち消された。刀で切り捨てられたような、そんな風だった。
「私は先輩のことが好きですから。だからさっさと村井先輩のことを諦めて、私で妥協してください」
こちらに見向きもせず、彼女は言ってのけた。苦い思いがする。
「君だって、諦めが悪い」
「そうですね」
神野ちゃんは事も無げに言った。
神野朱里ちゃんは中学からの、一個下の私の後輩で、同じバドミントン部に所属している。
バドミントンの経験は無かったという彼女は、人一倍努力を積み重ねて、めきめきと実力を伸ばしていった。自分に厳しく、ピリピリとした雰囲気を纏う彼女は近寄りがたく、最初の頃は部内で孤立気味だったけれども、時間が経つにつれて打ち解けていった。
私が三年生になってすぐの頃、私は神野ちゃんに告白された。
その時の彼女には普段の冷たい印象は見受けられなかった。
今の私がそうであるように、当時の私もマキを好きでいた。それはほとんど執着と言ってよかったように思う。
ごめんなさい、と私は頭を下げた。
彼女は涙を流していたけれども、それを拭うことなく、力強い目つきで私を見て、言った。
「私、諦めませんから」
翌日の朝、教室に入ると、何やら上機嫌なマキが目に入ってきた。週に三回ある朝練のせいで、今日は彼女と一緒に登校できていない。
「おはようマキ、なんだか嬉しそうだね」
声をかけると、マキは押し寄せる幸福に溺れているみたいな笑顔で「いつきちゃん、おはよう」と返してきた。目に見えない花弁が、彼女の背後で咲き乱れているようだった。
マキが私を手招きした。その仕草からして、どうやら「耳を貸して」ということらしかった。
膝を折ってマキの高さに合わせる。マキの口が近づいてくると、そちらの側の頬がこそばゆくなった。
「あのね、今朝、仁村くんに『おはよう』って、思い切って挨拶してみたの。そしたら仁村くん、ニコって微笑んで『おはよう村井さん』って。すごいよね? これ、すごいよね?」
マキの顔が離れていく。彼女の息がかかった耳は熱く、その一方で体全体が冷たくなっていく。
「それは」震える唇を必死に制御しながら、私は言う。「すごいね」
「だよね」と、彼女は眩しいまでの笑顔になった。
その時の私は、その事実を重く捉えていなかった。たかだか朝の挨拶を交わしただけだと、それでマキと仁村くんの関係がどうこうなるわけでは決してないと、そう考えていた。
しかしそれは都合のいい願望、自分勝手な想像に過ぎなかったことを、私は思い知らされることになる。
マキにとっての難所、つまり仁村くんとの初めてのコミュニケーションを済ませてしまうと、彼女はもう留まるところを知らなかった。
朝の挨拶はもちろんのこと、臆することなく仁村くんに話しかけるようになった。これまでの、仁村くんを視界に入れるだけで耳を赤くし、身動きすら止めて彼の動きを眺めていたマキはもういない。
マキは自分の恋路を、やっとのことで歩き始めた。その道の先は長く続いている。私の道はもうずっと前から行き止まりで終わっている。
私がマキを引き留める手段なんて、あるはずもなかった。
今日は朝練が無い日だったから、マキと一緒に登校することができた。この頃のマキは以前にも増して元気になった。
教室に入る。自分の席に座る仁村くんが視界に入る。
「仁村くん、おはよう」とマキが片手を上げる。それに気づいた彼は会話を中断してこちらを振り向き、「おはよう村井さん、五条さんも」と爽やかな笑顔を浮かべる。
私は何も言わず、ただ無言で片手を上げてそれに応えて、席に座る。体が重たく、椅子の背もたれにかつてない頼りがいを覚える。
ここ最近、ずうっと胸の痛みが治まらない。仁村くんを想うマキを見ていると、それは一層強くなっていって、そのうち胸にぽっかりと穴が空いてしまうんじゃないか、とすら思える。
前のように、この痛みを無視してマキの背中を押してあげることができなくなってきた。マキの笑顔が増えたことと引き換えにするみたいに、上手に笑顔を浮かべることができなくなってきた。
諦めが悪いですね。
神野ちゃんの声が脳内で響き渡った。
そうだね、と私は答える。こんなになっても、諦められないんだ。
冷ややかな、突き刺すような視線で見つめられているような、そんな気がした。
二時間目が終わり、三時間目の授業までの十分休憩の間に、マキが慌ただしい足取りでやってきた。高揚と困惑を混ぜたような、幸せを受け入れ切れていないような表情だった。
幸せで不幸なものを、私は感じ取った。
「あの、あのね、お弁当、仁村くんと一緒に食べることになった」
マキは言った。口にしながらも、彼女自身がそのことに半信半疑であるような、そんな口調だった。
「それは、それは・・・・・・えっと」
頭が麻痺してしまったみたいに、口の動かし方を突然忘れてしまったみたいに、続く言葉が言えないでいた。
視界が歪む、突然足元の床が無くなってしまったような不安感に襲われる。私はたまらず俯いた。
「いつきちゃん? 大丈夫?」
そんな私を心配する声音で、マキが声をかけてくる。
いけない、という思いに駆られる。マキには、そんな声を出してほしくない。私がどれだけの痛みを覚えて、途方もないくらいの悲しみを抱えていたとしても、彼女には笑顔でいてほしい。
彼女を安心させることなんて簡単だ。今までやってきた演技の応用で、まず「大丈夫、だいじょーぶ」と言っておどけてみせて、「いやあ、マジでびっくりしたー」とクッションを挟み「いつの間にそんな仲にぃ~? お姉さんやるねえ」と軽い調子で褒めて、最後に「私のことは気にせず、二人で食べなよ。このチャンスを逃す手はないよ」と背中を押して、終わり。
「いつきちゃん」マキの顔に、一種の闘志のようなものが宿った。「私、がんばるね」
「うん、がんばって」
マキが力強く頷いた。私は精一杯の笑顔を貼り付けて、頷き返す。
マキが自分の席に戻っていく。肩越しに振り返って、私はその様子を眺める。
彼女は一度も振り返らなかった。
四時間目の授業の終わりを告げるチャイムが鳴り、先生が教室を後にしたのとほとんど同時に、私は弁当箱をひっつかんで教室を出た。
少なくともこの時間だけは、教室にはいられない。
行き先を特に決めることなく、校舎を歩き続ける。食堂に行こうかと考えたけれども、何となく、人がたくさんいる所には行きたくなかった。
あてどなく歩き続けていると、無人の空き教室に行きついた。前後にあるドアには鍵がかかっていたけれども、窓ガラスはいかなる抵抗もなく横にスライドした。
中に入り、廊下側の壁にぴたりと背中をひっつけて座る。
弁当箱の包みを解きながら、教室にいるであろうマキと仁村くんについて想像を巡らせてみる。マキと私がいつもしているみたいに、一つの机を挟んで向かい合い、雑談を交わしながら、互いの弁当の内容を見比べ合って話を広げたりしているんだろうな。
その時、マキはちゃんと自分の料理上手をアピールできるだろうか。今日一番の自信作を仁村くんにご馳走して「それ私が作ったんだよ」と主張することができているだろうか。
マキは自ら主張するのが苦手だから、ちょっと心配だな。
ふと、頬を何か暖かいものが伝っていることに気づく。するすると流れていくそれは涙だった。
私は泣いていた。
演技の私が、とうとう折れてしまったらしかった。
よかった、と思う。誰もいない所で、マキがいない場所で。
「先輩」
頭上から、誰かの声が聞こえてきた。抑揚に乏しい平坦な、それでいてよく通る不思議な声。
慌てて涙を拭い、見上げると、神野ちゃんと目が合った。彼女は廊下から身を乗り出して、私を見下ろす格好だった。
「神野ちゃん、どうして」
「お昼休みに先輩を見かけるのは珍しかったので、ついてきました」神野ちゃんが大きな弁当箱を、私に見えるように掲げた。「あわよくばお昼をご一緒したいと思って持ってきたんですけど、正解だったみたいですね」
彼女は軽やかな身のこなしで窓枠を乗り越えて、猫のような密やかさで着地した。
「隣、失礼します」
私の返事を待たずに、彼女は私の隣に腰を下ろした。
ちらりと、神野ちゃんの横顔を盗み見る。いつも通りの、厳格な印象を覚える、凛とした横顔だった。
「・・・・・・へへ、勝手に空き教室入っちゃって、神野ちゃんも案外ヤンキーだね」
マキにしていたみたいに、ちゃらけてみせる。後輩に落ち込んでいるところを見られるのは、マキに見られるのとはまた別の理由で避けたい。
「先輩」
手に持った弁当箱を見下ろしながら、彼女が私を呼んだ。その声にはどことなく、暖かいものが含まれていた。
「一人で泣くのは、たぶん、先輩が思っているよりも辛いですよ」
「へ?」
「経験者からの助言です。それで、どうでしょう」
そこで初めて、神野ちゃんは私を見やった。彼女は微笑んでいた。
「胸なら貸しますよ」
そう言って、彼女は両腕を広げた。
視界が滲んで、鼻の奥につんとした痛みがあった。唇が震えて、息が小刻みに漏れた。
私は彼女に抱き着いた。彼女は暖かかった。
そして、私は泣いた。
「私は、私はいっぱい頑張った! マキの気を引くために、マキの喜んだ顔を見るために、マキに褒めてらうために、マキに、マキに好きになってもらうために、勉強も部活もおしゃれも、たくさん頑張った!
「なんで仁村くんなの? なんで私じゃないの? 仁村くんよりも私の方がずっと一緒にいたのに、マキの隣にはいっつも私がいたのに。
「わかってたよ、わかってたよ! 私の恋が実らないことなんて、わかってたよ!
「それでも、それでも好きだった! ずっとずっと好きだった! ずううううっと好きだったのに、なんで? サッカーが上手だから? カッコいいから? それとも、男の子だから?
「そんなの知らないよ! そんなのどうしようもないじゃん! だって、だってそんなの運じゃん! たまたま好きになった人が女の子だっただけなのに!
たくさん泣いて、たくさん喚いた。
泣き止んでから時間を確認してみると、二十分が経っていた。
鼻をすすり、改めて神野ちゃんを見る。彼女の制服は、私の涙に濡れて悲惨な状態になっていたけれども、当の彼女はそれを気にした様子も見せず、澄ました表情だった。
「諦めが悪いから、そうやって深い傷を負うんですよ」
彼女がそう指摘した。その声にはもうぬくもりは無く、いつもの彼女の声だった。
「失恋してくれたのは私にとって好都合ですけど、やっぱり、好きな人が傷ついているのを見るのは嫌ですよ」
神野ちゃんのそのまっすぐな言葉に、私はどういう返答をしていいのかがわからず、そうだね、とだけ言った。
「・・・・・・早くお弁当を食べてしまいましょう。昼休憩も残りわずかです」
そう言って、彼女は弁当箱の包みを少し乱暴気味に取り、蓋を開けるや否やばくばくと食べ始めた。日本人形のような、上品な容姿からは想像できない食べっぷりだった。
「神野ちゃん」
「はい」
「ありがとう」
「・・・・・・ただの、点数稼ぎです」
ぶっきらぼうに、彼女は言った。
教室に戻ると同時に、チャイムが鳴った。五時間目の授業が始まった。
急いで席に着き、教科書を用意する。先生はまだやって来ていない。もう十秒もすれば来るはずだ。
一回だけ深呼吸をして心を整え、後ろを振り返ってマキを見る。マキは既に私のことを見ていて、彼女と目が合った。
どうだった? と視線で訊いてみる。彼女は喜びの感情をそのまま顔に貼り付けたような笑顔を見せて、人差し指と中指を立ててピースサインを作った。
おめでとう、と声には出さず、唇の動きだけで伝えて前に向き直す。
依然として胸は痛むけれども、体は軽かった。
さっきたくさん流したからか、涙は出なかった。
少女漫画のようなハッピーエンドを夢に見ていた。
マキの仁村くんへの想いが薄れていき、その失われた分の想いが何かの間違いで私に注がれるような、マキが私の恋心に気づいてドキドキしたり、自分の心に私への恋が芽生えていることに気づくような、私の努力が全てまるごと余すことなく報われるような、そんな結末を願っていた。
けれども現実は違った。ハッピーエンドから程遠い終わりだった。
それでも、と私は思う。それでも、バッドエンドなんかじゃない、と。




