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彼女たち  作者: 城ヶ崎
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やがて初夢


 眠りから目覚めて枕元の目覚まし時計を確認すると、深夜、あるいは早朝の四時を指していた。

 目の奥でずっしりとした痛みを覚える。部屋の明かりが点いたまま寝たからだ。元旦だからといって慣れない夜更かしをして、いつの間にか眠ってしまったらしい。

 上体を起こすと、付けていたイヤホンが枕のすぐ近くで転がっているスマホに引っ張られて、音も無く落ちた。

 当たり前のことだけれども、部屋の中は静かだった。だから、妙に速く鼓動する心臓の音がよく聞こえる。

 何だろう、と不思議に思う。怖い夢でも見ていたんだろうか。内容はよく覚えていないけど、何かしらの夢を見ていた、という感覚はあった。

 起き上がって窓に近づき、カーテンを開ける。外はまだまだ暗く、窓越しでも冷気が伝わってくる。

 窓に映る自分の顔を、これといった理由もなく眺めてみる。鏡ほどはっきりとは映らないけれども、どことなく悲しそうな表情をしているらしいことはわかった。

 胸中に、もやもやとした、大雨を孕んだ真っ黒い雲のようなものが広がっていく。

 これは、たぶん、喪失感だ。

 そう自覚したその時、さっきまで見ていた夢の内容が、稲妻めいて思い出された。

 キスをしていた、放課後の教室で、有村(ありむら)と。

 突如として蘇った記憶は、にわかには信じがたいものだった。でも、恐らく私の頭のどこかにある理性が、それが真実であることを受け入れている。

 窓の私は驚愕を顔に貼り付けている。

 「なんで、有村なんだ・・・・・・」

 そう呟いてみても、私の理性は回答を訂正しようとしないし、部屋の中は静かなままだった。

 静かじゃなきゃ困るけど。







 決して長くない冬休みが終わった。始まる前から「短いな」と感じられるというのに、終わってみると輪をかけて「短かったな」という感想が思い浮かぶ。

 教室に入り、クラスメートに挨拶を済ませてから席に座る。

 有村はまだ来ていないらしかった。

 皆があちこちでグループを作って、冬休みの間はどうだった、年末の番組がこうだった、と話し合っているおかげで、教室内は喧騒に満ちていた。

 グループの一人が私に「来ないの?」という意味合いの視線を寄越した。私は机の上にぐでっとだらしなくもたれて手を振り、それを断る。彼女は頷いて、また会話に入っていった。

 眠気が込み上げてきて、欠伸が出る。

 ここ最近、というよりあの夢を見て以来、満足に眠れない日々が続いていた。うとうと、と眠りに落ちそうになると、半ば強制的にあの夢のことが思い出されて、顔が熱くなり、意識を引き上げられてしまう。

 机に突伏(つっぷ)する。目の前が真っ暗になる。

 眠るとまではいかないにしても、こうしているだけでも幾分か楽になる。

 有村が来るまで、休んでおこう。

 しかし私のそんな試みはあっさりと打ち砕かれることになる。

 様々な声が入り乱れる中、おはよう、という声が出入口の方から聞こえてきた。

 私の耳はその声を確かにとらえて、私の脳は憎たらしいほど正確にその声の主をズバリと当ててみせた。

 声の主は頻りに、おはよう、と口にしている。その声はどんどん私の方に近づいてきている。

 「ひな、あけましておめでとう」

 声の主が私のすぐ前で立ち止まり、私の名前を呼んだ。私はあえて顔を上げず机に伏せたままにして眠った振りをして、この時間をやり過ごそうとした。

 「あれ、寝てる?」と彼女は言った。

 やり過ごせそうだ、という手応えを感じたのも束の間、彼女はぐるりと私の背後に回り込んで、「ひなー? 本気寝っすか?」と探るように言った。

 私はただ黙る。嵐が通りすぎるのを待つみたいに、じっと。

 「おりゃっ」という声が後ろから聞こえた次の瞬間、何かが私の背中に覆い被さってきた。

 それは暖かく、柔らかかった。

 私が思わず飛び起きると、それはあっさりと離れた。

 振り向く、彼女と目が合う。

 「なんだあ、やっぱり起きてんじゃん」にやにやと笑みを浮かべた有村が言った。「二週間ぶりに会う友達をさあ、無視はだめでしょ」

 ほとんど反射的に、あの夢が脳裏にて再上映される。学校、有村、放課後、教室、二人、キスという具合に、連想ゲームじみて。

 夢の内容は麻痺毒のように私の思考を鈍らせるらしく、有村に対していかなる反応を示すことができないでいた。

 「え、なに、ひな、ほんとに寝てたの。寝ぼけてんの?」

 そう言って、有村は私の頬に手を添えた。今来たばかりだからか、彼女の手の平はひんやりとしていて、それにもかかわらず、そこから頬が熱くなっていくのを感じた。

 思わずのけぞる。有村の表情に驚きの色が滲んだ。

 「あ、手冷たかった? ごめんごめん、まあそれで眠気退いたでしょ」

 有村が両手を合わせてへらへらと笑っている。私の視線が、まるでそこに特別な引力でもあるみたいに、彼女の唇に引き寄せられていく。

 なんで、と私は困惑を極めた。

 なんで有村なんだ。他の、クラスの男子、異性とかならまだ理解できるのに、どうして同姓の、女の子である有村を夢に見てしまったんだ。どうせなら、イケメンのアイドルとかがよかった。

 それに、どうして私はいつまでもその夢のことを忘れないままでいて、その上こうして有村のことを意識しているんだろう。

 有村はただの友達なのに。

 「・・・・・・あけまして、おめでとう」

 これまでの不審を取り戻すように、もうほとんど手遅れであるにも関わらず、私は有村に言う。彼女はいぶかしむような目を向けてきたけれども、少しすると「あけましておめでとう」と返して笑顔を浮かべた。今の私にはその笑顔を真正面から受ける勇気が無く、目を逸らして椅子に座る。

 「おみくじバトルしようぜ。私末吉だった」

 すかさず有村が私の首に腕を回して、背後から抱き着いてきた。一般的な洗剤の香りが漂ってきて、それがどういうわけか、唯一無二のものに感じられた。

 「よ、よく末吉で勝負しようと思ったな」平静を取り繕いながら、私は言う。あの日みたいに、心臓が刻む鼓動の頻度が高まる。密着している有村に伝わってしまうんじゃないか、と気が気でなくなる。「確か、あんまりよくなかった気がするけど」

 「まあまあ、言ってみなっておみくじの結果。初詣行ったんでしょ?」

 特別なにかに気づいた様子もなく、有村は続ける。耳元で聞こえてくる彼女の声は、普段聞く彼女の声とは全く違うように思えた。

 「凶だったよ、私の負け」

 私がそう正直に白状すると、有村は「ほらやっぱり!」と嬉しそうに言った。「ひな、毎年凶引いてるよね、末吉引いたって、負けるわけないって」

 そんな喜びに満ちた声で人の凶を語るな、とは思いつつも、有村の感触だとか香りだとか声ばかりに意識がいってしまって、「そうかもね」とおざなりな返事をするのが精一杯だった。







 三時間目の国語の授業が終わり、十分の休憩が挟まれる。一時間目と二時間目の間の休憩の時と同様に、有村がやって来た。彼女は冬休みの間にどこそこに行ったとか、何それをした、と頻りに話していたけれども、そのたびに動く唇にどうしても意識を持っていかれて、内容のほとんどを聞き逃してしまった。

 明らかに、日常生活に支障をきたしていた。

 「ひな? ちゃんと聞いてる?」

 立て板に水とばかりに喋り続けていた有村が不意に口を止めて、心配するような口調で訊いてきた。

 「聞いてる、大丈夫」と嘘をついてみても「もろ嘘じゃん」と即座に看破される。

 「もしかして体調悪い? 熱でもあるのかな」

 何を思ったのか、有村は前髪をかきあげて顔を私に近づけてきた。

 息がかかり合うほどの距離になって、キス、という単語がサブリミナル効果めいて思い浮かぶ。私の心がひどくかき乱される。痛いくらい心臓が胸を叩く。

 「なになになになに」

 咄嗟に有村の顔を両手で挟み、止める。彼女の頬は暖かく柔らかく、ふにゃりとつぶれた。

 「ひや、ひょっと熱はるかひらへてみようと」

 「何言ってるかわかんない」

 彼女の頬から手を離す。

 「いや、ちょっと熱あるか調べてみようと」有村は当然とばかりに言う。「おでこくっつけない? こういう時って」

 「いやいや、しないって、手を当てるくらいだって」と私が言うと、彼女は不思議そのものを表情に貼り付けて「えー、うそお」と納得していない様子だった。

 今の私の状態でおでこ同士をくっつけたら、そんな近くに有村がいたら、きっと何かがおかしくなってしまう。

 「とにかく、大丈夫だから、熱はないから、ほんとに」

 「ええー、でも今日のひな、なんかおかしいよ」

 「そうかな」

 なけなしの演技力をかき集めて、とぼけてみせる。

 私がおかしいことなんて、指摘されるまでもなくわかりきっている。でも困ったことに、それを治す術が今の私には思いつかない。

 有村が疑いの目を向けてくる。そんな彼女の視線が、なんとかしないと、という焦燥感を大きくさせる。それはじくじくと私の心を蝕んでいく。

 でも、一体どうすればいいんだろう。

 私は途方に暮れた。








 もしかしたら時間が解決してくれるのではないか、という考えが四時間目の授業中に浮かんだけれども、昼休みを経て六時間目の授業に突入してからも一向にその兆しが見えず、それどころか時間が経つにつれて有村への意識が肥大化していった。平静を保って有村と会話すること自体が難しくなってきた。このままいけば取り返しのつかないことになってしまう、という不吉な予感が脳裏をよぎる。しかし、何をすべきかが未だにわからないでいた。

 様々な案が浮かび、その場で漂い続ける。私の脳内はそれでいっぱいになり、もはや何も考えられなくなる。私はほとんど思考停止状態のまま、授業そっちのけで雑談にふける先生の話に耳を傾けた。社会の授業を受け持つその先生は、小さい頃から苦手だったトマトを最近になって食べてみた、ということを話しているらしかった。

 「・・・・・・口元まで運んでみるとさ、あの独特の匂いがするし、昔のトラウマが蘇ってくるんだよ。で、やっぱりやめとこうかな、とは思うわけなんだけどよ、ここまできたら行くしかねえだろって、この歳になって好き嫌いも格好悪いだろって、色々なこと考えて自分を奮い立たせんだよ」

 どういう経緯で先生がその話を始めたのか、有村に気を取られて授業をまともに受けていなかった私にはわかりようもなかった。

 「もう目をつぶって、ままよ! って口に放り込んだんだよ。俺はトマトの全てが嫌いだったけど、特にあの食感が苦手でな、それでも一口噛んでみたんだよ」

 内容はいたって平凡なものだけれども、先生の話し方が巧みなせいか、クラスメートのほとんどが聞き入っている。有村の方を見てみると、頬杖をついて眠っていた。

 「不思議なことに、全然平気だったんだよ。あのじゅるじゅるの食感をよ、なんとも思わなくなってたんだよ。俺はこんなのに恐れをなしていたのか、と拍子抜けしちまったよ」

 どうやらそれがオチらしく、先生は口を閉じて教室全体を見渡した。

 「先生、結局なんの話だよ」と誰かが言った。

 「結局な」と先生は答える。「結局、苦手意識ってのは所詮そんなもんってことだよ。嫌だ嫌だと思ってても、いざやってみたら案外大したないってことは、よくあることなんだよ。だからお前らも、勉強に苦手意識持ってても一回やってみろって。『なんだ、勉強って結構チョロいじゃん』ってなるから」

 先生がそう締めくくると、教室のあちこちで「嘘だあ」とか「それだったら苦労しねえ」という声が上がった。

 そんな中、私は「なるほど」という感想を抱いていた。

 やってみたら、案外大したことなかった。

 そういうものなのかもしれない。







 ホームルームが終わり、放課後に入る。皆が教室を後にする中、私と有村だけが残り続けた。

 「どしたのひな、相談したいことがあるって」

 五分としないうちに、教室には私と有村の二人だけとなり、そのタイミングで有村が声をかけてきた。彼女の表情からして、私を心配してくれているようだった。

 まず深呼吸をして息を整え、心を落ち着かせようと試みたけれども、うまくいかない。口を開こうとすると、緊張がどうしても高まってしまう。

 そんな私を、有村はじっと待っている。彼女のその姿勢は、私にほんの少しだけ勇気を与えてくれた。

 「夢でさ」と私は切り出す。有村は黙って頷いた。

 「あのお、夢でね、私とお・・・・・・有村が、さあ、キスしててね、えっとつまり、そういう夢を見たんだよ、この前」

 有村の様子を窺う。彼女は何も言わないけれども、その代わりに彼女の表情が如実に「なんの話なんだ」と言っていた。

 構うことなく、私は続ける。

 「それで、あの、私とキスしてくれない?」

 私がそう言うと、「え?」という小さな声が有村から聞こえてきた。彼女の目が大きく見開かれていた。

 「え? え、キス? どういう流れ?」

 え、え、と有村は壊れたラジオみたいに繰り返している。それは当然の反応だった。そしてそれはチャンスでもある。

 「お願いお願い、お願いします」と、猛然と頼み込む。

 今の有村の脳内は混乱を極めているはずで、つまり思考力も落ちているはずだ。その隙に、この無茶な説得を成し遂げる必要がある。

 「今日の私ってちょっとおかしかっただろ? それ、私が見た夢のせいなんだ。有村とキスする夢見たせいで、変に意識しちゃったんだ」

 「確かに今日のひなはおかしかったけど、それがどうしてキスすることに繋がるの?」

 「私って、有村とキスしたことないよね?」

 そう訊くと、彼女は千切れてしまうんじゃないか、と心配になるほどの速さで首を横に振った。

 「だからなんだよ。キスしたことないから、有村とキスする夢でドキドキしちゃうんだよ。だから実際にキスしてみて、『なんだ、キスってこんなもんか』って気持ちになればドキドキも治まるはずなんだよ」

 「な、なるほど?」

 「このままだと有村とまともにお喋りするのも難しいんだって、ほんとに、お願いします」

 両手をこすりあわせて、有村を拝み倒す。ダメ押しとばかりに「もうドキドキするの嫌なんだよ、苦しいんだよ」と付け加える。

 「・・・・・・いいよ」

 ぽつりと、有村が言った。普段なら聞き逃してしまいそうな声量だったけれども、教室に誰もいないおかげで、これ以上ないくらいはっきりと私の耳に届いた。

 「え、いいの?」と、私は思わず訊き返してしまう。「いいって、言ったって」と、有村はむっとした表情で答える。

 私は有村を見る。目は口程に物を言う、ということわざがあるように、その言葉の通り、彼女の目は彼女が本気であることを示していた。

 そんな彼女の予想だにしない反応によって、タイミングの悪いことに、ここにきて、私は冷静さを取り戻していた。驚きのあまり、かえって正気を取り戻していた。さっきまでの思考回路が、まるで夏の夕立のように通り過ぎて、消えていた。頭に残ったものは、本当にするのかという戸惑いと、依然として存在感を放つ、有村への意識だけだった。

 一歩、有村がこちらに歩を進めた。一歩、私は思わず後ずさった。

 有村の手が素早く伸びてきて、私の肩を掴んだ。鎌首を上げた蛇が獲物に食いかかるようだった。

 「なんで逃げるの、ひなが言ったことでしょ」

 そんな有村の口調にどこか威圧感を覚えてしまい、「あの、はい」と、およそ友人に抱くべきではない緊張感とともに私は答えた。

 私の肩を掴む有村の手に力がこもっていく。有村がゆっくりと近づいてくる。提案者である私よりも、有村の方が積極的に見えるのは気のせいだろうか。

 夢で見た光景が追いついてきた。

 「あの」と、私は全てを終わらせてしまう前に口を挟む。

 「これが終わっても、私たち友達でいられるよね?」

 有村は一瞬だけ動きを止めて、少し思案する素振りを見せてから「私はひなと、ずっと一緒にいたいよ」と言った。

 キスする前にそんなこと言ったら、まるで告白みたいだ。

 そんなことを考えている間に。そんなどうでもいいことに意識を取られている間に。

 私の初夢は現実となった。






 その後のことはよく覚えていない。

 たぶん、私たちはいくらかの会話を交わして、二人で帰路についたように思う。帰り道の途中、私たちがどんなことを喋り合ったのかも、まるで記憶に無い。

 ただ、私の有村に対する過剰なまでの意識は依然として残っていて、帰り道で有村が見せた笑顔が、以前よりも魅力的なものとして私の目に映ったことは確かだった。

 







 



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