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彼女たち  作者: 城ヶ崎
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降水確率九十パーセント

短めです


 その日雨が降り始めたのは、三時間目の授業の途中からだった。

 降り始めは勢いがなかったけれども、時間が経つにつれ、授業の一つ一つが消化されていくにつれて、雨脚はどんどん強くなり、六時間目が終わる頃には、乱暴に振り掛けられる粉チーズみたいにどしゃ降りになった。

 折り畳み傘はやっぱり偉大だな、と教科書類を鞄に詰め込みながら、その鞄の端の方に控えめに座る黒色のそれを確認して思う。これを毎日鞄に忍び込ませているだけで、突然の雨だろうと何であろうと対処できる。

 そうしていると、隣の席に座る漆原が「あ、そうちゃん、ちょい待って」と声をかけてきた。

 なんだろう、と漆原の方を見やると、彼女はどこか緊張感を帯びた目つきでスマホの画面を眺めていた。猶予僅かの時限爆弾に向き合うプロフェッショナルのような、そんな趣があった。

 漆原の次なる言葉を待って、私は無言で立ち尽くした。そんな私を気にしてか、「待ってよ待ってよぉ」と彼女は頻りに呟いている。

 大粒の雨が窓ガラスを打ち付ける音が絶え間なく鳴っている。教室内のクラスメートが、次から次へと教室を後にする。さっきまであった喧騒が徐々に小さくなっていく。

 「おっしゃあ、部活休みっ」

 突然、漆原が立ち上がった。椅子が倒れて音を立てる。彼女の右手にあるスマホが固く握りしめられている。彼女の表情は歓喜に満ち溢れている。

 「どうしたの」と驚きも冷めやらぬ中で私が訊くと、漆原は叩きつけるみたいに、スマホの画面を私の目の前に掲げてみせた。二世代ほど前のものを愛用しているため、彼女のスマホの画面は少し小さい。

 そこに表示されていたのは、トーク画面だった。漆原の所属しているテニス部のグループで行われているのものらしく、内容を見てみると『雨のため、本日の部活動はお休みです』という文言が目に入ってきた。

 「本来なら、雨の日は校内で色々するんだけど、前に私たちが使わせてもらったから、今日はなしだってさ。さいこーすぎる」

 飛び跳ねたり机を叩いたりして、漆原は喜びを余すことなく表現している。週に二回か三回しか活動していない手芸部に所属する私には、部活が一回休みになった程度でそんなに狂喜乱舞する漆原の気持ちがわからない。

 テニス部の活動は、そんなに大変なのだろうか。

 「おめでとう」と拍手を送る。漆原は猛然と机の中にある教科書類を鞄に詰め込み、肩に掛けた。

 「一緒に帰ろう、そうちゃん」と漆原が声高らかに言った。「超ひさしぶりに」

 あ、と私は遅れて気づく。そうだ、部活がないということは、漆原と一緒に帰ることができるんだ。

 にわかに胸が躍った。テニス部は毎日活動しているから、漆原と一緒に帰れる機会なんて、そうそう訪れない。

 二人で教室を出て、下足室へと向かう。廊下にはまだ雑談に興じている人たちが多く、その隙間を縫っていくのには少しの苦労を要した。

 下足室で靴を履き替える。出入り口は開け放たれていて、地面に落ちて弾ける雨の轟音と、しっとりとした冷気が漂ってくる。漆原が傘立てから自分の傘を取り出した。真っ黒の、大きな傘だ。

 一足先に出入り口に立った漆原が私の方に振り返って「そうちゃん、傘は?」と訊いてきた。「折り畳み?」

 「実は、忘れちゃった」

 私は咄嗟に答えた。それはほとんど反射的だった。熱いものに触れたとき、弾かれたように離れる反応をしてしまうのと同じように、体がそうするように、あらかじめそう設計されていたように、私は答えていた。

 「えっ」と漆原が驚きの声をあげる。「忘れたって、天気予報見てなかったの? 降水確率、やばかったじゃん。もう実質百パーセントだったじゃん」

 「つい、うっかり」と曖昧に濁す。嘘をついている罪悪感からか、緊張からか、あるいはその両方からか、私は漆原から目を逸らして、次に続く言葉を口にするだけの勇気を用意するために、気づかれないように小さく深呼吸をして、再び漆原を見た。

 「ちょっと、傘入れてくれない?」

 できる限り何気なく、『同じ傘に漆原と一緒に入る』ことについて何ら意識していない風を装って、私は彼女に頼んだ。

 「まあ、それはいいんだけど」と、漆原は特に気にした様子もなく答えた。私はひそかに、自らの演技力を褒めたたえた。

 外に出ていった漆原が、傘を広げる。黒く大きい屋根の下に立つ漆原が私に手招きした。私は呼吸を整えてから外に出て、彼女の隣に立った。

 漆原との相合傘は、ここに成就した。

 「そうちゃんって、たまに抜けてるよね」と漆原が笑った。すぐ隣にいるおかげで、この雨の中でも彼女の声ははっきりと聞こえてきた。耳がくすぐったくなるような気がした。

 私は適当に相槌を打ちつつ、慎重に、漆原の顔を盗み見た。彼女は私より少しだけ身長が高く、その差分だけ、私は彼女を少しだけ見上げる形になる。

 そこには当然、漆原の横顔があった。彼女は微笑みをたたえている。せっかくのうなじは長い髪で覆い隠されている。部活動中は、その長い髪をくくってポニーテールにしているから、きっと部員は見放題なんだろうな、と思うと、かなり羨ましかった。

 五分ほど歩いた。その間、私は普段通りの私を演じて、昨日観たテレビの内容を話したり、漆原の話に相槌を打ったり、笑ったりした。

 相合傘は不思議だな、と思った。漆原の隣に立つことなんてよくあることなのに、そこから彼女の横顔を眺めることなんてたくさんあることなのに、一本の傘の下で並んでみると、見慣れたはずの彼女の横顔が、間近で聞く彼女の声が、新鮮なものとして私に伝わってくる。

 やっぱり、忘れたふりをしたのは成功だった。テニス部が休みで、そのうえ雨の日なんて、これから先あるかどうかわからない。

 「相合傘ってさ」

 漆原が言った。今の私はその単語に過敏になっているため「えっ、なに」と我ながら過剰な反応を示してしまう。

 「いや、相合傘って、するの初めてだなって」と、私の不審な様子に気づくことなく続ける。「なんか、楽しいね」

 そう言って、漆原は笑った。

 頬が熱くなった。漆原の笑顔が綺麗だったせいもあるし、彼女がこの状況をそんな風に思ってくれていることを嬉しいと思ったせいもある。

 「記念に写真撮ろ」

 「え」

 漆原がブレザーのポケットからスマホを取り出した。素早くカメラを起動させて、画面を私たちの方に向けた。画面には漆原がいて、私がいる。レンズ越しでもわかる程度には、私の頬は赤かった。

 「もっと寄れい、ほれほれ」と漆原が肩を寄せてくる。肩と肩がぴたりとくっつく。ブレザー越しであるはずなのに、彼女の温もりが伝わってくるようだった。

 画面に映る私はどんどん赤くなっていく。指摘をされたなら、言い訳のしようがない。

 「はい、撮るよー」

 漆原がシャッターボタンを押す。軽い音が鳴り、さっきまでの私たちが保存される。彼女は鼻歌混じりにそれを確認して、少しの操作を加えた。その直後、私のスマホが震えた。取り出して確認してみると、今さっき撮った写真が送られてきていた。そこに映る漆原が素敵な笑顔を浮かべているのに対して、私はと言えば、辛うじて笑顔を浮かべているものの、あまりにも赤すぎて、リンゴが微笑んでいるみたいだった。

 ぐおー、これが相合傘の力か。

 しばらくの間それを眺めて、「良い感じ」と中身のない感想を言ってからスマホをしまう。

 漆原が再び歩き始める。写真を撮り終えたにもかかわらず、私は何食わぬ顔で漆原にぴたりとくっついて歩く。

 雨に濡れるといけないから、これは仕方のないことだ。私はそう自分に言い聞かせた。


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