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彼女たち  作者: 城ヶ崎
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悪魔の習性(上)

私は悪魔である。

 普段は悪魔の世界でごろごろしたり、他の悪魔と遊んだり、人間が描いた絵本を読んだりしている。人間の文字を理解する悪魔は少ないが、私は悪魔の中でも特別頭がいいから、『ひらがな』を読み解くことなんて容易い。『カタカナ』は少し読める。『漢字』は勉強しないと分からないが、努力は嫌いだからしない。

 他にも、人間の世界を覗いて、困っている人間や悲しんでいる人間のその間抜けな顔を観察したりしている。悪魔はみんな人間のそういった表情が好きで、私もその例外ではない。涙を流していたりしているのを見ると、笑いが止まらなくなって、元気になる。私はいつも元気だが、より元気になる。百倍か、千倍か、たぶんそれくらい。

 しかし、遠くで眺めているだけではいずれ飽きがくる。私は目がいいから奴らの顔を鮮明に見ることができるが、それだけでは物足りなくなってくる。

 そんなとき、私は人間の世界に舞い降りて、人間のふりをして溶け込み、直々に人間に嫌がらせをして楽しむようにしている。






 私の目の前にいる四十人近くの人間たちが、みんな大人しく席に着いて、その一対の目を私に向けている。興味深そうに、あるいは、警戒の感情を含ませて。

 よくやるものだな、と思う。人間は弱っちく傲慢な生き物だが、こうしてじっとしていられる点には、素直に感心してしまう。悪魔は人間よりも強いが、じっとしていられる悪魔は少ない。

 部屋の中は静けさに満ちている。音が無いという状況にはあまり馴染みがないから、なんとなく、くすぐったい感じがする。

 「じゃあ、自己紹介をお願いね」と私の隣に立つ女が小さく言った。この女が、この部屋で私の次に偉い『せんせい』という人間であることを私は知っている。このまえ読んだ絵本にそんな描写があった。

 「おう、人間ども! 私の名前はアク・マ子だ! どうぞよろしくなぁ!」

 私が声高らかにそう言っても、室内は依然として静まり返っていた。人間の大半が口をだらしなくポカンと開いて、私を見つめるばかりだった。

 やはり、悪魔と人間では勝手が違う。

 「黒板に名前を書いてもらうと嬉しいんだけど」とせんせい女が白い棒のようなものを手渡してくる。それは『チョーク』と呼ばれる物である。それを受け取って手の平で転がしてみると、うっすらと白く汚れた。

 転がし続けていると「それで名前書いて」とせんせい女が言ってきたので、「私はひらがなを読むことはできても、書くことはできん」と答えた。

 得てして、悪魔は見栄を張る傾向にあるが、私は頭がよくて謙虚でもあるから、そんなことはしない。

 「それは」とせんせい女が息を整えるように言葉を切らしてから「大変ね」と慎重に言った。私の手にある白い粉棒こなぼうを指で取り上げると、「じゃあ、アクさんの席は、あの空いてるところだから」と、人間たちの間に、ポツンと孤立するかのように置いてある席を指さした。「とりあえず、着席してほしいかな」

 私はその指示に従って、示された席に向かう。悪魔である私と人間であるせんせい女では、私の方が上の立場であることは火を見ることよりも明らかだが、そんな小さなことを気にするような、小さな器の私ではない。

 席に着くと、右隣の席に座る坊主頭の男が「よろしくっす」と片手を上げた。いかにも自信に満ち溢れた男で、ちょっとやそっとの嫌がらせでは動じないであろうことが容易に想像できた。おう、と返しつつ、嫌がらせ対象から外しておく。

 もっと弱そうな奴はいないのか。

 首を巡らせて辺りを物色し、それが私の真横、坊主男とはちょうど反対にきたところで、あ、と止まった。

 私の左隣に座る女は、まさに私が探し求めていた人物像にぴたりと一致していた。ピースをはめる時の、パチンという感触が好きだからパズルで遊ぶ、という知り合いの悪魔の気持ちが分かるようだった。

 その女は常に俯き気味で、視線を、何も無い机上に注いでいる。出来るだけ小さく目立たないように、という意図でもあるのか、膝に手をあてて、肘を張り、背中を丸めている。見るからに自信が無さげで、全ての悪魔が放っておかないような女だった。

 「よろしくな」と声をかけると、女は肩を少し跳ねさせて、よろしくお願いします、という言葉をぎゅうぎゅうに圧縮させて口にした。私の悪魔耳をもってしても聞き逃してしまいそうなほど、小さな声だった。

 口元が綻ぶのがわかった。







 最初の『じゅぎょう』は『すーがく』だった。私は悪魔の世界でも指折りの数字強者だったから、受ける必要はない。

 一足す一は二。

 すーがくせんせいの話を無視して、隣の気弱女を観察する。

 手始めに、奴の消しゴムに『消しかすが纏まり難くなる呪い』をかけた。計算を間違えて、消しゴムをかければかけるほど、細々としたかすが奴の机の上を占領していく。困ることは必定である。我ながら惚れ惚れする発想力だった。

 いつの間にか、自分の机の大部分が消しカスに支配されていることに気づいたとき、この気弱女はどんな表情を浮かべるだろうか、と考えると、口の端から涎が垂れそうになった。

 ほどなくして、気弱女が筆箱から消しゴムを取り出した。

 つい、食い入るように見つめてしまう。胸の内がざわついた。

 気弱女は人差し指と中指、親指で消しゴムを腹の部分をつまみ、ノートの一部分に先端をこすりつけ始めた。その当然の結果として、ぽろぽろと消しカスが出てくる。

 くくく、と私は笑い声を堪えるのに苦労した。気弱女の表情が曇るのを、今か今かと待ち構える。

 そしてそのまま、じゅぎょうが終了した。

 気弱女は一度として困った様子を見せず、じゅぎょうが終わるや否や、散らばった消しカスを一か所に集めて手のひらに落とし、隅のほうに置いてあるゴミ箱へ捨てに行った。

 キツネにつままれる、という諺があることを私は知っている。その諺は、今の私にぴったりだった。

 気弱女の机の上に置かれている消しゴムを素早く取り、机の上で二往復させてみた。消しカスは問題なく出てきて、それらは私の思惑通り、細切れになっている。呪いをかけた張本人である私ですらイライラしてきた。

 奴はなぜ困らないんだ? 

 私は首を傾げた。







 二個目のじゅぎょうは『こくご』だった。私は絵本を読めるから、強いて受ける必要はない。

 こくごせんせいの話を無視して、隣の気弱女を観察する。

 次なる手として、奴のシャーペンの芯に『折れやすくなる呪い』をかけた。その折れやすさたるや、少しのそよ風でへし折れるほどである。

 こくごせんせいが次々に黒板に文字を書いていく。気弱女は遅れまいと必死にシャープペンシルを動かすが、どういうわけか、ぽきぽきと芯が折れていく。他の人間はもうとっくに書き写し終えているというのに、自分だけがまだ写し終えていない。自らの鈍重さを自覚し、悔し涙を溢れさせる。

 その光景を想像すると、なんだか満たされたような気分になる。

 こんな嫌がらせを考えつくなんて、やはり私は頭が良い。

 早速、こくごせんせいがチョークを手に持った。それに呼応するように、気弱女がシャーペンを取った。気弱女の目元から涙が流れ出るのを見逃すまいと、身構える。

 そしてそのまま、じゅぎょうが終了した。

 その間、気弱女はたったの一回も芯を折ることがなかった。芯の貧弱さに困惑した様子もなく、淡々と授業を終えた。

 気弱女が席を立ち、廊下へと出ていった。おおかた、トイレだろう。

 気弱女のシャープペンシルを引っ掴む。なんだか、妙な柄のペンだった。尻の部分を押して芯を押し出すと、出てきたそばから、あっけなく折れた。呪いは問題なくかかっているとみて間違いなさそうだった。

 はて、と疑問が浮かぶ。

 気弱女はどのようにして、このシャープペンシルを使っていたのか。繊細、微細な力加減で使っていたとでもいうのか。まさか、そんなことが。








 その後も、『どこからともなく風が吹いて、ノートをめくろうとする呪い』や『せんせいの声が異様に聞こえにくくなる呪い』を気弱女にかけてみたものの、奴はほんの片時も困った素振りを見せなかった。

 気弱女の困り顔を見ないまま、お昼休みに入った。じゅぎょう中は各々の席で静かにしていた人間たちが、三々五々に席を移動させて、友人たちと共に食事を摂り始めた。

 部屋の中が賑やかになる。静けさで満たされているよりも、私にとってはよっぽどいい。

 人間たちが数人で集まって塊になり、部屋のあちこちに点在している。気弱女は、そのいずれの塊に入ることなく、ぽつんと、一人で弁当箱を広げていた。

 チャンスだ、と私は考えた。一対一で会話をし、気弱女の弱点を分析するチャンスだ。

 「一緒に食べるぞ」と気弱女に声をかけて、持ってきた椅子に腰かけて向かい合う。すると、気弱女は口をだらしなく開けて、困惑しているような、驚いているような、複雑で、私好みな表情を浮かべた。

 「えっと」と気弱女は前置いてから「私と?」と探るように言った。頷いてみせると、「なんで?」だとか「止めといたほうが」なんてことをぶつぶつ呟き始めた。「私はお前と食べたいんだ」と言うと、はあ、と、へえ、の中間くらいの声を出してから「どうぞ」と弁当箱を引き寄せてスペースを作った。

 椅子を引きずって気弱女の正面に置き、座る。

 私は悪魔だから何かを食べる必要はないが、本当に何も口にしないでいると、人間たちに怪しまれてしまう。奴らは愚かだが、そういう点ではやけに鋭かったりするから侮れない。

 私は『料理長』にこしらえてもらった弁当を机の上に置き、私も弁当を食べますよ、という形をとる。人間の振りをするのは疲れるが、その苦労が楽しかったりする。

 「アクさんのお弁当箱、大きいね」

 「お前のが小さすぎるんだ」

 私の弁当箱が長方形の箱が三つ積み重なっているものなのに対し、気弱女は薄いピンク色の、小さな楕円形のもの一つで、それら二つが並ぶと、お互いがお互いのサイズを強調しあうようだった。

 「私は運動部じゃないし、もともと少食だし・・・・・・それに、食べすぎると、太るし」

 「その量じゃ、ガリガリに痩せて死ぬぞ」

 「アクさんは、凄いね・・・・・・そんなに食べても、全然太ってない」

 「そりゃ、悪魔だからな」

 「え?」

 「あっ」

 気弱女が驚きを顔に滲ませる。

 おっと、つい言ってしまった。

 「あー、あれだ、ウソだ。私は人間だ」

 慌ててそう言うと、気弱女は「そうだろうけど」と呟いた。「ちょっと、びっくりした」

 誤魔化しが成功したとわかって、ほっと胸を撫で下ろす。

 やはり、人間の振りをするのは大変だ。

 気弱女が卵焼きを箸でつまみ、口へと運ぶ。弁当があまりにも小さいから、その一口で、おかず類に大きな空きが生まれる。

 これだ、と私は閃いた。

 油断しきっている気弱女の、弁当箱の隅の方にある唐揚げをつまみ、即座に口に放り込む。噛むたびに、口の中に味が広がる。料理長に負けず劣らずの味だった。

 ただでさえ少ない弁当の、およそ主役にあたる唐揚げを無断で食われたからには、困らざるをえないだろう。

 しかし気弱女の反応は予想だにしないものだった。

 私が唐揚げを飲み込むと同時に「美味しい?」と訊いてきた。その表情には期待の色が含まれていた。「美味い」と素直に答えると「ほんと?」と笑顔になった。

 「それ、私が作ったんだ」

 「へえ、私にはできんな・・・・・・どうしてそんなに嬉しそうにしている」

 そう訊くと、気弱女ははにかんだ。

 「家族以外の誰かに、料理食べてもらうの、初めてだから、その、嬉しくて・・・・・・それに、美味しいって」

 気弱女は目を伏せて、照れくさそうに身をくねらせている。

 その様子が、私には不思議で仕方が無かった。

 こいつはなぜ困らない、なぜ悲しまない、なぜ怒らない。それどころか、料理を褒められた程度でどうして喜んだりする。

 人間が本来持っているはずの感情が欠落しているのか。

 「よかったら、卵焼きも、どうぞ」と、すっかりいい気分になっている気弱女が、弁当箱を手に持って差し出してくる。言われた通りにそれを摘まみ上げ、口に入れる。しょっぱい味付けだった。

 「これも美味いな」

 気弱女の顔がより明るくなる。今にも輝き出しそうだった。

 妙な女だ、と私は途方に暮れた。





 結局、そのお昼休みの時間の間に気弱女の弱点を探ることはできなかった。奴の言葉の裏を読み、表情を探り、心を透かし見ようと試みたが、上手くいかないまま、お昼休み終了の時刻がすぐそこまでやってきた。

 弁当箱を片付けている途中で、あ、と気づく。

 「そういえば、お前の名前を訊いてなかったな」

 気弱女にそう言うと、奴も「あっ」と声を出して「忘れてた、ごめんなさい」と頭を下げた。

 「私は藤崎咲ふじさきさきです」

 「私はアク・マ子だ、よろしくな、ふじさき」

 笑みを湛えて、ふじさきが微かに頷いた。





 その日の全てのじゅぎょうが終わり、『ほうかご』に入った。

 引き続きふじさきの弱点を探るべく、「一緒に帰ろう」と奴に提案してみたところ、用事がある、と断られた。

 用事とは何だ、もしかすると、そこにふじさきの弱点が隠されているかもしれない。

 気になった私は、廊下に潜り込んで、密かにふじさきを尾行することにした。床の中は硬くて冷たかった。

 ふじさきは一人で廊下を練り歩き、人目に付かないような廊下の隅や、途中に設置されているゴミ箱の中身を覗き込んだりしている。

 下から見るふじさきの顔は、何かに耐えるように、固く強張っていた。お昼休みに見せていたものとは全く異なっていた。

 ふじさきは校舎を端から端まで巡り、同じ経路を何度もたどった。三十分ほど続けたところで、ふじさきは視界の隅に何かを捉えたらしく、不意に駆け出した。

 駆け出した先には、水色のバケツが置いてあった。ふじさきはそこに手を入れて、一組の靴を取り出した。まさかバケツから靴が出てくるとは思っていなかったから、私には、ふじさきが手品師か何かに見えた。

 バケツには水が注がれていたらしく、その靴はぐっしょりと水分を含んでいた。

 人間に嫌がらせを働くのは、なにも悪魔だけではない。人間が人間にすることだって、当然ある。

 一瞬、固く結ばれていたふじさきの表情が揺れた。ふじさきは唇を一文字に引き伸ばして、なんとか表情を取り繕おうとしたが、それも叶わず、涙を流し始めた。

 大粒の涙が塊になり、ふじさきの顔から離れて、足元の床、すなわち私の上に落ちた。

 私の心がささくれ立った。

 悪魔である私よりも先に、ふじさきに涙を流させた人間がいる。

 そのことが、私には許せないのだった。

 

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