そのあざとさに首ったけ
私の友人である美波はあざとく、いわゆるぶりっ子である。私は彼女のそのあざとさが、彼女の可愛さをより強調するそれが好きだ。他の人がどうかは知らないけれども、少なくとも私は、可愛い美波を見るのが好きだ。
それは単純に、美波のことが好きだから、彼女のあざとい行動すら好ましく思っているんじゃないか、と指摘されれば、肯定せざるを得ないけれども。
平日の朝、私は近所のコンビニの前に立っていた。
十二月、空には雲が無く、太陽の光が地表を照り付けているにもかかわらず、乾いた冷たい空気が纏わりついてきて身を凍らせてくる。
季節は、もうすっかり冬だった。今年は秋と冬の境目が曖昧で、いつの間にか冬になっていた、という具合だった。
身を切るように冷たい風が吹く。クリスマスケーキの予約受付を主張する幟が揺れる。
「ごめーん」という声が離れた所から、風に乗って聞こえてきた。そちらの方を振り向くと、一人の女の子がこちらに向かって走って来ていた。その女の子は美波だった。
美波は私のすぐそばにやって来ると、息を切らしながら、「ごめん、遅れちゃった」と言って私の手を握ってきた。「寝ぐせ、どうしても直らなくて、ほんとにごめんねえ、ゆかちゃん」
走ってきたせいか、彼女の手はカイロみたいに暖かい。
驚くべきことに、ここにやって来てからの美波の行動のことごとくがあざといのだった。
「あざといな」と私が言うと、「へへ、可愛いっしょ?」と悪戯な笑みを美波は浮かべた。
確かに彼女の言う通りだったので、私はそのことに特に言及せず、「じゃあ行こうか」と提案すると、彼女は握った私の手をそのままに「寒いから、手繋いでいこうよ」と歩き出した。
私は見逃さなかった、美波のブレザーのポケットから手袋がはみ出しているのを。
あざといな、と私は思った。可愛いな、とも。
教室に入った途端、美波はまるで遊園地にやって来た子どものようにはしゃいで、「おはよー、おはよー」とクラスメイトに声をかけては、花のような笑顔を振りまき始めた。
クラスメイトの反応は種々様々である。「おはよう」とそのまま返す人もいれば、「あざといな」と言う人もいる。共通しているのは、みんな笑顔なことである。
美波のようないわゆるぶりっ子は往々にして、異性からは一定の支持を得る一方で、同性からはこれ以上ないくらい嫌悪されるものだけれども、彼女の場合は違う。あざとさのスペシャリストたる彼女は、もはや「そういうもの」として、みんなから受け入れられている。むしろ、自らの容姿がいかに優れているかを自覚し、それを強調する彼女を、みんなが一目置いていた。
美波の手が離れていったことに寂しさを覚えつつも、自分の席に座り、鞄から数学の教科書を取り出して、一時間目の授業に備える。
朝から数学、と考えるだけで、疲れを感じてしまう。
そんな感情から生まれた心の隙間を突くように、不意を打つように、背後から伸びてきた腕が首に回される。果たして、それは美波によるものだった。
「一時間目なんだっけえ」と私の頭の横から顔を突き出して机の上を覗き、「あ、数学かあ。いやー」と項垂れた。
彼女の髪が肩にかかる。シャンプーのいい香りが鼻腔をくすぐる。
「あざといな」と私が言うと、「可愛いっしょ?」と美波が頬を擦り付けてくる。ほっそりとしているのに、お餅のように柔らかい。
まあ可愛いよな、と私は思った。
数学の授業は、担当の先生が一切の私語を許していないため、他の授業に比べても圧倒的に静かで、黒板にぶつかるチョークの乾いた音と、シャープペンシルで文字を書く音のみが聞こえてくる。
板書をノートに書き写す作業に飽きて、そっと窓の外に視線を向けてみる。暖房が十分に効いた教室内とは正反対に、外は寒そうだった。温度差で、窓で結露が起きている。
もうそろそろ書き写す作業に戻らなきゃ、と思い始めたその時、右隣りからにゅっと腕が伸びてきて、ノートの切れ端を机の上に置いた。
私の右隣に座るのは美波である。
なんだろう、とその切れ端を手に取って目を通す。そこには「消しゴムかして」と丸く可愛らしい字で書かれていた。文字すらあざとい彼女である。
隣に目を向けると、困ったような笑みを浮かべた美波が両手を合わせていた。
筆箱からまだあまり使われていない消しゴムを取り出して、はい、と美波の白い手の平に落とす。ありがと、と彼女は声を出さずに、唇の動きだけで言った。
ほんの十数秒で消しゴムが机上に戻される。渡した時と違うのは、さっきのものよりも一回り小さい、ノートの切れ端が添えられていたことだ。
紙切れには、ありがと、と記されていた。その終わりに、大きなハートマークがくっついていた。
美波を見ると、私の反応を待っているのか、彼女も私を見ていた。
あざといな、と口パクで伝えると、美波は白い歯を覗かせて、顔の横にピースサインを作った。
一挙手一投足どこを切り取ってもあざとく可愛い美波に、私は感服せざるを得なかった。
お昼休みに入り、教室内が楽し気な声で満たされていく。
二つの机を正面からひっつけて、美波の向かい側に座る。彼女は既に持参したお弁当箱の包みを解いていた。私も、今朝買っておいたコンビニのパンを机に広げる。
「あー、ゆかちゃん、またコンビニパン?」と、すかさず美波が指摘してくる。頬を膨らまして、いかにも怒っていますよ、という様子の彼女はやっぱりあざとかった。
「親が共働きで、お弁当作ってる時間ないんだよ」と私が弁解すると、「じゃあゆかちゃんが作ればいいでしょ」と鋭く言い放った。
そんな朝早くに起きてたら死んでしまうんじゃないか、なんて思っていると、美波は自分のお弁当を机の中央に寄せて「これ、私が作ったんだよ」と、どこか自慢げに言った。
へえ、と感心して、お弁当の中身を見てみると、容器のほとんど半分をごはんが占めていて、もう半分には、からあげ、卵焼き、小松菜の胡麻和え、きんぴらごぼうなどが所狭しと敷き詰められているという、いたって一般的なものだった。でも、その一般的、というのは、私が想像する以上に難しいんだろうな。
「すごいね」と素直に言うと、「まあ、作り始めたのはつい最近なんだけどね」と美波が事実を付け加えた。
プラスチックのお箸で卵焼きを一つ摘まむと、「お一ついかが?」と美波が上目遣いに言った。あざといな、と思いつつ「いいの?」と訊くと、「正直な評価よろしく」と微笑んで、「あーん」と卵焼きを口に近づけてきた。
卵焼きは形が綺麗で、見るからに美味しそうだった。口を開けて、それを受け入れる。
卵焼きは塩が効いていた。これまで甘い卵焼きばかり食べてきた私にとってそれは新鮮なものだったけれども、思いのほか悪くは無かった、むしろ、美味しかった。
「どう?」と心なしか緊張を含ませた表情で美波が訊いてくる。「美味しい」と私が心から言うと、彼女は「ほんと?」と目を輝かせた。
気分を良くしたらしい彼女は、今にも飛び跳ねそうな調子で「じゃあ、じゃあ、こっちのきんぴらごぼうも」と、再び箸を近づけてくる。
親鳥に食べさせてもらう子鳥にでもなったような気分だった。
不味いきんぴらごぼうなんてこの世に存在するのか、なんてことを疑問に思いながら咀嚼する。「これも、美味しい」と言うと、「ゆかちゃんそればっか」と美波が文句を垂れた。でもその表情は満足げだった。
あざといな、と思ったけれども、たぶん、それは彼女の素だ。あざとい行動を繰り返す彼女は、その実、本性すらあざといのだ。
料理の才能があるかも、なんて嘯く美波を尻目に、コンビニパンの封を開ける。
その日の放課後、部活動に所属していない私と美波は連れだって帰路についていた。美波のことだから、何かしらの運動部のマネージャーになりそうなものだけれども、「さすがに面倒くさい」ということらしかった。
朝よりかは幾分か和らいでいるとはいえ、やっぱり外は寒い。風が吹くたびに、思わず首をすくめてしまう。天気は胸がすっと晴れるような快晴だというのに、どうしてこんなにも寒いのだろう。
ぽつぽつと会話を交わしながら歩いてしばらくすると、ふと、あることに気づいた。
「あれ、美波、マフラーは?」
私がそう言うと、彼女は曖昧な笑みを浮かべてから「なんか、野良っぽい猫に引っ掻かれて、使えなくなった」と答えた。
なるほど、気づいてみれば、確かに今朝も彼女はマフラーを首にしていなかった。なぜその時は気づかなかったのか、我ながら疑問に思う。
氷が漂っているように冷たい空気に晒されて、美波の首がみるみるうちに青くなっていく、ように見えた。
風邪をひくことを、美波はこの上なく恐れる女の子である。というのも、顔の半分以上が隠れてしまうマスクを着用することが、何よりも嫌なのだという。ここまでくると、あざといとか、そういう次元ではないような気がする。
美波を見ると、彼女の体が僅かに震えているのがわかった。
仕方ない、と私は自分の首に巻いていたマフラーを取り、美波の背後に立ってそれを彼女の細い首に巻き付けていく。
首元が寂しくなり、急激に冷えていく。
「え、ゆかちゃん」と呆気にとられたような声音で美波が言う。「別にいいよ、ゆかちゃんも寒いでしょ?」
彼女の言葉をあえて無視して、私はなおもマフラーを巻き付け続ける。それを終えると、彼女は肩越しに振り返って、困ったような目を向けてきた。
「寒いのは嫌だけど」とそこで一旦切って、冷たい空気を肺に取り込んでから、また口を開く。「美波に風邪をひかれるほうが、もっと嫌だからね」
彼女の頬を軽く揉んで、「じゃあ、帰ろっか」と声をかける。
美波の頬がほんのりと暖かくなるのを、私の手の平が感じ取った。
「あざといのはどっちだよ・・・・・・」と彼女がぼやいた。
「え、何が?」と私が訊き返すと「何でもないっ」と、シャッターを下ろすみたいに、彼女がぴしゃりと言い放った。
歩き出す彼女の隣に立つ。そうした途端に「あ、手つなご」と腕が伸びてきた。
「手袋ないの?」と訊くと、「今日は忘れちゃった」と美波は言って、両手を合わせてあからさまに手が冷えていることをアピールしてきた。
ちらりと、彼女のブレザーのポケットを盗み見る。朝の時点でははみ出ていた手袋は、今はもう見当たらない。
どうやら彼女は『持ってきてはいるものの、手を繋ぎたいから忘れたフリをする』と『本当にうっかり忘れてしまったから、なんのしがらみもなく手を繋ぐ』、その二つのシチュエーションを用意していたらしい。
「あざといな」と私が言うと、「可愛いっしょ?」と彼女が手を掴んでくる。彼女の言うとおりだったので「可愛いよ」と素直に肯定すると、「へっ?」と素っ頓狂な声があがった。
何に驚いたんだろう、と美波を見ると、彼女の丸く見開かれた目と合った。
「ゆかちゃん、いま、私に可愛いって言った」
「え、今まで言ってなかったっけ? 結構言ってきたと思うんだけど」
「全然、ほんとに全く、言われたことないよ」
彼女の言葉が呼び水となり、これまでの彼女との会話が次から次へと再生されていく。
言われてみれば、ちゃんと口に出して彼女に可愛いと伝えたことは、いままでなかったような気がする。心の中ではいくらでも言ってきたけれども。
私を責めるような、詰るような、そんな意思を含ませた視線を美波が投げかけてくる。これまでの分を取り返すように、試しに「可愛いよ、美波」と言ってみると、私の手を握る彼女の力が強まった。有り体に言って痛かった。
「言っとくけど、ゆかちゃんも大概あざといから!」
そう美波は叫んだ。
その大声はあざとくなかったけれども、それとは別に可愛らしかった。
少なくとも、私はそう思った。




