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彼女たち  作者: 城ヶ崎
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カップル限定


 カップル限定のパフェが食べたい、とすすみが言った。

 ホームルームが終わってすぐのことだった。風邪をひかないように、なんて当たり障りのないことを教室内の生徒に呼び掛けている先生を一切無視して、隣の席でスマートフォンをいじっていた進が、先生の話が終わるや否やそう言ってきた。

 なにそれ、と私が訊くと、彼女はスマートフォンを印籠のように掲げて画面を見せてくる。そこには生クリームやらチョコソースやら、ありとあらゆる果物が乗っているパフェの画像が表示されていた。様々な種類の果物がる、夢の世界の木のようだった。どこかのカフェのチラシのようで、『カップル限定ジャンボパフェ!』という太い文字が記されている。

 「最近さ、近所にカフェができたの知ってるでしょ」

 「そういえば、なんかできてたね」

 「このチラシ、そこのやつ」

 「へえ」

 クリスマスを目前に控えた小さな子供のような表情を浮かべる進に、私は我ながら驚いてしまうほど無関心な声音で、へえ、と返す。

 実際に、興味が無い。進は甘いものが好きだけれども、私はそれほど好きではない。その上、彼氏がいない私にとって、それはもう全く別世界のものだった。

 「行ってくれば」と私は言ってみる。「進は可愛いし、クラスの適当な男子誘えば、簡単についてきてくれるでしょ」

 あまり褒められた方法ではないけど、と付け足す。

 まあでも、男子からすれば役得なのかもしれない。まがりなりにも、進と二人で、『カップル』限定のパフェを食べられるんだし。

 「うん、今日さっそく行ってみよう」と進が元気溌剌げんきはつらつ、といった調子で宣言した。教科書類を鞄に入れながら「それがいいよ」と私はなおざりに返す。「善は急げってね」

 うんうん、と進がうなずいていた。







 進が言っていた、近所にできたカフェというものの存在を知りはしていたものの、実際に見たのは初めてだった。

 『カップル限定パフェ』なんて俗っぽい商品を出しているわりには、落ち着いた雰囲気の外装だった。道路側に面した壁はガラス張りで、店内の様子を見渡すことができる。最近開店しただけあって、お客さんの数はかなりのものだった。

 この人数の中でカップル限定パフェを食べるには、それなりの勇気が必要であるように思えた。

 「ねえ、進」と私が呼ぶと、彼女はいかにも能天気な調子で「なあに駿しゅん?」と返してきた。

 「なんで私をここに連れてきた」

 「え、いやいや、言ったじゃん、カップル限定パフェ食べたいって、私言ってたよね?」

 「言ってたけどさ」私は頭が痛くなってくるのを感じた。「だったら、彼氏役が必要でしょ、私じゃなくて」

 は? と、まるで予想外の返答を耳にした時のような、「一足す一は?」と質問して「三でしょ、知ってるよ」と返されたような声を出した。一体こいつは何を言い出すんだ、とでも言いたげな声音だった。

 「だから、駿でしょ、私のカップル役は」

 「へ?」

 「は?」

 二人の間に沈黙が流れた。進は次の私の言葉を待っているらしく、口を開かず私を見つめている。その瞳には驚愕の色が確かに含まれていた。私はといえば、何も言えずに固まっていた。彼女の言葉がまるで理解できなかった。街中で突然スペイン語で話しかけられたようなものだった。英語ですら厳しいのだから、スペイン語はもう全く無理だ。

 次に発するのに妥当な言葉を脳内で探してみるけれども、一向に見つかる気配がない。何かないか、と辺りを見回してみると、カフェの軒先に建てられている、「カップル限定パフェ! 愛を見せつけるように召し上がりください!」なんて訳の分からない文言が記された看板が目に入って、私は辟易した。

 少しすると、そもそも何も言わずに帰ればいいんだ、と気づき、私は早速カフェに背を向けた。

 その時、頭頂部に小さくて冷たい何かが落ちてきた。液体らしいそれは、雨粒だった。

 空を仰ぎ見ると、いつのまにか灰色の雲の塊がやってきていた。

 雨脚は、まるで階段を二段飛ばしで駆け上がるみたいに勢いを増していく。しとしと、から、ざあざあ、という具合に。

 こんな天気、予報にはなかった。

 「うわあ、やばいやばい」と進があたふたと私の手を引いた。「駿、早く入るよ」

 気づいたときには、私と進は入店を果たしていた。「いらっしゃいませ」と白いシャツに黒い腰下のエプロンに身を包んだ店員さんが出迎えてくる。「二人で」と進が淀みなく言うと、「こちらへどうぞ」と手際よく席に誘導され、着席する。

 椅子の脚が長く、どうにも落ち着かなかった。

 「すみません、カップル限定パフェ一つ」とさりげなく、あたかもそれが自然の成り行きであるかのように、店員さんに向かって進が言った。

 「おい」と私はたまらず口をはさむ。タブレットを操作しようと伸ばされていた店員さんの指がピタリと止まる。なぜ疑問を抱かずに注文を受けようとしているのか、不思議でならなかった。

 「なに、駿。私たち、もう付き合い始めて一年だよ?」進がぬけぬけと言う。「カップル限定なんて、いまさら恥ずかしがらなくたっていいのに」

 開いた口が塞がらないとはこのことだった。私は眩暈のようなものを覚えた。

 その隙を突いた進が素早く「注文は以上で。すみません。この子、すっごい恥ずかしがり屋で」と言った。店員さんは素敵な笑顔を浮かべて「可愛らしい彼女さんですね」と厨房に戻っていった。制服姿の女子高生二人の、そのうえ名目上のカップルがやってきたというのに、動じた気配が全く見受けられなかった。

 恐ろしい店だ、と私は素朴な感想を抱いた。







 「駿はさ、何が嫌なの?」

 パフェがやって来るまでの待ち時間、不意に進がそう訊いてきた。

 雲の切れ目から太陽の光が見え隠れしていて、雨は今にも止みそうだった。

 「いろいろ嫌だよ」と私は不満をぶつける。

 「いろいろって、何が?」

 「この後やってくるパフェがカップル限定っていうのも嫌だし、そのパフェのために進の彼女役やってるのも嫌だし、そもそも女の子同士でカップル演じてるのも嫌だし、学校の制服のままここにいるのも嫌だ。目立つのが嫌だ」自分でも驚いてしまうくらいスムーズに、不満が口から出ていく。「学校の友達とかに見られたら、本当に嫌だ」

 「まあまあ、大丈夫だって」脳が三百グラムくらいしか入っていないんじゃないか、と疑ってしまうほど気の抜けた声で進が言う。「もし見られても、どうとでもなるでしょ」

 彼女のその言葉に、まあそうか、と納得する自分がいた。もし仮に、私たち二人がカップル限定のパフェを食べているところを目知り合いに目撃されたとしても、まさか『あいつら付き合ってたのか』とは思わないはずだ。

 そう考えると、少し気が楽になった。とはいえ、店員さんや他のお客さんに誤解されている可能性は十分にあるけれども。

 「確かに、深刻に考えすぎてたかも」反省の意を込めて、私はそう言ってみた。

 「そうそう、もしもの時は私も言ってあげるからさ」私を真正面に見据えた進が言う。「『私たち付き合ってるけど、悪い?』ってね」

 「なにそれ」と私は嘆息する。

 パフェが私たちのもとに運ばれてきたのは、しばらくしてからのことだった。






 パフェの見た目は、圧巻の一言だった。チラシで見るよりも遥かに迫力があった。

 容器の底にはコーンフレークが敷き詰められていて、その上に白いクリームが、遠間からは綿菓子にすら見えそうなくらいの塊となって鎮座している。様々なフルーツが今にもこぼれ落ちそうな危うさで飾られている。それらすべてを彩るように、チョコソースがたっぷりとかけられている。

 視界に入れているだけで、ただそれだけで胸焼けを起こしそうになる。

 こんな怪物を誰が食べたいと思うのか、と正面に視線を移すと、まさにその人物がいた。

 目をキラキラと輝かせた進が、早速スプーンを手に持っていた。

 正気か、この女。

 「それ、自分で食べてよ」と彼女に呼びかけると、彼女はただ頷いて、生クリームをすくって口に運んだ。「甘い、おいしい」と実に簡素な感想を述べている。

 進は普段から甘いものを摂取しているにもかかわらず、不思議なことに体重は増えず、体形が変化することもない。そんな進を、私は純粋に羨ましく思う。

 スプーンを口に運ぶ作業を五、六回ほどしてから、「やっぱり駿も食べなよ」と、そのスプーンを私の方に向けてきた。生クリームといちごが乗っている。「はい、あーん」

 いくら甘いものが好みでないとはいえ、一口や二口くらいなら問題なく楽しむことができる。私は口を開けて、そのスプーンを迎え入れる。

 暴力的な甘みが口に広がったところで、不意に「あのう」と声をかけられる。

 いつの間にか、店員さんがすぐそばにやってきていた。どういうわけか、スマートフォンを手に携えている。

 桜の花びらが散らない程度の風のようにささやかな、それでいて無視することのできない、嫌な予感がした。

 「もしよろしければ、お写真を撮らせてもらってもよろしいでしょうか?」と店員さんが言った。「カップルさんの写真、宣伝用にも撮っておきたくて」

 ひどく直截な言い方だった。

 すみません、と私が断ろうとしたその前に、「いいですよ」と進が快諾した。「写真、どんなのがいいですかね?」

 何を勝手に話を進めているんだ、と進を睨みつけていると「あ、じゃあ、今のあーん、もう一回いいですか?」と店員さんが人差し指を立てた。

 進の行動は早かった。気づいたときには彼女はスプーンでクリームをすくい、私の口元へとそれを突き出していた。

 「はい、駿、あーん」

 「え、いや、ちょっと」

 「あーん」

 「あ、あーん・・・・・・」

 急かされて、思わず口を開ける。間髪入れずにクリームが口内に放り込まれる。シャッターを切る軽やかな音が鳴った。

 「はいオッケーです。ありがとうございます」と店員さんが頭を下げてから「料金の方、割引させていただきます」と言い残して去っていった。

 あの写真がどのように使われるのか、想像が及ばない、というよりも、想像したくない。

 目の前に座る進は依然としてパフェを食べ進めている。そんな彼女の様子を眺めていると、先ほどのやりとりは、実はすべて白昼夢だったんじゃないか、とすら思えてくる。それは紛れもない脳の不具合だったけれども、私はあえてそれを受け入れることにした。

 「パフェ、美味しい?」と私が訊くと、「うん」という無邪気な声が返ってきた。







 山のようだったパフェが、まるで太陽に晒されて溶けていく雪だるまみたいに無くなっていって、いよいよ終盤に差し掛かっていた。進の手が休まる気配はない。

 ふと疑問に思って、私は進に訊いてみる。

 「あのさ、どうして私を連れてきたの?」

 「え、いやだから、カップル限定パフェのためだけど」さながらパフェを口へと運ぶベルトコンベアーと化していた手を止めて、進が答える。「二人じゃないと、食べられないじゃん」

 「それなら、他の人でよくない?」思っていたことをそのまま口にする。「わざわざ、甘いのが好きじゃない私を相手にする必要、なかったと思うんだけど」

 「ええー、それ言っちゃう?」と不満げに、それとは裏腹ににやにやと笑みを浮かべて、進が挑発的な目を向けてくる。「わからない? 駿を相手にした理由」

 「わからない」と私は素直に答える。

 「そんなの、駿が一番好きだからに決まってんじゃん」

 仮にも恋人役だよ、と彼女は付け加えた。

 「・・・・・・あっそ」と私は努めてそっけなく返して、視線を外へと移した。

 不覚にも、と私は思う。不覚にも、今のはちょっと、ドキッとしたな。

 進がパフェを完食したのは、そのすぐ後の事だった。







 後日、特に意識していなかったにも関わらず、私はあのカフェの前を通りかかった。

 ガラス張りの壁から店内の様子を眺めると、なんとなく、二人組の女性客が多いように見えた。彼女たちのテーブルには、綿菓子みたいに大きいパフェが置かれている。

 聞いた話によると、このカフェの公式SNSが『カップル限定ジャンボパフェ』の宣伝のために、ある一枚の写真を掲載したらしい。

 その写真に写っているのは二人の女子高生で、一人がもう一人の女の子にスプーン一すくい分のパフェを食べさせている様子のものだという。

 それだけなら、女子高生が悪ふざけでパフェを頼んだのかな、と見ることもできるけれども、どうにもその食べさせられている女の子の方の表情が、とても悪ふざけのそれに見えない、ということらしかった。女子高生のカップルである、という確信を持たせるのに十分な表情だったらしい。

 その写真は反響を呼んだ。主に、同性を好きになる女性の間で。

 風の噂によると、近々、テレビ番組でこのカフェの特集が組まれるとかなんとか。

 それを聞いた進は、やはり暢気に「もしかしたら、インタビューされるかも」と騒いでいた。

 別人だ、と私は自分に言い聞かせる。だって、あの時、私はそんな表情をしていなかった。だから、その女子高生カップルは別の誰かのはずだ。

 その写真を見れば、それがそのまま答え合わせになるのだろうけど、何か余計なことまで分かってしまいそうで、とてもできそうになかった。

 もう二度と来ないぞ、という決意を固めてから、お店の前を通り過ぎる。

 でも、なんとなく、明日辺りに、また進が誘ってきそうだな、という予感があった。

 それが現実となった時、私は果たして断ることができるのだろうか。

 私は不安を抱いた。

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