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彼女たち  作者: 城ヶ崎
42/71

ゲームセンターという戦場(下)

ちょっと長いです。そのわりにぺらぺらです。


 翌日、私は再三ゲームセンターに足を運んでいた。昨日のリベンジマッチの結果がどういうものだったかは言うまでもない。

 どこか不健康な雰囲気が漂う店内を迷うことなく歩き、またあのゲーム筐体の前に座る。

 五十円玉を投入する前に、深呼吸を念入りに繰り返し、伸びをして体の緊張をほぐし、両手を擦り合わせて精神統一を図る。

 昨夜、眠りにつく前に私は徹底的な自己分析を行った。なぜ私はコンピュータなんかに敗北しなければならないのか。将棋のプロすら打ち負かす現代のコンピュータならまだしも、二十年、もしかしたら三十年前のゲームの古ぼけたコンピュータなんかに、どうして負けなければならないのか。

 睡眠時間を削り、考えに考えた末、私は一つの結論に至った。

 今までの私には真剣味が足りなかった。ワンプレイが五十円で、手を一切つけていない給料により懐が過剰に暖かいことで、いつの間にか、お金を使っているという実感が薄れていた。

 これではいけない、たとえ五十円であろうと、私はお金を消費しているんだ。お金を消費して屈辱を味わうなんてことが許されてたまるか。

 今の私に必要なのは、何としても五十円分の楽しみを味わうという覚悟だったのだ。

 勝つ、勝つ、何が何でも勝つ。

 心を激情の赤色で染め上げて、決断的に五十円玉を入れる。






 コンピュータとの対戦が始まってしばらくすると、私は確かな手ごたえを感じ始めていた。昨日までの、一方的にハチの巣にされていた私と、今日の私は違っていた。敵の攻撃を、すべてとは言わないまでも避けて、まるで幼稚園児の貯金箱のようにささやかな反撃を加えることができた。

 それを積み重ねていくと、私のロボットも敵のロボットも壊滅寸前の、ぎりぎりの接戦になった。それは泥仕合とも言えた。

 相手の首に手をかけている一方で、相手の手が私の首にかかっているこの状況は、次の瞬間に決着がついてもおかしくない。たった一度のミスでこちらが負けてしまう。

 心が高揚すると同時に、緊張がこみ上げてくる。レバーを倒す手や、ボタンを押す指の動きが最適化されていくのがわかる。その感覚は心地よかった。

 わずか数秒のうちにチャンスが訪れた。

 敵のロボットは時折、肩に背負った大砲のような物体からビームを放つ。その時、大技を繰り出すには溜めがいるらしく、一秒ほど硬直する。

 そして今まさにその硬直があった。

 その隙を見逃す私ではない。この隙をついて、たったの一撃でも食らわせることができれば、この勝負の勝者は私になる。手元のボタンを押すだけで、それだけで。

 勝った、と頬を緩めそうになった、まさにその時だった。


 「今日も来たんだね、翔子ちゃん」

 「ぎゃえっ」


 突如として背後から、というよりもほとんど耳元でかけられたその声に、私は我ながら奇妙な声をあげて驚いてしまう。手元が狂い、私はまるで見当違いなところを指で押していた。

 あ、と声を出す前に、敵から放たれた極太のビームが私の機体に直撃していた。風前の灯だった青いボディの彼はなす術なくばらばらに崩れ去った。

 『YOU LOSE』という文字が画面いっぱいに踊った。

 私はしばらくのあいだ呆然としてから、この敗北の原因を思い出して背後を振り向く。

 果たして、そこには水瀬さんがいた。彼女はにやけ面を浮かべている。その表情を見ると、怒りで眉が釣りがるのが自分でもわかった。

 

 「水瀬さん、あなたのせいですよ」

 「え、何がぁ?」


 小首をわざとらしく傾げて、水瀬さんはいたずらな笑みを貼り付けている。その彼女の様子は、どこからどう見ても、すべてを理解しているものだった。


 「もうちょっとだったのに、あと少しだったのに、あなたがいきなり後ろから声をかけてくるからびっくりしちゃったじゃないですか、手元が変になって負けちゃったじゃないですか。どうしてくれるんですかどうしてくれるんですか」

 「まあまあ、そう怒んないでよ可愛いなあ」


 私が水瀬さんを責め立てると、彼女は手で押しとどめるような仕草をした。それがかえって腹立たしかった。

 これ以上言っても水瀬さんを楽しませるだけだ、と思い直して、私は再び深呼吸をする。燃え立つ心に風を送り込んで冷やすように、ゆっくりと空気を取り込む。

 私がそうしている間に、水瀬さんは当然のように私の隣に座った。

 水瀬さんバイト中でしょう、と咎めようと彼女のほうを見ると、彼女が制服である黒いポロシャツと黒いタイトスカートを着ていないことに気づいた。Tシャツに足の細さを強調するジーパンとラフな格好だけれども、持ち前のスタイルの良さによってそれすらオシャレに見えた。

 それに驚いている私を察してか、「今日はバイト休みだよ」と彼女は言った。

 「だったらどうしてここに?」と当然の疑問を口にすると、「翔子ちゃんに会いに」と水瀬さんは恥ずかしげもなく答えた。

 もし今の言葉を男の子に言われていたら、多少はドキッとしたかもしれないけれども、生憎と水瀬さんは女性だ。美人な女性だ。全くときめかないし、むしろ不気味でならない。出会って三日目、会話をして二日目の私に、彼女はどうしてそんなに興味を示すのか、不思議で仕方がない。

 

 「翔子ちゃんお金まだあるぅ? 負けすぎて無くなっちゃったぁ?」

 「馬鹿にしないでください。まだ千円分くらいしか使ってませんから」

 「ええ、翔子ちゃん二十回も負けたの・・・・・・?」

 「いや、まあ、はい」


 答えると、彼女は快活に笑った。お笑い番組でも視聴しているみたいな笑い方だった。

 よく笑う人だな、と今更のように思った。

 笑いながら、水瀬さんは衝撃の事実を、まるで取るに足らない世間話をするかのように言い放った。


 「君が負け越してるロボット、最初のステージのやつだよ」

 「え? どういうことですか?」

 「もし仮に翔子ちゃんがそのロボットを倒したら、それよりもっと強いやつと戦わなければいけないんだよ」


 鈍器で頭を殴られたような気がした。いやいや冗談ですよね、と水瀬さんに言おうとしたところで、彼女の真剣な表情が視界に飛び込んできた。常ににやけている水瀬さんだけに、余計に真実味が増していた。

 彼女の言葉に、私は絶望の底に落ちたような気がした。光すら届かない恐ろしい場所に転がり落ちてしまったような、そんな感覚があった。

 私はこのゲームで一番弱い敵に二十回近い敗北を期し、そのうえ更なる強敵が待ち構えている。その二つの残酷な現実が、私の心を執拗に切り刻んでくるのだった。私のちっぽけなプライドは、サイコロステーキのように細切れになってしまった。

 項垂れていると、「まあ、今日はやめとこうか」と、気遣うような声音で水瀬さんが言った。「ちょっと、お姉さんとお喋りしようよ」

 顔を上げて、彼女を見る。人を気遣う心があるなんて、思ってもみなかった。


 「お喋りって、特に訊きたいことないですよ」

 「私にはいっぱいあるんだよ」

 「はあ、そうですか」


 水瀬さんは早速足を組んで雑談の構えになった。彼女は唇を舌で舐めて、口を開いた。


 「翔子ちゃんは部活やってないんだっけ? どうして入んなかったの?」

 「・・・・・・自分で言うのも変ですけど、私、負けず嫌いなんですよ。だから、勝ち負けが決まってしまうスポーツはちょっと、疲れちゃうんですよ」

 「ああ、だからこのゲームに噛り付いてんのね」


 なるほどねえ、と彼女はしきりに頷いた。


 「ちなみに私は軽音楽部でギターしてたよ。文化祭の日とか、体育館でみんなの前で演奏したりしてさあ、結構女の子にきゃあきゃあ言われてたんだぜい」

 「ははあ」


 おざなりな相槌を打ちつつ、私は水瀬さんがギターを首から下げて、体育館の壇上で演奏している姿を脳裏に思い描いてみた。観客はリズムに合わせて手を振ったり頭を振ったりしている。その人たちの前に立つ水瀬さんはきっと笑顔を浮かべているだろう。額に汗を浮かべてジャンジャカとしている彼女の姿はしっくりときた。


 「可愛いですね」

 

 素朴な感想を漏らすと、水瀬さんは不意打ちでも受けたように「へ?」と間の抜けた声を出した。


 「可愛いって、何が?」

 「え、いや、当時の水瀬さんを想像したら、可愛いなあって」

 「ええ? 普通ギターやってたって聞いたら、カッコいいとか、そういう感想になるんじゃないの?」

 「そうですか?」

 

 はて、と一人首を傾げていると、水瀬さんは少し困ったような笑みを浮かべてから「ありがとね」と呟いた。「可愛いなんて、言われたことないから」

 もしかしたら、水瀬さんは可愛いと言われるのを快く思っていないのかもしれない、と彼女の反応を見て思った。美人な彼女は、どちらかというとカッコいいと言われた方が嬉しいのかもしれない。

 私は慌てて「いや、カッコよくもあります」と付け加えた。「可愛いとカッコいいが、七対三の割合です」

 私の言葉を聞いているのかいないのか判然としない様子で、水瀬さんは頬杖をついて目を細めた。


 「やっぱり、翔子ちゃんは変わってるねえ」

 「どこがですか」


 そう尋ねてみても、彼女はにやにやと笑うだけだった。

 その後、私は水瀬さんから質問の雨を浴びせられた。中学の時の部活だったり、住んでいるところだったり、初恋のことだったりを、事細かに訊かれた。ゲームで遊ばないくせに席だけはいつまでも占領するというはた迷惑な客が二人誕生した。

 結局、その日はそれから一度もプレイすることなく解散の運びとなった。

 別れ際、またね、と水瀬さんは手を振った。

 またね、なのか。 

 どっと疲れが押し寄せてくるようだった。水瀬さんとの会話はエネルギーを多く消費するらしかった。






 

 明くる日の放課後、私は友人の桜田さくらだを連れて例のゲームセンターに向かっていた。

 「そのロボットゲーム、そんなに面白いのか?」と隣を歩く彼女が訊いてくる。「もちろん、目玉飛び出るくらい面白いよ」と私が胸を張って答えると、「まあしょうちゃんが言うならそうなんだろうな」と言った。

 昨夜、私は眠りにつく少し前に考えた。なにゆえ私はこんなにも弱いのか、積み重なった敗北によるもやもやをどうすればいいのか、まどろみの中にある頭で必死に考えた。

 弾き出された結論は、全くの初心者である桜田と対戦してボコボコにするというものだった。そうすれば胸はすっと晴れるだろうし、情け容赦なく襲ってくるコンピュータや血も涙もない水瀬さんと戦うときとは違って、落ち着いてロボットを操作することができる。これまでの私は、訳も分からずガチャガチャと操作していたから弱かったのだ。操作の意味を一つ一つ確認していけば、きっと私は強くなることができる。

 ゲームセンターに入っても、桜田は思いのほか動じた様子を見せなかった。彼女は首を振って視線を巡らせて、へえ、と一言だけ呟いた。

 桜田を先導して、あのゲーム筐体にたどり着く。

 

 「年季入ってるなあ。しょうちゃん、よくこんなの見つけたな」

 「まあ、生まれ持った嗅覚がそうさせたんだよね」

 「なるほどねえ」


 桜田はどっかと筐体の前に座り、目にかかるほど伸ばしたぼさぼさの前髪をかき上げて、「早速やりましょうか」と言った。「やるからには、しょうちゃん、手加減はしないでな」

 五十円を投入しながら、私は答える。「そりゃ、当然」

 かくして、戦いは始まった。







 前方から飛来してきたレーザーを避けて、撃ち返す。レーザーは桜田が駆るずんぐりとした体形のロボットを貫き、破壊した。

 あー、と隣の桜田が悔しそうに天を仰いだ。

 これで彼女との対戦回数は五回目になった。

 三勝二敗だった。

 桜田が。

 今しがた与えられた勝利の美酒に酔いしれることなく、私は黙りこくってしまう。それとは反対に、脳内は悲痛な叫びで満たされていた。

 なにゆえ私は完全なる初心者の桜田に負け越さなければならないのか。

 未練がましくレバーを倒しながら「いやあ、やるなあしょうちゃん」と桜田が言った。

 なにゆえ彼女は初心者のくせに、ビギナーである私に勝ち越して、その上でそんな言葉を吐けるのか。

 

 「桜田、実はこのゲームやりこんでたりする?」

 「いや全然、今日初めてやったけど」

 「いや嘘つかないでよ、絶対やりこんでたでしょ、そうじゃないと私が負けるはずないって」

 「いやいや、あたしも逆に驚いたって。しょうちゃんって昔からゲーム激ヘタだし、まさか二回も負けるとは思わなかった」


 彼女の言葉は私の神経を大いに逆なでしたけれども、私は敢えて口をつぐんだ。ひとたび口を開いてしまえば、激情とともに恐ろしい言葉が出てきてしまうような気がしたからだ。

 「もう一回する?」と桜田が人差し指を立てた。私は頷いて財布を取り出す。

 

 「お友達?」


 後ろから不意にかけられた声に、今度は驚かなかった。もうそろそろやってきそうだな、という予感があったから。

 振り返ると、やはり水瀬さんが立っていた。今日は従業員制服を着ている。いつものにやけ顔はなく、無表情だった。

 「友達の桜田です」と桜田を手で示すと、彼女は浅く頭を下げて「しょうちゃんの親友の桜田です」と名乗った。

 水瀬さんは「どうも水瀬です」とどことなくおざなりに言ってから「翔子ちゃんまた負けたの?」といつもの、人を子馬鹿にしたような表情になった。

 

 「いえ、まだ負けたと決まったわけじゃないですよ。次の一戦ですべてが決まりますから。次に勝った方が今日の勝者ですから」

 「いや、しょうちゃんが勝っても三勝三敗だけどな」

 「うるさいな桜田」

 

 私と桜田がほとんど同時に五十円玉を押し込む。最終決戦だ、と気合を入れなおしたその時、水瀬さんが私の首に腕を回してきた。まるでぬいぐるみを抱くような形だった。

 水瀬さん、と私が呼びかけると、彼女は「ちょっと観戦していこうかなあ」と聞こえないふりをした。

 このお店の店長は大丈夫なのか、もしかして水瀬さんに何かしらの弱みを握られていて、注意することができないでいるのだろうか。

 心の中でまだ見ぬ店長を心配しつつ、レバーを握る。

 本日最後の戦いが始まる。






 勝負が終わったとき、私に必要なのは言い訳だった。

 今朝起きた時から体調が悪かったとか、連日のゲームセンター通いで指が筋肉痛になっていたとか、やけに密着してくる水瀬さんが邪魔だったとか、嘘でもなんでもいいから言い訳が欲しかった。

 簡潔に言って、私はまたしても桜田に敗北を期した。本日四回目の敗北だった。しかも、さっきまでの三敗とは違い、今回は水瀬さんが見ている中での敗北だった。

 

 「翔子ちゃぁん、負けちゃったねえ」


 水瀬さんが細い指で私の頬をつねったり撫でたりしてくる。冷え性なのか、ひんやりとしていた。夜中、耳元で飛び回る蚊に匹敵する鬱陶しさだった。


 「もういいでしょ水瀬さん、ほらほら早く業務に戻ってくださいよ」


 苛立ちを隠すことができないまま、水瀬さんに言う。すると彼女はくすくすと笑ってから「可愛いなあ」と言い残して去っていった。

 肺の中にあった空気をすべてため息に変換して、ゆっくりと吐き出す。


 「しょうちゃん、あの美人さんと仲良いの?」

 

 隣から桜田が訊いてくる。私は首を横に振って断固として否定する。「水瀬さんが一方的に絡んできてるだけだよ」

 ふうん、と彼女は納得していない声音で相槌を打った。


 「あの美人さん、対戦中にすっげえ私のこと見てた気がすんだけど、私なんかしたっけか」


 不思議そうに、桜田が呟いた。

 彼女が口にした内容よりも、対戦中に水瀬さんに見られていることに気づきながらも桜田が私を負かしたことのほうが気になったけれども、それ以上は考えないようにした。深く考えてしまうと、致命的な心の傷を負ってしまいそうな気がした。

 その後、私たちは雑談に興じたり、他のゲームをしたりして時間をつぶした。銃を模したコントローラーを操って迫りくるゾンビを撃退していくゲームなんかは、協力プレイが前提となっていたため、気楽なものだった。

 もうそろそろ帰ろう、という時間になったところで、お店の一角から黄色い声が聞こえてきた。

 なんだろう、とそちらの方を見やると、水瀬さんと制服姿の女の子たちがいた。その制服からして、女の子たちは私たちと同じ高校の生徒らしかった。

 その光景は新鮮だった。なにせ、あの水瀬さんが年上らしい、そのスタイルに見合った、クールな笑みを浮かべているからだ。対する女の子たちは、まるで今をときめくアイドルを目の当たりにしたかのような様子だった。

 女の子たちの何人かが、大きい何かを背負っていることに気づいた。形からして、それはギターケースのようだった。

 昨日水瀬さんが言っていたことを思い出す。彼女は軽音楽部で、結構女の子たちにきゃあきゃあ言われていた、という彼女の言葉を。

 なるほどな、と私は腑に落ちる。いままさに、女の子たちからきゃあきゃあ言われている水瀬さんの姿がそれだ。

 きゃあきゃあと私に絡んでくる水瀬さんと、女の子にきゃあきゃあと言われている水瀬さん。その両者が同一人物であるとは、とても思えなかった。

 桜田とともに出口へと向かう。途中、水瀬さんが私に対してウインクをしてきたのが視界の端に映ったような気がしたけれども、見間違いだろう、と自らに言い聞かせた。







 翌日の放課後、桜田へ復讐するべく彼女を再び誘ってみたけれども、二日連続でゲーセンは金欠なる、と断られた。

 そういうわけで、私は一人でゲームセンターに足を運んだ。

 さすがに今日は水瀬さんはいないだろう、とたかをくくりながらお店に入る。今日こそは落ち着いてゲームに集中できるような気がした。それは願望だった。


 「お、翔子ちゃんいらっしゃい、もうすっかり常連客だねえ」


 店内に足を踏み入れてすぐに水瀬さんが声をかけてきた。がっかりする一方で、心のどこかでは、こうなるような気がしていた。

 驚異の、週に四シフトだった。大学生のどこにそんな時間があるのか、私には皆目見当もつかなかった。

 「今日もやるんでしょ」と水瀬さんは勝手に決めつけて、私の手を引いた。

 その日、店内はいつになく賑わっているようで、人が多い印象があった。

 その証拠に、水瀬さんは私を筐体の前に座らせると、そそくさとどこかに行ってしまった。サボり魔の彼女といえど、お客さんが多ければ流石にちゃんと店員として働くらしい。

 私は思わずガッツポーズをしそうになる。これで水瀬さんに邪魔されることなくプレイできると思うと、自然と頬が綻んでくる。

 私は早速五十円玉を投入口に入れ、もはや魂の相棒ともいえる青色のロボットを選択する。

 今日はいける気がする。根拠はまるでないけれども、そんな気がする。







 予定調和のごとく負けた。スケジュール帳に記された予定を塗りつぶすように、あらかじめ決まっていた未来を体験するかのごとく敗北した。

 ここまでくると、もう悔しいという感情すら希薄になってくる。毎日負け続けると、人間、それを当然のこととして受け入れるようになってしまうらしい。精神の構造が、そういうふうに作り変えられてしまうらしい。

 財布の中身を確認したところで、五十円玉がないことに気づく。立ち上がり、両替機の方へと向かう途中で、ふと水瀬さんの姿が目に入った。

 彼女は二人の大学生と見える男性と、困った表情を浮かべながら向かい合っていた。対する男性たちはにやにやと軽薄な笑みを浮かべている。

 ナンパだろうな、と私は直感した。水瀬さんの容姿からして、そういったことは十分に起こりえるはずだ。

 その光景を一旦無視して、両替機の前に立つ。

 ワンプレイ五十円のゲーム筐体を設置しているこのゲームセンターには、五十円両替機というちょっと見慣れないものが置いてある。

 投入口から入れた三枚の百円玉が、六枚の五十円玉となって取り出し口から出てくる。それらをひっつかみ、元来た道をたどる。

 なんとなく、後ろを振り向く。水瀬さんはまだ男性たちに声をかけれらている。

 そのとき私が抱いた感情がどういうものなのかはわからない。恐らく、その感情を言い表す言葉は、この世には存在しないだろう。

 その正体不明の感情に従って、私は彼女たちのもとへと歩いていく。

 最初に私に気が付いたのは、当然といえば当然だけれども、水瀬さんだった。彼女の視線につられて、向かい合っている男性二人が私の方を見た。

 「そこのお兄さん」と私が彼らに声をかけると、男性のうちの金髪の方が「お、どうしたのお嬢さん」と応えた。


 「あっちにあるゲームで私と勝負しませんか? それで、あなたが負けたら、そのお姉さんから手を引いてください」


 私の提案に、男性たちは「ほっほお」と声をあげた。


 「お嬢さん、俺が勝ったらどうなんのよ?」

 「その時は、そのお姉さんにいくらでも声をかけていいですよ」

 「ちょ、ちょっと翔子ちゃん」

 

 水瀬さんが何事かを言いかけると同時に、男性が「受けて立ってやるぜお嬢さん」と元気に言い放った。後ろの茶髪のお兄さんが「ケンちゃん負けんなよー」と声援を送っている。

 心配そうな表情を浮かべている水瀬さんを尻目に、私は男性たちをレトロゲームの離島に導く。

 「この店、こんな古いゲームあったのかよ。しかもワンクレジット五十円て」と金髪の男性が驚きの声を上げて、「お嬢さん、なかなかつうじゃないの」と茶髪の男性が言った。

 彼らの後ろから、水瀬さんがそろりそろりとついてきていた。

 金髪の男性がジーンズの尻ポケットから長財布を取り出して中身を確認し、「お、二枚あったわ」と五十円硬貨を二枚つまみ上げた。


 「お嬢さん、一枚使うか?」

 「いえ、自分のお金くらいは自分で払いますから」

 「お、立派じゃないの、偉いじゃないの」


 男性が椅子に座り、意気揚々と硬貨を投入した。彼の後ろには茶髪の男性が、私の後ろには静かな水瀬さんが立った。


 「このゲームはやったことねえけどよ、格ゲーなら結構やってっから、中々いけると思うぜ、お嬢さん」

 「いや格ゲーあんま関係ねえし、それにあのお嬢さん強そうだし、あんま調子いいこと言ってんなよケンちゃん。後で恥かくぜ」


 そう言って、彼らはゲラゲラと笑いあっていた。

 私の両肩を、何かがそっと触れた。それは白い手だった。見上げると、逆さまの水瀬さんの顔があった。

 「まあ、見ててくださいよ」浮かない様子の彼女に、私は声をかける。「私は勝ちますから、そんな不安そうな顔しないでください。似合いませんよ」

 彼女の反応を待たずに、五十円を消費して、私は戦いの場へと赴いた。







 勝負は最大限長引いた。そのあいだ一進一退の攻防が続き、緻密なやり取りを繰り返し、気が休まる暇なんて片時もなかった。

 しかし、どんな事柄にも終わりがやってくるのがこの世の常であり、私と金髪の彼の勝負にしたって例外ではなかった。

 まるで無秩序に積み上げられた積み木のように危ういバランスで成り立っていた私たちのやり取りは、どこかで生じた些細な綻びによって崩れ去り、それまで確かにあったはずの均衡が破られた。

 要するに、私は負けた。

 隣に座る二人の男性がいたたまれない様子で、静かに小さく息を吸ったのが聞こえた。騒音にまみれているはずの店内で、しっかりと聞こえた。


 「・・・・・・まあ、わりいけど、勝負は勝負だし、約束は約束だ。お姉さんのこと、好きにナンパさせてもらうぜ、お嬢さん」


 私は筐体の天板に突っ伏した。

 ゲームが下手だとか、そういう次元の話ではないような気がした。先祖代々、あるいは前世からの呪いとしか考えられなかった。

 金髪の彼が立ち上がろうとする気配を感じる。

 「待って」と、彼のその行動を押し止める声が私のすぐ後ろから聞こえた。

 確認するまでもなく、声の主は水瀬さんだった。

 「勝負は終わってない」と彼女は力強く言い放つ。「次の相手は私」

 その宣言に驚いて水瀬さんを見たのは私だけではなかった。隣の男性二人組も、口をあんぐりと開けて彼女を見ている。

 少ししてから茶髪の男性が「確かに」と独り言のように言った。「さっき、お嬢さんは『あなたが負けたら』お姉さんから手を引いてくれって言ってた」


 「どういうこと?」

 「つまりさ、ケンちゃんが『負けたら』お姉さんから手を引くって条件で、お嬢さんは勝負を持ち掛けたんだよ。『お嬢さんが勝ったら』じゃなくて、『ケンちゃんが負けたら』って条件で。だったら、あのお姉さんがケンちゃんに勝った場合も、ケンちゃんはお姉さんから手を引かなきゃならねえ」

 「なるほどねえ、お嬢さん、なかなか策士じゃねえの」


 金髪の彼が感心したように頷いている。

 滔々と説明してくれた茶髪の男性には申し訳ないけれども、私にそんな考えは全くなかった。


 「まあなんにせよ、勝ちゃあいいんだろ。言っとくけど、お嬢さんに勝ったことで、今の俺弾みついてっからよお、負ける気がしねえぜ」


 好戦的な男性は最後の一枚である五十円硬貨を投入し、準備を完了させた。

 「翔子ちゃん、ちょっとどいておくれ」と水瀬さんが私の背中を軽く叩く。「敵は取ってあげるよ」

 うやうやしく席を立ち、水瀬さんに譲る。彼女は落ち着いた所作で座った。座り心地の悪さなんてまるで感じさせない。

 どちらが勝つかなんて、考えるまでもなかった。







 三十秒もせずに、勝敗が決した。

 ぐへえ、とおどけた調子の断末魔を上げて、金髪の男性がのけぞった。


 「負けたあ、こんなに強いって、反則じゃねえのお姉さん」

 「ケンちゃん、なんもできてなかったな」


 ああだこうだと言葉を交わしあってから、金髪の男性が「約束は約束だからな」と言って立ち上がり、おもむろに出口へ向かって歩き始めた。

 一件落着。ただし私は何もしていない。

 勝負が終わってからずっと不動のままでいた水瀬さんが勢いよく振り向いた。彼女の瞳は潤んでいた。


 「翔子ちゃん」

 「はい」

 「さっきの人たちは妙に物分かりがいいからよかったけど、もし怖い人たちだったらどうしてたの。翔子ちゃんまで巻き込まれたらどうするの」

 「え? ああ、そっちですか、怒るの」

 「そっちって、他に何があるの」

 「いや、あんなに大口叩いておいて負けちゃったことに怒ってるのかな、と」

 「そんなわけないでしょ」


 鋭い声音で水瀬さんは言う。それを聞いて初めて、彼女が本気で怒っていることに気づいた。普段との落差に、私は用意していた言葉を見失ってしまい、代わりに「ごめんなさい」と言っていた。「なんとなく、そうするべきだと思ったんです」

 水瀬さんは何か、私に浴びせようとしていた言葉を飲み込んで、深々とため息をついた。呆れているような、嬉しそうな様子だった。

 「君は」消え入りそうな声で、水瀬さんは言う。「やっぱり変わってる」

 今回ばかりは、その評価に反論することができなかった。だから「水瀬さんのほうが変わってますよ」と反撃してみることにした。


 「え? 私が?」

 「だって、同じ高校の卒業生ってだけで、私なんかにたくさん話しかけてくるじゃないですか」

 「ああ、それは、ねえ」


 水瀬さんは曖昧な笑みを浮かべて、何かを言い淀んでいる。

 彼女の隣に座る。すると、彼女は重々しく口を開いた。


 「最初は、まあ、ちょっとした興味だったよ。翔子ちゃんの言う通り、同じ高校に通ってたってだけで君に話しかけた。このゲームに夢中になってたのも興味を惹いた。でも、ちょっと君と話してみて、いいなって思ったんだ」

 「いいな?」

 「うん。昨日さ、翔子ちゃんと同じ高校の子たちに私が話しかけられてたの、見てた?」

 「ああ、そういえばそうでしたね。軽音楽部っぽい人たちに」


 言いながら、昨日の光景を思い出す。水瀬さんに話しかけている彼女たちは、まるでアイドルの握手会にやってきたファンのようだった。

 水瀬さんの笑顔に、少しの疲れが差した。


 「本当はさ、あんなふうに接してほしくないんだよね。特別扱いっていうかなんていうか・・・・・・。私の同級生もさ、結構な人があの子たちみたいにしてくるんだよね」


 改めて、水瀬さんの姿を眺める。

 女性の平均身長を大きく超えた背丈、すらりと伸びた足、整った顔立ち。彼女の性格を知らない人からしたら、格好いい女性として映るだろう。

 でも、と水瀬さんは私に人差し指を向けた。


 「翔子ちゃんは違った。最初から私を鬱陶しがって、遠ざけようとした。私さあ、君みたいな人に、そばにいてほしいんだよね。私を特別扱いしない人に、いてほしいんだよね」

 「・・・・・・そんなこと言っちゃったら、特別扱いしそうになりますよ」 

 「どうだろうねえ、たぶん、翔子ちゃんなら大丈夫だと思うけどねえ」


 組んだ足を肘置きにして、水瀬さんは頬杖をついて上目遣いに私を見た。試すような目つきだった。


 「・・・・・・まあ、せいぜい、このゲームをクリアするまでの付き合いですからね。あんまり期待しないほうがいいですよ」

 「ええー、連絡先交換しようよう、そんな冷たいこと言わないでさあ」

 「ぶつくさ言ってないで、業務に戻ってくださいよ。それで私にプレイさせてくださいよ。今日はいける気がするんです」

 「どの口が言うんだかあ」


 花開いたような笑顔で、水瀬さんは行ってしまった。

 ふう、とそれまで胸のうちで渦巻いていた感情ごと、息を吐きだす。

 水瀬さんがどう思っていようが何を願っていようが、私には関係ない。

 勝って終わる。この連日のゲームセンター通いも、今日で終わらせる。

 そんな意気込みとは裏腹に、なんとなく、今日も勝てないんだろうな、という予感があった。

 それでも私は五十円玉を投入する。







 翌日の土曜日は、朝の七時半からドラッグストアのアルバイトだった。

 レジに立ちながら、今日もゲームセンターに行こうかしら、なんてことをずっと考えていた。どうせ暇しているだろうし、桜田を誘ってもいいかもしれない。

 買い物かごを持ったお客さんがやってきた。会計の手順は手が覚えているため、別のことを考えながらレジ打ちが可能な私は、そういえば今日は水瀬さんいるのかな、などと思いながら商品を一つずつ手に取り、バーコードを読み込んでいく。

 自然と、水瀬さんの顔が視界に浮かび上がってくる。想像であるはずのそれは、妙なリアリティがあった。現実的な質感を伴っていた。

 というか、目の前に水瀬さんが立っていた。

 

 「・・・・・・え?」

 「はい? って、ああ!」


 思わず漏れ出た声に、財布を手にもって準備をしていたお客さんが私の顔を見て、驚きの声を上げた。

 そこに立っていたのは水瀬さんだった。

 最悪の出会いだった。

 水瀬さんの顔が、みるみるうちに不愉快な笑みの形に歪んでいく。


 「あらあらあらあら、翔子ちゃぁん、ここでバイトしてんだあ? いいこと知っちゃった」

 「人違いですよ、お客さん」

 「いやいや、名札に八瀬やせって書いてるよお、翔子ちゃんの苗字、しっかり覚えてんだからねえこっちは」


 さっと、手遅れと知りながら名札を隠す。

 私をジロジロと舐め回すように見てから、水瀬さんは「エプロン姿いいねえ、可愛いねえ」と変態的な声を上げた。


 「知りませんから、翔子ちゃんって誰ですか、いい加減にしてくださいよ水瀬さん」

 「いま私の名前呼んだじゃん」

 「あ・・・・・・、えーと、あ、お会計、八百二十六円です」

 「・・・・・・」


 水瀬さんが長財布からすいすいと小銭をつまんでは出していく。


 「ちょうど、お預かりします」


 レシートを手渡す。できるだけ水瀬さんと接触しないように端をつまんでみたけれども、彼女は不必要に手を伸ばしてきて、無駄に私の指を触ってきた。

 もうただの変態だった。


 「私のシフト、土日なので、その日は絶対に来ないでくださいね」

 「へえー、どうしよっかなあ、威力業務妨害しちゃおうかなあ」

 「なんてこと言ってるんですか」


 ケラケラと笑って、水瀬さんはレジ袋を携えてレジを去っていった。

 その途中、彼女は肩越しに振り返って「翔子ちゃんは、今日も来るの?」と言った。


 「水瀬さんは、今日はシフト入ってるんですか?」

 「いいやあ、残念ながら今日は休み」

 「じゃあ行きます」

 「じゃあ私も行こうっと」

 「来なくていいですよ、休みの日にまで」


 私の言葉を聞かずに、「バイト終わるまで待ってるねえ」と恐ろしいことを言って彼女は出口へ向かっていく。

 「あ、ちょっと」と私は大声を上げる。「十三時に終わりますから、そんなことしないでくださいっ」

 水瀬さんは後ろ手を振りながら退店していった。

 たとえゲームで勝っても、彼女との縁は切れそうにない。そう思うと、はあとため息が出た。

 その直後、私の大音声を聞いて駆け付けた店長に注意されたのは言うまでもない。

 

 


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