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彼女たち  作者: 城ヶ崎
37/71

免罪符一本


 お父さんの出張により、短くはないけれども決して長いともいえない間、家は私一人だけになった。もともと母はいない。

 一軒家に一人だけというのは寂しい気がして、親友であるめぐるにお泊まり会を提案してみたところ、彼女は一も二もなくそれを快諾してくれた。やっぱり持つべきものは友である。

 そんなわけで、とりあえず一泊二日の予定で、金曜日の放課後にめぐるは私の家に遊びに来てくれることになった。






 「なんか、変な感じだねえ」


 汚れのついたお皿をスポンジで泡だらけにしてそれを積み重ねる、それを何回か繰り返した頃に、不意にめぐるがそう呟いた。

 「何が?」めぐるが積み上げていくお皿を水にさらしながら、私は訊く。彼女はおっとりとした大きな目を細めて、ふふふ、と笑った。


 「こうやってあやちゃんと並んで食器を洗ってるのが新鮮で、変だなあって」

 「ああ、確かに、小学校の飯盒炊飯が最後だっけか」


 今から六年前の、小学五年生の時の林間学校を思い出す。キャンプ場のような場所で飯盒炊飯をした。それにカレーのルーを乗せて食べた。流し台が狭くて班のみんなで一斉に食器を洗うことができず、仕方なく、私とめぐるが食器洗い係を引き受けた。あの時も、今と同じようにめぐるがスポンジを担当していた。


 「めぐるは、あの時から料理が上手だったね」


 そんなことないよう、とめぐるが照れくさそうに言った。しかし本人がなんと言おうと、料理が達者であるという客観的事実は揺るがないのだった。

 六年前、私たち五年生のほとんどが自分で料理をした経験がなく、包丁の扱いすら危ういのが大部分だった。そんな中でもめぐるは包丁でジャガイモを次から次へと丸裸にして、たちどころにたまねぎを切り刻んでいた。

 先ほどの晩御飯でだって、彼女は持てる技術を遺憾なく発揮していた。私のした作業はと言えば、全体の二割程度だった。


 「へへ、ほとんど作ってもらって、なんだか申し訳ないっすね」

 「別にそんなことないよう。彩ちゃんだって、色々手伝ってくれたって」


 なおも私を立てようとするめぐるに、私はある種の感動を覚える。

 いったい何をどうすればこんな良い子に育つんだ。ちょっと、同じ女として敗北感を抱かざるを得ない。

 将来めぐると結婚する人は、幸せだなあ。

 排水口に流れ落ちていく泡を眺めながらそんなことを思っていると、まためぐるが、ふふふ、と笑った。

 なに、と彼女を横目に捉えると、頬がほんのりと赤くなっていた。


 「家事をがんばるのは、奥さんの特権だからね」

 「・・・・・・めぐるは、ベタなこと言うね」







 私、めぐるの順番で入浴をすませて、二人して金曜ロードショーを眺めていた。二年ほど前に大流行した映画で、当時高校受験を控えた中学三年生という立場でありながらめぐると一緒に観に行ったのを覚えている。細かいところはともかく内容の大筋は覚えている。けれども、テレビ放映版ではあのシーンがカットされているな、だとか、そういった発見があって、妙な楽しみがあった。

 ソファのひんやりとした感触がお風呂で温まった体に心地よくて、ゆっくりと少しずつ眠気が大きくなる。なんとなく隣に座るめぐるを見ると、彼女も眠たくなってきているのか、瞼が少しだけ下がっている。癖毛で、普段はゴールデンレトリバーのようにふんわりとしている彼女の髪は、お風呂で濡れたことによって落ち着いている。うなじや鎖骨あたりにひたと張り付いた毛先には、同性ながら艶めかしいものを感じる。

 時計を見る。午後十時半であることを示している。寝るにはいささか早い時間だけれども、お泊まり会ではしゃぎすぎたせいで、疲れているのも確かだった。


 「めぐる、もう寝る?」


 そう訊くと、彼女は力無く首を横に振った。私も同感だった。せっかくのお泊まり会なのに、もう寝てしまうのはもったいない気がした。

 ジュース取ってくる、とソファを立つ。学校からの帰りにコーラを買っていた。炭酸を飲めば、多少は眠気も覚めるだろう。

 冷蔵庫を開ける。コーラを取り出そうと手を伸ばしたところで、一本の缶ビールに気づく。テレビのCMでよく目にするものだ。

 無論、お父さんのものだ。この家で成人しているのはお父さん以外にいない。

 飲んでみようかな、という不埒な思いが湧いてくる。高校二年生である私は成人まであと三年あるけれども、だからこそ、飲酒という違法行為に及んでみたくなった。

 聞けば、同学年の人たちの多くはお酒を飲んだことがあるという。

 ・・・・・・。

 衝動的に、私はその銀色のアルミ缶を掴んだ。少なくとも一日以上は冷蔵庫にあったそれは、この上なく冷えていた。

 コップを二つ取り出し、リビングに戻る。めぐるがソファの上で膝を抱えて、睡魔と懸命に闘いながら映画を観ていた。画面では、主人公とヒロインがなにやら涙交じりに話しあっている。

 

 「めぐる、お酒飲む?」


 そう声をかけると、めぐるは先ほどまで重たそうにしていた瞼をかっと開けて、視線を画面から私へ、そして手に持ってあったビールへと移した。

 めぐるは飲んだことないだろうな、と直感する。性格的にも、今の反応的にも。

 コップを机に置き、缶を開封する。軽快な音が鳴り、直後に独特の匂いが鼻をつく。

 「飲まない?」何も言わないめぐるに、そう問いかける。少しの間をおいてから、彼女は慎重に手さぐりするように「飲んでみる」と答えた。

 それぞれのコップにビールを注いでいく。炭酸ジュースとは違い、泡がいつまでも残っている。

 おお、とめぐるが感嘆の声をあげる。「なんだか、すっごい大人っぽい」

 あまりにも子どもらしい彼女の言葉を微笑ましく思う一方で、お酒を前にして緊張している私がいる。深刻ではない、気分が高揚する程度の緊張感だった。

 意外にも、先にコップを持ったのはめぐるだった。鼻を近づけては、うっ、と奇妙なうめき声を発している。

 遅れても私もコップに手を伸ばし、掲げる。照明の光に照らされたそれは黄金色に輝いている。


 「えっと、乾杯」

 「はーい」


 控えめにコップをぶつけて、涼しげな音が響く。

 ままよ、と飲み口に口をつけて傾けると、少量のビールが口に入ってくる。

 想像以上に苦い。苦いとは耳にしていたけれども、まさかこれほどとは。少しは甘かったりするんだろうとタカをくくっていたけれども、本当に苦味しかない。

 大人はこんなものをありがたがって飲んでいたのか、と驚愕する。

 口の中に含んでいるのも不愉快で、飲み込む。喉を通る間際、泡が膨らむような感覚があった。

 コップから口を離して残量を確認すると、まだまだ残っている。途方もない気分になった。

 めぐるはどうだろう、と彼女の方を見ると、驚くべきことに、もうすでに半分以上飲んでいた。

 急性アルコール中毒。

 ニュースなどで時折耳にするその単語が脳裏を過る。命にかかわる病気。

 恐る恐るめぐるの顔を見る。彼女には表情がなく、天井のどこか一点を見つめたまま呆けていた。

 これはどういう反応なのだろう、と息をのむ。次の瞬間、突然倒れたっておかしくない。

 じっとめぐるの様子を観察していると、徐々に彼女の顔が赤くなっていくのがわかった。まるで赤絵具あかえのぐを足していくかのように濃くなっていく彼女の顔色に不安を覚える。


 「め、めぐる・・・・・・」


 意識があるのかどうかが気になり、そう声をかける。もし返事がなければ、救急車を呼ぶことを考えておかなければならない。

 そう考えていた矢先、めぐるは上機嫌に「はあい」と返事をした。ほっと安堵する。

 しかしその安堵もつかの間のことで、ふふ、ふふふ、ふふふふふふ、と笑いだすめぐるに戦慄する。

 

 「ふふふふふふふふふふふふふふ」


 肩を小刻みに震わせて壊れてしまったように笑い続けながら、めぐるは再びコップに口をつけた。私が止める前に、躊躇うことなくそれを傾けた。

 コップの中身が勢いよく減っていく。それに合わせてめぐるの白い喉が動く。そしてとうとう、彼女はビールを飲み干してしまった。

 コップを机の上に置く。甲高い音が鳴る。そしてそれから沈黙が流れた。

 呆気にとられたまま、めぐるを見つめ続ける。彼女はしばらく空になったコップを見つめてから、視線を別の場所に移した。つられてそちらの方を見ると、テレビ画面があった。

 映画は終盤に突入していて、私が観たとき、ちょうど主人公とヒロインのキスシーンだった。様々な困難を乗り越え出会った二人の優しげなキスシーンは感動的である。

 少しの間、私はそれを眺め続けた。二年前、劇場で観た時は泣きこそはしなかったものの、確かに感動させられたシーンだった。

 暢気に映画を観ている場合じゃないぞ、と我に返り、再びめぐるを見やる。

 いつの間にか、彼女は私のすぐそばに来ていた。音もなかった。

 相変わらず顔は赤いものの、もうすでに笑顔はなくなっていた。どういった感情でいるのか判然としない、そんな表情をしている。得も言われぬ迫力があった。何か言葉を発することすら憚られるほどだった。

 そして、さりげなくおもむろに、呼吸でもするくらい気軽に、キスをされた。なにやらめぐるの顔が近づいてきたぞ、と思ったときには、もう既にそれは行われていた。

 アルコールの匂いと、ビールの後味を引く苦味のせいで、初めてのキスの味は台無しになったのだった。






 映画のやけに長いエンドロールが終わるまで、私たちの間にはいかなる会話も起きなかった。黒い画面を下から上に流れていくスタッフたちの名前を神妙な顔つきで見つめるめぐるを、私はビールを果敢に、それでいて少しずつ飲みながら、盗み見ていた。

 様々な思いが渦巻いて、色々な考えが浮かんでは消えていく。無論、さきほどのキスに対してだ。

 そして最終的に、相当酔っているな、と結論付けた。

 お酒に酔っ払った際、現れる症状は十人十色だという。涙脆くなる人、怒りっぽくなる人、よく笑うようになる人。そして、ボディタッチが異様に増える人。

 めぐるは、まず間違いなく一番最後のタイプに当てはまる。

 酔っぱらった末にキスなんて、それの究極系ともいえる。

 エンドロールが終わると、すかさずニュース番組が始まった。神妙な面持ちのニュースキャスターが次から次へと話し続ける様は、感動的な映画の余韻を吹き飛ばすのに十分だった。

 めぐるを盗み見る。何となく、声をかけるのは躊躇われた。

 彼女は口を一文字に閉じて、目を細めてモニターの画面を見つめている。テレビの明かりが眩しいのかな、だなんて訳の分からないことを一瞬考えたけれども、単純に眠たいのだろう。

 キスしたことについて何かしらの反応が無いかを探り見てはみるものの、特にそういったものは見受けられなかった。

 本気のキスでも困るけれども、だからといってそんなに平然としていられると、むっとする。こっちはファーストキスだったんだぞ、と訴えたくなる。

 複雑な乙女心である。


 「・・・・・・寝よっか」


 そう言うと、めぐるは赤べこみたいに首を縦に振ってから、洗面台へと危うい足取りで向かった。二人並ぶと狭いので、彼女が歯を磨き終えるまで待とうと座ったままでいると、遠くから「歯ブラシわすれちゃったあ」という声が聞こえてきた。







 長らく使っていなかった布団を押し入れから引っ張り出し、私の部屋に敷く。それだけで部屋の面積を大きく占めていた。あんまり広くないんだな、私の部屋、と改めて実感する。

 めぐるは力なく布団の上に倒れ込み「押し入れのにおいがするう」とか何とかをむにゃむにゃと言っている。ほとんど寝言みたいだ。

 アルコールの力は恐ろしいな、とそんな彼女の様子を眺めながら思う。いままで、酔っ払ったらまっすぐに歩けなくなるなんて誇大表現だろうと思っていたけれども、あながち嘘ではないのかもしれない。

 気をつけよう、と己を引き締めると同時に、それにしてもめぐるのお酒への弱さはどういうことか、と戦慄する。平素の彼女もおっとりしているし、どこか抜けているけれども、目の前の彼女ほどではない。よく見ると、パジャマのボタンを二個もかけ間違えている。

 心配だ、ビール缶の半分でこんなになってしまうめぐるが。大学生になっためぐるは、一体どうなってしまうんだろう。もし合コンとかに参加する機会があったとしたら、何が起きてしまうんだろう。

 その時は、隣にいて守ってあげたいな、素直にそう思った。


 「それじゃあ、電気消すよ。おやすみー」


 枕に顔を押しつけているめぐるがふがふがと何かを言った。たぶん、おやすみと返してきたんだろう。

 リモコンのボタンを押し、部屋の明かりを落とすと、それまで目に映っていた景色がすべて黒く塗りつぶされた。めぐるの姿も見えなくなる。

 まさか、この闇に乗じてまたキスしてきたりしないだろうな、と怪しむ。そんな可能性は低い、でも可能性はある。


 「寝てる間にキスしないでよー、この酔っ払いめ」


 茶化すように言う。実際、茶化すつもりで言った。

 めぐるのキスを警戒してはいるものの、実のところそれほど不快感があったわけではない。ただ、めぐるとは友達だから、そんなにキスしてどうするんだ、という思いがあった。


 「彩ちゃん」


 闇の向こうから、めぐるの声が聞こえてくる。思いの外、べろんべろんに酔っ払っているにしては明瞭な声をしていたので、あれ、と疑問に思う。

 さっきまでは、もっと、綿みたいにふわふわしていたのに。

 もしかして茶化しすぎたか、気に障ってしまったか、と緊張する。

 息を飲み、次の彼女の言葉を待つ。

 真っ暗闇の中では視界がほとんどきかないため、余計に耳に神経が集中する。だから色々な音が聞こえてくる。少しの風が窓を叩いていく音だとか、自分の心臓の音だとか、ちょっとの身じろぎのたびに起こる布団同士がこすれる音だとか、めぐるのやけにぎこちない息づかいだとか。

 めぐるが深呼吸をしているらしいことがわかる。ラジオ体操以外で深呼吸をするなんて、緊張をほぐすとき以外に思いつかない。

 めぐるは何を言うんだろう、眠る前に不機嫌にさせてしまったのなら最悪だぞ、めぐるほどの女の子から怒られたら三日はへこむぞ。

 色々な考えが脳内で渦を巻く。その最中、めぐるは「あのさ」と、沈黙にとりあえずのピリオドを打つように呟いてから、そこからまた静かになって、そして口を開いた。


 「私、酔っ払ってないから」


 ぴしゃりと、めぐるは言い放った。しかし語尾の方は震えているようだった。彼女の言葉通り、酔っ払っている人の声の調子ではなかった。

 それっきり、めぐるは口を閉ざしたままになった。

 そうだったんだ、と素直に思う。めぐるは酔っ払っていないにもかかわらず酔っ払い呼ばわりされて怒っていたのか、と腑に落ちた。

 ・・・・・・。

 あれ。

 輪郭がおぼろげな、くらげのように捕らえどころのない、疑問のようなものが浮かんでくる。しかし私はそれを正しく把握することができない。ただ何となく、めぐるが酔っぱらっていないと何かがおかしいような、そんな気がした。

 なんだろう、と考えようとすればするほど、掴もうと手を伸ばせば伸ばすほど、それはするすると思考から抜け出してしまうようだった。

 不意に、キス、という単語が思い浮かんだ。はて、と疑問符を浮かべる。我ながら、どうしてそんな単語が出てきたのか謎だった。

 キスがどうしたんだ、めぐるのキスなら、あれは酔った勢いで・・・・・・。いやいや、めぐるは酔っていないから・・・・・・。

 その時、決定的な、重要なものを見つけたような気がしたけれども、それは視界を横切る猫のようにどこかへ行ってしまった。

 どうにも考えが纏まらない。

 めぐるのことを酔っ払いと言っておきながら、その実、私のほうが酔っぱらっているのだろうか。

 まあいいか、寝よう。

 そう思って目を瞑るその瞬間、めぐるが立ち上がる気配がした。見えはしないけれども、そういう音がした。それにどうやら、こっちへ近づいてきているらしい。

 なんだなんだ、やっぱりキスするんじゃないのか、と思う。あんなこと言っておきながら、すっかりアルコールにやられてるじゃないか。

 まあいいか、と思う。キスだろうがなんだろうが、めぐるならいいか。

 私は目を瞑る。

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