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彼女たち  作者: 城ヶ崎
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あまりにも反抗期


 「いやあ、そんな仲良くないと思うよ、私と弟。あんまり会話しないしさぁ。昔はさ、姉ちゃん姉ちゃん、って呼んで後ろからついてきてたのに、今では、おい、とか、なあ、とかで呼んでくるし」


 そう愚痴をこぼす海野うみのに、へえ、と相槌を打つ。案外そんなもんなんだなあ、と素朴な感想が浮かぶ。


 「それにしても、どうしたの。急に、姉弟仲がいいかどうか訊いてくるなんて」

 

 一通り弟さんに対する不満を述べ終えた海野が、一転して疑問を口にした。それがねえ、と私は前置きしてから、語る。


 「私さ、五つ下の妹がいるんだけど、最近になってちょっと私に対する当たりが強くなってきてさ。反抗期なのかなって思ったんだけど、急にそうなったから、もしかしたら怒ってるのかとも思って。それで、他の兄弟姉妹はどんなものなのかなって」


 答えると、海野が難しそうな表情を浮かべて腕を組んだ。うんうんと唸って、思考を巡らせているようだった。


 「五つ下ってことは、いま小学五年生かあ・・・・・・。ううん、どうだろ、そのくらいの年齢なら単純に反抗期なんじゃないの」


 彼女の言葉をきっかけに、五年前の自分を思い出す。あの頃の自分は、どんなだっただろう。

 はて、と首を傾げる。

 よくよく考えてみたら、私は長女で、姉という存在がいない。五年前の私の周囲には親と先生以外に年上がいなく、生意気な言動をとる機会すら無かったのだった。

 納得がいかない、という私の気持ちを汲み取ってくれたのか、あるいはそういった気持ちが表情に出ていたのか、海野が「具体的にはどんな態度とられてんの?」と訊いてくる。

 そうだなあ、と、私はここ一週間の、妹の振る舞いを記憶の倉庫から探し始めた。




 

 


 放課後に海野と居残っていたせいで、空は夜の色に移り変わろうとしていた。郷愁を誘う夕日は遠く向こう側に沈んでいく。夏休みが終わり、すっかり夜の時間が増えてしまった。

 結局、海野に相談をしても、妹が反抗期か否かは判然としなかった。

 まあいいか、と心を切り替える。反抗期であろうがなんであろうが、どんと構えて、姉として受け入れてやろう。

 家につく。さあ、どこからでもやって来なさい可愛い妹よ、と聖母さながらの精神性を構築してから、玄関の扉を開ける。


 「ただいま」

 「おっそいよ、姉ちゃん!」


 家に入るなり、そんな怒号が飛んでくる。びりびりと鼓膜が揺れた。眉を吊り上げて、憤怒の形相を浮かべた我が妹、愛純あすみが玄関に立っていた。あからさまに怒気を孕んだ大きな両の目が私を捉えて離さないのであった。


 「あ、愛純ぃ、ただいま」

 「おかえり、じゃないよ! なんで今日はこんなに遅いの!? どっか寄り道してたの!?」


 最初からアクセル全開なのだった。もし言葉に実体があり質量があるのならば、私は今ごろ次から次へと襲い掛かってくる言葉の奔流に押しつぶされていることだろう。


 「いや、ちょっと、友達としゃべってたらこんな時間に」靴を脱ぎつつ、そう弁明する。特に悪いことをした覚えはないけれども、弁明する。「そんな怒んないでよ」


 「怒ってない!」


 顔を真っ赤にしながら、愛純は声は張り上げる。これで怒っていないのならば、彼女が怒り心頭に発した際、一体どうなってしまうのだろう、と心配になる。血管が切れてしまうんじゃないだろうか。


 「別にいいじゃないの、ちょっと帰りが遅くなったって」

 「よくないよ! 姉ちゃんが一緒に勉強してくれないと、集中して宿題できないって、前に言ったじゃん!」

 「それは、晩御飯の後にやればいいじゃん」

 「晩御飯の後は一緒にゲームするんじゃん!」


 矢継ぎ早に飛び出してくる大音声に、いい加減頭がくらくらしてくる。間近で、なおかつ連続で叫ばれると、脳内が痺れてくるように感じる。

 疑念に留まっていた反抗期説の土台が徐々に固められていき、いよいよ信憑性を帯びてくる。

 やはりそうだ、と腑に落ちる。私の妹は、まず間違いなく反抗期なのだ。






 

 帰りが遅かったために、帰宅後すぐに晩御飯を家族全員でつついた。

 それを済ませた後、私は通学カバンから勉強道具を一式取り出し、愛純の部屋へと向かった。といっても、すぐ隣だけれども。

 愛純の部屋、と書かれたサメ型のプレートが下げられた扉を二回、控えめに叩く。扉越しの、くぐもった「いいよう」という声が返ってくる。

 部屋に入ると、もう既に、愛純が勉強の準備を済ませていた。

 姉ちゃんこっち、と急かされ、愛純の左隣に座り、机に教科書とノートを広げる。横長の机なため、二人分の勉強道具を広げてもなお余裕があるのだった。

 

 「もう、姉ちゃんが帰ってくるの遅かったから、こんな時間に宿題しなくちゃいけないんだよ、わかってる?」

 「わかってるわかってる、ごめんね」

 「本当にわかってんのかぁ」


 ぐいぐいと愛純が寄ってきて、ぴたりと引っ付いてくる。最近の彼女の気性の荒さに比例するかのように、温かい。

 左利きで助かった、と思う。右利きなら、とてもシャーペンを持てるような状態ではない。

 隣に誰かがいないと、集中して勉強できないというのが愛純の主張だった。ゆえに彼女は、宿題に取り掛かる際は私を隣に配置する。その上、密着しているとより集中力が上がるのだと言う。だからこそ、彼女は私に張り付いてくる。

 ちらりと、愛純の勉強道具を盗み見る。今日は算数の宿題が出されているらしかった。アルファベットが含まれていない数式を見ると、羨ましさと共に懐かしい気がした。


 「姉ちゃんは、算数しないの?」

 

 机に置いた私の英語の教材を見て、愛純が言った。どこか寂しそうな色を含んだ声音だった。

 

 「姉ちゃんは数学より英語の方が苦手なんよ。だから、こっちの方が自習が必要なの」

 「ええー、でもわたしは算数するよ?」

 「いや、だから何よ・・・・・・」

 「いやまあ、別にいいんだけどさあ・・・・・・」


 ぶつぶつと何事かを口にしながら、愛純が鉛筆を手に取った。あらかじめ削っていたようで、この上なく鋭利な切っ先だった。

 左手に持ったシャープペンシルと、愛純の鉛筆を見比べる。小学生の頃、なぜかシャーペンの使用を禁止されていたなあ、だとか、もう随分と鉛筆を手に持っていないなあ、なんてとりとめのないことを思った。








 愛純の宿題は、思いのほか早く終わった。「今日はあんまり出されていなかったからね」

 勉強道具を片付け、机の脚を折りたたんで仕舞う。

 晩御飯の後は、リビングでテレビ番組を見るか、愛純の部屋でゲームをするかの二択だ。でも今日はもうすでに愛純の部屋に来てしまっているので、そのままゲームに移行するらしかった。

 早速、愛純がゲームの準備に取り掛かった。といっても、モニターとゲーム機の電源を入れて、コントローラーを二つ用意するだけだけれども。

 あまりゲームには明るくないけれども、我が家で使われているゲーム機は最新のものから数えて二つか三つほど古いものらしい。物持ちがよろしいことである。

 

 「あーあ、普段ならもっと長くできるのになあ。姉ちゃんがなあ、もっと早く帰ってきてくれてればなあ!」


 ここぞとばかりに愛純が声を張り上げた。近所迷惑必至の大声に驚き、人差し指を口にあてる。おうっ、と愛純が口をつぐんだ。

 ややもすると、モニターに映像が出力された。

 

 「姉ちゃん、足、足」


 リモコンを一つ私に手渡してから、愛純が太ももをぺちぺちと叩いてくる。「はいはい」と足を広げると、その間にするりと愛純が座り込んでくる。細身の彼女は、ぴたりと、パズルのピースのように収まるのだった。








 緑のユニフォームに身を包んだ選手がボールを蹴り放ち、それはゴールキーパーを抜き去って、白いゴールネットに突き刺さった。解説者の裏声交じりの「ゴール!」という歓声の後、点数が表示される。愛純が三点で、対する私は試合開始時から不動の〇点である。

 現実世界の選手データを基に作られたらしいサッカーゲームを、私と愛純はプレイしていた。しかしゲーム機が二、三世代前のものであるから、当然ゲームソフトもそれと同様である。サッカーのことを欠片も知らない私からすれば、このゲームの情報が最新なのだった。


 「姉ちゃんよっわ! ダメ監督がー」


 後ろに倒れこみ、頭を私の胸に預けた愛純が、下から挑発的な視線を寄越してくる。


 「いやいや、愛純がすぐ前にいるからやりにくいんだよ。そこからどいてくれれば、もうちょっとまともなプレイができると思うけど」

 「それは無理」


 私の言い訳じみた意見は一蹴された。しょんぼりとすると、愛純がけらけらと笑った。逆さまであっても可愛らしいなあ、と思うのは姉の欲目だろうか。

 こんなにも容姿端麗な愛純は、やっぱりモテるんだろうな。

 不意に、そんなことを思った。


 「愛純は、学校でモテる?」

 「え、急にどうしたの」

 「いやなんか、愛純可愛いなあって思ってたら気になっちゃって」

 「あ、やっぱりぃ? 私可愛い? うふふふふ、もっと言ってくれていいぜえ」

 「可愛いと思ったらね。それで、モテるの?」


 愛純の口角が上がり、ニタニタとした笑みを浮かべた。姉の欲目フィルターを通してすら、その表情はとても可愛らしいとは言えないのだった。


 「ええー、どうしよっかなあ」

 「どうしよっかなって、何が?」

 「いやあ、もし私が『モテてるよ』なんて言ったらさあ、姉ちゃんやきもち焼いちゃうからなあ」

 「別に焼かんけど」

 「なんだよ!」


 にやけ面から一転、燃え盛る炎をそのまま頭にしたかのような表情になった愛純が、コントローラーを離した手で私の両の頬をつまんできた。

 小さくか弱い手につままれようが左右に引っ張られようが、全く痛くないのだった。


 「じゃあ姉ちゃんは! 姉ちゃんはモテんの!?」

 「ええー、やきもち焼かない?」


 意趣返しとばかりにそう言うと、弾丸のような「焼かないよ!」という言葉が返ってきた。反抗期の妹をむやみにからかうものではないな、という教訓を得た。


 「姉ちゃんは嘘みたいにモテないよ」

 「ええ、うっそー?」

 「嘘じゃないよお、マジで男子と接点ないもん」

 「姉ちゃんがあ? 本当に?」

 「本当だっつのに。ていうか、そこそんなに疑問に思うこと?」

 「思うよ、だって姉ちゃん可愛いじゃん」

 

 反抗期の妹から出てくるとは思いもしなかった褒め言葉に、少し照れてしまう。


 「おうおう、嬉しいこと言ってくれんじゃん、我が妹よ」


 髪をくしゃくしゃに撫でると、愛純が得意げな顔をした。ニタニタしたり怒ったり、忙しい表情筋だ。


 「まあ、結局は、普段からどれだけ異性とコミュニケーション取れるかが重要なんだよねえ。男子と全く交流のない女子って、マジでモテないから」

 「へえ、そんなもんすか、先輩」

 「そうそう、だから気をつけろよ、人生の後輩」


 へーい、と気の抜けた返事があった。そしてすぐに、またあのニタニタとした笑みを浮かべ始めた。なにをそんなに、と疑問に思っていると、「姉ちゃんモテないのかあ」とさも嬉しそうに呟いた。

 まさか、姉がモテないという情報に顔を喜色に歪ませているのだろうか。もしそうだとすれば、なんと腹の黒い妹だろう。

 これが反抗期か、と私はしめやかに戦慄した。


 「こら、姉の悲しみを笑うな」


 愛純の頬を両手で包み込み、こねくり回す。ほっそりとした顔をしているわりに、お餅のような感触だった。


 「姉ちゃんが結婚できなかったら、代わりに私がいるよ」

 「妹に夫の代わりが務まるかい」

 「務まるって。姉ちゃんのこと幸せにしてあげるよ、本当に」


 その熱烈なプロポーズが呼び水となり、昔のことが思い出された。

 まだ愛純が小学校低学年の時、毎日のように、姉ちゃん結婚しよ、なんて求婚されたものだった。

 小さい頃の愛純はよくキスをしたがったし、結婚指輪と称したオモチャの、プラスチックの大きな宝石が付いた指輪を指にはめたがった。白いタオルを羽織っては「ウェディングドレスだあ」とか言って、結婚式ごっこを私に迫った。

 あの頃の愛純は純粋無垢で、なんだか意味が分からないくらいに可愛かったなあ。

 すぐ目の前の、頬をぺちゃんこにされたままの愛純を見下ろす。

 でも、反抗期になっても可愛いなあ。

 妹はいつでも、いつまでも可愛いということか。


 「じゃあ、まあ、期待してるよ」


 私がそう言うと、愛純はまるで邪気の無い笑顔でいっぱいになって、言った。


 「姉ちゃんが結婚できないように、お祈りしとくね」


 なんでだよ。

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