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彼女たち  作者: 城ヶ崎
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彼女は私に惚れている

 

 焼いただけの食パンを一枚手早く食べ終えてから、通学用かばんを持って外に出ると、いつものように、家の前にリツカが立っていた。


 「おっ、よっしい、おはよう」


 私の顔を見るなり、リツカはよくもまあ朝からそんなに大きな声が出せるな、と感心してしまうほどの声量で挨拶を飛ばす。対する私はつい三十分ほど前に起床したばかりで、「おはよう、リツカ」と、自分でも呆れてしまうくらい気だるげな声で返してしまう。

 二人して学校に向かう。平日の朝は苦手だ、学校に行かなければならないから。でもリツカと一緒に登校できるのならば、やぶさかでない。

 歩きながら、リツカの足元を見る。リツカのほうが身長が高い、というより、私の身長が平均を下回ってしまっているため、私と彼女では歩幅が違う。それにもかかわらず横に並んで歩いていられるのは、彼女が私に合わせてくれているからだろう。

 なるほどな、と思う。

 こいつ、私のこと好きだな。







 リツカの私に対する恋心を悟ったのは、三年前の中学二年生の頃だった。

 厳しい寒さが肌を刺す冬の日のことだった。

 リツカとは小学五年生の頃からの付き合いで、家が近いということで、ずっと登下校をともにしていた。その日も例に漏れず、私とリツカは一緒に帰っていた。

 私は手が冷たくなるのが何よりも苦手で、対策として手袋を着用する。でもその日は学校で手袋を失くしてしまい、家までの道中、両手をすり合わせるという虚しい抵抗でもって寒さを耐え凌ごうとしていた。


 「よっしい、手袋は?」


 そんな私の様子を不思議に思ったのか、リツカがそう訊いてきた。

 私は手をひらひらと顔の前で振りながら、「失くしちゃった」とだけ答えた。

 彼女はぽかんと呆けた表情で、ああ、そうなんだ、と言って、ポケットから手を出して私の手をとった。彼女の手も大して温かくはなかった。そりゃそうだ。ポケットに手を入れていただけで、手袋のような防寒具は何もつけていないのだから。

 でも、二人の手が重なり合っている様子を見ていると、リツカの手のすべすべとした感触を思うと、どういうわけか暖かく感じた。


 「両手とも温めておきたいから、このまま帰ろっか」


 リツカのその提案に、私は黙して首を縦に振った。

 かくして、私とリツカはお互いを見つめあったまま、両手を重ね合わせて横歩きで帰路につくという奇行に至った。女子中学生二人により作り出されたそのような奇天烈光景に、道行く人々がどう思ったのだろうか。できれば考えたくもない。二年経った今でも、羞恥に見悶えてしまいそうになる。

 でも、それはリツカにしてみても同じことだろう。彼女だって本当は恥ずかしかったはずだ。それにも関わらず家に着くまで続けたのは、一体どういうことなのだろう。

 当時の私はそのことについて延々と考えた。リツカが何故あのような提案をしたのか、私と彼女は何故睨み合ったカニのような動きで帰宅したのか、どうして私はモテないのか、大好きな唐揚げを食べると何故体重が増えるのか、脳みその隅々までをも稼働させて、むうむう唸りながら考えた。

 頭を使う、という慣れないことをしたおかげで生じた知恵熱に侵されながらも、私は一つの結論にたどり着いた。

 リツカは私のことが好きなのだと。






あの時、リツカは手袋を失くして裸になっていた私の手を温めようとして、私の手を自分の手で包んだ。あんな奇怪な体勢で帰り道を歩いたのも、私の手を温めたいがためだった。私のためにそこまでしてくれるということは、これはもう私のことが好きであることは明白だ。

 かくして、彼女の恋心は証明された。

 そう結論付けたところで、ある一つの問題が発生する。

 私は女で、リツカもまた女だ。私と彼女は性別が同じなのだ。

 この事実に、私は頭を抱えた。これまでの人生において、女の子にときめいたことがない。テレビで見る女優さんやクラスメートの美少女に対して「美人だなあ」と思ったことは数あれど、それは決して恋の始まりではなかった。

 ちくしょう、リツカが男でイケメンだったらなあ。それなら即座に付き合うのに。今すぐにでも恋仲になるのに。

 私はまたもや考えた。これからのリツカとの付き合い方、これまで通り友人として接していくのが良いのか、それとも少し距離を置いたほうが良いのか。

 三日三晩の思慮の末、私は考えることを放棄することにした。リツカが告白してきたその時にどうするかを考えよう、そう決意して私は日常に戻ったのだった。







 「おうおうおう、よっしい、良いの持ってんねえ。それ新発売のやつ?」


 そう言って、リツカが左手に持ったお箸を私の右手にあるペットボトルを指した。

 お昼休みの、机を引っ付けてリツカと昼食を摂っている最中のことだった。


 「ああー、そう。なんか、今日発売のやつ。中庭の自販機で売ってた」

 「へえ、気づかなかったなあ。あんまり自販機使わないからなあ・・・・・・どう、美味しい?」


 ペットボトルを傾けて、少し口に含んでから飲み下す。しばらくその味の余韻を味わった後、私はリツカに「よくわかんない味だけど、ちゃんと美味しい」という我ながら曖昧なレビューを言い渡した。

 「よくわかんない?」リツカが怪訝そうに眉をひそめた。「よっしいアホ舌?」

 

 「いや違うって、難しい味なんだって。甘くて、でもあっさりしてて・・・・・・」


 ふーん、とおざなりな返事をしながら、リツカはお弁当の卵焼きを口に放り込んだ。腹立たしい態度だった。

 何回か咀嚼をしてから卵焼きを飲み込んだ後、これは良いことを思いついたぞ、と得意げな顔で「一口ちょうだい」と言った。


 「・・・・・・え?」

 「よっしいの代わりに私が正確なレビューをしてあげるよ」

 

 ニコニコと可愛げな笑みを浮かべるリツカを前に、私は一瞬だけ言葉を失って呆けた。それを拒否とみなしたのか、リツカは打って変わって不安げな表情をして「だめ?」と訊ねてきた。 


 「いや、だめじゃない」


 はっと我に返り、私はペットボトルをリツカに差し出した。途端に、彼女の表情が花咲いた。

 わかりやすい奴、とほくそ笑む。

 新発売だとか代わりにレビューしてあげるだとかそれらしい言葉を並べて、その実、私との間接キスが真の目的なんだ。そうに決まってる。

 リツカが飲み口に口をおもむろに近づけていく。どういうわけか、私はその光景から目を離すことができないでいた。これまであまり注目したことがなかった彼女の唇に視線がいく。瑞々しくて、いかにも弾力がありそうな唇だった。

 その唇がとうとう飲み口に触れた。これで、リツカの目標である間接キスは成立したことになる。ジュースが容器の傾きに形を合わせて彼女の口に流れていく。彼女がそれを飲み下すたびに、喉が動いていた。何となく艶めかしい感じがした。

 頬が熱くなるのを感じた。

 ちくしょう、たかだか間接キスでこんな緊張してしまうなんて。リツカのせいだ。

 

 「はい、よっしい」


 飲み終えたリツカがペットボトルを返してきた。意外なことに、彼女の頬は少しも赤みが差しておらず、表情も至って普段通りだった。とても片思いの相手と間接キスをした後の人間の表情とは思えなかった。

 案外、ポーカーフェイスが上手なんだな。

 私はペットボトルを受け取る。「どうだった?」と訊いてみると、リツカは困った顔をした。


 「美味しいんだけど、私にもわかんないや」

 「ほらね、言った通りだったでしょうに」

 「あ、いやでも、甘いのはわかったから」

 

 ばつが悪そうにしているリツカを尻目に、私は再びペットボトルに口をつけて呷った。

 

 「確かに、甘いね」


 ちらりと、リツカの反応を窺う。


 「不思議な味だねえ」


 そう言ってリツカはハンバーグを口に含んだ。彼女の頬が薄く赤くなっているような気がした。そうでもないような気がした。いや、たぶん、おそらく、きっと赤くなっている。そうに違いない。

 やっぱり、こいつ私のことが好きなんだ。






 五限目の授業中に、空が鼠色で分厚い雲で覆われていった。六限目の授業が終わるころには、大粒の雨が降り出していた。

 雨粒が透明な窓にぶつかっては弾けて、不規則な形に枝分かれして流れ落ちていく。その様子を眺めながら、私はついため息をもらした。

 傘を持ってくるのを忘れていた。天気予報を見るのを怠った。家から出たときは雲一つない空模様だったために、すっかり油断していた。


 「あれ、よっしい帰んないの?」


 帰り支度を済ませたリツカが不思議そうに訊いてくる。傘を忘れた、と伝えるのも億劫で、私は黙って両手を顔の前でぷらぷらと振った。私の仕草の意図を悟ったリツカは目元に手を当てて泣くふりをした。


 「よっしいはおっちょこちょいだなあ、仕方ない、私の傘に入れてあげるよ」

 「え? リツカだって、傘持ってきてないでしょ?」


 朝、一緒に登校した時の記憶を顧みる。確か、彼女は肩に下げた通学カバン以外には何も持っていなかったはずだ。

 私の言葉を受けたリツカは、口角を不愉快に上げて、瞳には勝気な光が宿らせた。立腹ものの笑みだった。いやらしくもあり、しかし憎めない笑顔だった。

 リツカは通学カバンのファスナーを開けて、中を手探り始めた。ややもすると、彼女は何かを取り出して、それをあたかもお宝であるかのように天に掲げた。

 リツカの手には折り畳み傘があった。


 「私は常にこれを忍ばせてるからねえ、いつ雨が降ろうが怖くないってことよ」


 得意げにリツカは声高に言う。そんな彼女をどこ吹く風と、私は一つの疑問に行き当たった。


 「折り畳み傘って、基本一人しか入れなくない?」


 私がそう言うと、リツカは今気づきましたと表情で告白してから、「まあ、大丈夫でしょ」と暢気のんきに言った。「私の、結構大きいし」

 

 「じゃあ大丈夫か」

 

 私が言うと、リツカはいかにも頭を空っぽにしたような口調で「だいじょぶだいじょぶ」と言った。

 私は一抹の不安を抱きつつも、彼女と一緒に教室を後にした。







 「全然、大丈夫じゃないじゃん!」


 私は思わず怒鳴った。しかし雨音があまりにも大きいため、私の大音声だいおんじょうですら相対的に小声になった。

 確かに、リツカの折り畳み傘は大きかった。そこに嘘偽りはなかった。でもそれはあくまで折り畳み傘にしては、というだけであり、女子高生二人が入るとなると厳しかった、というか、普通に無理だった。無茶で無謀だった。

 私が前を、リツカがその後ろを歩けば、私の体の前面部が満遍なく雨に打たれ、リツカの背面部が容赦なく濡らされた。ならば、と私が右に、リツカが左に立って歩くと、私の体の右半分が、リツカの体の左半分が雨の餌食になった。傘の生地に弾かれた雨が、その浅いドーム状の形に沿って流れて、私の肩に定期的に滴り落ちてくる。大変不快だった。


 「こんなことなら、もう少し学校にいればよかった」

 「まあまあ、よっしい。たまには良いじゃんこういうのも。久々に雨に濡れるの楽しいよ、私は」

 「そんなもん、リツカだけだわい!」

 「わかったわかった、じゃあこうしよう」


 リツカが傘を差しだしてきた。なんだろう、と思いながらそれを受け取った瞬間、突然リツカが私の肩に手を回して、勢いよく引き寄せてきた。


 「もっと密着すれば、多少はマシでしょ」


 ぐいぐいと、リツカが体を押し付けてくる。身長差のせいで、私の頬に彼女の胸部が当たる。そこはかとない敗北感を覚える。

 リツカは暖かくて、良い匂いがした。


 「ああ、ちょっと肩が濡れるけど、さっきよりは全然マシ、だよね? よっしい」


 リツカを見上げると、大きな彼女の目が私を見下ろしていた。目が合った。リツカは静かに微笑んだ。咄嗟に目を逸らす。昼休みの時よりも、格段に熱くなっているのを感じる。


 「あはは、よっしいはあったかいねえ」


 楽し気に、リツカが言った。




 折り畳み傘を二人で分かち合う、などという蛮勇を伴った行動にリツカが出たのは、この密着が狙いだったに違いない。私とより密接に触れ合いたかったからに違いない。

 もうこれは言い逃れができない。絶対に確実に疑いの余地なく、リツカは私のことが好きだ。私の恋人になろうと、必死にアプローチを仕掛けてきている。

 ここまでされたのなら、私も彼女の気持ちに真剣に向き合わなければいけないだろう。

 しかし、と私の脳内に一つ、困りものの疑問が残る。


 一体、リツカはいつになったら告白してくれるんだ?


 




 

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