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彼女たち  作者: 城ヶ崎
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居眠りに触れさせて


 手短なホームルームが終わって、教室中が弛緩した空気で満たされる中、私は一緒に帰るべく知美ともみの席へ向かう。

 知美は帰りの支度をすることなく、どういうわけか、頬杖をついてじっとしていた。


 「知美?」


 正面に回り込んで、知美の顔を確認する。あの大きな目と出くわすのかと思いきや、その目は瞼で蓋をされていた。よく見ると、彼女の肩が規則正しく上下している。

 眠っているらしかった。

 今朝、映画を観てて夜更かしがどうのこうの、と知美が言っていたことを思い出す。もしかしなくとも原因はそれだろう。

 だからといって、こうも起きないものなのだろうか、と感心する。ホームルームでは号令がある。クラス委員による「起立」から始まり、「さようなら」で終わる号令が。

 クラス全員で行われるのだから、当然声量は大きい。それにもかかわらずこうして眠り続けていられるのは、天才のそれと言える。

 クラスメート達が次から次へと教室を後にする。知美の前の席が空いた。私はそこの椅子を引いて、あどけない寝顔を晒す彼女と向かい合うようにして座った。

 逡巡の後、携帯電話を取り出してカメラモードに切り替える。フラッシュを設定でオフにして、知美の顔に向けてシャッターボタンを押した。軽い調子の機械音が鳴り、少しの読み込み時間を経て、今撮った写真が保存される。

 どういう仕上がりだろう、とすかさず確認する。綺麗に、現実をそのまま切り取ってきたかのように鮮明に知美の居眠り姿が写っていた。携帯電話のカメラ機能の如実な進化を、私は改めて実感した。

 居眠りして私を待たせてるんだ、これくらいの罰は受けてもらわないと。

 四角い画面の中の知美を眺めながら、そんなことを思った。






 五分が経ち、十分が経ち、二十分が経ち、ついには三十分が経過した。知美は依然として目覚めなかった。写真の枚数は二十枚を越えていた。

 私たちの他に、教室には誰もいなかった。

 友人の眠りの、深海もかくやと思われる深さを知り、私は畏敬の念を抱いた。おまけに、なおも頬杖をついた体勢でいることにも。

 よくそんな不安定な体勢で眠れるな。五分とかならまだしも、三十分て。

 眠っているにも関わらず、知美の小さな顎から柔らかな頬に添えられた右手、それを支える右腕はがっちりと安定感があり、お城を支える一本の支柱を思わせた。

 いい加減、知美の寝顔は見飽きた。膨大な数の写真が手に入ったことで、今後彼女の寝顔に困ることもない。

 私の意識は自然と彼女の手、顔に添えられた方とは別の、机の上に無造作に放り出されている左手の方へ向いた。

 ちらりと知美の顔を窺う。どこか幸せそうな表情を浮かべている。おおかた、イチゴかチョコレートをたくさん食べる夢でも見ているんだろう。どちらにしろ、起きる気配はなかった。

 さっと、彼女の左手に自分の右手を重ねる。眠っているせいか、ほんのりと温かい。

 小さな手だ。細くて華奢な手だ。

 私は人差し指を立てて、彼女の小指の中手骨、基節骨、中節骨、末節骨をなぞって、それを薬指、中指、人差し指、親指にも行った。

 知美の指の骨に触れている感触には、背筋をぞくぞくとさせる何かがあった。

 ううん、と知美が呻いた。くすぐったかったのかもしれない。しかし相変わらず起きる気配がない。

 続いて、知美の左手の指をそうっと(つま)み、それぞれを少しずつ動かして指同士の間隔を広げた。十分にそれを終えると、私は自分の右手をスパイ映画の主人公もかくやという慎重さをもって彼女の左手に近づけていく。そして、精密機械の微細なパーツ同士を組み合わせるように、知美の指の股に私の指を差し入れた。

 私の右手と彼女の左手は、ちょっと不器用な恋人つなぎのような、あるいは未確認の奇妙な虫のような形になった。

 様々な感情がこみ上げてきて、歓喜の声を押し出そうとする。何とかそれを制して、私はその恋人つなぎを写真に収めた。

 確認してみて、ふと不満を抱く。写真に写っているのは、私たち二人の手のみで、第三者がこれを見たとき、何が何だか分からない。

 別に、これを第三者に見せるつもりは毛頭ないし、例え一万枚の手の写真を用意されたとしても知美のものを選び出すことができる自負が私にはある。それでも、やはり、客観性というものは必要だろう。

 どうやってそれを付与しようか、としばしの試案の後、思いつく。私はいったん知美から手を離し、机の横に下げられた通学用鞄を探って、彼女の長財布を取り出す。

 二年前の、知美の十四歳の誕生日の際、私が彼女にプレゼントした財布だ。状態の良さから、大事に扱われていることが察せられて、明るくて幸福な何かが私を満たした。

 それを噛みしめてから、財布を開ける。人の財布を断りもなく探るのは道徳的によろしいものではなく、決して褒められるべきことではない、非難されるべき行為である。しかしこの緊急時にそんな綺麗事を言っていられるほどの余裕を、私は持ち合わせてはいない。

 少ししてから、狙いの品、知美の学生証を見つける。それを抜き取って、彼女の左手のすぐ横に置く。私も学生証を取り出し、すぐそばに置く。

 再び、歪な恋人つなぎを作り、二枚の学生証が見えるように写真を撮る。保存されたそれを見て、よしよしと満足する。顔写真付きの、名前が記載されている学生証がともに写っていれば、客観性は十分に付与されているとみていいだろう。

 知美の指と指に圧迫される感覚をたっぷりと楽しんでから恋人つなぎを解除して、学生証を元あった場所に戻す。

 一通りの作業を終えて、心臓の鼓動が痛いくらいに高鳴っているのに気づく。今日一日、このわずかな時間の間に色々なことをしすぎた。明らかにキャパシティーオーバーだった。

 私の意識は知美の手から、いよいよ唇へと移る。

 呼吸が荒くなる。それをしてしまえば、たぶん、何かがおかしくなってしまう。私はもう戻ることができなくなる。でも、チャンスは今しかない。あと十秒もすれば、知美は目を覚ましてしまうかもしれない。

 危険な思考が流れてきて、さも当たり前のように思考を支配しようとしている。せめてもの理性がそれを必死に抑え込んでいる。

 不意に、私の脳内に悪魔と天使が降臨した。

 

 『なあなあ、もういいだろ。キスしちまえよ。どうせ知美はまだ寝てんだし、構いやしねえよ。今キスすればお前は得して、知美は少なくとも損をしない。だって知らねえんだから。だったらいいだろ?』


 蝙蝠こうもり羽の悪魔が嫌らしい笑みを浮かべながら言った。

 なるほど確かにそうだ、と私はその助言を肯定して、ありとあらゆる迷いを振り切って知美に顔を近づけていった。

 

 『え、あれ? 私の助言は?』


 白鳥の羽の天使が困惑したように言った。

 知美の唇に接近する。


 『ねえねえ、私の助言は?』


 純白の羽の天使が何かを言った。

 接近する途中、知美の生暖かい寝息が顔にかかった。あっ、と声が出そうになる。

 知美の寝息が顔にかかる。その何が私の琴線に触れたのか、自分でも分からない。しかし現実として、その事実を認識した頭、その大事な何かが弾け飛んだ。

 私を引き留めるものは何もなかった。夢うつつとした気分だった。後もう少しで、それは達成される。

 唇が触れる寸前、知美の呼吸のリズムの変化に気づく。私は一気に現実に引き戻された。

 慌てて身を引いて知美の様子を窺う。数秒後、彼女の目がすうっと薄く開いた。


 「・・・・・・あれ、ヨーコちゃん?」


 まだ夢の中にいるかのような、ふよふよと浮いた声で、知美が私を呼んだ。


 「おはよう、知美」


 残念なような、ほっと安心したような心持ちで私は言う。

 知美は私を見てから、教室を見回して、次いで窓の方へ目を向けた。空は夕方に入る寸前の色をしている。

 また知美が私を見る。秒単位で目が見開かれていく。その様子は、生まれて初めて見た生物を母親として慕う動物を連想させた。

 いいなあ、それ。知美もそんな感じで私を慕ってくれないかなあ。

 知美は縮こまって、申し訳ない、と書かれた紙を顔に貼り付けたような、この上なく分かりやすい表情を浮かべた。

 「そんな、気にしなくていいよ」私は渾身の笑みを作る。「暇はしなかったし」

 「そうなの?」知美の表情はなおも晴れない。「でもやっぱり、ごめんね。早く帰ろっか」


 知美は立ち上がり、慌ただしく帰り支度を始めた。


 「うひー、三十分以上も寝てたのかあ。やっぱり夜更かしは良くないね」

 「可愛い寝顔だったよ」


 思わず写真を撮っちゃうくらいには。永久保存したくなるくらいには。


 「え、本当に? それは嬉しいなあ」


 知美が無邪気に言った。

百合姫の表紙から着想を得ました

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