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彼女たち  作者: 城ヶ崎
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そんなあなたが


 「ぐわあああああああああああああっ!」


 突如として、隣を歩いていた姫子が悲鳴を上げた。「きゃあっ」などという乙女力に溢れた悲鳴ではなく、現役女子高生としていかがなものか、といった類のものだった。

 スナイパーにでも狙撃されたのだろうか。そう思い、姫子の方へ振り向く。体を小刻みに震わせてはいるものの、一見して外傷は無さそうで、取り敢えず安心した。

 では何故そんな、ベテラン刑事もかくやという雄叫びがごとき悲鳴を上げたのだろうか、と私は思った。


 私たちは今、幅の広い川の上に架かった橋の上にいた。学校からの帰り道の途中だった。コンビニに寄ってアイスを買い、それの封を切ったところで、姫子が突然悲鳴を上げたのだった。

 姫子の顔を見やる。彼女の視線は、川のある部分に注がれていたかと思うと、風圧を巻き起こさんばかりの勢いで振り向き、口をぱくぱくと開閉し、手に持っていたソーダ味のアイスをぶんぶんと振り回した。恐ろしく器用な女だった。マルチタスクとは彼女のためにある言葉なのかもしれない、そう思わせるに十分な光景だった。

 「サヨ、サヨっ、あれ」彼女はソーダアイスを指揮棒のように振るい、橋の下を滔々と流れる川を指した。釣られて、そちらへと視線を移す。

 段ボール箱が一つ、静かに流れていた。水に濡れて、ふやけて変色している。そこまでなら、ただの不法投棄物であり、さして注目に値するものではない。姫子にしても、ただの段ボールが川を流れている光景を目の当たりにして絶叫する、大変危険な女子という、不名誉極まりない評価を得るだけである。その上、姫子は実際に大変危険な女子であるから、その評価は的を射ているものであり何ら問題はない。問題は、その段ボールに納まっているものだった。

 毛深い体、頂点の丸い三角形の一対の耳、長い鼻。小型犬が、お行儀良く、段ボールにすっぽりと嵌るように座っていた。

 つまり、犬が川に流されている。その事実を辛うじて認識できても、それを理解できているとは言い難かった。

 それにしても、いくら犬が流されている様がショッキングであるとはいえ、「ぐわああああ!」という悲鳴は、ちょっとどうだろうか。

 一体どうすれば。答えを求めるように、姫子を再び見やる。彼女の取り乱しぶりは著しかった。一分後に超巨大隕石が落ちてきます、と宣告されてもここまで慌てないだろう、と確信できる。

 「どうしよう、どうしよう」と彼女は仕切りに口にしている。そうしている間にも、犬を乗せた段ボール製の船は航海を止めることなく、進んでいる。

 「ちょちょ、ちょっとサヨ、これ持ってて」姫子がアイスを差し出してくる。受け取ると、アイスは溶け始めていて、指がべたべたと濡れた。

 何をするんだろう、そう思いながら姫子を眺めていると、あろうことか、彼女は橋の欄干に右足を乗り上げ始めた。

 「何やってる、危ないよ」心配になって、言う。

 「ここから飛び降りて、あの子を助けてくるよ」決断的な声音で、彼女は返す。

 彼女のその言葉を耳にして、咄嗟に、目測で橋から川までの高さを計る。川の深さは大したものではなく、精々、膝下程度であるため、ほとんど地面に着地するのと変わらないはずだ。当然、衝撃もそれ相応のものだろう。

 何とも微妙な高さだった。着地を失敗しなければ無傷で済むが、もし失敗すれば・・・・・・という高さだった。

 止めておいたほうがいい、そう姫子に呼びかけようとした時、丁度彼女は欄干を足場に跳んでいるところだった。

 あっ、と声が出る。落ちていく彼女の姿が、スローモーションで目に映る。

 怪我したらどうするんだよ。私は不安になる。

 直後、水が弾ける音がした。着地したのだ、と悟り、欄干に駆け寄る。

 下を覗き込むと、姫子は既に段ボールに手をかけていた。見たところ彼女は無事なようで、ほうっと、安心と呆れが混じったため息が出る。

 段ボールを傍まで手繰り寄せ、姫子は小型犬に何か話しかけている。大方、「よしよし良い子良い子~」とでも言っているに違いない。

 しばらくその様子を眺めているうちに、異変に気がつく。いつまで経っても、姫子が動こうとしないのだ。それに、口も閉じたままだ。

 まさか、どこか怪我をしたのだろうか。体の芯の部分が冷える感覚があった。

 「どうしたの?」恐る恐る、声をかける。

 「サヨ、これ・・・・・・」震えた声で、彼女は言う。


 「ぬいぐるみだ」


 




 

 少し歩いた先に、壁に埋め込まれている形で梯子があり、姫子はそこから無事に地上へと戻ることができた。

 川と道は金網で仕切られていて、いそいそと、彼女はそれを乗り越えた。制服のスカートを着用していたことから、かなり際どい絵面が展開されたが、幸いなことに通行人はいなかった。私以外にそれを目撃する者はいなかった。

 いくら私しかいないとはいえ、少しは恥じらったらどうだろうか、と思う。姫子のためにも、後でそれとなく伝えておこう。

 「勝手に飛び込むなよ、バカ」地面へと足を落ち着かせた姫子に、私は鋭く言う。

 「え? まあいいじゃん。暑かったし、丁度良かったよ」あっけらかんと、彼女は言った。


 「そういうことじゃなくてさあ・・・・・・」

 「どうしたの、サヨ。もしかして、泣いてる?」


 そう指摘されて初めて、私は自分の声に水気が含まれていることに気づいた。目尻に涙が溜まるのが分かった。鼻の奥がつんと痛い。

 どうしても抑えきれず、嗚咽が漏れる。みるみるうちに、姫子が焦り始めた。

 

 「え、え、なんで泣くの? やめてよ、泣くのはナシだって。悲しいよ、サヨが泣いてるの見るの」


 おろおろと戸惑い、視線を彷徨わせている。

 「あ、そうだ」素晴らしいアイデアを思いつきました、と興奮する科学者さながらの表情で、姫子は何故か持って帰ってきた犬のぬいぐるみを顔の前に掲げた。


 「わんわん、僕は犬。今しがた、姫子ちゃんに助けられたんだワン」


 ぬいぐるみの後ろから姫子の声がしたかと思うと、ぬいぐるみは奇妙な上下運動を開始した。私はしばしの間、茫然とする。

 無論、それが腹話術の類であることは察せられたが、この世の終わりを連想させるほどに、壊滅的なまでに、姫子の腹話術が下手だったため、思わず固まってしまう。

 声とかもう、もろに姫子の声だった。 

 「せっかく僕が助かったんだから、サヨちゃんは泣いてる場合じゃないワン。もっと笑うべきだワン」やけに不遜な態度で、ぬいぐるみは言う。

 「じゃあ、ぬいぐるみさん、姫子に伝えて。危ないことはするなって」すっかり涙が引いたので、上ずらずに声を出せる。

 「うーん、善処するワン」体全体を揺すって、ぬいぐるみは頷いた。

 途端に、全てが馬鹿らしくなって、短く笑いがこぼれた。すると、ぬいぐるみが横にどき、姫子の顔が現れた。してやったり、という笑みを浮かべている。

 「あ、サヨ。アイスありがとね」右脇にぬいぐるみを抱え、左手を差し出してきた。

 「いや、アイス全部溶けたよ」この炎天下じゃね、と続ける。

 姫子は膝から崩れ落ちた。







 「それにしても、そんなに心配だった?」


 失われたアイスを取り戻すべく来た道を引き返してコンビニに行き、再度帰路についている時、姫子がそう訊いてきた。

 「何が?」分かっているくせに、私はそう訊き返す。


 「いやほら、さっき飛び降りた後、サヨ泣いてたじゃん。だから、そんな心配だったのかなって」

 「まあ、友達だし。当たり前じゃん」


 アイスを一口舐めてから、なるほどね、と姫子は言った。あたかも理解した風ではあるが、まず間違いなく、彼女は理解していない。

 姫子は自分を軽んじる傾向があった。だからこそ、心配になる。彼女の家族や、私以外の友人もそうだろう。それほどまでに、彼女は危うい。

 しかし、私が彼女を心配する理由は、友人だからというものだけにとどまらない。

 隣を歩く姫子を盗み見る。何かを思案しているような、それでいて何も考えていなさそうな、いかにも姫子だな、という表情を浮かべている。それを見ると、どういうわけか、安心してしまう。

 

 私は姫子が好きだ。

 

 意味もなく、心の中で呟く。

 理由は分からないが、私は姫子が好きだ。だからこそ、余計に彼女のことを心配してしまうし、何事もない彼女の顔を眺めると、心から安堵する。

 そんな感情を、心の深い部分に押し込めておく。それが正解かどうかは分からないが、他にどうすることもできないので、取り敢えず奥底に隠しておく。

 正解でなくとも、それが今取れる最適解と信じて。








 それから一週間が経った。暑さは日に日に勢いを増していた。

 その日の帰り道も、私たちは例の橋を渡っていた。特に理由が無くとも、二人して川を眺める。

 川の水面は太陽の光を反射して、眩いほどに輝いている。その光の中に、黒くてふわふわした何かが浮かんでいるのが見えて、緊張が走る。

 目を凝らして見ると、それは犬だった。一瞬、私はドキッとする。またぞろ、姫子が飛び出すのではないかと思ったからだ。

 そして次の瞬間、ほっと胸を撫で下ろす。その犬は確かに犬だったが、ぬいぐるみの犬だったからだ。今度は段ボールの船も無く、それ単独で浮かんでいた。姿勢の良いお座りの格好のまま水に浮かんでいる光景は、甚だシュールだった。

 最初からぬいぐるみと分かっていれば、流石の姫子も無茶はしない。そう思ったのも束の間のことで、信じがたいことに、姫子はまたもや欄干に足をかけていた。

 「何やってんの!」自分でも驚くくらい、大きな声が出た。「あれぬいぐるみだよ? 分かんないの?」

 「分かってる」そう返す姫子の声は小さい。私の大声に、彼女も驚いているのだろうか。「でも・・・・・・」

 「でも、じゃない!」怒声を張り、彼女の腕を掴む。「危ないって。もうするなって、この前言ったじゃん」

 「でも、もしかしたら、あのぬいぐるみはどこかの小さな子の物かもしれない。あのぬいぐるみを何かの拍子に川に落としちゃって、その子は悲しんでいるかもしれない」きっぱりと、彼女は言い切る。


 「そんな『もしかしたら』を考えてたらキリがないよ。ねえ姫子、私この前言ったよね? 危ないって、もうするなって。姫子が怪我したら、姫子は痛いだけで済むかもしれないけど、周りの人は違う。悲しいし、心配するよ。いい加減、自分がどれだけ想われているか、気づいてよ」


 一息に、私は言った。目が潤む。私はこんなに涙腺が緩かっただろうかと疑問に思う。

 姫子が何かを言い返そうと口を開いたとき、それを遮るように、鳴き声が轟いた。

 ぎょっとして、声の方を見る。

 橋を渡り終えた先、川に面した道の途中に、小さな女の子が一人、大声で泣いていた。背丈からして、幼稚園児ほどだろうか。

 そんな女の子が泣いている理由は、何となく、直感的に、川を流れているぬいぐるみであることが察せられた。一体全体どういった経緯であの子のぬいぐるみが流れているのかは到底計り知れなかったが、大事なことは、あの黒いぬいぐるみがあの女の子のものであるということだった。

 知らず知らずのうちに、姫子の腕を掴む力が弱まっていた。彼女は私の手を振り解き、一切の躊躇なく、橋から飛び降りた。

 デジャビュめいた光景。直後の水が弾ける音も含めて、一週間前に見た光景だ。

 そしてその時、今更ながら、私は気づいてしまった。

 姫子が誰かのために行動した時、私は肝を冷やすと同時に、ときめいていたことを。

 顔を青くしている反面、頬を赤くしていたことを。

 私は、姫子のそういうところを好きになったということを。

 私は空を仰ぎ見て、呻く。

 抑えようとしても、出てきてしまう。どんな感情の裏にも、それは遍く存在している。

 恋とは、全く本当に厄介なものだなあ、と私は思った。

 「捕まえたー」橋の下から、歓声が上がった。それを耳にした時の私の感情は、まあ、分かりやすいものだった。






 また例の梯子で姫子は登って来て、器用に金網をよじ登った。わざわざ、橋からヒーローさながらの着地をせずとも、この梯子から降りて回収すればよかったのではないか、そう思ったが黙っておいた。無粋なことは言うまい。

 ハンカチで焼け石に水程度にぬいぐるみの水気を拭い、女の子に手渡す。先ほどまであんなに泣いていた少女は一転して、花開いたような笑みを浮かべた。

 ありがとう、おねえちゃんたち、と少女は言った。実のところ私は何もしていないのだが、小さな女の子に無邪気な笑みを向けられるのは喜ばしいことであるので、甘んじて受け入れた。

 「そのワンちゃんにもよろしくねー」少女の去り際、姫子が言った。

 その言葉を背中に受けた少女は立ち止まって振り返り、不思議そうに言った。


 「この子、犬じゃなくてクマだよ」


 そして、少女は去って行った。

 少しの間、私と姫子はその場に立ったままだった。そうしてから、どちらからともなく笑い出した。






 私と彼女の日常は、これからも変わることなく続いていくことだろう。それはとても幸せな事だ。

 でも、と思う。それだけじゃ、物足りない。

 抑えていた感情は、いずれ反発し、制御を失う。 

 それと同じように、私も反発してみようか。姫野にドギマギさせられていた分、私が彼女をドギマギさせてもいいんじゃないだろうか。

 人の気持ちも知らないで、ずっと心配をかけさせられていた私には、その権利があってもいいんじゃないだろうか。 

 手始めに、手でも繋ごうかな。

 私は思案した。

 

 

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