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彼女たち  作者: 城ヶ崎
21/71

尾上由帆の友達(下)


 三分ほど時間が経ってから、私は口が利ける程度には持ち直していた。いつの間にか、人形は私の隣に腰掛けていた。


 「ねえ、驚いた?」


 再三、彼女が訊いてきた。その表情は、昨日の彼女からは到底想像もつかないほどに明るい。悪戯っぽい子どものようでもあった。


 「驚いたも何も、あれはやりすぎだよ。犯罪的すぎる」


 非難の意味も込めて、私は言った。すると、彼女は「ええぇ」と不満そうに言って、表情も一転、曇らせた。

 唇を尖らせて「いっぱい驚かせたかっただけよ」と彼女は言った。拗ねているらしい。

 その大人びた見た目とは裏腹に、彼女はかなり子どもじみていた。それは態度からも行動からも表情からも察せられた。

 このまま拗ねさせていると面倒なことになる、そう感じて、急遽話題を変えることにした。

 

 「どう? その服気に入ってくれた?」


 彼女の服を指して、私は切り出した。途端に、彼女の顔がぱっと綻んだ。

 「ええ、ええ、これ、とても良いわ。水色だけだなんて、味気ないだけだもの」彼女は立ち上がり、見せつけるようにして、その場でくるくると回った。スカートが空気を孕み、少しだけ膨らんだ。優雅な動作だった。

 三周ほど回ると、満足げに「うくく」と笑い、再び私の隣に腰掛けた。その綺麗なガラスの目が私を覗いた。何かを期待している目だ。

 多分、彼女は私と友好を深めようとしてくれている、ような気がする。どういう意図があるのか、私と仲良くなったとして、彼女に何の得があるのか分からないが、そんな気がする。あの些か過剰なドッキリも、それの表れだろう。

 だから、ここで必要なのはお喋りだろう。質問を交わし、お互いを知る必要がある。そう思った。


 「私は尾上由帆おがみゆほ。君の名前は?」

 「憶えてないわ」

 「憶えてない?」

 「そうよ。私はあの日、あなたが私の近くに来た時、初めて意識が生まれたの。だから、それ以前のことは記憶にないわ。昔は、もしかしたら名前があったのかもしれないけれど、それも憶えてない。なんたって、意識がなかったんですもの」

 「・・・・・・えっと、つまり君は、生まれてまだ一日しか経ってないってこと?」

 「そういうことになるわ。だから、名前は無いの。何とでも呼んで」

 「何とでもって言われても、難しいな。・・・・・・じゃあ、人形だし、『ニン』って呼ばせてもらおうかな」

 「ニン、分かったわ、私はニン」


 かなり適当な名前だった。多分、ゲームの主人公の名前ですらもう少し慎重につけるだろうが、彼女、ニンはあっさりと承諾した。

 適当ではあったものの、名前があるとぐっと掴みやすくなった気がする。


 「えっと、ニンは昨日から何も食べてないと思うんだけど、お腹は減ってない?」

 「ニンは人形だから、食べ物は要らないわ」


 それが素晴らしく優れたことであるかのように、ニンは誇らしげに言った。実際、それは便利なことだ。


 「そう言えば、何で今日になって動き出したの? 昨日のうちはまだ動けなかったの?」

 「ええ、そうね。まだ動くことに不慣れだったの。そのせいで机からも落ちちゃったわ。それに、体も小さかったから」

 「体が大きくなったのはどうして?」

 「さあ、分からないわ。ただ、体が大きいと便利なのになって思ってたら、大きくなったわ。不思議ね」

 

 不思議の権化とも言えるニンがそう言っているのは、何とも言い表し難い、不思議な光景だった。

 

 「オガミユホがいない間に動けるようになったの。それで、服を作ってくれたお礼に、オガミユホを驚かせてあげようと思ったの。それなのに、オガミユホは・・・・・・」


 再び、ニンがぷりぷりと怒り出した。慌てて、まあまあ、どうどうと宥めて、何とか溜飲を下げさせた。

 本当に、子どもみたいだな。私は思った。







 それからは、時折質問を織り交ぜながら、ニンと他愛の無い雑談を交わした。ニンは全てのことに興味を示し、「うくく」と笑った。久しぶりの家族以外との談笑はかなり愉快で、こんなに長く話すのも随分と久しく、風邪の時とはまた別種の痛みが喉にあった。

 そんな中、私はある疑問がふと浮かんで、それをすぐに言葉にした。


 「ニンは、これからどうするの?」


 それを聞いたニンは、とても困った表情をして、今まで私に向けていた視線を彷徨わせた。生まれてまだ一日の彼女にする質問としては、かなり酷なものだったかもしれない。私はすぐに罪悪感を覚えて、その発言を取り消そうとした時、遮るようにして、ニンが口を開いた。


 「ここにいては、ダメかしら?」


 少し伏目がちに、ニンがこちらを見た。大きいガラスの目が、潤んで揺れた、ように見えた。ニンひどくか弱い存在に思えた。いや、実際に、彼女はか弱いのだ。

 それに、彼女の口ぶりからして、彼女が生まれた原因は、恐らく私にある。昔から私の周りでは不可思議なことが頻発した。それは偶然ともいえるし、私が何かを引き寄せているともいえる。しかし、同時にこうともいえる。()()()()()()()()()()()()()()()()、私が何らかの形で引き金の役割を果たしていて、その現象が起こっているともいえる。そう考えると、ニンの存在は、私の責任でもあるはずだ。


 「いてもいいよ」


 努めて明るく、私は言った。はたと、ニンが顔を上げた。その表情は喜びに満ちている。

 「ただし、私の部屋限定だけどね」流石に、両親に見られるのは避けるべきだろう。厄介事はできるだけ減らしておきたい。

 「わかった、約束するわ。ありがとう、オガミユホっ」小さく何度も頷きながら、ニンは言った。

 

 「あとその、『オガミユホ』って呼び方止めてよ。普通に、ユホでいいよ」

 「わかったわ、ユホっ」








 晩御飯の時間になり、静かにしているように、そうニンに言ってから、一階へと下りた。

 食卓の中央に置かれた大皿から唐揚げをつまみ上げている時、母が「あっ」と何かを思い出したように言った。

 

 「そういえば由帆。あんた電話でもしてたの? 部屋で誰かと話してたみたいだけど」


 一瞬、ぎくっと肩が跳ねた。ニンとの会話が楽しくって、つい声が大きくなっていた。

 「うん、そうだよ」ぬけぬけと、そう返した。友達が一人もいない私が使う嘘にしては、皮肉が効きすぎている気がした。


 「あらそうなの。電話料金に気をつけなさいよ」

 「今のやつは無料のが多いよ」

 「あ、そうなの。だったら、どんどん電話しなさい。どんどん親睦を深めなさい」

 

 そう母が締めくくると、隣に座る父がいかにもその通りだという風に、うんうんと頷いていた。







 寝る直前までニンと雑談を交わし、よし寝よう、電気を消そうとした時、ニンのための布団がないことに気がついた。何で今まで気づかなかったのだろう。

 「ニン、どうしよう。布団が無い」ニンを見やると、彼女は静かにかぶりを振り、おもむろに床に横たわった。


 「ニンは人形だから、どこでも眠れる」

 「そうなの?」

 「そうなの。だから、ユホ、心配しないで」

 「・・・・・・寝心地悪かったら言ってね。無理すれば、二人でベッド使えると思うから」

 「うんわかった」


 「おやすみ」電気を消す。三十秒もしないうちに、寝息が聞こえてきた。

 なんて寝付きの良い。私は驚いた。





 

 朝目が覚めると、ニンはまだ寝ていた。両手を重ねてお腹の上に置き、規則正しい寝息を立てている。それに合わせて、胸が上下している。

 目覚まし時計を見ると、時刻は六時半だった。いつもの時間だ。彼女を起こさないようにそっとベッドから降りて、部屋を出て一階へと下り、冷たい水で顔を洗った。眠気を覚ますのは、それだけで十分だ。

 部屋に戻ると、変わらずニンは寝ていた。顔を近くまで寄せ、その寝顔を仔細に観察した。

 あの綺麗な灰色ガラスの目は、瞼で隠されている。人形にも瞼はあるんだ、いや、ニンが特別なのだろうか。

 彼女の寝顔は可愛らしく、何よりも精巧で、人間とまるで見分けがつかない。

 多分、私のせいなんだろうな。ニンの穏やかな顔を眺めながら、そんなことを考える。私の周りでは妙なことが起こる。ニンに意識が芽生えたのも、それの一環だろう。

 突然、ニンが目覚めた。近づいていたせいで、すぐに目が合う。灰色の瞳に私の顔が映った。

 「ユホ、何をしているの?」そのままの態勢で、ニンが訊いた。「寝顔が可愛かったから、つい」と言うと、彼女はニコニコと笑みを浮かべて、「ありがとう」と返した。

 「ユホ、今日もたくさんお喋りできる?」表情そのまま、ニンが訊いてくる。まさか否定されるわけがない、そんな思いが見て取れた。残念ながら、私はそれを否定しなくてはならない。

 

 「ごめん、ニン。私は学校に行かなくちゃならないから、ずっとお喋りはできないよ」

 「ガッコウ?」

 「あー、つまり、私は『ガッコウ』って所に、七時間くらい行かなくちゃならないんだ。だから当然、その間はニンとお喋りできない」


 それを聞くやいなや、ニンはまるでこの世の終わりと言わんばかりの、人形の表情の限界を突き破った表情を浮かべた。


 「そんな、暇よ。暇は嫌よ」

 「じゃあ、本でも読んどく?」

 

 私は部屋の壁、入り口から見て左側に位置する壁、その一面を覆いつくす程の本棚を指し示した。

 私個人の考えに、『孤独な人ほど本にのめり込む』というものがある。そういうわけで、私は同年代の子たちに比べて、かなりの数の本を持っていた。勿論、孤独が故だ。

 本棚の方へ、ニンは何故かじりじりと、あたかも地雷原を歩いているかのような足取りで近づいた。本を一冊抜き取り、パラパラとめくった。


 「ユホ、私文字が読めないわ」


 さらりと、ニンは言ってのけた。しまった、と思う。あまりにもニンが人の言葉を流暢に喋るものだから、つい文字も読めるものと早とちりしていた。

 どうしよう、七時間も何もせずに待っていろと言うのは、酷にもほどがある。だからといって、学校に連れて行くのはまずい。

 ニンの隣まで行って、私も本棚と向き合う。端から端まで見渡してみると、ある本が目に留まった。それを抜き取り、ニンへと手渡す。

 「ユホ、これは?」不思議そうに、自分の手に収まっている本を見つめながら、ニンが訊いた。


 「それは図鑑っていうんだよ。ちょっと開いてみて」


 それは動物図鑑だった。確か、私が幼稚園児の頃からあったのもだ。

 ニンは早速ページを捲り、控え目に、あっと驚いた。


 「絵がいっぱいだわ。これなら暇じゃないわ」


 その言葉に、ほっと胸を撫で下ろした。多分、今日一日は図鑑でやり過ごせるだろう。

 部屋から出たらダメだよ、そう念を押してから、家を出る。

 差し当っての課題は、ニンに文字を学習させることだろうか。






 

 学校からの帰りに、私は図書館に寄り、そこで何冊か本を借りた。

 家に帰り、昨日ほどの不安も無いまま、自室のドアを開けた。すると、静かに大人しく、ベッドにもたれかかり両膝を立たせた姿勢で、ニンが図鑑を呼んでいた。歴史的名画のような美しさを湛えた光景だった。改めて、ニンの美しさを認識した。

 思わず、しばしの間言葉を失っていた。「ただいま」声をかけると、弾かれたようにニンが顔を上げ、その灰色の瞳に私を捉えると、無邪気な笑顔を浮かべた。


 「どう? 図鑑は楽しい?」

 「楽しいけど、でもやっぱり、文字が分からないともやもやするわ」

  

 そう言って、ニンは『カバ』の写真の下に記述されている、カバの生息地や特徴の部分を指差した。やはり、最低限文字の理解は必要らしい。

 肩に掛けていた鞄を下ろし、図書館から借りてきた本を取り出して、ニンに見せる。


 「ユホ、これは何?」

 「これは絵本というものだよ」


 ニンはエホン、えほん、絵本、と数回呟き、その響きを確かめていた。


 「私がニンに読み聞かせしてあげるよ。そうすれば、多分、文字も分かるようになるんじゃないかな」

 

 私の提案に、ニンが目を爛々と輝かせた。

 彼女の隣に座り、絵本を開く。文庫本とは違う手触りが新鮮だった。

 「早く読んで早く読んで」ニンがそう急かして、顔を近づけてくる。髪の毛が触れて、微妙にくすぐったい。

 誰かに読み聞かせなんてしたことがない。背筋が強張る程度の緊張を覚えながら、私は最初の文章を声に出して読み始めた。







 それからは、毎日ニンに読み聞かせを行った。学校からの帰りに図書館に足繁く通い、絵本や児童書を借りた。

 読み聞かせをするたびに、ニンは、ユホの声は優しくて落ち着くわ、そう言ってくれた。態度には出来るだけ出さなかったものの、かなり嬉しかった。

 ニンは目を見張る速さで言語能力を成長させていった。たったの五日間で、彼女は一人で小説を読める程度になっていた。

 そしてそれに比例するように、私と彼女の仲も深まっていった。




 ニンを拾ってから六日が経った。

 学校から帰ると、ベッドにもたれかかって、ニンは小説を読んでいた。そこは読書の際の彼女の定位置となっていた。

 「何読んでるの?」訊くと、ニンは手に持っていた文庫本のタイトルが見えるように掲げた。『どうか終わりませんように』それが本のタイトルだった。

 確か、私が中学生の頃に買ったものだ。内容は、とびきり悲しいラブストーリーだったはずだ。

 私は悲しい物語が好きではない。現実ですら充実していないのだから、創作の中でくらい満たされていたいのだ。

 なら何故そんなものを買ったのかと問われれば、返答に窮してしまう。あまりにも下らない理由だからだ。帯に『感動のラブストーリ』だったり、『読み終えた時、あなたはきっと涙する』だとか、そういった宣伝文句が無かったからという、取るに足らない理由だからだ。

 ニンが開いているページからして、物語はまだ中盤に入ったあたりだろう。本格的に悲しくなってくるのは、もう少し後のことだ。

 最後まで読んだとき、ニンはどんな表情をするだろう。熱心に読み進めているニンの横顔を眺めながら、そんなことを思う。やっぱり、泣くのだろうか。いやでも、人形が涙を流すだろうか?

 一ページ、また一ページとめくられていく。静かな部屋にその音だけが響いて、心地よかった。






 お風呂からあがり部屋に戻ると、物語は残り数ページというところまできていた。ニンは噛みしめるように、ゆっくりと物語を進めていた。

 不意に、その小説の中でも、特に印象に残っている文章が思い出された。

 

 『一瞬の間に、彼女は消えて無くなっていた。瞬く間に、文字通り瞬き一回分の間に、煙のように、彼女は消えてしまった』


 他にも感動的だったり、美しい文章はあったはずなのに、どういうわけかこの文章が一番心に残っていた。





 ニンは最後まで読み終えた後、しばらく天井を見つめて放心状態になっていた。意外なのは、彼女の表情が悲しそうではないことだ。かといって、楽しそうでもない。ただただ無表情だった。

 五分ほどそんな状態が続いてから、彼女はおもむろに立ち上がり、元あった場所に本を戻すと、「もう寝ましょ」と静かに言った。

 電気を消し、私はベッドに、ニンは床に寝転がる。これまでなら、一分もしないうちに彼女は寝息を立てていたが、どういうわけか、いつまで経ってもそれが聞こえてこない。五分経ち十分が経ち、次第に私の意識が薄れていく。

 もうそろそろ完全な眠りに入る、というその時、強烈な視線を感じた。構わず眠ろうにも、どうしても気になる。

 目を開ける。すぐ目の前にニンの顔があった。息がかかり合うほどの距離だった。

 暗がりではっきりとは分からないが、ニンは恐らく不安げな表情を浮かべている。眉を八の字に曲げて、悲しそうな顔をしている。


 「ニン、どうしたの?」

 「・・・・・・」


 ニンは何も答えず、じっと私を見つめた。何かもの言いたげな視線を投げかけている。

 そんな彼女の様子から、私は何となく、『どうか終わりませんように』が原因だろうなと、眠りかけの頭で思った。

 あの小説は最後、主人公とヒロインが離れ離れになって終わる。主人公が瞬きをした瞬間にヒロインが消える場面を経て、そのまま物語は幕を閉じる。

 ニンの不安は、恐らくそこにあるのだろう。


 「ニン、一緒に寝る?」

 「えっ、いいの?」

 「うんいいよ、ほらおいで」


 端に寄り、布団をめくる。ニンの表情が明るくなっていくのが、暗闇の中でも手に取るように分かる。

 ニンがそろそろと布団に潜りこんできて、私を抱きしめた。冷たく硬い感触に包まれる。


 「ユホ、どこにも行かないでね」

 「言われなくても、行くところがないよ」

 「そうなの? うくく、それはいいわね」


 嬉しそうに、彼女は一層きつく抱きついてきた。最早額と額がぶつかりそうだ。

 正直息苦しかったが、それは言わないでおいた。

 

 「ユホは暖かくて、落ち着くわ・・・・・・」


 そう言ってから、ニンはすぐに眠りに落ちた。寝息が首にかかり、かなりくすぐったい。

 一定のリズムの寝息を聞いていると、抗いがたい甘い眠りに誘われていく感覚があった。私も彼女を抱きしめて、そこへ身を投じていった。

 



 

 

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