なんと小さい彼女の幸せ
テレビゲームをする時、人によって様々な反応がある。十人がゲームをすれば、十通りの反応がある。
キャラクターがダメージを受けると、思わず「痛い」と言ってしまう、痛覚を共有しているタイプの人だったり、敵を倒す時、気分が高揚してつい口調が乱れてしまう人だったりと、その種類は実に様々だ。
これはもう癖のようなもので、意識して直るような代物ではない。現に、私にもそういった癖がある。他者の目には間抜けに映るであろう癖が。
ある日、私はこれを利用することを思いついた。
残暑も徐々に薄まり、いよいよ秋の到来を予感させる季節になっていた。せっかく過ごしやすい、丁度良い気温だというのに、これから厳しい冬が来るのかと思うと、今からため息が出る。
「あ、安住、今日もうち寄ってくでしょ?」
隣を歩く美濃が言った。お決まりの文言だった。「うん」私も定型文じみた返事をした。
私と美濃の帰り道は同じ方向で、先に彼女の家に通りかかる。高校生になったばかりの頃、何の気なしに彼女の家に寄り道してからというものの、ほとんど毎日、美濃家の敷居を跨いでいた。
部活に入らず、勉強にも打ち込まず、ただただ友人の家に入り浸る日々。当初は、こんなことで良いのか、華の女子高生、そんなことを思っていたが、最近では、これこそが女子高生だと思えるようになっていた。
高校生らしいものといえば、部活に勉強だ。そして忘れてはいけないのが恋愛だ。
つい先日、私は美濃家にこれを見出した。
「じゃあ私ジュースとお菓子持ってくるから、ゲームの用意しといて」
美濃はそう言って部屋を出た。言われた通り、私はゲームの用意に取り掛かる。と言っても、電源をつけてコントローラーを二つ出すだけだが。
数秒の沈黙の後、ゲーム機が静かに起動し、内部のディスクを読み込みだす。ゲーム機について特別詳しいわけではないが、二世代くらい前の物であることは分かる。
雲一つない青い空とそびえ立つビル群を背景にした、やけにスタイリッシュな一台の車がディスプレイに表示された。いささかエネルギー過剰な声でタイトルがコールされる。「CRASH RACE BATTLE」 レースと銘打っているにもかかわらず、タイトルにクラッシュの文字があるのはどういうことなのだろうか。
「お待たせ―」
二つのコップとスナック菓子を乗せたお盆を両手で持ちながら、美濃が部屋に戻ってきた。傍らにあるテーブルにそれを置き、彼女は私の右隣に座った。早速ジュースに手をつける。オレンジジュースだ。
「今日も勝つぞー」妙に滾った様子で美濃がコントローラーを操作し、対戦画面へと移る。操縦する車を慣れた手つきで選択している。
「あ、ステージ私に選ばせてよ」
「いいよ」
特に反対もなく、すんなりと受け入れられる。私は内心ほくそ笑みながら、カーブの多い、非常に入り組んだ都市のステージを選択した。
ちらりと、隣の美濃を盗み見る。彼女の視線は画面に釘付けになっていて、横顔がはっきりと見えた。少しの間それを眺めてから、私も画面へと向き直った。
十数台の車がスタートラインに並び、合図とともに一斉に飛び出した。集団を抜けて、一位が美濃、二位が私といった具合になった。
早速、一個目のカーブに差し掛かった。車をドリフトさせた、その時だった。
カーブに合わせて、体全体を右へと傾ける。自然と、隣にいる美濃へともたれかかる形になる。私の頬に彼女の肩が当たる、というよりも、彼女の肩に私の頬を当てにいく。途端に、彼女の制服から漂うフレグランスな香りが私の鼻腔をつついた。
心地よい、柔らかな幸福に包まれる。
「ちょちょちょ、邪魔邪魔」
すかさず、美濃が抗議の声をあげた。画面を見ると、彼女の操縦する車が壁に激突していた。車体から黒い煙が上がっている。もしかしなくとも、私のせいだろう。
カーブが終わり、後ろ髪を引かれる思いで上体を正す。そのまま美濃の車に追いつき、並走する。しばらく走ると、再びカーブが見えてきた。左曲がりのカーブなので、残念ながら、美濃に寄りかかることはできない。
ひょっとすると、美濃の方から私に寄りかかってくるかもしれない。そう思い、レースそっちのけで右肩に全神経を集中させてみたが、一向にくる気配がない。ひそかにしょんぼりした。
画面右上に表示されている、ステージ全体を簡略的に示したマップを見る。ステージを一周するまでに合計八つのカーブがあり、そのうちの五つが右曲がりのカーブとなっている。三周でゴールなので、一回のレースにつき十五回、美濃にくっつくことができる。もう既に一回カーブを通ったので、私に残されたチャンスは十四回だ。
いやいや、今日という日はまだ沢山残されているのだから、十四回ではすまない。一レースにつき五分かかると仮定すると・・・・・・。
まあとにかく、いっぱいチャンスは残されている。
早くカーブきてくれ、そんな念が脳から発信され手へと伝い、ついコントローラーを強く握ってしまう。抑えようとしても、すぐ横にいる美濃のことを想うと、どうにもできない。
焦るな、焦らなくていい。機会はいくらでもある。だから、せめて不自然にならないように、美濃に訝しまれないように、できるだけ自然に寄りかかるように、そのことだけに集中すればいい。
このささやかな、小さい幸せで満足するから、だからどうか、ばれないで。
五個目の右カーブに入ると、左に座っている安住がまたもや私の方へと体をそらし、その柔らかな頬を私の左肩へとくっつけた。彼女の髪が触れた。くすぐったい。
「だから、邪魔だって」
「だって、仕方ないじゃん。カーブの時傾いちゃうの、癖なんだよ」
そんなわけないだろ。内心、私はそう思った。
いくら癖だからと言っても、流石にこれは傾きすぎだ。最早倒れ込んできているといっても過言ではない。
それに、特に顕著なのが、左カーブの時だ。
安住は右カーブの時は大袈裟に体を傾けるくせに、左カーブの時は微動だにしない。指だけを動かしてコントローラーを操作して、至極冷静にカーブをやり過ごしている。
そんな彼女の様子に、その不器用さに、思わず笑いそうになる。
そんな回りくどいことしなくても、言えば良いのに。言ってくれれば、わざわざゲームを介さなくても、いくらでももたれかかって良いのに。
でも、私からは言ってあげない。何か恥ずかしいし。
画面右上のマップを見やる。
次の右カーブまであともう少しだ。




