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彼女たち  作者: 城ヶ崎
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待ち人来たらず


 学校からの帰りのことだった。本格的な冬の寒さが覗く十一月の終わり際、私は家の近所にある、こじんまりとした川に架かった橋の上、その欄干にもたれかかって、黄昏ていた。

 橋の長さは三メートル程しかなく、猫背気味な人の背中のように、緩く盛り上がっている。下を流れる川には落ち葉が所狭しと浮いていて、その間からは何やら小魚たちが見え隠れしていた。春から秋にかけては、ここからでもそれなりに綺麗な光景を見ることができるのだが、今の季節ではそうもいかない。

 ここに来てから、かれこれ一時間が経過していた。最初こそは、冬の到来とそれに伴う景色の変化、その侘しさを楽しむだけの余裕があったが、いよいよそうすることも出来なくなっていた。とても寒い。

 一時間前から、私は身を切る寒さに耐えながら、運命の相手を待っていた。

 高校生になっておよそ八か月、入学前、あれだけ期待していた「彼氏」という存在は、最早、幻か何かの類にすら思えてきた。それはかぐや姫が貴族に要求した数々の品物もかくやと思われた。

 女子高に入ってしまったのが、そもそもの間違いだった。

 校内を見渡す限り女子、同性、女の子。異性と出会おうと思えば、他校などの外部へと向かわざるを得ない。しかしそれは、あまりにもハードルが高いのだった。

 だからこうして、待っている。欄干にもたれかかって、妙に意味深な表情を浮かべて、ミステリアスな女を演出して、運命の相手を待っている。

 種々様々な少女漫画、ひいては恋愛漫画を読んできた、ある種の恋愛有識者である私の考えでは、夕暮れ時、一人橋の上で黄昏る少女は、高確率で超イケメン高校生男子に声をかけられる運命にある。

 「やあやあお嬢さん、何かお困りか?」彼は爽やかな笑みを浮かべながら、そんなことを言って、さりげなく私の隣へと立つのだ。

 そしてそれは、誰にも妨げることのできない、運命的な大恋愛の始まりでもある。

 一時間前までの私は、本気でそう思っていた。全くもって、気が触れていたという他ない。

 実際には、超イケメン高校生には声をかけられるはずもない。そもそも、付近に人が通りかかる気配すらない。

 運命的な出会いなど、所詮は漫画の中での話。現実にそんなこと、起こるはずもない。そのことに気がついたのは、ここに来て三十分ほど経った頃だった。

 私は自分の愚かさを恥じ、困惑し、半ば自棄になり、更に追加で三十分を不毛に過ごした。そして今に至る。

 帰ろう。

 自分の口から漏れ出る白い息を眺めながら、そう思った。自責の念に茹だった頭は、すっかりと冷めきっていた。

 その時、背後に人の気配がした。足音もする。明らかに、こちらへと向かって来ている。一気に、緊張が高まる。

 もしかして、本当に来たのか、運命の待ち人が。

 私は振り向きたい衝動を必死に抑えた。振り向いてはいけない。相手が声をかけてくるのを、待たなくてはならない。夕暮れのミステリアス少女は、自分から行動を起こすことなく、相手からの動きがあって初めて成立するのだ。自分から動いてしまっては、そういった要素が薄まる。


 「どうしたん、坂野」


 背後の人物は、そう声をかけてきた。それは女の声だった。それどころか、私の名前を呼んでいる。驚いて、私は振り返った。

 

 「霧下」

 

 そこに立っていたのは霧下だった。私と同様、彼女もまた制服に身を包んでいる。首元には、マフラーが長い髪ごと巻かれている。寒さのせいか、膝が少し赤く見える。両の手にはそれぞれ、缶コーヒーが収まっている。彼女はそのうちの一本を差し出してきた。受け取った途端、じんわりとした温もりが手のひらに伝わった。

 シャカシャカと缶を振りながら、霧下は私の隣へと歩き、欄干に両肘を乗せて、川の流れを眺めた。

 なんだこいつ、何しに来たんだ。まさか、こんな寒い中、わざわざ川を見に来た、なんてことはないだろう。


 「霧下、どうしてここに?」

 「いやな、あんたがここで、何か深刻そうな顔してんのが、向こうの方から見えてな」

 

 彼女はそう言って、私たちの右斜め前方の、川に面した小道を指さした。

 なるほど確かに、先ほどまでの私は謎深き女子高生を演出するために、普段しないような神妙な表情を浮かべていた。事情を知らない霧下にしてみれば、私が何か深刻な悩みを抱いているように見えても仕方がないだろう。

 しかし、そこには奇妙な点が一つあった。

 

 「でも、どうしてこんな時間に、しかも制服のまま歩いてたの?」


 私はそう訊いてみた。

 そう、現在は学校が終わってから一時間以上経っている。霧下は部活動に所属していないし、いつも一緒に帰っている私はこの通りなので、さっさと帰宅していると思っていた。なのに、彼女はここにいる。制服姿であることから、家にも帰っていないであろうことが窺える。

 霧下は眉を下げて少し困ったような顔をして、何かを言い淀んでいる。


 「うん・・・・・・、実はな、あんたを見つけたのは、今よりもちょっと前やねん」

 「あ、そうなの。どれくらい前から?」


 再び、彼女は口を噤んだ。手に持つ缶を弄び、滔々と流れる川を見下ろしている。あたかも、そこから次に続ける言葉を見つけだそうとしているかのようだ。


 「・・・・・・一時間前から」

 「え?」

 

 思わず聞き返す。彼女はうわ言のように、「一時間前から」とだけ繰り返した。

 一時間前といえば、もうそれは最初からということじゃないか。

 つまり、霧下は一時間もの間、川を眺める私を眺め続けていた、ということになる。


 「ちゃ、ちゃうねん。あんたがあんまりにも深刻そうな表情してたから、声かけようか迷って、そしたら、こんなに時間かかってもうたんや」


 彼女は怒涛の勢いで弁解を口にした。私の困惑の程が表情に出ていたのだろうか、彼女の慌てぶりは相当なものだった。実際、ドン引きしている。

 一時間て。缶コーヒーとか、妙に準備がいいなと思ったよ。


 「ああもう、ええやろそんなこと、どうでも。そんなことより、何や、悩みがあるんちゃうんか? 言ってみい」


 彼女は荒っぽくそう言い、不器用な仕切り直しを試みた。微笑ましい。

 先までのことを霧下に言うのは、正直気が引ける。恥ずかしいのは勿論のこと、こんなことを話しても、ただただ彼女を困惑させるだけだろう。当たり前だ。私ですら困惑しているのだから。

 それでも、話さなければならないだろう。心配してくれた彼女に応えるためにも。


 「・・・・・・悩みってわけじゃないんだけど」


 恐る恐る、私はそう切り出した。





 そこからしばらくは、何故私がここで突っ立っていたのか、その原因となった考えなどを、出来るだけかいつまんで説明した。その間、霧下は最低限の相槌を挟むことに終始していた。






 「ア、アホやなぁ、あんた」


 全てを聞き終えた霧下は、そう口を開いた。そうしてから、からからと快活に笑った。辺りには私たち以外に人影はなく、彼女の笑い声がはっきりと響いた。釣られて、私も笑った。そうも明快な反応がくると、かえって気が楽なものだった。


 「乾杯、乾杯しようや」


 霧下は愉快そうにそう言って、持っていた缶コーヒーを掲げた。

 

 「何にだよ」

 「あんたのアホっぷりに」

 「うるさい」


 固いプルタブを開けると、飲み口から湯気が立ち昇った。冬場の缶コーヒーという言葉の響きは、どことなく魅力的である。


 「しかし、あれやなあ、あんたの話を聞く限りやと」 


 一口飲んでから、霧下は独り言でも言うように呟いた。私も一口飲む。控えめな甘さが広がり、体がゆっくりと温まっていくのを感じる。


 「私があんたの運命の人ってことになるなあ」


 思わず、コーヒーを吹き出しそうになる。突然、何を言い出すんだ、こいつは。

 両手を温めるようにして持つ缶から私へと、彼女は上目遣い気味に視線を移した。その仕草には何か意味があるようにも、また、無いようにも思われた。

 彼女が言葉を続けないせいで、微妙な雰囲気が漂った。

 

 「まあ、確かに。こんな寒い中一時間も見守ってくれるような熱心な人、運命の人って言っても差し支えないかもね」


 そんな澱のような空気を洗い流すべく、私はあえて彼女に乗って、軽口を叩いた。

 彼女は少しの間無表情を貫いたが、やがて破顔した。


 「あーあ、声のかけ方間違ったなあ。『やあやあお嬢さん、何かお困りか?』って言っとけば、坂野を惚れさすことできたのに。勿体無いことしたわ」

 「はいはい、勿体無い勿体無い」


 もう一度、笑いあう。

 冷たい風が頬を撫でた。しかし、依然として、体の中心の部分は暖かいままだった。 

 

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