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彼女たち  作者: 城ヶ崎
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友情ディープラヴ

 

 昨日までは当たり前にあった日常がなくなっているかもしれない。そう思うと、こんなにも清々しい朝で、テーブルに並ぶ十分な朝食を前にしても、私はため息を禁じ得ないでいた。

 昨日のことを考えれば考えるほど、アレは私たちの関係を完膚なきまでに打ち砕くに余りある。だからこそ、やはり、ため息ばかりが出てくる。



 あの日(といってもつい昨日の出来事だが、あえてそう呼称したくなるほどに衝撃的で、印象的だったのだ)、私はいつものように八田と連れ立って帰路についていた。

 五月に入ってもう中ごろ、部活に所属していない私と八田の下校時刻では太陽はまだ高く、学校が終わった後の、これからの時間が有り余っていることが感じられた。

 部活動に勤しまないからといって、自宅で勤勉にも勉強に励むかといえば、そんなことは断じてない。たいていの場合、この帰り道に八田とこれからの予定を話し合い、私の家か彼女の家あるいはちょっと遠出をして繁華街に繰り出し、時間をつぶして楽しんでいた。

 それでいいのか高校二年生。そんな葛藤がなかったこともないが、なかなかどうして、こうして日々を過ごすのは楽しいものだった。

 ふと、私は八田の様子に疑問を抱いた。どういうことか、今日の八田はいやに無口だ。話し合いにおいて、先に口を開くのは決まって彼女だった。

 気になってすぐ隣を歩く八田をちらりと盗み見た。普段アホ面ばかり浮かべている彼女に似合わず、神妙な面持ちである。アホ面でさえなければ可愛い顔をしている、そう再認識させられるのに十分な表情だった。

 私の視線に気づいてかいないでか、八田もまた、私の方をそっと見た。自然目が合う。すると、彼女は肩をびくっと跳ねさせてその場に立ち止まってしまった。鞄についていたストラップたちが互いにぶつかり合い、小さく音を鳴らした。

 「なんだよ」私は笑いをすこし含ませて言った。「そんなに驚くなよ」

 そんな茶化しにも八田はまるで反応を示さず、ただ俯いて、視線の置き所に困った様子だった。

 八田につられて立ち止まった私は、面食らって思わず彼女をまじまじと見つめた。

 八田は私の視線を一身に受け居心地悪そうに身じろぎをして、遠慮がちに私を見ると、またすぐに俯いてしまった。どころか、自分のスカートの端を幼い子供のように弱々しく、ぎゅっと握りさえした。心なしか、彼女の頬が少し赤くなっているように見える。

 私は雷にも似た衝撃に貫かれた。今日の八田の様子はどうにもおかしい。彼女がおかしいのは常だが、今日の彼女はなんというか、乙女的である。

 八田という女と乙女という概念はおよそ対極の位置に存在する。もし彼女が自らを乙女と称すれば、全国津々浦々の乙女たちが冗談じゃないと鼻息荒く、猛然と彼女に襲い掛かるだろう。

 「八田?」私は心配になり、彼女に声をかけた。「大丈夫か?」

 八田は何やらごにょごにょ呟いた後、大丈夫とだけ言って、押し黙ってしまった。歩き出す気配は、依然として見受けられない。

 所作の端々が可愛らしくなってしまった八田を見て、私は彼女が誤って少女漫画でも食べてしまったのかもしれないと考えた。


 「えーちゃん・・・・・・」


 絞り出すように、八田は言った。

 幼いころから、彼女は私のことをえーちゃんと呼ぶ。なんとなく間抜けな印象があるからやめてくれと頼んでいたものだが、今更変えるのは恥ずかしいよと、その都度彼女は私の提案をはねのけた。

 返事をするでもなく、私は黙ってその先を促した。


 「好きだえーちゃん、付き合ってくださいっ」


 ストラップたちが再度、かちゃりと申し訳程度の音を鳴らした。その音が、やけに大きく感じられた。





 私と八田は幼馴染みである。両親が言うには、私たちが生まれる前から家がお隣同士だったらしく、言うなれば、おなかの中にいた頃からの幼馴染みとなる。つまり、生まれてから今日にいたるまで、八田とは長い付き合いである。

 それほどに多くの時間を共有していながら、八田の思いに気づかないでいた己の鈍感さには呆れる思いもあると同時に、気づけるわけがないと、なかば言い訳がましい思いもある。

 ご近所同士で高校生同士で幼馴染みで、これ以上ない好条件かもしれない。そんな状況下において、彼女の気持ちに気づかないのは間抜けかもしれない。

 しかし、それらの事実を覆い隠して、鈍感にさせるだけの事実もある。そういう発想に行き着くのを阻害する、根本的事実が。

 要するに、八田が女であり、私もまた女であるという、事実が。




 確かに。

 私は朝食の厚めの食パンを口に運び入れながら、思案した。

 確かに、中学生になるまでの私は女の子らしくなく、むしろ男の子然としていたように思う。女子からの黄色い歓声も確かに受けていた。しかしそれはあくまで小学生の頃の話で、中学に上がってからは、努めて女の子らしく、少なくとも服などには気を使っていたはずだ。

 ということは、幼馴染みでありながら気づきもしなかったが、八田は純粋に同性の女の子が好きで、いわゆる同性愛者だったということになる。そしてよりにもよって、私を好きになった。そして。

 ・・・・・・そして、ふられた。


 「早く食べなさいよ。お皿洗えないじゃない」

 「・・・・・・うん」


 知らず知らずのうちに背中を丸めていた私に、不意に母が声をかけた。登校時刻が迫っていることに気づき、手早くお皿の上のものを口に入れると、私は席を立った。

 八田は私に告白をし、私は八田をふった。だから、恐らく、いや確実に、今日から私と八田は行動を別々にするだろう。そう思うと、胸のあたりがチクチクと痛み、失ったものの大きさをしつこいくらいに実感させてくれる。

 やはりため息を抑えられないで、私は家を出た。


 「あ、えーちゃん。おはよぉ」

 「・・・・・・お、おはよ」


 八田が待ち受けていた。

 動揺を悟られまいとした私は、若干の間を空けながらも挨拶を返し、そそくさと通学路へ出た。八田はさも当然とばかりに私のすぐ横を歩いた。

 私は状況の整理もままならないで、八田の横顔を見た。

 八田である。横顔のみならず全身余すことなく八田であるその女は、いわゆる八田である。昨日の自分なんぞどこ吹く風、彼女はいつものようにアホ面をうかべている。昨日の八田に比べて今私の目の前にいる八田があまりにも八田なので、私はこの八田が本物の八田かどうか、深い疑心暗鬼に陥った。八田ゲシュタルト崩壊である。

 そんな私にかまわず、彼女が口を開いた。


 「イカでたこ焼き作ったら、イカ焼きになるのかなー」


 彼女のその発言に、私はこの八田が本物の八田であるという確信を得た。朝からこんなアホみたいな疑問を呈している女、そうそういまい。

 昨日のことなど微塵も思い出させない彼女の様子に、あれは夢の出来事だったのかと私が考えたのも無理からぬ話で、事実、そうであってくれれば全ては丸く収まる。思いもよらぬ希望の光が差し込み、私は思わず両手を挙げて喜びそうにさえなった。

 不意に、八田の手が私の手を、少しのぬくもりとともにそっと包んだ。


 「ね、えーちゃんはどう思う?」

 「え、あ、なにが?」

 「きいてなかったのー?」


 私の手を握ったまま、八田が何やら文句をぶつくさ呟いているが、私としてはそれどころではなかった。何かの間違いか。自分の手を見やると、やはりその手はしっかりと握られていた。

 

 「なんだ、この手は」

 「小学生の時とか、よくこうしてたよね」


 抗議的な意味合いを含ませた私の問いかけに、八田は答えになっているようないないような、ひどくあいまいな返事をした。

 高校生で、女の子同士ならこのようなスキンシップは普通なのかもしれないが、私としては非常に馴染みがなく、八田にしても同様かと思われる。それこそ、彼女の言うように、小さいころに戯れでした程度だ。だからこそ、妙な恥ずかしさがついて回るのも確かで、少しくすぐったい感じがする。

 このような突発的行為は彼女の悪ふざけだろうか。私は八田の様子を伺ってみるものの、そういった感じは見受けられず、そうなると余計に混乱した。

 昨日の今日でこのような行為にいたった八田の真意は測れずとも、その行為自体に何かただならぬ意味を感じ取った私が口を開いたのは、その日の放課後だった。




 帰り道、やはりというべきか、例によって八田は私の手を絡めとると、そこから先は以前のままの日常が展開された。この手にある圧倒的存在感を除けば、ではあるが。

 益体もないことを滔々と語る八田を尻目に、私の胸中は不安に満たされていた。今日の八田に変わった点はこの手を除けば見受けられない。ゆえに、この手の異質さが浮き彫りになるのだ。

 もしかしたら、と思う。もしかしたら、八田は私にふられたことで変になってしまったのでは。現実を受け入れられないで、ある種の錯乱状態に陥っているのでは。考えにくい話ではあるが、彼女の様子からして、努めて平常でいようとする彼女の様子からして、ありえなくもない。ふられた翌日にその相手と手をつなぐなど、恋愛経験が無に等しい私ですらおかしいと感じる。

 私は八田を見た。楽し気な表情を浮かべている。彼女はなぜかいつも楽しそうだ。

 私が隣にいるから、というのは、いささか自意識過剰だろうか。

 いつの間にか、昨日のあの場所のすぐそばに来ていた。





 「ごめん」


 昨日、私は八田の思いの丈に、ただ短くそう返した。

 少しの静寂が二人の間を流れるた後、八田は小さく「そっか」とだけ言うと、足早に去っていった。

 傷ついただろうな。私は一人思った。

 後悔の念は微塵もない。彼女の真剣な思いを受けて私もただ真剣に返したのだから、後悔なんてあろうはずもない。だからこそ、胸がこんなにも痛むのだろう。

 八田が去った後も、私はしばらく動き出せないでいた。




 今朝、何事もなかったかのように、普段のように一緒に登校してくれる八田に戸惑いこそすれども、私は確かに歓喜した。切れた糸は、今再び強固に結び直されたのだと。私たちの日常は多少形を変えながらも、続いていくのだと。

 私が八田に何も言わなければ、これから先、彼女のスキンシップは輪をかけて深くなるだろう。そのことについて何の言及もしなければ、私と彼女の平穏は損なわれない。少なくとも、すぐには。

 思い返せば、私はいつでも八田と一緒にいた。今に至るまで、ずっと。

 何かして遊ぼうと考えれば、一番に八田の顔を思い浮かばせていた。八田のいない日常など、考えたこともなかった。

 八田は間違いなく、私の一番の親友なのだ。

 思考の足取りを乱すようにして、あらゆる思いが渦巻く。振り払うように、私は空を仰ぎ見た。

 五月は日の時間が長い。これから夏に入れば、その時間はもっと増えるだろう。

 しばしの逡巡の後、私は意を決して切り出した。


 「八田、私は」

 「諦めないよ」


 お前とは付き合えない。

 続く私の言葉は、決断的な彼女の言葉に遮られ、虚空に消えた。

 彼女の震えが、私の手に伝わってきた。


 「私は諦めないよ。えーちゃん」


 八田の言う「諦めない」の意味を飲み込むのに、少しの苦労を強いられた。

 彼女の決意に満ちた告白はなおも続く。


 「私は別に女の子が好きってわけじゃないよ。でも、だからといって男の子を好きになったこともないんだ。けれど、中学二年くらいの時にえーちゃんのことが好きだなって、はっきりわかったの。理屈とか抜きにして、男だからとか女だからとか友達だからとか同い年だからとかご近所だからとか幼馴染みだからとかじゃなくて、えーちゃんがえーちゃんだから、好きになったんだ。だから」


 そんなの、簡単に諦めきれるわけないじゃん。

 八田はそう言って、締めくくった。


 「じゃあ、この手は・・・・・・」

 「アプローチの一環だよ」


 新鮮味が欲しかったんだ。悪びれもせずに、彼女は言った。

 昨日とは打って変わって堂々とした彼女の振る舞いに顔が赤くなるのを感じて、私は俯いた。

 五月の気温はほんのりと暖かい。しかし、それとは明らかに別種の何かが私を熱くしている。繋いだ手からこの不自然な温度が彼女に伝わってしまうことを恐れた私は、手を緩めた。


 「ねね、いいかな?」


 離れようとする私の手を彼女が殊更強くつかむと、覗き込むようにして私の様子を伺った。

 半ばパニック状態にある私はもうしどろもどろになり、言葉にならない声であいまいに返事をした。

 なんでこいつこんなに強気なんだ。満足げに笑みをたたえる八田に、私は心中毒づいた。これではまるで、私が照れているみたいではないか。


 「よーし。えーちゃんをおとすために、頑張るぞー」

 「勝手にしてくれ・・・・・・」


 一人意気込む彼女に、私は小さくつぶやいた。





 五月は日の時間が長い。これから夏に入れば、その時間はもっと増えるだろう。

 その時も、私の隣にはいつものように八田がいるのだろう。

 多少なりとも、私たちの関係を変えて。

 

 


 

 

 


 

 性別とか関係なしに幼馴染みを好きになって、少々暴走気味な女の子と、それに戸惑う女の子。

 可愛いですね。

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