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喋る鳥

作者: 村崎羯諦

 その日はまさに凍えるような一日だった。河の水は凍り、風は吹雪き人々を寒さで震えさせた。口から洩れる吐息は白く、外部に露出した鼻先はバラのように赤く染まった。人の高さまで積もった雪は道の横に寄せられ、絶壁のようにそそり立っていた。外灯の光がその雪の壁を照り返り、星が霞むほどの明るさになっていた。


 青年は厚い灰色のガウンを着こみ、身を縮こませながら夜道を歩いていた。仕事場から家まで歩いて二十分ほどの道。毎日行きかう道。見慣れた道。しかし、その日、青年は道の途中で、奇妙な色彩の氷塊が道端に転がっていることに気が付いた。


 青年は一刻も早く家に帰りたがっていた。最初は無視しようとも考えた。しかし、不思議と妙にそれが気にかかり、結局その物体に歩み寄っていった。


 青年が腰をかがめてよくよく観察してみると、それはカチコチに固まったセキセイインコだった。インコは鮮やかな黄色をしており、表面はうっすらと氷に覆われ、まるでゼラチンで固められた和菓子のようだった。青年は手袋をしたままインコを拾い上げる。すると、インコは氷の中で目を動かし、じっと青年を見つめた。


 青年は驚きのあまり思わず声をあげる。氷点下の外でこうして放置され、氷漬けになっているのだ。インコが生きている可能性は万に一つもなかった。


 しかし。寒さのあまり下をむいて歩いていなければ見落としていたかもしれない。ほんの少し、職場を出るのが遅れていたら、雪に埋まってしまって見つからなかったかもしれない。変に気にかかって、近づいていかなければ、それが何であるのかに気が付かないまま通り過ぎていたかもしれない。


 そんな奇妙な偶然の積み重ねが、そのインコを自分が助け出すためにおぜん立てされたもののように青年は感じた。


 青年は不思議な縁を感じ、その氷漬けになったインコをガウンのポケットに優しく入れた。万に一つの可能性を信じて、青年は帰路を急いだ。


 家に着いた青年はすぐさま家の暖房をフル稼働させ、ガウンのポケットからインコを取り出し、厚手のタオルでそっと包み込んだ。


 そして、青年は服の中に冷たいインコを入れ、自分の体温で何とか氷を解かそうと試みた。あまりに高い温度に触れさせると、中のインコごと氷が割れてしまうかもしれないので、ゆっくりと時間をかけて温めるしかない。


 青年は一晩中そのままの状態で過ごした。まるで、卵を温める親鳥のようだと、青年は思った。明日も朝早くから仕事があるのになんでこんなことをしているのか。インコと目が合ったのも自分の見間違いだったのかもしれないのに。いろんなことを考えながら、それでも青年はインコを自分の体温で温め続けた。


そして、夜明け過ぎ。あまりの眠さにこっくりと舟をこいでいた青年は、ふと自分の腹のあたりでもぞもぞと何かが動く気配を感じた。


 寝ぼけていた青年はそれが何なのかわからなかった。しかし、夜の出来事を思い出し、まさかと思いながら、青年は人肌ほどの温まったタオルを服の中から取り出した。そして、恐る恐る中を開く。


 すると、そこにはしっとりと濡れながらも、わずかに身をよじらすインコの姿があった。明るい照明の下にさらされたインコは、初めて青年と出会った時と同じように、力なく目を動かし、青年を見つめた。その瞳には弱弱しくも、はっきりと生命の息吹が感じられた。


 青年は氷漬けになりながらも灯を絶やさなかったインコに心打たれた。すぐさま新しいタオルで身体を拭き取り、パンくず、水を与えた。バスケットに新聞紙やら何やらを詰め、寝床を作った。そして、インコをそのお手製の巣に寝かしつけたところで、出勤の時刻が近づいていることに気が付く。


 青年は後ろ髪をひかれながらも、慌てて支度をし、家を出る。帰り道にあるペットショップで、餌やら鳥かごやらを買わなければならないな。青年はどこか敬虔な気持ちを覚えながら、そう考えた。






 インコが突然、喋り出したのは、奇跡的な救命から一か月後のことだった。


「いったい何の本を読んでるの?」


 それは透き通るような女性の声だった。イスに腰掛け、ひとり読書に耽っていた青年は肩をびくっと震わせながら顔をあげる。自分をのぞいて、誰もいない部屋の中で、そのように声をかけられることなどありえなかったからだ。青年はあたりを見渡したが、もちろん人っ子一人いない。部屋には自分と、一か月前から不思議な縁で飼い続けているインコしかいなかった。


「ねえ、何の本を読んでるの?」


 その声ははっきりとインコがいる場所から発せられていた。青年はインコに近づき、鳥かごに手をかける。艶やかな毛並みを持ったインコは、くちばしで自分の身体を掻いていた。鳥かごの外から自分をじっと見つめる青年に気が付くと、不思議そうに青年の方を見つめ返す。


 空耳か。青年がそう思った瞬間、インコはくちばしを上下に開き、声を発した。


「何の本を読んでたの?」


 今度ははっきりとインコが喋っているのだとわかった。青年は相当驚いた。インコが喋ることは知ってはいたものの、ここまではきはきと、それも人のように喋るとは思ってもみなかったからだ。


 しかし、青年は不気味がるよりはむしろ、面白がった。青年は鳥かごからインコを出してやり、自分の掌に載せた。こうしてやると、インコは上機嫌になるからだった。


「外国の小説を読んでいたんだ」


 青年はインコに語り掛けた。インコは青年を見つめながら、小首をかしげた。


「難しい本を読んでるのね」


 青年はまじまじと掌のインコを見つめた。インコは嬉しそうに目を細める。


「あまり本は読まないのかい?」


「あまり読まないわ。でも、どんな本だったか教えてほしいな」


 青年は夢に包まれたような気持ちのまま、インコに先ほどまで読んでいた本の内容を語り出す。インコは合間合間に適切な相槌を打ち、疑問に思ったことはすぐさま尋ねた。仕事先の同僚とはあまり趣味が合わず、こうして小説について話すことなど久しぶりだった。青年は相手がインコではあったものの、語りには熱がこもり、自分では考えられないほどすらすらと言葉が出てきた。


 それからというもの、青年とインコは毎日のように何時間もお喋りをするようになった。インコは青年のよき話し相手となった。また、青年もインコのよき理解者となった。青年が自分のことを話すのと同じように、インコもまた自分の素朴な疑問や考えを青年に語った。次第に、お互いがお互いにとってかけがえのない存在になっていった。

 

 



 しかし、そうやって楽しい日々を過ごしていたある日のことだった。


 青年は換気と鳥かごの掃除のため、窓を開け、インコをかごから出してあげていた。すると、インコは急に青年の肩に飛び乗った後、青年の耳たぶをひと噛みした。青年は痛みで声をあげる。非難するような目でインコを睨み付けると、インコは少女ののような快活な笑い声をあげた後、パッと飛び上がり、家の外へと出ていってしまった。


 青年は初め、状況が飲み込めなかった。そして、インコが家から逃げ出したという事実を理解すると、着の身着のまま、慌てて外へと飛び出した。


 インコが飛んでいった方へと青年は力の限り走り続けた。しかし、インコの姿はいつまでたっても見えてこない。それでも青年は走り続けた。それだけインコは青年にとって大事な存在だった。


 三十分以上、走り続けただろうか。青年はさすがに体力の限界を感じ、足をとめた。息が切れ、汗は冬だと言うのに、滝のように流れた。


 もう見つからないのかもしれない。諦めようとしたその時、ふと何気なしに顔を上げて空を見渡すと、視界の隅に、見慣れた明るい黄色のインコの姿が映った。


 青年は歓喜の声をあげた。疲れは吹き飛び、青年はインコがいる方向へと再び走り出した。


 インコは空中を優雅に旋回したのち、ゆっくりと青年の走っていく方向へと下降していった。ビルの影にインコの姿が隠れると、青年は不安になって、速度を速めた。ビルとビルとの間を抜け、インコが降りて行った方向へと走り続けると、近所ではよく知られた自然公園へと行きついた。


 確かにインコはこちらへ向かっていた。確信を持ちながら、青年は公園内へと入り、周囲を見渡す。


 すると、入口から少し離れたところに置かれたベンチに、探し求めていたインコがいた。インコはベンチに座る女性の肩にとまり、自分の身体をいつものように毛づくろいしていた。


 青年は安堵のため息をつき、ベンチへと近づいていく。すると、女性とその肩にとまったインコが気が付き、青年の方へと振り向いた。


「どうしたんですか、そんなに汗びっしょりで」


 青年は最初インコが話しかけてきたのだと思った。なぜなら、それは青年が聞きなれていた声だったからだ。


 しかし、青年に喋りかけたのは、ベンチに座っていた女性だった。混乱し、固まった状態の青年を女性は不思議そうに見つめている。


 青年はやっとのことで気持ちを落ち着かせ、女性に返事をした。そして、女性と青年はたどたどしく、しかしながら通じ合っているかのように会話を始めた。青年は自分が彼女と初めて出会ったとは到底思えなかった。それだけ、女性の声、声の調子、笑い方、すべてがインコのそれと同じだったからだ。


 そして、なにより不思議なことに、女性もまた同じく、初めて出会った人とは思えないほどに、青年に対して親しみを感じていた。


 二人は時間を忘れて話し続けた。女性の肩にとまったインコはそんな幸せそうな二人を見つめながら、嬉しそうに目を細めていた。

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