106話 朝の散歩
「しっ! はっ! ふっ! はぁっ!」
ふぅ、こんなものか。俺は額から流れる汗を腕で拭う。今はまだ日が出て来たばかりの朝の早い時間帯。ようやく侍女たちが仕事を始めた時間帯なのだが、俺は庭で剣を振っていた。
昨日は、トルネス王国に着いて、それからは図書室でずっと本を読んでいて、そのままパーティーだったので、結局1度も剣を振ることが出来なかった。
そのため、体が気持ち悪かったので、いつもより早く目覚めて剣を振っていたのだ。
しかし、本当に良い剣だ。魔力の浸透率が良いから、今までより魔力の消費を少なくして同じ技を放てるし、少し重いけど、纏を使えば誤差の範囲だ。俺が黒剣を見てニヤついていると
「ニヤニヤと笑みを浮かべてどうしたのですか?」
と、後ろから声をかけられる。俺は思わず振り向くと、そこには、ピンクのネグリジェにショールを羽織っただけの姿をしているヴィクトリアが立っていた。
薄いネグリジェでは、ヴィクトリアの凶悪な一部を隠し切れずに、ものすごい自己主張をしている。俺は凝視をしないように少し視線をずらす。
「お、おはよう、ヴィクトリア。朝から早いな」
「おはようございます、レディウス。ふふ、女性の準備には時間がかかりますからね。いつもならマリーたちがいるのでもう少し遅いのですが、今は自分で準備をしなければなりませんからね」
そう言って手を口元に当てて上品に笑うヴィクトリア。その綺麗に笑う姿は、見惚れる程に美しかった。俺がぽかーんと見ていると、ヴィクトリアは首を傾げてくるので、俺は誤魔化すように話し始める。
「そ、そうだったのか。それでどうしたんだ?」
「いえ、朝目が覚めたら窓からレディウスが歩いて何処かへ行くのが見えましたので、準備してから来たのですよ」
特に用事があったとではないのです、と少し頰を赤く染めて恥ずかしながらもそんな事を言ってくる。
「そうか。それなら少し散歩でもしながら話さないか?」
俺がそう言うと、ヴィクトリアは嬉しそうに微笑みながら頷いてくれる。俺は手に持つ黒剣を腰の鞘に戻す。その間にヴィクトリアは俺の隣まで来ていたのでそのまま歩き始める。
丁度ここは庭だったので色とりどりの花が咲い咲いており、楽しく散歩をするには絶好の場所だった。そこで色々と話をしていたのだが、俺は気になった事を尋ねる。
「そういえば、ヴィクトリアは卒業したら領地に戻るのか?」
俺はヴィクトリアに学園を卒業してからの事を尋ねた。ガウェインは近衛に、ティリシアは銀翼、クララは教えてくれなかったが決まっているらしい。
ただ、ヴィクトリアからはそう言う話を聞いた事が無かったので聞いて見たかったのだ。
「……正直に言いますと、まだ決めていないのですよ」
ヴィクトリアはそう言いながら近くにあったベンチに腰をかける。俺はその隣に座る。
「つい、二ヶ月ほど前までは、ウィリアム王子の婚約者、未来の王妃として頑張って来ました。そのために王族としての礼儀や、教養、様々な事を勉強して、学園を卒業したら、ウィリアム王子を支えるんだって頑張って来たのですが……それが無くなってからは、ぽかりと穴が空いたような感じがするのです。
前にも話しましたが、肩の荷は下りて楽にはなりました。婚約破棄されてからは自分でもわかるぐらい気持ちが楽になりましたから。でも、今までそのようにやって来たせいか、夢とかが無いのですよ。将来何をしたいとかが思いつかないのです」
そう言って、下を向くヴィクトリア。それは仕方ないよな。ヴィクトリアは生まれた時からウィリアム王子との婚約が決まっていたと言う。
子供の頃からそうなる事を決められていれば、夢なんか持つ事も無かったのだろう。ウィリアム王子を支える、って事自体が夢だったのだから。
だけど、それが無くなれば当然したい事は無くなってしまい、これから先も何をすればわからなくなってしまったと言うところか。
「そうか、それならヴィクトリアにお願いがあるんだ」
「私にお願いですか?」
「ああ、帰る途中にセプテンバーム公爵領に寄る時に、セプテンバーム公爵にお願いしようと思うのだけど、ヴィクトリアに貴族としての先生になって欲しいんだ」
「……私が……先生にですか?」
「ああ。ヴィクトリアも知っていると思うが、俺は一応は貴族の家に生まれたが、貴族としての振る舞いも常識も何もかも知らない。それがいきなり領主になれば、周りの貴族からも侮られるだろう。かといって、その事を教えてくれる人が俺の知り合いにはいなくてな。だからヴィクトリアがもし良かったら教えて欲しい。ヴィクトリアの夢が見つかるまで。もちろん嫌だったら断ってくれても構わない。どうかな?」
俺が真剣な表情で、ヴィクトリアを見ると、ヴィクトリアは顔を真っ赤にして口をパクパクさせながら俺を見ていた。
「ほ、本当にわ、私でよろしいのですか、そんな大役を?」
「はは、そこまで重く考える必要はないさ。ヴィクトリアが俺をしごいてくれたら良いだけだから」
「私が……レディウスを……しごく……先生として……ふふ、悪くありませんね」
ヴィクトリアは俺の話を聞いて、急にうふふ、と笑い出した。少し怖いけどどうなのだろうか?
「それでどうかな?」
「わかりました。お父様に聞いてみないとわかりませんが、私がレディウスの先生として、教えて差し上げましょう!」
ヴィクトリアはババン! と胸を張って了承してくれた。ただ、この事をセプテンバーム公爵から許可を貰わないといけない。これがかなりの難関だろう。まあ、最低でも学園にいる間だけでも教えてもらえるようにお願いしよう。
「ありがとな、ヴィクトリア」
俺がヴィクトリアの手に自分の手を重ねてお礼を言うと、ヴィクトリアは再び顔を真っ赤にして俯きながらも頷いてくれる。それから、再び歩き出した俺たちは、また、たわいのない話をして離宮に戻るのだった。




